未完結でも頑張りたい。
未完結は悪い事ではないと主張したい。
完結させるには文才が必要なんです。
書くことの才能がない人が、完結させるための文才を得るには、未完結だろうと書けるものを書けるときに書き続けることしかできないんです。
文才がなくたっていいじゃないかと主張したい。
小説家になろうのページには、最低限理解可能であれば、文章が苦手な人が書いた作品でも歓迎すると書いてあります。
初めは誰でも素人です。
素人で、完結なんて程遠い実力の人だってたくさんいます。
書き始めて十年経とうと、二十年経とうと、素人の域を抜けれないなんて当然のこと。
素晴らしい小説を書くというのは、それだけ難しい事です。
小説を書くのは難しいことで、自分には文才なんてないのだと認めてみてもいいと思うのです。
誰かの小説を読んでわくわくした気持ちをどこかにぶつけたい。
そう思った時、音楽などまったく分からず、絵も描けない私は、消去法で小説を選ぶことになりました。
できない方を消していった結果なので、当然、文才もありません。
小説どころか、作文の四百文字、前半を埋めることすらできないレベルでした。
それでも諦めなかった結果、三十文字から、二百文字に書ける長さが増え、原稿用紙を埋めきることができるようになり、さらには複数枚書けるようになりと、進化していきました。
最近ではパソコン書きなので、キロバイトで進んだ数を確認するようになりました。
初めて十キロバイトを越えた日の感動は今でも覚えています。
文章を書けるのが当然な人なら、まったくもって味わうことのない感動だと思います。
枚数だけ書けても、中身がなければ意味がないと、書ける人にはそう思えるでしょう。
でも、書けない人が、書ける人のスタート地点と同じ場所につくには、それはそれで大きな努力が必要なのです。
そして文字数を書けるようになると、少し傲慢になります。もっと面白い話が書けるはずだ。何か足りない部分さえ見つかれば、ぐっと上達するんじゃないか。書きたいものさえ見つかれば、素晴らしい話が書けるはずなのに、と。
文章が書けるようになったが故の苦悩が始まるわけですね。
文才がある人は、そもそも、ここがスタート地点なのだろうから、かなりの出遅れですが。
そして、文章が書けなかったときには、書けさえすれば、広い世界観が表現できるはずだと、そう思ってたのが幻想だったと気づくわけです。
表現するには、多くを知る必要があります。
多くを知るには、努力と知能が必要なわけで。
知ったとしても、そこからまた表現するための技術も必要になります。
一般人には高すぎるハードルです。
それでも、表現者としての道はとても魅力的です。
美しいと思うものがあれば、いずれ表現してみたくなります。
どんな形であれ、何かを表現しようと思うのは、人として普通のことなはず。
小説の他にも、絵であったり、音楽であったり、手芸であったり、料理であったり。
表現の方向には無限の可能性があります。
絵もいつかは上手くなりたい、音楽もまったくできる気がしないけど作曲してみたい、手芸もビーズ、棒編み、刺繍と、一通りやってみたけど熱中はできない。
そんな中で結局、絶対にやめられないだろうと思うのは小説です。
一番、人の作品に触れて感動をしたのが小説だったからかもしれません。
自分が感動した作品の域まで達せるかどうか、まったくもって未知の世界です。
でも、人を感動させる小説を書いてみたいのです。
自分が、自分の作品に感動してみたいのです。
片手間に書ける人はいいのかもしれません。
でも、どうあっても完結まで至れない人もいます。
システムとして完結をつけることはできるでしょうが、それは小説としての完結ではありません。
書きたい気持ちがあればこそ、更新できないから完結にして次に行こうなんて、簡単には割り切れません。
未完結であることは、作者の怠慢ではありません。
完結という、小説にピリオドをつける作業が、とても難しい事だというだけのことです。
誰もが、文章を書けるのは当たり前、から始められるわけではありません。
未完結でも恥じることはありません。
次を頑張ればいいのです。
読者の事を思えば、その割り切りは非情な決断かもしれません。
一人でも、小説にファンがついていたら、書けないからと諦めるのは読者への裏切りになるかもしれません。
でも、書けること、書き続けることが一番重要です。
書かなければ上手くなりません。
完結しないくらいなら書かない、なんて思ってしまえば本末転倒です。
完結できる能力がないのだから仕方ないのです。
完結できる能力が身に付くまで、とにかく書き続けるだけです。
才能がないのだと認めましょう。
完結できないことを苦しむ必要はありません。
レベルが上がれば、完結もできるようになるはずだと、夢を見てもいいじゃないですか。
書ける人になりたいのです。
書けない人でも頑張りたいんです。
書くことを頑張りたいんです。
未完結から卒業できないながらも、未完結の作品のキロバイトが、二キロバイトが十個から、十キロバイトが十個に増え、百キロバイトが数個できるようになってと、進歩はしてきました。
今読めば、完全に内容のない話です。でも、元々書くことすらできなかった自分には、黒歴史レベルであっても、消去するにできないものです。
未完結の数々は、怠惰の証明ではありません。気まぐれの証明ではあるかもしれませんが、それより何より、書きたい気持ちがそうさせるのです。
ネットに公表するときには、今度こそ完結してみせると、決意を固めて書き始めるも、はやり完結は難しい。
でも、読むばかりで小説を書けなくなりつつある今、やはり、未完結でも書かなきゃいけないなと思うようになりました。
書きたいという情熱を失いたくないです。
今は未完結でさえ書けなくなりつつあるけど、きっとまだやめられないと思う。
未完結でもいいじゃない。
書くことを楽しんで、書くことに苦悩して、それでもずっと書き続けましょう。
なろうには一度も小説投稿をしたことないので、今年こそ頑張って一作品くらい、短編でもなんでも書いて投稿してみたいです。