第一話 透明人間
自由。この言葉には夢が詰まっている。この言葉を付け足せばたいていのものはポジティヴなものになる。
圧政からの自由。妻からの自由。法からの自由。会社からの自由。ご自由にどうぞ。○○くんの自由に……していいよ?
縛られればストレスが溜まり、自由になればきんもちいい~。
世の中金だ!なんて言葉があるが俺はそうは思わない。世の中で一番大切なのは自由だ。
たくさん金を持つってのはたくさん自由に出来る証ってことだ。
そしてこの俺、何処にでもいそうな平凡な容姿の高校生である竜胆啓介は人類の誰もが持ち得なかった究極の自由を手に入れた。
そう、この俺こそSFで有名な透明人間である!!
現在、放課後が訪れた高校の廊下で俺は全裸で立っている。
少女達が俺の脇を通り、彼女達の髪が体をくすぐる。全裸の俺を。
ああ、少女達の中には知り合いの稲葉さんもいる。授業中に消しゴムを拾ってくれた稲葉さんが。
スポーツに勤しむ少年達が俺の前を横切り、彼らの連れてきた青春の風が心地よく体を包む。全裸の俺を。
おお、驚いた。堅い女教師、まだ大学を出て数年も経っていない古典の吉田先生がきりっとした顔で後ろから来て、立っている俺の横を通り過ぎていった。危うくぶつかる所だった。全裸の俺と。
圧倒的解放感。倒錯の極致。妄想の具現化。楽園への到達。
それでも俺は罰されない。
俺が!透明人間!だから!
どんな権力者でもこんなことは許されないだろう。俺だけに許された特権だ。
女子高生達がマラソンする横を全裸で走ろうとも!
幼女がブランコを楽しむ前で全裸でリンボーダンスしようとも!
お茶を楽しむお婆ちゃん達の前で全裸でモデル立ちをしても!
小学生女子達が管理しているお花畑に寝そべり、彼女たちから花と共に愛でられても!
俺は罰されない。透明人間だから!透明人間だからね!自由最高!
そう、中学生の頃、俺は透明人間の超能力に目覚めた。
ふと気付くと部屋の窓ガラスに服だけが浮かんでいたのである。
もし俺がインドアで根暗な少年でオタク趣味に耽溺するような奴でなかったら驚きすぎて頭がおかしくなってたかもしれない。
しかしそこは根暗な中学生。三分に一回は異世界の事を考えるお年頃。
驚きなどなく、むしろ「やっと来たのか。遅いぜ相棒!!始めようぜ俺達の物語をな!」そんな気持ちだった。
透明になぁれ。そう念じるだけで俺は無制限に透明になれた。戻るときは戻りたいと念じるだけでいい。
俺は巡った、女湯を。俺は探検した、女子更衣室を。俺は挑んだ、女性の秘密の部屋へと。
悪に悩んだこともあった。俺は女性に手を出したことはなかった。物を盗んだこともなかった。
ただ彼女達の裸体やあどけない姿を見させて頂いたりしただけだ。
ぷるぷると揺れるプリンや桃を楽しませて頂いたりしただけだ。
ただ何も知らない彼女達の横を全裸で歩いていただけだ。
しかし、もしその人の立場になれば絶対にわからないとしても、知らない誰かに見られているなんて嫌だろう。
法は現実を超えた存在である俺を罰せない。
しかし俺は知っている。俺がしていることを。
だから俺は善をなすことにした。
偽善かもしれない。いや、偽善に決まっている。一善。一悪をするたびにそうしよう。
そう考えたのだ。そして俺は変わった。インドア根暗からアウトドア根明へと。
ボランティアに勤しみ、東に困る老婆がいれば助け、西に泣く迷子の幼女がいれば親を探してやり、南にいじめられてる子がいたら助けてやり、北にエロ本が欲しいと泣く小学生男子がいたら目の前でエロ本を捨ててやった。
人々は俺を褒め称えるようになった。表彰されたことも何度もある。
これで俺の罪がちゃらになるとは思わない。それでも俺は返していく、少しずつでも。
そして今日も俺は全裸になる。
俺がそうやって栄光のマイサーガに浸っていると。
「うわぁ、きもい……きもすぎるよぅ……。ありえないよぅ。きもいよぅぅぅううう。なんなのあれぇえ。ありえなぃいい」
俺はその声に振り返る。馬鹿な。身体中から嫌な汗が止まらない。心臓がばくばく止まらない。
長く伸ばした黒い髪、目鼻立ちは精巧に職人が作ったかのように整う。白いつるつるとした肌は陶器のようだ。
顔の中心ともいえる目は誰も寄せ付けない強さを宿すかのようにやや吊り上がって攻撃的だが、長い睫毛に縁取られた黒い瞳はそれを受け止めて薔薇のような孤高の美しさに変える。
馬鹿みたいな大袈裟な言葉でしか修飾出来ない美人。
クラスから総スカンされてるぼっち美少女である逢坂百合亜が俺を、汚くて不潔で臭くて醜くておかしくてとんでもない変態を見る目で見ていた。
俺はすぐに廊下を歩く人々の前で俺自作の激しいアクションダンスを披露する。全裸で。
……反応はない。
俺は百合亜の方を見る。
百合亜は目玉が飛び出そうな程に驚いて、まるで魔王か悪魔か妖怪か邪神か、そんな決して出会ってはいけないものを見る目で俺を見ていた。
先ほどまで悪態をついていた唇はわなわなと震えている。
俺は両腕をいきなり頭の上でクロスさせる。
百合亜はびくっ!としながら小動物のように恐る恐るそれを見る。
俺はいきなり廊下で寝そべる。
それに従い百合亜の視線も下にいく。
俺は動き回るが、百合亜の視線からは逃れられない。
百合亜はまるで目を離したらこの変態から何されるかわからないとでもいいたいような態度で執拗だ。
俺と百合亜はじぃ、と睨み合う。
俺は確信する。透明人間である俺のことが見えている。
逢坂百合亜、この女は俺の究極の自由を脅かす人間だ。