第九話:秘密のお茶会と血の衝動
ノア・ノストラヴァは、海洋都市トリトンの領主館で、優雅な生活を送っていた。
領主の屋敷には、連合王国となったポセイダルの歴史や、大陸情勢、そして魔物や神話に関する貴重な書物を集めた立派な図書館があった。ノアは連日そこに足を運び、知識への渇望を満たすかのように、幼い体躯に似合わぬ速度で読書に耽っていた。
そして、日中には、彼女を「お姉様」と慕う領主の令嬢、ロザリア・ポルックスとのお茶会を楽しんでいた。
「ノアお姉様、今日のケーキはパティシエ渾身の新作ですわ!」
「まあ、そう。では一口いただきますわね」
ノアは常に冷静で優雅だったが、ロザリアとの時間は、彼女の心を穏やかに保つ助けとなっている。
血の渇望
それは、吸血鬼の抗えない本能。
神祖ヴァンパイアとしての本能は、理性を時折揺さぶる。
ある日の午後のお茶会。ロザリアが差し出したカップを受け取ろうとした瞬間、ノアの瞳が鋭く光り、口元に身を隠していた小さな牙が僅かに覗いた。
それは、突如として襲いかかった吸血衝動だった。
(そういえば、随分と飲んでいませんでしたわね)
ノアは、衝動に任せて首筋や喉を食い破って血を貪るような下品な真似はしない。だが、血を摂取するという根源的な欲求には、神祖といえども逆らうことはできなかった。
ノアの表情が一瞬硬直したのを、向かいに座っていたロザリアは見逃さなかった。彼女はノアの口元に覗いた牙と、その瞳の異様な輝きを察した。
ロザリアは、恐怖よりも先に、ノアへの純粋な親愛と忠誠心が勝った。彼女は静かに、そして毅然とした態度で言った。
種族として、吸血鬼がいることをロザリアは知っている、しかし、ノアのように昼間に日光の元を平気で出歩く吸血鬼は初めて知った。
ロザリアは、ノアを物語にあるような、恐怖の存在とはどうしても思えなかった。
「ノアお姉様……どうぞ、私の血を」
そう言って、ロザリアは自ら服の襟をゆっくりと下ろそうとした。
ノアは、ロザリアの純粋な優しさに、わずかに驚きと動揺を覚えた。
「勘違いしないでほしいわね」
ノアは、紅茶の入っていた空のカップを、ロザリアの前に差し出した。
「首筋から直接吸うなど、野蛮な真似はいたしませんわ。ただ、このカップに血を満たしてくれるだけで、十分ですわ」
ロザリアは、その要求に安堵の表情を浮かべ、すぐに了承した。
(やはり、この方は悪い方ではない。)
ロザリアは、ナイフで自らの手首に小さな傷をつけ、ノアの差し出したカップに鮮血を満たしていく。ノアはその間、無言で待った。カップが満たされると、ノアは優雅にその血を飲み干した。それは、彼女にとって最上の嗜好品だった。
ロザリアが傷口を抑えるのを見て、ノアは左手をかざした。闇魔法は、攻撃だけでなく、対象の体力を借りて回復の力をも発揮する。
微かな緑がかった闇の光と共に、ロザリアの手首の傷は見る間に塞がった。
「ありがとうございます、お姉様……」
「わたくしが吸血鬼だということは、内緒にしてくださる?」
ノアは、カップを片手に、ロザリアに問いかけた。
ロザリアは笑顔で頷いた。
「もちろんですわ、お姉様。これは、わたくしたち二人だけの秘密ですわ」
こうして、神祖ヴァンパイアの秘密は、トリトン領主の令嬢との固い絆によって、守られることとなったのだった。
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