【アップ✨】2026年9月20日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
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【男山教会ホームページ】
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【YouTube】(ユメノ記)
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【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=iVZ7sVDDNX8&pp=0gcJCYsCo7VqN5tD&ra=m
【ブログ】
聖書、讃美歌、スコットランド教会新カテキズム(一一三)を参照できます(^^♪
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12979923362.html
お気軽にお立ち寄りください。
聖書
『詩篇』(第三二篇一〜一一節)
『ルカによる福音書』(第五章二七〜三二節)
讃美歌〜♫
讃美歌121番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=SA9xnC0SB0w&ra=m
讃美歌352番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=i3PSJ5rzkVM&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yT77yV77yS55Wq&ra=m
2026年9月20日 礼拝説教 聖書箇所
ルカによる福音書5章27~32節
27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。
「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
31 イエスはお答えになった。
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。
(Mynote)
二〇二六年九月二〇日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「信仰とは何ですか。」
「キリストの十字架の贖いのゆえに、私達に対する神様の限りない恵みと哀れみを確かなものとする事です。」
(※スコットランド教会新カテキズム(一一三)を参照)
或る時にイエス様はペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて、或る山に登られた。その時イエス様の衣は輝き、この世で見た事も無いほど輝いた。その時エリヤがモーセと共に現れて、イエス様と共に語った。これを見たペテロは「何と素晴らしい事でしょう。私達はここに三つのテント(幕屋)を造りましょう。一つはあなた(イエス様)の為、一つはモーセの為、そしてもう一つはエリヤの為です」と。ペテロがこう言ったのは、超常現象を見たヨハネとヤコブも共に恐れて居たので、何を言って良いか分からず、それでも感謝の心を以て、無難な事を言おうとした為である。その時雲が沸き起こって、ペテロとヤコブとヨハネを覆った。そしてその雲から声が聞こえて言った。「これは、私の愛する子である。この人に聴きなさい」と。イエス様は、「人の子が死んだ人の中から甦るまでは、今見た事を誰にも話してはいけません」と。イエス様は、十字架の上で死なれた。イエス様が、私達の罪の為に、身代わりとなって死んで下さったと信じる時、神様の限りない恵みと憐れみを確かなものとする。幕屋とは、古代イスラエルの民がエジプトから出た時(エジプトの奴隷の地から導き出された時)、荒野でも移動しながら神様を礼拝する為に造った簡易の神殿の事である。イエス様は十字架の死から三日目に死人の内より甦り、復活の主として、いつでも祈る者達の傍に居られる。そのため幕屋は必要無く、神様に祈る者、イエス様に聴き従おうとする者との間には、いつでも心の幕屋が在り、教会が在り、その救いへの祈り、悔い改めへの祈り願い求める声が聞かれ、応えられる恵みと憐れみが在る。
(公同礼拝)
『詩篇』(第三二篇一〜一一節)
『ルカによる福音書』(第五章二七〜三二節)
※本日は袴田康裕牧師によるメッセージです。
『ルカによる福音書』のこの箇所は、十二弟子の一人であるマタイに就いて記されたエピソードである。マタイ(レビ)は取税人であり、当時、周りの人達からは罪人・ローマの手先の者として嫌われて居た。しかしイエス様はこのマタイを弟子にして、「私に従って来なさい」と言い、マタイはその通りに従ったのである。マタイはこの事が嬉しく、その日に大きな宴会を催し、イエス様を持て成した。イエス様はマタイとその周りの者達と共に食卓に着き、皆と共に食事をされた。また当時、食事をすると言うのは互いに互いを受け入れ、認め合い、仲間になる事、兄弟姉妹になる事を意味した。この様子を見て周りの義人とされた人達(パリサイ人や律法学者達など信仰厚いとされた偉い人達)は、
「どうしてあなた方は、取税人や罪人等と飲食を共にするのか。」(『ルカによる福音書』第五章三〇節)
とイエス様とその弟子達に問うた。するとイエス様は答えて言った。
「健康な人には医者は要らない。要るのは病人である。私が来たのは、義人を招く為ではなく、罪人を招いて悔い改めさせる為である。」(『ルカによる福音書』第五章三一節)
この「病人」と言うのはイエス様の例えであり、罪人の事を指して居る。
取税人とは、ただ税金を集める人でなく、ローマの手先になって同族(ユダヤ人)を裏切り、同族を虐げ、賄賂を取り、一般には「ローマの権力を笠に着て私腹を肥やす『売国奴』『罪人』」として、当時の社会から深く軽蔑・排斥されて居た。
救いとは、正しい信仰に依る祈り求めにより、神様から憐れみと恵みを受ける事に始まる。正しい信仰とは、唯一誠のキリストに依る信仰である。他は無い(他の信仰は神様とイエス様に依る正義には無い)。イエス様は弟子達に、「私に従いなさい」と言った。この言葉はマタイだけでなく、他の弟子達に対しても同じ言葉である。そしてこの「私に従いなさい」という言葉は、弟子達を始め、今日まで、そして今日から未来に生きる全ての人に対して言われる言葉である。
イエス様に従うからこそ、正しい信仰が成り、神様とイエス様に依る正義に在る事に成る。キリストに於けるどの様な礼拝にしても(一般でのどの様なキリスト教会に於ける礼拝にしても)、先ずイエス様を中心にして、そのイエス様に従う上で信仰を守り、礼拝を守る事が必要になる。
当時、取税人や他の罪人達は、義人から「救いは無く、もう駄目だ」と決め付けられ、虐げられ、見捨てられる存在になる事が多かった。しかしイエス様はその「救いは無く、虐げられ、見捨てられた人達、人から罪人とされた人達」に対し、「私に従いなさい」と教え、正しい信仰の途に導いた。これに当時のパリサイ人、律法学者達は憤り、自分達の主観・感覚・考え・指導と違うからと言ってイエス様を責め、その弟子達をも責めたのである。これはパリサイ人、律法学者達にとって、自分を否定された事への怒りであり、同じく罪人が持つ傲慢の為である。
マタイ(レビ)は、全てを捨てて、イエス様に従った。イエス様に従うと言う事は、それまでの罪人としての生活しかして来なかった自分、それにより得た財産やステータスを捨てて、イエス様に従うと言う事である。この「捨てる」と言うのは第一に見る・考える事をせず、第一にイエス様に従う事を見て考える事、その次に財産やステータスを、正しい信仰の為に使う事・費やす事を指すのであろう。
この時マタイ(レビ)が催した宴会は、イエス様を仲間に紹介する為である。仲間内だけで楽しむ為でなく、イエス様の事を第一として、ただイエス様に従う準備を(マタイとしては)する為であろう。この後マタイは、それまで就いて居た取税人と言う自分のステータスを捨て、福音の使徒として、イエス様に従った。
福音には、この費やしが必要である。何の浪費も無く、金も時間も労力も必要としない福音は無い。どうしてもそれ等は必要になる。そしてこれ等の為のものは、必要に応じて神様から添えて与えられる。祈りに依り、その信仰に依り与えられる。パリサイ人や律法学者は当時、イエス様の論争相手として居た。パリサイ人や律法学者は当時、人々からは立派で、正しい信仰を守る人達として認められて居た。これは本当で、誠に信仰に厚く、神様に従う生活を送り、その為の資産を費やし、労働をし、聖職とされる業に就いて居た。本当に俗世の人達とは一線を画す生活を送り続け、信仰に於いて清い生活をして居た。しかし彼等(パリサイ人、律法学者達)には、その俗世の人達を見下す傲慢があった。これは罪人(人)として当然且つ合理的な姿に在る。そうして俗世の罪人と自分達の在り方を遠ざけ、自分達で一線を画し、「自分は(我々)は俗世の人達・罪人達とは違い、常に清く正しい信仰の生活を送って居る者、常に神様に喜ばれる人達である」と思い込み、信じねば、身を持ち崩す姿勢・内実に在ったのである。この事は今日にもよく見られる人の姿勢に在る。しかしここに自分達を上に見て、周りの俗世の人達を罪人として見る事で、その俗世の人達を見下す傲慢が生まれ、この時マタイ(取税人)やその仲間達をもその延長で見下し、自分達でマタイやその仲間を罪人に定めた上で、イエス様とその弟子達をも責めた。
この時、パリサイ人、律法学者達の信仰に、イエス様の存在・救い主が欠けて居り、飽くまで人が作り上げた「罪人の信仰」により自分達の在り方を決め、それにより周りの人達の在り方をも定め、何が正義で悪かを、人間(罪人)の主観で決めるに至って居た。
これは今日でも、多くのクリスチャンに起きて居る問題であり、クリスチャン・ノンクリスチャンを問わず、人間の争いに発展する契機に成って居る。だからこそ、誰にとっても常に悔い改めが必要であり、ただ神様とイエス様の御前で「今自分が信仰に於いてどう在るか?」を問い続けねば成らない。そうせねば、本来神様が人に与えた信仰、神様とイエス様に喜ばれる信仰、即ち正しい信仰が成らないのである。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Café~
榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」
https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw
「間をとること」THE DAILY with Arthur Hollands 2023/02/10
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EdHTWhuZHac
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
イエス・キリストの生涯をたどる旅・3|ライフライン
https://www.youtube.com/watch?v=1eUL0aUxXUk&t=362s
ユメノ記
https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
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