㉕ 役者の成雪
「分かりました。あくまでも、一時的なお手伝いという事でしたら、お引き受けしましょう。でも当方は素人ですから、ご指導は、くれぐれもお手柔らかに…。」
「おお、それは助かる。そうと決まれば善は急げだ!」
そう言うと、小屋の主はすぐに、成雪を楽屋に連れて行った。全く、江戸っ子というのは、セッカチなものである。
「おーい、みんなぁ、この人が、抜けた"助さん"の穴を埋めてくれるそうだ。仲良くしてやってくんねえ!…そうだ。アンタ、名前は?」
さて困った。まさか本名を名乗る訳にもいくまい。
成雪はまた、チラリとカグヤを見る。
カグヤも困った顔をしている。
仕方なく、成雪は人生初のアドリブで、そして、人生初のウソをつく事にした。
「私はじゅ、十郎と申します。」
一郎、二郎なら世間にザラに居るだろう。
でも十郎なら、誰とも被らないハズだ。
それは、彼なりに無い知恵を絞った、稚拙で、浅はかな考えからの、口から出任せだった。
「あいよ。十郎さん、これから暫くヨロシクな。」
良かった。怪しまれずに、スルーされた。
十郎の成雪は、ホッと胸を撫で下ろした。
そんな流れで、成雪は、それからの数日間、役者の十郎として、その芝居小屋で過ごす事になった。
もちろん、写楽の情報集めも続けたが、一向に手掛かりは得られないままであった。
そして彼は、最初のウチこそ端の役だったが、段々セリフをもらうようになり、気づけば、主役のカタキ役にまで、のぼり詰めて居たのだった。
そんなある日の事。
楽屋でのちょっとした休憩時間に、何となくその辺にあった紙クズに、筆でさサラサラと、悪戯に主役の似顔絵を描いた事があった。
「あ、オマエ、何描いてやがる…こりゃあ、ひでえなあ。良く描けてるが、似せ過ぎだよ。」
そこに居た役者仲間たちがワイワイとハヤシたてた。成雪はもちろん、雪村の遺伝子をそのまま受け継いでいるので、絵心が有ったのだった。
騒ぎを聞き付けた、劇場主が覗きに来た。
「なんでえ、なんでえ。随分と楽しそうじゃねえか?」
「いや、コレを見てくんねえ。」
「うん、コレは…誰が描いたんだい?」
「そこに居る十郎だよ。ひでえくらい、良く出来た似顔絵だよなあ?」
「おい、十郎。」
劇場主が、急にコワイ顔で呼ぶ。
「はい。」
成雪は、てっきり怒られると思い、恐る恐る返事をした。
「オマエさん、こういうの、もっと描けるかい?」
「えっ、描けますけど…描いてもイイんですか?」
「あたしゃあ、こう見えても、審美眼はある方なんだぜ。コレは、知り合いの版元に、見せる価値があると見た。どうだい。余分に給金を出すから、もっ描いてみねえか?」
「はあ、そう言う事でしたら…でも役者さんたちからクレーム…つまり、文句を言われたら、すぐ辞めますよ?」
「ああ、ソレでイイから、ヤッてみな。何なら絵の具も用意してやるぜ。」
劇場主は、すっかり乗り気だった。




