第三話:神祖の威厳と醜悪な幻
血塗れの対峙
月の光すら届かない、じめじめとした路地裏。
血を吸い終えたクリムゾン・ナイトメア(以下、ナイトメア)は、背後に迫る幼い気配を感じ取り、振り返ることなく声をかけた。
「のぞきとは、あまりいい趣味とは言えませんね、小さい同胞さん?」
その声は甘く、魅惑的で、男を虜にするのに十分な響きを持っていた。
ナイトメアの肢体は、体の線を強調する真紅のドレスと、同じ色のハイヒールによってさらに強調されている。膝まで届く長い黒髪も相まって、いかにも魅惑的な吸血鬼の姿だ。
しかし、ノアのオッドアイには、その姿が商売女のそれに見えた。
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ノアは路地の石畳に静かに降り立つと、フリル付きの日傘を閉じて脇に挟んだ。
「同胞?冗談ですわよね?」
ノアの声は冷たく、そして明確な蔑みを帯びていた。下位種の吸血鬼にまともに挨拶する気など毛頭ないが、神祖としての貴族的な優雅さは隠せない。
「わたくし、あなたのせいで迷惑を被ってますの。責任を、取ってくださるかしら?」
ノアは静かに、しかし有無を言わせぬ圧力をもってナイトメアに問いかけた。
ナイトメアは、ノアの幼い姿と冷たい言葉のギャップに戸惑いつつも、すぐに得意の能力を発動させる。彼女の最大の武器は幻覚、そして夢の中で相手を翻弄し、絶望の中で血を吸い尽くすことだ。
ナイトメアの目が、血の色にも似た不気味な光を放った、その瞬間。
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ノアの意識は、全く別の空間に引きずり込まれた。
そこは、血と硝煙にまみれた荒廃した世界。ノアの小さな身体は、巨大で醜悪な魔獣に取り囲まれる。
幻覚の中のノアは、魔獣に犯され、無残に喰い散らされ、やがてドロドロに溶かされていく──。
「ふふ、絶望と恐怖、そして快楽を味わいなさい。そして快楽の中で死になさい、小さい同胞さん」
幻覚が確実にノアを支配していると確信したナイトメアは、収納から、彼女の象徴たる巨大な鎌を取り出した。
勝利を確信した醜悪な笑みを浮かべたまま、ナイトメアは一瞬にしてノアの背後に回り込み、その首を刈り取ろうと鎌を振り下ろす。
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夢の中に居たはずのノアの目は、光を取り戻している。そもそも、神祖たるノアに、下位種の不完全な幻覚魔法が通用するなど、ありえないことだった。
(つまらない幻覚ですわね。魔獣に犯されるなど…わたくしを誰だと思っているのですか)
ノアは、幻覚から覚めたことすら悟らせない、物言わぬ威圧感を放ちながら、右手に持ったミスリル製の鉄扇に、濃密な魔力を込めた。
そして、一閃。
キン!
乾いた音がした。
斬撃波などではない。ノアの能力は、空間そのものに作用した。
パキリと、何か固いものが割れるような音と共に、デスサイズごとナイトメアの胴と頭が、あっけなく分離した。
ナイトメアは、勝利を確信した醜い笑みを顔に残したまま、状況を理解できなかった。
胴体はすぐに、塵となって闇に溶けて灰と化したが、さすがはネームドの吸血鬼。頭だけでも、まだ生きていた。
「あ、あああ、た、助けて!ごめんなさい!命だけは、命だけは助けてくだs──」
地面に転がった頭は、恐怖に歪んだ顔で、必死に命乞いの言葉を吐き出す。
ノアは鉄扇を閉じ、その先端で転がる頭を軽く突いた。
「優雅ではありませんわね」
それが、ノアの最後の言葉だった。
ノアの周囲の闇魔法が、粘りつくような漆黒の液体となって、ナイトメアの頭を包み込む。
「これで、誰の邪魔も入らず、ゆっくりと旅立てますわ」
醜悪な吸血鬼の頭は、闇の中に沈み込み、静かに、そして完全に消滅した。
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幼女の旅立ち
ノアは、黒いドレスについた微かな埃を払い、一仕事終えた満足感と共に、路地裏を見渡した。
「アルベルト。処理をお願いね」
「御意、お嬢様」
返事と共に、地中から現れたアルベルトは、すぐにこの場の処理に取り掛かる。
ノアは再び日傘を開き、夜空を見上げた。
「さあ、この騒動も片付きました。次はどこへ行きましょうか」
小さな幼女は、まるで闇夜の女王のように、優雅に、そして気まぐれに、夜の空へと飛び立った。異世界放浪の旅は、始まったばかりである。




