⑥ 武蔵を破る者
しかし、まさか、その安定した日々のパターンが、崩れる日が来ようとは、伊織は想像する事も出来なかったのである。
その剣士の名は、夢想権之助と言った。
20年程昔、まだ未熟な頃に、武蔵に、まるで遊ばれるように、破れた事があったらしい。
そのリベンジのために、やって来たという訳だ。
諦めの悪いヤツめ。伊織はそう思ったが、武蔵は「相手をしてやる」と言った。武蔵は、そういうチャレンジ精神を持つ者の事が、嫌いではなかった。
そして武蔵は、何の気まぐれか、道場ではなく、自らの屋敷に招き入れ、その庭で試合をしてやると言い出したのだった。
そう言う訳で、武蔵と権之助の試合を、縁側で座って、伊織とカグヤが見届ける事となった。
権之助のエモノは、まるでヤリのように長い杖であった。なので、武蔵も真剣ではなく、大小二本の木刀を使う事にした。
以前の試合時では、権之助は刀を使ったが、その攻撃を武蔵の二刀で受け止められ、その後、額を打たれて負けたらしい。
その反省を踏まえての、長い杖という訳だ。
権之助は、それで槍のように突いたり、薙刀のように払ったりして、次々に攻撃を繰り出した。
だが、武蔵は全ての攻撃を見切り、跳んだりしゃがんだりして、避けきってしまう。ただ、その分、自らの攻撃の機会も、なかなか得られないようだった。
勝負の動くきっかけは、一瞬の出来事であった。
権之助が低く構えたかと思うと、左手で地面の砂を掴み、さっと武蔵の顔に向けて撒いたのだ。
武蔵が視界を失った瞬間に、権之助の長い杖が、その喉元に突き付けられたのである。
「それまで!」
伊織が試合を止めた。
「私の勝ちで、よろしいですな?」
権之助が満足気にそう言って、ニヤリと笑った。
「よもや、卑怯なり!とはおっしゃいませんよね?武蔵殿。」
「うむ、構わんぞ。儂も若い頃、随分お世話になった手法ゆえ…コレも兵法というヤツじゃ。」
武蔵もそう言って笑った。
「私は…こんな結果…認めませんよ。」
伊織は許せなかった。
「夢想権之助とやら、私と勝負なさい!私に勝てたら、その時初めて、宮本武蔵の円明流の負けを、認めましょう。」
権之助は武蔵を見る。
武蔵は頷いて見せた。
「いいでしょう。出る杭を打つのは、先輩兵法者の務め故。」
その返答を聞くや否や、伊織は木刀を掴んで庭に降りていた。代わって武蔵が、縁側からカグヤと見届ける事となった。




