1 全てを失った日
四月。桜舞い、風踊る季節。暖かな日に包まれ人々は動き出す。
今日は入学式。おそらく多くの学校がそうではないだろうか。
高校二年に進学した俺、神谷真紅は朝の通学路を妹、神谷蒼葉とマンションの隣に住む幼馴染、愛華藍と共に歩いていた。
藍の両親と家の両親は仲が良く、四人で一緒によく旅行していた。俺たちを置いていくのはどうかと当時思っていたが。
そして、三年前。いつものように四人は旅行へ。秋の少し仕事が落ち着いたときに有休をとってできた時間にフランスへ行ってくると言っていた。三泊四日らしい。前日にウキウキと年甲斐も無く燥いでいたのを覚えている。そして当日、いつもと何一つ変わることなく準備をした荷物を持って親たちは出かけて行った。
俺たちは止めるべきだったのかもしれない。
四日後、俺たちの部屋に帰ってきたのは両親ではなく、壊れたキャリーバックなどのいわゆる――遺品。
そう、四人は死んだ。なんでも、空港まで向かう高速で逆走してきた車と正面衝突したとか。車は無残にも潰れ、当然中の四人(ついでに相手の運転手)も無事なはずがなく、即死。帰らぬ人となった。
当然、俺たちは悲しんだ。俺たちの歳の家族にしては仲がいいほうだった。悲しくないはずがない。
俺は同時に考えてしまった。藍と蒼葉がいなくなってしまった未来を。我慢できなかった。受け止められなかった。だから俺は何が何でも二人を守ると誓った。自分が壊れないために。
冬になり、気持ちも落ち着いてきた。俺たちは三人で生きていくことになった。幸い、両親の貯金と保険金があり、高校までは普通に生活できるほどに蓄えがあった。それでもいろいろと突き詰めてのことなので俺と藍は高校入学と同時に無理のない範囲でバイトも始めた。そのせいで幾分か成績は落ちてしまったが生きるためだと思って続けた。
三人で生きるようになってから、さらに藍との会話や時間が増えた。当然と言うかなんというか、半年ほど前から付き合い始めた。蒼葉は少しむくれていたが最後は笑って祝福してくれた。本当の家族になるためにも頑張ろうと思った。
そして今日、蒼葉も高校生となる。三人とも同じ高校だ。今日からは登下校も一緒になる。三人でいられる時間が増えるのはいいことだ。
通学路の大体中間にあるでかい交差点、その一角にあるスーパーは毎日何かしらの特売をやっていて大変お世話になっている。買い物は俺の仕事なのだ。料理は藍や蒼葉のほうが上手いし荷物持ちはどうせ俺だからな。
その交差点に差し掛かった時、特売のチラシが貼ってあったので信号が変わるまで見ることにした。ふむ、今日は醤油と卵、あとは魚系が安いな。
チラシを見て何を買おうかと吟味していると俺を呼ぶ声がした。どうやら信号が変わっていたようだ。
渡り始めて途中で気付いたのか、二人は横断歩道のうえで立ち止まり俺を待っていた。危ないぞ。そう声をかけようとした。
だができなかった。驚きと混乱が俺に声を出させなかった。
突如として交差点に響く車のブレーキ音。パトカーのサイレン。俺の後ろから現れたそれは左折し、二人のいる横断歩道に突っ込んでいった。
何が起きたのか分からなかった。考えたくなかった。だが、現実は非情だった。
二人は横断歩道から消えていた。そこには鞄が二つ、投げ出されたように落ちていた。
俺は車の走り去ったほうを見た。赤い液体が飛び散っていた。その先に二人の少女が倒れていた。
「うそ、だろ・・・」
その少女たちは言わずもがな、藍と蒼葉だった。
「おい!藍!蒼葉!」
俺は二人に駆け寄った。幸いまだ息はあるようだ。だがとても細く、いつ途切れてもおかしくない。腕や足も変に曲がっており、もし他人ならとてもではないが見ていられなかった。
「し、しん、ちゃん・・・」
「しっかりしろ!」
「ご、めんね・・・ごめ、んね・・・」
二人は泣いていた。目は俺を見ていない。謝り続ける二人の手を俺は握った。強く、手放さないように。
「やめろ! 謝るな! 俺がいるから! 俺が! 俺が・・・」
二人は手を握り返してきた。何度も握った手はいつもの半分も力が入っていない。俺の目が霞んできた。俺も意識したくないだけで分かっているのかもしれない。涙が止まらなかった。それを見られたくなくて、血まみれの二人を構わず抱きしめた。
「いた、いよ・・・おにい、ちゃん」
抱きしめているから分かる。分かってしまう。二人の身体が熱を失っていくことが。力がなくなっていくことが。
「おい、君たち!大丈夫か!意識をしっかりと持つんだ!」
パトカーに乗っていた人だろう、警察官がやってきた。が、そんなことはどうでもよかった。
「お前らがいなくなったら俺は!」
「だい、じょうぶ、だよ・・・しん、ちゃんなら・・・」
「・・・」
「!おい、しっかりしろ!蒼葉!」
二人を放し、返事のない蒼葉を見る。ぼそぼそと口が動いていた。急いで口元に顔を近づける。本当に小さな声でこれだけ近くても聞こえないような声で、蒼葉は言った。
『大好き、お兄ちゃん。ありがとう』
ハッとして蒼葉の顔を見るとぎこちない笑みを浮かべていた。そしてそのまま、全身の力が抜けた。
「おい、蒼葉?蒼葉!」
必死に呼びかけるも反応はない。
「しん、ちゃん・・・」
小さく俺を呼ぶ声に藍のほうを向くと藍にも蒼葉と同じような笑みが浮かんでいた。
「藍!」
同じように顔を近づける。蒼葉よりも大きいがそれでも何とか聞こえるような声で藍は言う。
『愛してるよ、ずっと。ありがとう』
そして最後の力を振り絞るように俺に抱きつき、唇を合わせてきた。いつものように短いものではなく、長く絡みつくようなキス。
正面に見える藍の顔は血と涙でぐちゃぐちゃだった。閉じた目からは止まることなく涙が溢れ、呼吸もままならないというのに無心で俺に吸い付いてくる。
やがて、長い長い、キスが終わり、顔が離れる。互いの口に銀の橋ができるほどだった。最後に藍は笑った。今までで唯一、見たくもない笑顔だった。
「おい、藍?」
藍からも少しずつ力が抜けていき、やがて完全に抜けた。
それの意味するはただ一つ。二人の死。
認めたくなかった。考えたくなかった。残された悲しみと自分の無力感が全身を襲った。
現実は非情で無情で――
「うわあぁぁぁぁぁ!」
俺にとって意味のないものとなった。




