チルオレタチ
三年、俺達が造られてから、壊れるまでの、最長の期間だ。
俺達は無機質な機械ではないが、完全なヒトではない。生まれてから二十年の記憶はあるが、それは俺達のものであって、俺達のものではない。
二〇五三年現在、軍を持つ日本では、公にされていない兵器が開発されている。
あらゆる身体細胞に変わることが出来る万能細胞、これを軍事応用したアンドロイド、またはガンノロイドである。
二十歳となった男女から、健康診断の際に血液を余分に採取。その血液を使い、個人の遺伝子を抽出。その遺伝子を元に俺達の身体は造られる。
一定の遺伝子を組み込み、筋力を数十倍にする。
体が形成された後、直接的に脳へ電気信号を脳に送ることで身体の制御能力、軍事知識量を高める。
結果、出来上がるのは自己判断能力を持ち、ナイフだけで戦車、戦闘機と渡り合える生物兵器だ。
俺達は『戦術級人型有機物質兵器』と呼ばれている。
遺伝子情報にはオリジナルの記憶、生きてきた二十年分もの記憶がある。その記憶により俺達は人格形成される。
冷房が利いたショッピングモールから出ると、俺のシャツはゆっくりと汗で重くなる。俺が造られてから二ヶ月は経っていた。
遺伝子操作され、強化されたとしても、ヒトと身体構造はほとんど同じなので最低限の生活をする必要がある。否、そうしなければ、俺たちは体の形状を維持することができない。
俺が出てきたショッピングモールも俺達を保存する施設の一部だ。
施設とは言っても日本でよくある二十階建てのビルが二、三棟見当たる住宅街と見た目はほとんど変わらない。違いは、百メートルはある塀に囲まれていること、塀より五十メートルは高い塔が施設の中央に建つこと。この施設について、日本の山奥にあることしか俺達は伝えられていない。
不幸中の幸い、空が見えるのでこの施設には圧迫感がない。これほど空が見えることが嬉しいと思えることは俺の記憶の中になかった。
もし、俺がオリジナル、俺たちの遺伝子の元である人間をこう呼ぶ、ならば携帯電話などの情報端末機器に搭載されるカメラ機能で写真を撮るだろう。
そんなささやかな願いも叶わない。
俺達が最低限の生活を保障されているのは、あくまで兵器である俺たちを保存するためだ。人間としての尊厳はほとんどない。
否、俺達は人間ではなく物として扱われるため、権利はない。
「今日もいい天気だね」
監視員の男が俺に話しかける。素直に「そうですね」と言って、俺は礼をする。
彼は正真正銘のヒトだ。
俺達から反乱分子が出る可能性がないわけではない。監視役は必要である。その役目を担う一人が彼である。
彼の腰にはホルスターが巻かれている。ホルスターに入っているものは銃型の起爆装置。起爆源は俺達が造られたときより、俺たちの体の中にある。
俺達の反乱、異常状態があったとき、それらを止めるために俺達は処分される。
銃型の起爆装置は指向性があり、銃を向けた方向にいる一体の起爆源へ、トリガーを引くことで起動させる。起爆した際に俺達の体がバラバラになることはないが、内部は無残なことになる。
俺達がこの生活に不満を持たないわけがない。
それでも、俺達がこの生活を続けるのは、死にたくないからだ。物である俺達には生存権などなく、開発側の人間の勝手で俺達の存在は消える。
オリジナルの記憶も俺達を生存の本能へ駆り立てる。家族、友人、恋人、俺達はオリジナルが関わった人間に会いたいと思う。オリジナルの持つ夢も俺達が追いかけたい夢である、たとえ無理なことでも。
俺は勝手に決められた居住スペースへ歩を進める。
娯楽などないこの生活に存在する楽しみは食事と睡眠のみ。起きて、散歩して、食べて、寝るを繰り返すだけの毎日。感情はどこかへ置き忘れた気がする。
「パシャ」
女の子の高い声。カメラのシャッターの擬音。
この施設で聞こえる音は、あいさつ程度の簡単な会話と施設の外に住む動物の声だけ。施設に響く声で発せられる擬音は、造られてから聞いたことがない。
声がする方へ俺は顔を向ける。
ハッチング帽を被る小柄な女の子が木陰にいる。女の子は両手の人差し指と親指でできた長方形を、空に向く目線の上に置く。
俺から見る女の子の姿は逆光で、かろうじて見える唇から彼女が笑っていることしか分からない。
俺は彼女の写真を撮るポーズに困惑を隠せなかった。
混乱をもたらすとして、俺達には外部と連絡する手段となる情報端末だけでなく、映像を残すカメラも所持することはできない。
この生活に慣れた俺達に、カメラで写真を撮ることは諦めるしかなく、わざわざ写真を撮るフリはしない。
俺は回れ右の要領で女の子の方に体を向ける。
女の子は楽しそうに体をくねらせ、手の長方形の大きさを変える。「パシャ」と女の子は言い、満足そうな顔をする。
この施設で保存されている俺達は全員同じ年だが、女の子はより幼く見える。
俺は好奇心と親切心に背中を押され、女の子との距離を縮める。女の子も俺の存在に気づく。
「あまり、それをやらない方がいいよ」
俺は彼女の動きを詳しく言わなかった。禁止されていることは言うだけでも抵抗感がある。
女の子はキョトンとした顔を傾ける。俺を見つめ続ける女の子の目は清く澄んでいる。
「なんで? 禁止されているわけじゃないよね」
「あ、いや、そりゃ、そうだだけど」
カメラの所持は禁止されているし、この施設内のカメラは監視用しかない。だからと言ってフリを禁止する必要はない。そもそも、何かのフリをすることに禁止事項はない。
「一応、気にした方がいいからさ。この間もあんなことあったし」
俺が示した例とはね数日前に砂場で絵を描いていた奴が処分されたことだ。俺達の保管に関する要項はあいまいで、基準がない。そのため、明らかに問題ない行動も監視員の判断次第で処分対象にされる。
「それも、そうだけど」
女の子は思案顔を地面に向ける。女の子はハッチング帽を深くかぶり直す。
「三年後と今で違いなんてないよ」
彼女の言葉には絶望が含まれていた。
三年後とは俺達が自然に壊れるときのことだ。万能細胞から造られた俺達はクローンともいえる。クローンは総じてもろいものだ。
百年ほど前、初の哺乳類のクローン、ヒツジのドリーは通常のヒツジの寿命の半分しか生きることが出来なかった。その後もクローンは生み出されたが自然に生まれたものの寿命の半分ほどしか生きていない。
以上に加え、初めより成人の体であること、筋力を数十倍にしたことにより細胞の生成、死滅の繰り返しが早まる。細胞の生成には限度があるため、俺達が存在できる期間は三年しかなくなる。ただし、最長でだ。
戦場へ行くことになれば、俺達はその戦場で存在がなくなる。
普段より強化された筋力を百パーセント使って過ごすことはできない。ヒトが普段使える筋力は三十パーセント。俺達はさらに抑えられ、本来の筋力の一パーセント程まで抑えられる。
戦場では俺達の筋力を百パーセント使えるようにされる。同時に俺達の体に多大な負荷が掛かる。戦闘が収まる頃には俺達の体は負荷に耐えられず、崩れ去る。
俺達には権利もなければ、未来もない。今だろうが、戦場であろうが、俺達の終末は変わらない。と女の子は言いたいのだろう。
女の子はハッチング帽のつばを持ち上げる。女の子の澄んだ瞳に滴が浮かぶ。
「だったら、生きているギリギリまで、夢を追いかけたいからさ」
「夢か……」
俺がオリジナルのときのことを思い出す。夢と言う言葉は俺にとってバカが見るものだと思っていた。
造られた俺になってからは価値が変わった。自堕落に何も考えずに生きて来た俺は、夢を持たず生きて来たことが後悔となった。
「それで、君はなんでかな?」
「なんでって?」
「なんで、見ず知らずの私を助けようと思ったのかな?」
俺の思考は止まった。
禁止されているわけではないが、俺達は互いの接触を避けている。第一に反乱を企てていると思われるから、他に出会った人との別れをしたくない、などある。
俺達は見ず知らずの奴が何をやって、壊されても関係ない。
今更ながら、自らのとった行動の整合性のなさに俺は気づいた。
「あ、いや、そのさ、君がかわいいからかな?」
「へ? ナンパ?」
女の子は呆然と口を開け続けた。
意識を取り戻した女の子はハッチング帽を深くかぶり直し、リンゴのように赤くなった顔を隠す。ハッチング帽で隠せていない部分、頬などから俺は女の子の様子をうかがえた。俺は自分の国語力のなさを恨む。
女の子は俺を何度も見て、うつむき、自分のスカートを引っ張る。
「あ、その、ナンパのつもりはないけど」
「ごめん、またね!」
女の子は俺に背を向け走り出した。
俺は余分なことを考えてしまう。
『ごめん』とはナンパに対してなのか? 『またね』とはいつなのか? そもそもまた会うつもりなのか?
もんもんと頭の中で女の子の放った文句について考え続けた。
簡単な料理で夕飯をすまし、俺は眠りに着く。居住スペースはヒト一人が住むには十分な広さ、ちゃぶ台がある三畳の居間とトイレ、簡易的な台所があるだけの空間。俺ができることは寝る以外に、考えることしかない。
「またね。とか言うなよ」
考える内容は夕方の写真をとる動きをしていた女の子のこと。考えていると言うより、彼女の楽しんでいる笑顔が頭から消えないので考えてしまう。
目を閉じ、結論が見えない思考を、眠りの世界に行くまで、続ける。
ユメと言うのは記憶の整理のときに起こると言う。
ユメと言うのは起きた時にはほとんど覚えていないと言う。
俺が見ているユメはそのどちらでもないようだ。起きても覚えていそうだし、俺がいる夢の中の空間は透明で透き通っている。
俺以外に色があるものがない。
「気持ち悪いな。ここ」
色がないということは線が存在しないということ。
線がなければ自分のいる位置など分からない。平衡感覚を失い、頭がくらくらする。今、自分が立ちどまっているか、回っているか、進んでいるか、全く分からない。ユメの中にいるのはわかっていた。だけども、これではユメとしての機能を果たしているか疑問だ。
時間感覚も失い始めたころ、自分以外の色を持つものに会う。
俺と体形は同じのヒト型だ、大きさについては平衡感覚を失ったことで分からない。色を持つと言っても真黒だ。
黒いヒト型は少しずつ大きくなる。否、近づいているから大きくなって見えているのだろう。
黒いヒト型は二メートルほどの距離ならば、俺と同じ身長だろう大きさで止まる。
「誰?」
俺は黒いヒト型に質問する。
しゃべれるかどうか? 生き物ではないか? などのことは隅に置いておく。
「しゃべれたのか! よかった黒いヒトっぽいのに襲われるユメじゃなくて」
「黒い? 俺のことなのか?」
黒いヒト型からの返答はなく、代わりに俺に疑問を起こすことが、帰ってくる。
黒いヒト型の言い方では、彼の見えている状況は俺から見た状況と同一になる。俺が判別できている状況と矛盾する。
黒いヒト型は頭に当たる部分を傾け、考える素振りを見せる。
「その言い方だと、俺が黒く見えていることになるよな?」
「そうだけど」
「俺は、あんたのことが黒っぽく見えるよ」
目がこの空間になれてきたらしく、口の形は見える。黒いヒト型は笑う。
「つまりは、そういうことだろう」
「そういうことって、わかるけど」
つられて俺も笑う。二人とも透明な空間の中で、互いが黒く見えているのだ。
SFチックだが、ユメの中だから何でもありだ。
俺は日頃のストレスを発散させる機会が欲しかったのでこのユメを利用することにした。
「名前聞いていいか?」
「ダメな理由はないだろ。俺の名前は生夢星斗」
俺は黒いヒト型に答える。黒いヒト型は驚いたように見えた。
「偶然だな、俺も生夢星斗だよ」
「偶然過ぎる偶然だな」
もう一人の星斗は大笑いして「ホントだな」と言う。その声も俺に似ている。
「ところで、この空間は気持ち悪いから場所変えたいんだけど」
「変えれるのか?」
「知らない」
しばらくの間、俺タチは透明空間から脱出する方法を考えた。
俺は起きた。ユメの中での出来事は、予測した通り覚えていた。
いつものように居住スペースでだらだらする。暇つぶしの道具はないので、適当なことを考える。
結局、適当なことは昨日のこと、写真を撮るポーズをした女の子のことだ。
女の子の言い残した『またね』が気になってしょうがない。どうして、女の子がそう言ったのか? そもそも何故、俺は女の子に話しかけたのか? 終わりの無い思考を続ける。
透明なユメのことも気になるが、頭の中は女の子のことで占領されている。
時計の短針は十二を示す。俺は昼飯にショッピングモールへ行くことにした。本当の目的は「帰り際に例の女の子に会えたら」だが心の隅に置いておく。
着替えは、似たような服が二、三あるだけなので、しない。
用意は、施設内でのみ使える金が入った財布だけ。この金はショッピングモールでしか使えないが、ひと月に一回、生活費として支給される。食材と衣服にしか使えないので、支給された金は大きい額にはならない。
残りの生活費を思い出し、昼のメニューを考える。ため息をついて見上げた空は、俺の思考とは反して、雲ひとつなかった。
十日目のラーメンで昼飯をすませ、紙コップコーヒーを片手に屋上で時間を潰す。空を見上げながら思考を続ける。コーヒーのリラックス効果で、脳はようやく女の子のことから別のことを考えるようになる。
俺達の存在についてだ。
昨日の女の子のセリフから、考えておきたいことが出来た。考えても意味はないかもしれないが。
この施設内では得ることが出来る情報はほとんどない。使えるのは自らの頭の中にある情報だけだ。
幸い、俺には二つの利点があり、問題はない。
一つはオリジナル時の読書。興味があって読んだものの中に俺達の造りと関係するものがあった。
もう一つは電気信号によって作り出された脳回路。改造内容に軍事知識のスムーズな利用がある。軍事知識のみ限定してスムーズにするより、脳内の情報をスムーズに取り出せるようにした方が簡単だ。
結果として、俺はオリジナルの時に得た知識をすべて利用できている。
この思考の終末は俺を悲しくし、怒りに満ち溢れさせた。
紙コップコーヒーに口をつけるが、空になっていた。
「もう一杯飲むか、どうせ明日もラーメンで済ますだろうし」
俺はリラックスのために今後の小さな贅沢を捨てた。
冷房が利いたショッピングモールから出れば、昨日と同じように、俺のシャツは汗で重くなっていく。手に買い物袋はない。昨日の時点でここ三日分の食材は買ってある。
ショッピングモールから出た時間は昨日と同じ。しかし、期待はあるが、例の女の子に会えると思わない。女の子は俺のことなど気にしていないだろうし、二日連続で同じ所に来ているならば俺たちはすでに知り合いになっている。
「今日も快晴だね」
監視員の男が今日も明るく話しかける。それに応えて、俺は礼をする。俺は足早に監視員の男から去る。
俺の目的は例の女の子がいた所を通り過ぎること。女の子がいないことを確認して、自分の期待を打ち砕くことでいつも通りのだらけた生活に戻ること。
女の子は『またね』と言っただけなので、今日はいなかったから明日、来週にもいないと言うわけではない。ただ、俺の中に居続ける女の子を早く消し去りたいと思うから。今日、その場所で、彼女に、会えなかったらば、彼女との出会いは俺の中でなかったことにする。
大切なものが出来れば、すぐに悲しみが待っている。それが常識な世界で生きるから大切なものを作りたくなかった。
だけれども、君はいた。
ハッチング帽を被り、木陰にあるベンチに。小柄な体は座っているために、余計小さく見える。
女の子は呆然とする俺を見つけると、写真を撮るポーズで、俺を的にした。
「パシャ」
高いその声は俺の耳の中で響く。
心臓が見えない紐で縛られる。その紐は女の子の方に伸びているらしい。俺は女の子の方へ引っ張られる。木陰に入るか入らないかの位置で足を止める。
「こんにちは」
「ああ、いたんだな」
俺は女の子の挨拶を半ば流す。女の子にそのことを気にする様子はない。
「まあ、『またね』って言っちゃったからね」
女の子は舌を出し、苦笑いする。自分の不用意な発言に反省しました、と俺は意味を捕らえた。
今、彼女に会えたことに喜ぶ俺と、彼女に会えたことに悲しむ俺がいる。
そんな自分への嘲笑が顔に出る。俺は女の子に気づかれないようにすぐに大笑いを上書きする。
俺の大笑いに女の子は首を傾げる。
「律儀だな」
「人と服は一期一会でしょ?」
俺は「服?」と軽い驚きを示す。女の子を見流すと昨日と服装が全く違う。昨日はデニムパンツに大き目な花柄シャツだったが、今日は白を基調とするフリルのワンピースだ。服に疎い俺でも彼女がオシャレをしているのはわかった。
「わざわざ買っているのか?」
この施設に規制はないため、服装は自由に決められる。しかし、服装を変える意味などなく、食事に金を使いたいので多くがオシャレはしない。
「うん、だって女の子なんだもん」
「そう、よく恥ずかしげもなく言えんな?」
女の子はハッチング帽のツバを擦りながらうつむく。
「どうせ死ぬなら素直にならないと」
「そんなこと言うなよ!」
声を荒げる俺に女の子は「ヒャッ」と声をあげ目を丸くする。ショッピングモールの屋上で考えていたことの結論が、彼女の発言に対する感情を強くさせていた。
女の子の怯えた顔を見て、俺は慌てて表情を変える。
「ごめん、そんな驚かすつもりはなかったんだ」
「う、うん。大丈夫だよ」
俺はため息をして、髪をかき上げる。この女の子を見かけてから大分、俺の精神状態は乱されてしまっていた。
女の子は手で隠れた俺の顔を見上げる。
「オウキマイ」
女の子から突然とよくわからない単語が現れたので、俺は顔を再び女の子に向ける。情けない声付きで。
「桜木舞、私の名前。何かあったなら話してよ」
「何かあったわけじゃないけど、いいかな?」
舞は微笑んでうなずく。
俺は許可を求めてから、舞の隣に座る。
「俺も自己紹介しないとな。生夢星斗な」
「イクムセイト、で、どうしたのかな?」
舞は真面目に話を聞いてくれるつもりだが、俺は人生相談の番組みたいだなと思ってしまう。
「どうしたわけじゃなく、単なる考えすぎだよ」
「えーと、何を考えてたの?」
「俺たちが使われていた万能細胞についてだよ」
舞の頭の上に大量のクエスチョンマークがあることは予測できた。万能細胞の研究が開始されてから百年が経とうとしているが、世間に浸透しているわけではない。予測の範疇である。
「iPS細胞ってやつじゃないの?」
「いや、たぶん違う」
俺は舞のおかげで落ち着いた頭から、屋上のときと同じように、万能細胞についての情報を取り出す。
「まずは、万能細胞は何かってかな?」
「えーと、いろんな体の細胞になる細胞だよね」
ハッチング帽を指で擦って考えている。どうやら彼女の癖らしい。
俺はゆっくり首肯し、合っていることを示す。
「本来は、ある細胞はその部位の細胞にしかならないんだ」
「え、そうなの」
「うん、でも例外はある。万能細胞、良性の癌、受精卵だよ」
舞は理解し始めたところで、再びクエスチョンマークがまた増え始めた。俺は笑って「順に説明するよ」とつぶやく。
「良性の癌ってのは、とある部位で他の部位の細胞が出来たものなんだ」
舞はうなずきを繰り返す。理解しているか不安だが気にしず、話を続ける。
「このことから生まれた発想が万能細胞」
「あれ? 関係あるの?」
「三つともね」
舞は「あああ」と悲鳴をあげて頭を抱える。俺はそんなオーバーリアクションをし続ける彼女を見て軽い笑い声を出す。
「良性の癌を人工的に作り出したのがEC細胞って言われてる」
「医療の話だよね?」
俺は肩をすくめて、細かいことは気にしないように促す。
「これだと何の細胞になるか、わからないから色んな試みがされている」
「その一つがiPS細胞?」
俺は舞がせっかちのように思えたが、知らなければ、この話ですぐに思いつくのはiPS細胞のため「そんなものだ」と思って笑う。
「そうだね。iPS細胞は四つの遺伝子を普通の細胞に組み込むと出来る」
舞は「ふーん」と言うので、俺は改めて舞がこういうことに詳しくないことが分かった。必要とされる細胞の候補が二百種あった。四種まで減らしたことは驚くべきことなのだが、今回は言わないことにする。
「最近はSTAP細胞の存在が再証明されたね」
「あー、あれは感動した」
「でも、この二つの操作は未だに不安を残すものなんだ」
形の上だけではわかってきた舞だが、三度クエスチョンマークが現れる。構わず俺は話を続ける。
「残るは、受精卵を素に作られるES細胞」
「へ?」
「これが現状で最も安定して使えるもの、命を犠牲にして」
舞は何度も大きく瞬きを繰り返す。
「ごめん、これが、俺が怒鳴った理由。偽善者にもほどがあるでしょ?」
舞は首を横に振る。俺は「ありがとう」とつぶやいて微笑む。
その後、幾度も話を変えて俺と舞は話をした。気づけば夕暮れ時になっていた。これ以上話を続ければ、監視員に疑われる可能性があるので俺たちは帰宅することにした。
帰り道に気づいたが、再び会う約束をするのを忘れてしまった。今日は『またね』と俺も言ったのに。
夕焼けの公園。俺はそこを歩いている。施設には公園と呼べるものはないので、ここがユメの中であるのはすぐにわかる。
単なるユメではないことは感じていた。だから、彼を探している。
「よっ、どこ見ているんだよ?」
黒い影を纏う男、ユメの中で会うもう一人の生夢星斗は俺に軽口を叩く。
「どこ見てるじゃねーよ。わかるかよ、夕暮れに影に入られたら」
星斗は公園のトイレ、俺から見て西方向から悠然と歩いて来る。俺には、星斗が黒く塗りつぶされて見えるので、トイレの影から歩いて来たかはギリギリまで視認できない。
「とりあえず、昨日ぶり」
「ホントに昨日ぶりだな」
俺と星斗は大笑いする。昨日は透明な空間から出ることを考え続けているうちに目を覚ましていた。その考えていた時間が無駄になって、今、俺タチはしっかりと地に足が着いている。
星斗は黒く見えるので細かい寸法はわからないが、風景が見えるおかげで星斗の身長を予測出来る。確認すると自分と同じくらいの身長なので笑いが込み上げる。もう一人の星斗と俺は何もかも似すぎている。
年齢的に公園で遊ぶことなどないので適当な話題を探して話すことにした。
星斗は手振りで俺を公園反対側にあるベンチへ行くよう促す。それに従い俺は、一息ついてから、ベンチへ向かう。
夕暮れを見て舞のことを思い出す。星斗からは話を始める様子はないので、俺は舞のことを話すことにした。
「なんか話す内容ないし、適当なこと話していい?」
「雑な始め方だな」
星斗は苦笑いしながら「いいけど」と付け足す。
「そんなに話す内容はないけど、最近、変わった子に会ってさ」
「変わった子?」
「明るいし、真剣に夢と向き合ってるし、可愛いけど、変わっている子」
舞の写真を撮るポーズをする姿を思い出す。思わず俺は失笑する。
星斗は俺の顔をまじまじと見る。
「あのさ、星斗」
「何?」
俺のにやけ顔は収まっていない。俺は星斗の表情を読み取れるので、彼も俺の表情を読み取れているのだろう。
「リアジュボーン」
「はい?」
「リアジュボーン」
俺は、その後しばらく、舞の話をした。ところどころで星斗は「リアジュボーン」と言いはさむ。
俺はリアジュボーンの意味がわからなかった。
例のごとく、俺は起きてもユメでのことを忘れていなかった。
仕事もなければ、暇つぶしの遊びすらない生活。俺は手持ちぶさたに駆られ、舞と昨日、一昨日と会っていたショッピングモールへ行く道沿いの植木にいた。
今日は快晴とはいかず、雲の塊が見当たる。
ボケっと俺は空を見続ける。
「今日みたいな日の方がいい写真が撮れるんだよね」
聞き慣れ始めた高い声が耳に響く。挨拶もなしに話始めているが、細かいことを気にするつもりはない。
「そうなのか?」
俺は声がする方へ顔を向ける。俺はベンチに座っているので見上げる形になる。正面にはベンチの後ろにいる舞の顔がある。
俺は一般的な日本人男性の中では中の上。長身とは言えないが、舞が小柄なせい顔と顔との距離がない。
俺は自身の顔を悪くないと評価するが、彼女が一度もできたことがない。それどころか、この年でやっと異性と話ができるようになった始末だ。
結論としては俺の顔は茹で上げられて真っ赤になり動けない。舞は気にする素振りを見せない。
「どうしたの? 顔が赤いよ」
「この状況を考えてくれ。俺みたいなヘタレはこうなるよ」
首を傾げて、純粋な疑問をぶつける舞に、俺は皮肉を込めたセリフを放つ。
舞は納得した顔をして慌てて顔をどける。舞は頬を赤らめて苦笑いする。
俺はため息をついて、空を見る。
「んで、何で今日みたいに雲が少しあるほうがいいんだ?」
「簡単に言えば、単調じゃなくなるからかな」
舞は改まって、膝をそろえて俺の隣に座る。俺は肘掛けに頬杖をついていて行儀悪く座る。
「雲一つない快晴もきれいだけど、雲は色んな形になるからね」
「多様性ってことか?」
「難しく言いたがるね」
舞は意地悪く笑う。俺は頭を掻いて「まあね」と応える。一応は、俺の解釈は間違ってはいないらしく、舞は否定しない。
「ここには花がないからさ、次に好きな空しか撮るものないんだよね」
俺は舞の愚痴に息を吐き出して笑う。舞はあのポーズが写真を撮る行為そのものと称している。
「何で笑うの?」
「いや、原理的に、俺も使うから、わかるけど、そういう風に利用するとは」
俺は腹を抱える。笑いが止まらないのだ。
知識を取り出すために俺が利用している改造内容、脳内の情報を取り出せること、を切り取った映像を覚えることに舞は使っているのだ。
記憶の上で、忘れるとは記憶がなくなると言うことではない、記憶を思い出せない状態のことである。
生まれてから今までの映像記憶も脳の中には存在する。
そのため、舞の行為は自分の脳を記憶装置として写真を撮る、と言っても間違いない。ただし一つだけ違いはあるが。
「いやー、今まで撮った写真を見てみたいよ」
「星斗くん、わかっていて、言ってる?」
俺はより一層笑いを大きくする。舞の写真を撮るは印刷が出来ない。結局は舞の脳内にあるだけで他人と共有が出来ない。脳内の映像を印刷する技術もなくないが、俺達は使うことを許されていない。
「ひどいなー、最初に会ったときはいい人だなって思ったのに」
俺はとりあえず笑いを止めることに集中する。数十秒して落ち着く。
「ひさしぶりに笑った」
「それはよかったですね」
舞は頬をふくらまして、すねる。俺はすぐに「ごめん、ごめん」と謝る。
「俺はさいっしょからこんな性格だよ」
「いやな人だね」
「すみませんね、いい人じゃなくて」
舞は「うう」とうめき、俺を睨む。どうやら俺には聞こえていないと思っていたらしい。俺は苦笑いで応える。
「不思議だね。まだ、星斗君に出会ってから三日しか経ってないんだね」
俺は少し考えてから「ああ」と応える。人とのつながりを持つことを避けていたのに、舞とのつながりを持ってからの数日で大分気が楽になった気がする。
俺のこころは暖かさに満たされる。
ふと思う、ユメで会う星斗が言い続けたこと。
「そういえば、リアジュボーンって知ってるか?」
「なにそれ?」
「いや、ちょっと知り合いが言ってたのを思い出してな」
どこかの言葉ではなさそうだ。おそらくは日本の造語である。
「フランス語だっけな。『リア充』って言葉知ってる」
「ああ、何か四十年くらい前に流行ってたやつ?」
「うん、たしか、リア充爆破しろ、のフランス語版」
俺はしばらく何も言わない。ユメの星斗は、何もかも俺に似ているが、おっさんなのだろうか?
俺はため息を吐いてから、別の話題を舞に提示する。
この時には俺と舞とのつながりは強いものになっていた。少なくとも俺はそう思っている。
見上げると、木陰を作る葉が生繁る枝と空がある。ベンチに座っているために広い範囲で見える。
空は澄んだ青、枝の葉は燃え始めた黄色。対比的な色合いになっている。
「何やってんの?」
高い声が耳に響く。
「だから、近いっての」
「これが嬉しいんじゃないのー」
「やかましい」
俺は声の主、舞の額を人差し指で押し出す。舞は「イテッ」と声だけのアピールをする。
慣れた動きで舞は俺の隣に座る。俺は慣れた動きで赤くなった顔を舞に見えないようにする。
「いい加減慣れればいいのにー」
そっぽを向く俺に舞は声を上げて笑う。
「やかましい」
暇が多すぎる日々なので、毎日、舞と会うようになった。
特別なことは何もなく、適当なことを話して笑ったり、舞が撮っているのを俺が見守っていたりするだけだ。
俺は肌の色が変わった頃を見計らい舞の方へ向く。
向いた先寸前には舞の顔があった。一瞬俺の時間が止まる。俺の時間が動き始めると同時に、再び俺の顔は赤くなる。
「舞! 何やってんだよ」
俺はベンチから離れて舞から離れようとする。しかし、舞の手が俺の膝にあり、舞の全体重が俺に乗っているため動くことが出来ない。
「しばらく星斗くんのテレ顔をさ」
俺は目の向けどころを探す。
「見てないから」
泳ぎ続ける俺の目は、間が悪く、動く舞の唇を捕らえる。化粧を許されていないはずなのに舞の唇は赤く潤んでいる。
正直に言えば、この状況はかなり嬉しい。オリジナルなら二十の年である俺にとっては叶わなくても願わずにはいれない状況だ。
俺は見ただけで柔らかいとわかる舞の唇を見続ける。ゆっくりと利き手ではない左手を舞の顔に伸ばす。
「イタっ!」
舞は頭を押さえて俺に背を向ける。俺のデコピンがきれいに決まった。
「今回は本当に痛いよ」
「ごめん、こうでもしないと離れてくれそうになかったから」
俺は赤いままの顔を左手で隠す。指のすき間から舞を確認する。それなりに手加減したから、怪我にはなってはないはずだ。
舞は痛みが治まったらしく、うめきながらも顔を上げる。俺の顔はまだ、燃えている。しばらくは左手を動かさないことにした。
あと数秒あの状態でいたならば、俺は舞に取り返しのつかないことをした。生物としての本能か、それとも人間としての欲情か、わからないが俺は戦った。
舞は口をとがらせて不満気な顔をする。デコピンの勢いで落ちたハッチング帽を被り直す間も、舞は顔の形を変えない。
「悪かったって」
「いや、私もやり過ぎたからいいけど。そんなに嫌?」
舞は反省をしているか疑わせる動きで俺を見上げる。舞の目はまっすぐ俺を射抜く。俺は小声で「いやじゃないけど」と言うが、続きは口にできない。
「舞のために距離を取った」などと言えない。
俺は舞の方を見ず誤魔化す手を考える。
「そう言えばさ、何でいつも写真を撮る動きをしてるんだ?」
舞は返答せず、しばらく俺をにらむ。俺の行為は話を逸らす意図が明らかにある。舞の目に合わせることが出来ず。俺は空を見続ける。
舞は俺の返答を諦めて、体を持ち上げる。
「夢だからかな、写真家が」
舞の目線は変わらず俺を射抜く、ただし質は違う。寂しさがあふれる舞の目は俺には暖かさを送ろうとしている。
舞と初めて会った時を思い出す。その時も舞は言い分に『夢』を使っていた。
「カメラマンじゃなく写真家ね」
「どう違うんだよ」
「商品の写真か、作品の写真」
俺の疑問符に端的な答えを舞は提示する。説明としてはわかりづらいが意味は分かった。カメラマンは雑誌の挿入写真や説明のために使うことが主だ。対して写真家は、写真集や展示などの芸術としての写真を撮るのだ。
「空も、花も、木もさいろんな表情を見せてくれるんだよ」
「そりゃ、変わるわな」
「それをさ、いろんな人に気づいてもらいたいんだよね」
俺は納得して「なるほど」と何度もつぶやく。舞の顔を覗くと話をしたくてたまらない様子だ。
俺の胸に相反する二つの感情が流れる。夢を持ってそれを追いかける舞に対する慈しみと、そんな舞の有りようを踏みにじる政府への怒り。
二つの感情は混じり合うことなく、俺の心を二分する。
俺の表情は舞にとって違和感があるらしく、舞は首を傾ける。
「どうしたの? 星斗くん」
俺は言葉が濁らせながら、どちらの事を言おうか考える。
「そのさ、残酷だなって、思ってさ」
舞への思いでは嘘っぽく聞こえるので、政府への怒りを言うことにする。
「俺は夢を持ってないんだ」
俺は顔から離した左手を見続ける。
「舞を見ててさ、恥ずかしくなったんだよ。現実主義装って生きて来たことに」
俺は安心させるために舞の顔を見て満面の笑顔をする。すぐにうつむいて顔の表情を読み取りづらいようにする。
「なのに、俺みたいなクズも、舞も一緒くたにして、物として扱って」
俺は右手の拳を自らのふくらはぎに打ち込む。痛みで気持ちを抑える。
髪が俺の目を、鼻を隠す。声も抑えているつもりだが、舞には俺の溢れる怒りがわかるかもしれない。
「私が最後に撮った写真は何だと思う?」
俺はゆっくりと舞を見る。舞は笑ってうなずく。俺は申し訳ないと思いながらも舞の行為を無駄にしないために考える。
「ああ、いつのものじゃなく。ちゃんとカメラでの、だよ」
「わかってるよ」
俺は少しだけ考える素振りを見せてから、人差し指を伸ばす。
「桜の花だろ、健康診断ときは四月初めだし、花が好きだもんな」
「正解、健康診断の直前で撮ったの」
問題にするから難しいものだと思っていたが、簡単だったので拍子抜けした。
「でも、考えてるのとは違うと思うよ」
「咲いてる桜を撮ったんじゃないのか?」
「違う、散った桜」
舞の笑みは少し性質を変えた。今、舞にはその写真が鮮明に見えている。
「芝生の上にいくつもの桜の花びらと一輪の桜の花がある写真」
「それはきれいだろうな」
「うん、きれいだよ、寂しいけどね」
写真を投稿や展示する機会は探せばいくらでも見つかる。舞は誰かに見せたかったのだろう。否、オリジナルの舞が展示しているはずだ。
俺の目の前にいる舞は誰が見ているかはわからない。その写真がどんな思いで見られているかわからない。その写真の行く末がわからないのは舞にとっては寂しいことなのだろう。
「わたしね、その写真を撮って、自分で気づかされたの」
舞の右手が俺の頬へ伸びる。
「散ったとしても美しいものもあるって」
俺の頬に触れる舞の手に俺の右手をそえる。人肌の暖かさを感じる。
「大丈夫だよ、きっと、私たちには美しく散ることもできるんだよ」
俺は舞の桜の写真を想像して、笑みを浮かべる。
「ああ、そうだな」
俺は舞の右手を頬から離して、両手で強く、強く握りしめた。
いつものことで、帰宅は日が落ちかける時になる。原則として夜間の外出は俺達に許されていない。もしその時間帯に居住スペースから出ようとすれば、俺達内部の爆源が起爆するようになっている。
いつまでも舞と話したい欲望と戦い、俺は自らの居住スペースへ入るため、ドアに手をかけた。
「生夢、少し話せるか」
俺は右隣の居住スペースの入り口を見る。その居住スペースに住む板垣がドアを半開きにして、寄りかかっている。
俺と板垣は仲が良いわけではない。お互いに施設からの指令を伝えている。
指令自体は多くない。少なくとも俺は、ここ二ヶ月、指令を受け取っていない。
「なんだ? 急がないとお互い、ボン、だぞ」
俺は握りこぶしを開く動作で爆発を表現する。
板垣は苦笑で済ますが、笑いごとではない。もっとも、俺が遅かったのが原因なので、俺の発言は無責任だ。
「一つは伝言、もう一つは忠告だ。すぐに終わる」
板垣は人差し指と親指を立てる。動作自体に意味はないが、板垣がすると様になっていた。板垣は金髪だが、それが許されるほど顔立ちが整っている。
俺は密かに恨めしい気持ちを持って、話しの続きを促した。
「まずは伝言、一週間後にあれ、やることになったぞ」
板垣が『あれ』と言ったのは、俺達の間では通じるが、名称がないからだ。
軍が俺達に求めていることは兵器であること。そのために、もっとも必要ないことは、人を殺すことをためらう感情。
敵兵を殺した後、動かなくなれば、兵器としての意味を成さない。
そのためこの施設では俺達に、銃殺による、死刑執行をさせる。
定期的に無作為で俺達の中から十人が選ばれる。その十人は指定された日にこの施設中央に立つ最高のビルへ行く。
そこにいるのは警官と銃の指導者、貼り付けられた死刑囚だ。
説明を聞いただけだが、選ばれた十人が指導を受けた後、一斉に死刑囚を打ち抜く。マシンガンで弾数が多いため、誰が殺したかはわからない、と後付けされたが、慰めにならない。
俺達は一度しなければならない。正直、それを聞いて思うことはない。
「後もう一つ、忠告だ」
板垣は中指を立てる。もう一つの意味以外に物騒な意味も含まれているが、俺は気にしない。
「忠告ってなんだよ?」
板垣はため息をつく。俺に呆れているのはわかるが、俺には板垣を呆れさせるようなことをした覚えがない。
「女と会うのをやめろ」
「女って……」
「お前が毎日会ってる女だよ」
この居住スペースは完全な防音ではないので、隣に人がいるかはわかる。
毎日外出していることは気づいていることは不思議ではない。問題は俺が舞と会っていることを知っていることだ。
「そりゃ、たまに会ったら、幸せそうな顔しやがって、気になるだろ」
今度は俺が呆れる。板垣は俺の後をつけたのだろう。
「お前に指図されることじゃないよ」
「言ったろ、忠告だって」
板垣は三本指を立て、振る。板垣にならい同じ動作をする。板垣は悲しみが溢れる目で俺を見た。板垣には深い意図があるのだろう。
俺はそのことを考えに含むも、忠告を無視することにした。
その夜、ユメを見なかった。
翌日、俺は舞と会うことが出来なかった。
二日間の空白があった、舞に再び会うまでに。
舞は俺の隣で姿勢を整えて座っている。俺は舞をずっと見つめ続ける。
「星斗くん、恥ずかしいんだけど」
ようやく舞は俺に声をかけた。俺は慌てて「ごめん」と言い、顔をそむける。
舞は顔を赤くしている。頬だけでなく目じりも。
「なんだか、いつもと逆だね」
「ああ、そうだな」
俺は舞の言葉があまり聞こえていなかった。舞の目、頬、肩などを見て、俺は憶測を持つ。
「舞、何かあったか?」
舞の肩が跳ねる。何もないと言う方が難しいほど、いつもと違う。
この施設に自然要因は存在しないと言ってもいい。
「話すだけでも楽になるだろうからさ」
俺は仮面をかぶる。必要な情報があれば使う、人たらしの仮面。内心は怒りの炎が燃え盛る。
舞は視線を上下させて、俺を見たり、見なかったりする。覚悟を決めて、舞は俺の目を真っ直ぐ見る。
「あのね、その」
舞の目線は俺に向くが、口はうまく動かない。ハッキリと舞が言葉にできるまでの十五分間、俺は待ち続ける。
「英語で『写真を撮る』は何かわかる?」
全部を言うのはまだ辛いらしい。俺は舞に従い答える。
「take a photo、または、shoot a picture」
「うん、すぐにわかるんだね」
俺はゆっくりとうなずく。今の最優先事項は、舞に余計な不安を与えないことだ。そのために、俺は仮面をより強固にする。
「それでね、shootはさ、銃を撃つ意味があるからさ、その」
今日の舞には舌の早さがない。
「あれを受けてさ、からかわれて」
舞の目から一滴、落ちる。それを俺は見逃すことが出来なかった。
舞の滴が、ポツリっと音を鳴らし、四散する。
俺の衝動を抑えていた仮面が、理性が砕け散る。
「舞、それを言ったのはお前と同じ居住スペースの奴か」
「うん、そうだけど」
俺はゆっくりと立ち上がり、右足を出す。
「星斗くん?」
舞の居住スペースがどこにあるかは以前、聞いたことがある。
「ちょっと行ってくる」
言葉だけが優しい。言い方も、気配も、力の入れ方も、俺は明らかに憤っている。自らの状態を冷静に判断できている俺もいる。それ以上に、舞の夢を、舞を傷つけた奴らへの怒りが強い。
「もしかして、星斗くん?」
今の俺は何も隠していない。このまま、舞を傷つけた奴らに危害を加えれば、俺は処分対象になる。ならば、研究者を一人でも多く減らす。
俺の思考は破壊のために使い始める。
俺の存在は、開発者の意図とは別の方法で、兵器になり始める。
今の俺の意思を読み込むことは誰にでもできる。ましてや、いつも一緒にいる舞ならば、なおさらだ。
俺の腰が舞の腕に包まれる。
「やめて、生きてよ」
俺の背中が舞の涙で濡れていく。舞を泣かせた奴らを許せない。それでも、俺は、強く絞められているわけでもないのに、舞の腕から逃れることが出来ない。俺は右手を腰に置き、舞の手に触れる。
「私ね、こんな感じだからさ。星斗くんとほど話すことできなかった」
舞は震え続ける体を俺に近づけて、密着させる。
「星斗くんとね、もっと話をしたい」
「離してくれないか? この手を」
俺の手が震える。この振動は舞にも伝わっているはずだ。
「やだよ。星斗くん、きっと私のために危ないことをする――」
「行かせてくれよ!」
俺の声はそれほど大きくならなかったが、荒々しいものだった。
「舞のためとかじゃない、俺は許せないんだよ」
「そうやって怒ってくれるのも嬉しいよ」
俺の体は硬直している。
「星斗くんが私のこと大切に思うように。私も星斗くんのこと思っているよ」
舞の体温が俺に伝わる。この温かさは俺の怒りを弱まらせる。
「やだよ、こんなにも大切な人を失うなんて」
「俺にとって、舞の写真のように、人間として生きている実感は舞なんだ」
俺の目からも滴が落ち始める。
「舞も、舞の夢も。俺にとっての生きる実感は舞が笑っていることなんだ」
「だったら、側にいて、ずっと」
俺の衝動は消えかかっている。このまま俺はこの衝動を消し去りたいが、それをすれば俺は人間として生きる意味を失う。
「星斗くんがいれば、私はいつでも笑える」
俺はゆっくりと振り返る。舞は俺の動きに気づいて手をほどく。
俺は舞の顔、潤んだ瞳、赤い頬を見て、衝動を完全に消した。
「ごめん」
「星斗くんが私を大切に思ってくれているからでしょ、嬉しいよ」
「ごめん」
俺は他に言葉が思いつかず、繰り返す。
「だから、謝らなくていいって」
「ごめん」
一拍の間が空くと俺はまた「ごめん」と言う。
舞は笑い始める。
「星斗くん、謝ってばっか」
笑い続ける舞を見て、俺は微笑む。
「そうだな。でも、ごめん。もう一つ謝っておく」
俺は舞との距離をなくし、強く抱きしめる。
身長差があるので、俺は舞を包み込めてしまう。
「俺の大切な思いは、舞のとは、多分、違う」
俺は舞への思いを伝えないことが出来なくなっていた。
互いに震えも、涙も止まっている。
「ううん、同じだよ」
舞の手が俺の肩に触れる。
「本当に今日は逆転してるね」
「そうだな、いつもこうとはいかないけど」
ここの周りに誰かが通ることはない。
だから、大胆なことをできる。
だから、俺は舞にキスをした。
ぎこちない俺のキスを受け、舞は「へたくそ」と茶化す。
翌朝、いつもは二人だけしかいない植木にもう一人いた。
「待ってくれ、俺達はまだのはずだぞ」
「仕方ないだろ。決定事項だ」
その一人は監視員の一人。指令があるとき、監視員がその情報を伝える。
「改めて伝える、二日後に中央の塔へ来い。お前らを戦地に投入する」
俺達には拒否権は、当たり前に、ない。
監視員が歩き去るのを俺たちは見守る。
「そんな、やっと思いが伝わったのに」
「その、そういうの恥ずかしいからやめて」
舞は俺の様子を見てからかう。
残り三日間、それが俺と舞の寿命となった。
五日ぶりである、ユメにいるのは。
今、俺がいる場所は舞といつも一緒にいる植木。
俺は舞に見せていた笑顔を今、することはできない。
「よう、しょぼくれてんな」
ユメの星斗はひさしぶりに会ったのにもかかわらず、いつも通り、俺に話しかける。俺も応答はする。
星斗は俺の様子がおかしいことに気づき聞いて来る。俺はためらうことなく、そのわけを話すことにした。
そのために、今までに言っていなかった。俺達の存在について話す。
俺と舞が戦地投入されることまで話すと、俺は一度、間を作る。
「そんで、さっき聞いた話。隣人が同じように彼女が出来たら戦地投入された」
表情は見えないが、星斗の顔は険しくなっているだろう。
俺が言う隣人とは、板垣のこと。板垣の忠告は俺を生かすためのものだった。自分と同じ結果にならないため。
その後は星斗と会わなかった間の出来事を話していた。
「星斗、もう会えないな」
俺は立ち上がって星斗に笑って見せる。星斗もベンチから立ち上がる。
「楽しかったよ。ありがとうな」
俺タチは握手をする。
「俺はお前の正体が、俺とお前の関係が、わかった」
星斗は俺の手を強く握る。
「知りたかったら、また会おう」
俺の視界が透明になっていく。星斗もすぐに見えなくなる。
星斗は俺に問題を残した、答え合わせはできないが。
ヘルメットに付属するマイクのおかげで、ヘリコプターの騒音の中でも俺と舞は話をすることが出来ている。
舞と俺しかいない待機室で話す内容は他愛もないこと。これから戦地に行く人間、しかも初めて、としては緊張感がない。否、緊張がなくなっている。
全身が武装してある。ヘルメットは特段強固だ。
ただし、俺達の安全のためではない。このヘルメットには電気信号を送る。現在進行形で送られているのは緊張している情報をなくす信号。戦場へ降りるときには加えて、筋力の制限をなくす信号を送られる。その時点で俺たちは帰ることはできない。
武器は拳銃、小型のマシンガン、小刀より少し長い小太刀。防具も銃弾を少し防げる程度のジョッキだけで、後はただの軍服。機動力を優先してのことだ。
「ねえ、星斗くん」
舞の声音が変わった。俺は優しい笑顔をして応じる。
「生きてね、そのためなら私はどんなものからも星斗くんを守るよ」
俺は舞が帰れないことをわかっていないと思わない。
「俺も誓うよ。舞をこの命尽き果てでも守るよ」
生物としての本能か、人間としての矛盾か、互いが生きて帰れないとわかっているのに、そう言わずにいれなかった。
ヘルメットに搭載されるイアホンから、英語で発進の準備をするように言われる。声の主は俺達が兵器であることを伝えられていない。俺たちの様子を不思議そうに見ていた。
「行こうか」
俺は諦めの中にいるかもしれない。俺たちには未来もなく、他人の未来も奪わなければならない。
立ち上がった俺の隣に舞が立つ。俺たちはまだフェイスシールドをしていない。お互いの顔を確認すると目じりが赤くなっている。
俺たちは笑いあった後、そっと唇を触れる。
操縦士の合図で俺たちは戦地へ飛び出す。同時に体に変化が起こる。
俺は最後の時が来たことを感じた。
俺達の性能は十分過ぎるものだった。対歩兵ならばすぐに一掃し、対戦車ならば素早く懐に潜り込み、一台ずつ潰していく。
少なくても半径十メートルは俺達の領域だった。
俺はマシンガンをぶっ放して壊れた戦車の部品を、力任せに投げ、爆撃しようとする戦闘機を潰す。
今、戦っている相手が何かはわからない。教えられているのは仲間と民間人の格好だけだ。あとは思うように潰していく。
時々舞の様、『あれ』をしなかった俺たちは人を殺すことへのためらいはないわけがない。それでも他人の未来を奪うのは再び、話し合い、笑いあう日々を取り戻す、実現しない未来を叶えるため。造られた俺達が持つ『矛盾』と言う人間らしさだけが俺達を動かす。
それに気づいたのは偶然だった。
板垣が戦地投入されたといことは前例があると言うことである。敵が対策していないわけがない。そのことに気づいた時には遅かった。
周りの風景に溶け込み、気温と同じ温度を持つ大槍。大弓で、原始的な手法でそれは舞に向かって放たれる。
俺には周りの風景など見えなかった。電気信号による制止も効かない。
俺は地面を強く蹴り、その反動で俺の体は宙に浮く。一直線に跳んで行く俺の体に無数の弾が駆け巡るが、すべて無視する。
俺は彼女の名前を叫び、予測される舞と見えない大槍の間に体を入れる。
騒音の中だから俺の叫びは誰にも聞こえない。イアホンも頼りにはならない。
舞が俺を見たときには、俺の腹は大きく穴ができていた。
「ごめん、約束守れそうにない」
俺の耳は澄んでいた。今の俺なら正確に舞の言葉を聞き取れる。
「じゃあ、私も約束を守らない」
俺の願いは叶わず、大槍は、減速はするが、止まることはない。十分に、筋力を強化された舞なら避けられる速度。
俺を巻き込みながらも進み続ける大槍は舞の胸下を貫く。
大槍は停止し、色を持つ。
「これで、おあいこ」
聞き慣れた、何度も俺のこころに響いた舞の声。いつまでも聞きたいのに、もう聞くことはできない。
「ごめんな、守ると言ったのに」
向かい合わせになった俺たちは、互いを抱きしめる。
「ありがとう」
俺が最後に撮ったのは笑顔で泣く舞だった。
私は写真データの整理をしている。
今現在、写真家である私はフィルムを使うことも多いけど、大学時代はほとんどデジタルカメラを使っていた。整理しているのはその大学時代のものだ。
「何やってんだ?」
「大学時代のをね、ちょっと、星斗くん」
タッチパネルでの整理中に同居中の彼氏、星斗くんが私の座るソファにあごを乗せる。
彼は小説家で、デビュー作は社会問題を起こしたとか。私が彼の話をすると多くの場合、驚かれる。
「本当に舞は花とか、空とか好きだな」
私は明るく返事をする。
星斗くんは整理されていく写真を見ていく。
「舞が一番気に入ってる写真はなんだ?」
星斗くんの突然の質問に慌てることはなかった。
数秒の操作でもっとも気に入っている写真を見つける。それは私が写真家になるきっかけでもある。
「これだよ」
彼とは大学卒業後、出会い、二年の付き合いをしている。私はその間、機会がなく、彼に大学時代の写真を見せたことがなかった。
私が示したのは芝生に散った桜の花の写真。散ったものが美しくない理由がない、と私は思えるものだ。
「これってもしかして、二十の健康診断の前に撮った?」
「え? 何でわかったの?」
星斗くんは私の質問を聞き流し、一人で納得している。
「もう、何で答えてくれないの?」
「いや、これは俺のであって、俺のじゃない、大切な記憶だからさ」
私は頬を膨らませて星斗くんに抗議する。そんな私を見て、星斗くんは笑う。
「舞、俺は、また、会えて嬉しいよ。好きだよ」
星斗くんは顔を赤くしながらも恥ずかしいセリフをはく。
「私も星斗くんのこと好きだよ」
私は星斗くんの顔を捕まえる。
戦争がほとんどなくなり、軍隊は自衛隊に戻った。この世界で私は星斗くんと生きる。
END




