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復讐令嬢アデラの帰還  作者: 小針 ゆき子
第二章 復讐本番
8/40

08 悪役令嬢の姉

この話から、視点が復讐する側メインになります。

 ジェマ・クラークはクラーク侯爵家の長女として生まれた。

 亜麻色の艶やかな髪と灰色の瞳を持った彼女は優しい両親と兄に可愛がられ、屋敷の使用人に傅かれ、楽しいもの美しいものに囲まれて幸せに生きてきた。

 ところがジェマが四歳の時、当たり前だったはずの幸せがあっさりと崩れ去ってしまった。妹のアデラが生まれ、そのお産で体を壊した母は一ヶ月も経たずに儚くなってしまったのだ。

 優しい母が死んだ……もう会えない。幼いジェマは呆然とした。


「―――全てはアデラのせいだ。あれが生まれてきてしまったことが間違いだった」


 母を盲愛していた父……ダニエル・クラーク侯爵の言葉は、ジェマに突然訪れた不幸の理由を教えてくれた。

 ―――すべてはアデラのせい。

 母・ライラは美しい人だった。ジェマを愛してくれた。とても、とても幸せだったのに。

 だが悪魔は幸福なジェマを妬み、母の胎に宿った。そして母を弱らせ、呪い殺してしまったのだ。

「アデラさえ……アデラさえ生まれてこなければ、家族四人、幸せに暮らせていたのに」



 父はアデラを見るのも嫌だと、まだ赤ん坊のアデラを別邸に追いやった。

 アデラの世話をするのは年老いた乳母一人。それもアデラが歩き始めるようになると父は彼女を解雇してしまった。アデラのいる別邸には朝と夕の一日二回の食事以外、誰も足を運ばなくなったのだ。

 八歳になったある日、ジェマは急に思い立って別邸のアデラの様子を見に行った。アデラは四歳になっているはずだが、服を着替えさせてくれたり掃除をしてくれる侍女もおらず、浮浪児のような姿になっているはずだ。母を殺した悪魔に相応しい罰を受けているのだろう、と。惨めな姿を嗤ってやろうと思ったのだ。

 果たして別邸にアデラはいた。だがその姿は想像とは全く違うものだった。

 着ている服はジェマのお古で擦り切れていたが、きちんと洗濯されていて清潔感がある。髪も定期的に清めていたようで、子供らしい艶のある亜麻色の髪だった。肌は化粧水など使っていないはずなのに白くてきめ細かい。

 後から知ったことだが、乳母はいずれ自分が解雇されることを見越し、三歳にもなっていない幼いアデラに身の周りを整える術を教え込んでいた。また食事を運ぶ下女や用意する料理人たちも別邸に一人で閉じ込められている子供に同情しており、石鹸や布など必要最低限のものをこっそり手配していた。


(気に入らない!気に入らないわ!!)

 ジェマはアデラの部屋に突入すると、彼女の部屋をめちゃくちゃにした。少ない家具を押し倒し、椅子をたたき割り、ベッドのシーツを引き裂いた。そして真っ青な顔で怯えるアデラを何度も平手打ちした。

 騒ぎに気が付いた使用人が執事を呼び、ジェマはアデラから引きはがされた。そのまま執事に自分の部屋に連れていかれた。

 ジェマは冷静になってとんでもないことをしたかもしれないと思いながらも、アデラを打った自分は間違っていないという相反する思いもあった。そしてその思いは正しかった。

 その夜、ジェマは何事もなかったかのように夕食の席に参加した。しかも父は……。


「ジェマ、叩くなら頬はいけない。腹や尻など服で隠れる場所にしなさい。あと出血があるような怪我はさせないように」

「はい。お父様」


 ジェマは怒られなかった。しかも父はその後アデラの元に行き、ジェマを不快にさせたことを謝罪させたらしい。床に這いつくばった姿で泣きながら謝罪するアデラは惨めだったと兄のイーサンが教えてくれた。

 その日を境にジェマは父の意思を汲んでアデラを徹底的にいじめ抜いた。別邸に訪れてはアデラに水をかけ、鞭打ち、僅かな食べ物をぶちまけた。アデラは黙って耐えていたが、それもまた気に入らない。

 やがてお茶会に参加するようになると、ジェマは友人たちにアデラの悪口をばらまいた。アデラにお茶会の招待状が届いても、表に出せるような子ではない、と父が勝手に欠席にする。だからアデラは悪評を釈明する機会すらなかった。


 だがいずれは王立学園に通うことになる侯爵家の娘に教養を身に付けさせないわけにはいかない。アデラが七歳になると父は教師をつけた。わざとレベルの高い教師を付け、音を上げたアデラが無能だと貶めたかったようだが、アデラは教師たちに食らいつき、皮肉にも優秀さを発揮し始めた。そして教師経由でアデラのことが国王の耳に入ったらしい。 

 十歳になっていたアデラは、ある日父に連れられて国王に謁見した。そして……。



「アデラが王太子の婚約者ですって!?」

 国王はことのほかアデラのことが気に入ったらしい。侯爵令嬢という身分と明晰な頭脳を持つ彼女は、ブライアン王太子の婚約者になってしまった。

「アデラが王太子の婚約者に……。じゃあ、じゃあいずれ王妃になるということ?」


(―――殺してしまおうかしら?) 

 アデラが自分より上の身分になるなんて許せない。何とかしなくてはと思っていたジェマだが、すぐに嬉しい誤算が生じた。

 アデラの婚約者となったブライアン王太子は、アデラが自分より優秀であることを妬んで彼女を粗略に扱い始めたのだ。

 やがて学園に通う年になると彼はアデラに王太子の仕事を肩代わりさせ、堂々と恋人を侍らせた。さらにその恋人のヘザーや、公爵令嬢のイシドラがアデラを学園で孤立させ、様々ないじめをしていると他の令嬢に知らされたジェマの溜飲は下がった。


 そしてそれは父侯爵も同じだったらしい。

「アデラのことはもう少し放置でいい。婚約者にすら邪険にされるとは……。やはりあの娘は誰にも愛されないのだな」

「でも王太子と結婚してしまったら」

「ふん、結婚なんてさせるものか」

 父侯爵の考えていることは、言わずともジェマには分かった。

 結婚する直前に破落戸にでも襲わせ、男を引き入れた淫乱だから王太子妃にふさわしくないと申し出ればいいのだ。その後はまたあの別邸に追いやってしまおう。使用人として本邸で働かせるのもいい。


 ところがジェマたちが行動を起こす前に王太子の方がしびれを切らしたようで、アデラに婚約破棄を言い渡した。

 貴族たちの前で吊し上げにも等しい仕打ちを受けたアデラを見るのは愉快だった。そして屋敷に戻ってきたアデラを、父のクラーク侯爵は無情にも叩き出したのだ。

 そして失意のアデラが去った後……クラーク侯爵は当然のように家の下男たちに命じて彼女を追いかけさせた。アデラを……実の娘を犯せ、と。

 下男たちは喜ぶかと思いきや、青い顔をしていた。なぜだろう?アデラは悪魔なのだから、苦しめて痛めつけるのが当然なのだ。自分たちの手伝いをできるのだから、彼らは喜ぶべきだろう。ともあれ当主の命には逆らえないと、彼らはアデラを追いかけて行った。

 ところが。




「見失っただと?」

「そんな!なんで!?」

 男たちに汚されたアデラの絶望した表情を見たかったのに、ジェマとクラーク侯爵は驚きと失望で愕然とした。


「申し訳ありません。王都のはずれまで追いやってから襲うつもりだったのですが」

 三人の下男たちは、王都の街中でアデラを見失ったのだという。

 金も持っていないのに、一体どこに隠れられるというのか。

「お父様、アデラを探しましょう?気の毒な平民を脅して家に上がり込んでいるのやもしれませんわ」

「……いや、いい。どうせ明日にでもこの屋敷の前に現れて、入れてくれと縋りついてくるだろう。放っておけ」

 クラーク侯爵はジェマの提案を一蹴すると、部屋の奥に引っ込んでしまった。ジェマも嘆息しながらそれに続く。

 明日には、また惨めなアデラを嬲れると信じて。

 だがその日を境に、アデラの消息はぷつりと途切れてしまったのだ。


 そして。

 一年の月日が流れた。





 ジェマは苛立っていた。

 最近苛立つことばかりだ。理由は分かっている……アデラ(サンドバッグ)がいなくなってしまったからだ。


「痛いっっ!もっと丁寧にやりなさいよ!!」

 ジェマに怒鳴られ、彼女の髪を結っていた侍女が飛び上がる。憤怒の顔をした主の足元に縋りついた。

「も、申し訳ございません、ジェマお嬢さ……ぎゃあっ!」

 ジェマは侍女の謝罪を最後まで聞かず、その顔を蹴り上げた。運悪く口にヒットし、侍女の歯が血と一緒に飛び散る。

「汚いわね。とっとと掃除して頂戴。そのゴミ女もよ?」

「は、はい……」

「うう、うっ」


 血が付いた床を掃除させ、別の侍女に髪を結わせてようやく支度が整った。清楚なワンピースに着替えたジェマはお気に入りの帽子をかぶり、馬車に乗り込む。

 その様子を、使用人たちは恐れと嫌悪を含んだ眼差しで見送った。


「ここ最近、ジェマお嬢様の癇癪は酷いわね」

「以前は何かあるとアデラお嬢様に八つ当たりしてたからな……八つ当たり相手がいないととばっちりが我々に行く」

「あの侍女もかわいそうに……歯が三本も折れたらしいぞ」

「結婚まであと半年か……。早く屋敷を出て行ってほしいものだ」






「クラーク侯爵令嬢がご到着されました!」


 ファース伯爵家の屋敷を守る門番の声に、使用人たちの気が引き締まる。

 自分たちが仕える伯爵の後継ぎの婚約者がやってきたのだ。

 いずれは自分たちの女主人となる令嬢の登場に、彼らが緊張するのは当たり前だった。

 

 せわしなく動く使用人たちの様子を、アデラ……いや、ここでは侍女アビゲイルと名乗っている、は注意深く見守っていた。

 アビゲイルはいつもの変装魔法を使って顔と髪の色を変え、ファース伯爵家御用達の商会の会頭に暗示をかけて紹介状を書いてもらった。上手く屋敷の執事長を騙し、一週間ほど前からファース家の侍女として潜り込んでいる。

 やがて馬車から降りてくる一人の女の姿が見えた。

「ジェマ……」

 血が繋がった姉にも関わらず、誰よりもアデラを蔑み、足蹴にし、甚振り続けた。

 アビゲイルは復讐を決意した時、何よりもまずこの姉をずたずたに引き裂いてやりたいと思っていた。一年間ずっとその衝動を押しとどめ、ここまで我慢してきたのだ。

「やっとだわ。やっとあの女に復讐できる……」





 ジェマの婚約者はスチュアート・ファース。ファース伯爵家の嫡男だ。

 ジェマとは互いに十七歳の時に婚約を結び、半年後に結婚を控えている。伯爵家の嫡男という身分以外はぱっとしない男だ。見目はいいが、正直優秀とは言えない。ジェマの本性に気づきもしないのがいい証拠だ。

 

 かつてアデラはヘザーとイシドラによって、悪意ある噂を流されていた。だがそれはあくまで学園内での話だ。にもかかわらず、アデラの悪評は社交界でも有名だった。四歳年上のジェマが学園に通っていた頃、同級生たちにアデラがいかに出来損ないで怠惰で傲慢な娘かを触れ回ったからだ。


「アデラ嬢は身分を振りかざし、王子に近づく令嬢を片っ端からけん制しているらしい」

「使用人には暴力をふるうようよ?」

「先日なんて、振る舞いを諫めた姉のジェマ様に、いずれ王妃になる自分にたてつくなんて生意気だと暴言を吐いたらしいわ」

「そんな娘が王太子の婚約者だなんて……本当に大丈夫なのか?」


 やがてジェマの同級生たちは卒業し、王宮で働いたり社交に出るようになった。そしてジェマが学園で撒いた噂は、まるで真実かのように語られるようになった……王太子の婚約者は手の付けられない我が儘娘らしい、と。

 そしてジェマは表向きは我儘で癇癪持ちのアデラを諌める健気な姉を演じていたので、スチュアートはジェマがおおらかで慈愛に満ちた女性だと信じている。


「馬鹿な男ね。おおらかも慈愛もジェマとは対局にある言葉よ」


 アビゲイルはジェマを愛おしそうに見つめるスチュアートを見てせせら笑った。

 そして思い出す。アデラがまだブライアンの婚約者だった頃。ブライアンから押し付けられた仕事と学業とで碌に睡眠も取れずにふらふらな状態で学園に向かう馬車に乗り込もうとしていた十二歳のアデラをスチュアートは呼び止めた。

 何かと思えば、彼は「身を正し、ジェマを困らせるのはやめるように」と居丈高に説教をし始めたのだ。半分以上は聞き流したが、ジェマが吹き込んだアデラの素行不良を信じ、未来の義妹を矯正してやろうとしたらしい。あの時は次期伯爵の不興を買ったことが恐ろしくてとにかく謝った……本当に無駄なことをしたものだ。



 アビゲイルは馬車から降りてきたジェマと、それをエスコートするスチュアートを見やる。ジェマは猫を二十枚ほど被っているが、確かに見目はいい。母の美貌を受け継いでおり、色白で手足もすらっとしているので、ぱっと見は儚げな印象を受けるのだ。そんなジェマが妹が屋敷で我儘に振る舞っている、それを咎めれば口汚く罵られ、時には物を投げられると涙をにじませながら訴えれば、男はころっと騙されてしまうのだろう。

 アビゲイルとしてこの屋敷に潜り込んでから色々と探ったが、ジェマは本性をうまく隠し、使用人たちからの評価と期待は高かった。だが騙されていない者も何人かいた。


「アビゲイル、お願いがあるのだけれど」

「はい、侍女長」

 侍女長のステラだ。古参の使用人で、侍女と下女のまとめ役だ。四十過ぎと聞いているが、独身で子供を産んでいないためか、三十前半くらいに見える。

「今日はオーロラお嬢様に付いてくれる?何があっても離れないでほしいの」

「オーロラ様ですか……。良いのですか?私のような新参者が」


 オーロラ・ファース。

 スチュアートの妹で、アデラの二つ下だから今は十六才のはずだ。この屋敷に雇われてから何度か見かけたが、ジェマに負けず劣らずたおやかで儚げな容姿をしている。見かけだけのジェマとは違い中身も大人しいらしく、あまり外に出るタイプではなく、部屋で刺繍をしたり、たまに友人が来ても詩の朗読をしたりしている。深窓の令嬢とは彼女のことを言うのだろう。

 首を傾げたアビゲイルにステラが気まずそうにする。何やら面倒な話らしい。

「あなたみたいなきっぱりした性格の人の方がいい気がして……。オーロラお嬢様とジェマ様を二人きりにしないでほしいの」

「二人きり、ですか?」

 アビゲイルが戸惑うのも無理はない。貴族は異性同士はもちろん、同性であっても二人きりになったりしない。家族ならばまだしも、まだこの家に嫁いでいないジェマは他家の人間だ。よほどのことがない限り、互いに専属侍女を置いておくのが当たり前だった。

「ジェマ様はどういうわけか、いつもオーロラお嬢様と二人きりになりたがるのよ。『未来の義妹と親交を深めたい』と言ってね。一度意見したことがあるんだけど、ジェマ様がお坊ちゃまに大げさに伝えたみたいで、私はジェマ様に接近禁止になってしまって」

「まあ」

「ジェマ様と会った後、オーロラ様はいつも具合悪そうになさっているの。何度尋ねても何も教えてくださらなくて。お坊ちゃまの婚約者を疑いたくはないけれど、大人しいオーロラ様に何かしているんじゃないかと心配で」

 アビゲイルはぴんときた。

「わかりました。本日はオーロラお嬢様につきます」




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