06 演劇項目「婚約破棄」
「アリシア!今日ここであなたとの婚約を破棄する!」
きらびやかな夜会で、この国の王太子ブッシュが高らかに宣言した。
傍らには婚約者ではない桃色の髪の少女を侍らせている。さらに王太子の従妹で公爵令嬢のイザベラと、王太子の護衛騎士のミーガンが脇を固めるように立っていた。
「そんな!なぜですか、ブッシュ様!」
婚約破棄を宣言された亜麻色の髪の令嬢アリシアが、悲壮な顔でブッシュを見上げた。
「なぜだと?ここにいるヘレネ嬢を学園で虐げていただろう」
ヘレネと呼ばれた少女がわざとらしく怯えた仕草をし、ブッシュ王子にしなだれかかった。
「私は誓ってヘレネ嬢に何もしておりません」
「とぼける気か!あなたの命令でヘレネ嬢に嫌がらせをしたのを、公爵令嬢のイザベラが目撃しているのだ」
名前を呼ばれた銀髪の令嬢、イザベラが一歩前に出る。
「間違いございません。アリシア嬢は、ヘレネ様を虐げておりました」
「そんな!なにかの間違いです!ちゃんと調べてください」
「それだけではない!先日ヘレネ嬢が怪しげな男たちに誘拐されかけた。騎士のミーガンが男たちを拘束したところ、アリシア!あなたの依頼でヘレネ嬢を拉致し、女性の尊厳を奪うよう指示されたと証言したぞ」
今度はミーガンが前に出た。
「ブッシュ王太子のおっしゃった通りです。私が駆けつけなればヘレネ様はどうなっていたか……」
女性たちから悲鳴があがる。男たちは侮蔑の視線をアリシアに向けた。
「そんな証言は偽りです!私は無実です」
公爵令嬢イザベラも騎士ミーガンも、普段からアリシアを蔑み貶めていた。ブッシュ王子が確実にアリシアと婚約破棄するために罪を捏造し、嘘の証言をしたに違いない。
「ええい!ここまで言ってもみとめないのか!!罪人アリシアを拘束しろ!」
「そんな、やめて!」
王子の命を受けたミーガンがアリシアを乱暴に拘束する。
「ブッシュ様!」
「その汚らわしい舌で私の名を呼ぶな!アリシア、貴様を国外追放に処す!」
国外追放という言葉に貴族たちがざわめく。だが誰もアリシアに手を差し伸べようとはせず、嘲笑っている者すらいる始末だった。アリシアは何を言っても無駄だということを悟り、がっくりと肩を落とす。そしてそのままミーガンと兵士たちに連行されていった。すでに用意されている罪人用の馬車に乗せられ、これから国境まで連れて行かれるのだ。
ブッシュ王子はアリシアのその様子をせせら笑いながら見送ると、貴族たちに向き直った。
「皆の者、私はここで、ヘレネ嬢との新たな婚約を発表する!ヘレネ嬢は清廉で慈悲深い心を持ち勤勉である。いずれ国王となる私を必ずや献身的に支え、皆に慕われる王妃となることだろう!」
堂々と宣言したブッシュ王子とヘレネに、貴族たちが拍手と歓声を送る。それらにブッシュたちが手を振りながら、ゆっくりと舞台の幕が降りていった……。
幕が全て降りた後、平坦なモノローグが響く。
「―――アリシアを冤罪で追い落とし、国外に追放したブッシュとヘレネ……。彼らの人生はここから破滅へと向かっていくのだった」
ブライアンは部屋で頭を抱えていた。
彼は先ほどまで話題の劇を観劇していた。そしてその内容は、ブライアンに怒りを通り越して恐怖すら与えていた。
「あの劇の台詞……ほとんどが私がアデラとの婚約破棄の際に言った台詞そのままだ」
名前以外で違うのは、最後に言い渡した刑が謹慎か国外追放かの違いくらいだった。しかもアデラは謹慎のために向かわせた実家で身一つで追い出され、そのまま消息不明になったのだから国外追放と大して状況は変わっていない。
明らかにあの婚約破棄の場にいた人物が劇に関わっていた。
(やはりアデラではないのか?)
彼女が生きていて、ブライアンとヘザーに復讐しているのではないだろうか。
「殿下、失礼いたします」
部屋に側近のアルフレッドが入ってきた。一度劇を見てみたいというブライアンのために劇がこの街で行われることを調べ、屋敷を手配し、変装までさせて観劇の場を用意してくれた。乳母の実家の紹介で側近に新たに加わったばかりだが、思いのほか優秀なので非常に重宝している。
「何かわかったか?」
「はい、劇団の用具係に金を渡してようやく分かりました。劇団を運営しているのは、リロ王国の子爵です」
「リロ王国だと?」
隣国のリロ王国。国の規模は同じくらいの友好国だ。その王太子とブライアンは年が近いこともあり親交がある。
「はい。ただその子爵は金儲けのために劇を運営しているだけだと思われます」
「私を追い落とす意図はないということか?」
「子爵が大公派と繋がっていたというのは考えにくいのです。それに、そもそもこの劇の発端になった書籍がありました」
「書籍、だと」
「こちらです」
アルフレッドが差し出したのは「王妃アリシアの誓い~婚約破棄された令嬢が幸せを掴みとるまで~」というタイトルの小説だった。
表紙はブライアンが知る革で細工された貴族用の装丁ではなく、厚いだけの粗雑な質の紙でできている。アルフレッドが劇団の下働きから買い取ったという。
「三ヶ月前にリロ王国で発売され、市民を中心に大流行したそうです。見ての通り粗い装丁で大量に作られ、安価で売られておりました。『婚約破棄』というワードが市民には印象的だったようで……。そして使用人から貴族令嬢たちの手に渡り、リロ王国の貴族の間でも流行したとか」
「そうか……。リロ王国に抗議するのは難しいな。その子爵を丸め込んだ方がいいか」
「それが、その」
「なんだ?まだ何かあるのか?」
「実は、劇団が結成されたのは八ヵ月も前だそうで……」
ブライアンは嫌な予感がした。この劇団がこの国に乗り込んできたのはせいぜい二ヶ月ほど前のことだ。
「まさか……」
「はい。すでに周辺国で『王妃アリシアの誓い~婚約破棄された令嬢が幸せを掴みとるまで~』を上演していました。分かっているだけでリロ王国、ゴーセン王国、ミキハ公国等です。子爵の他にも劇団を運営している貴族がいるそうで、そちらも別の国ですでに活動しているものと」
「馬鹿な……っ」
アルフレッドの調べが正しければ、この婚約破棄の劇はケンブリッジ王国の友好国、もしかしたら敵対国にまで知れ渡っているということだ。もはやこの劇がブライアンとアデラの婚約破棄を題材にしていると国の内外に知られていると言っていい。
というのも、ブライアンはヘザーとの結婚を美談にするため、アデラを悪女に仕立てて婚約破棄したことを国内外に知らしめていた。
「いったいどうすれば……」
圧力をかけてこの国での劇団の活動を禁止させるだけならば簡単だ。だが他国に対してはそうはいかない。例の書籍の販売を停止させるのは難しいし、仮にできたとしても今からでは手遅れだ。
ブライアンは大した手も思い浮かばず、途方に暮れるしかなかった。
あの劇の影響は、間を置かずして顕著に表れた。
数日後、隣国の建国祭に招かれていたブライアンはヘザーと共に隣国を訪れた。
あの小説が発売され、すでに劇団が上演した後だとアルフレッドが言っていた国の一つ、リロ王国だ。
通常ならば三日ほど前に隣国の王宮の部屋でくつろぎ、観光や買い物を楽しみながら過ごすのだが、今回は前日にしか王宮入りを認められず、嫌な予感はしていた。王宮の部屋に案内され最低限のもてなしは受けたのだが、友人であるはずのリロ王国の王太子は姿を現さず外出も禁止されてしまった。
「なんて無礼なんでしょう!こっちは招待されて来た客人ですのに」
「よせ、ヘザー。誰が聞いているか分からんぞ」
「ですが、ですが……っ。初めてのブライアン様との公務ですのに」
ヘザーは銀細工で有名なリロ王国のアクセサリーを買い漁ろうと意気込んでいただけに、外出禁止にストレスをためているようだった。
「ブライアン様は良いのですか?ケンブリッジ王国の王太子が粗略に扱われるなんて、リロ王国の正気を疑います」
「ヘザー、私のために怒ってくれるのは嬉しいが、ここは自国ではない。言動にはいつも以上に気を配らないと、それこそ足をすくわれてしまうぞ。今回は買い物は諦めるんだ。帰ったら何か宝石を買ってやろう」
「は、はい……。分かりました」
頼みのブライアンにぴしゃりと言われてしまい、ヘザーも喚いたところで無駄だと悟ったようだった。
翌日、昼から建国祭が始まった。
ブライアンの嫌な予感は当たった。すでにリロ王国の高位貴族たちが集まっている会場に、客人として呼ばれた他国の王族たちが紹介され、拍手を受けながら登場するのだが……。
「―――ケンブリッジ王国より、王太子ブライアン殿下とご婚約者ヘザー・エルスマン嬢」
ブライアンとヘザーの名前が呼ばれた途端、会場がぴしりと凍り付いた。
雑談していた貴族たちは口を閉ざし、登場したブライアンたちにぶしつけな視線を向ける。そしてあるはずの拍手は誰からもなかった。
ブライアンはヘザーをエスコートする手から感じる震えが、自分のものなのか彼女のものなのかわからなかった。
「―――ミキハ公国より、大公代理の……」
次にまた別の国の王族が呼ばれると、会場は何事もなかったかのような雰囲気を取り戻し、彼らは割れんばかりの拍手を受けている。
さらにリロ王国の王族に祝辞を述べようと王族の席に近づこうとすると、リロ王国の大臣に止められてしまった。
「ブライアン王太子、この度は遠路はるばる起こし下さり感謝しております。我が王より、本日はお疲れでしょうから祝辞は必要ないとの言伝です」
好感度の下がっているお前の顔を見たくないから、話しかけるなということだ。
「一介の臣下がケンブリッジ王国の王太子に対して無礼ではありませんの?」
「よせ、ヘザー」
「ですが……」
「このまま下がらせていただく。ただ、王子殿下に後で会談の場を設けてほしいと伝えていただけないだろうか」
「それは」
リロの大臣は一瞬口ごもるも、この場で他国の王太子であるブライアンを下がらせるのは乱暴だという自覚はあったらしい。「殿下に必ずお伝えします」と彼が言ったのを確認すると、ブライアンはヘザーを連れて会場を後にした。
そんな彼らを見ながら、貴族たちは「あれが例の婚約破棄の……」「他人の婚約者を略奪するなんて」「あんなのが次期国王でケンブリッジ王国は大丈夫なのか?」とひそひそしている。
隣のヘザーはあまりの侮辱に顔を真っ赤にしていた。当然ブライアンも憤りを感じてはいたが、危機感の方が強い。
そして次の日、ブライアンとヘザーは急き立てられるように出国の準備をさせられた。ヘザーが着替えをしている間、ブライアンだけがリロ王国の王太子と数分だけ話をすることができた。
「ブライアン王太子……。久しぶりだね」
「パウロ」
つい半年前にケンブリッジ王国の国王の誕生祭で顔を合わせた時は、呼び捨てだったというのに、パウロ王子はブライアンに敬称を付け、明らかに距離を置いていた。
「私と婚約者を粗略に扱うのは、例の劇の王子が私のことだと信じているからか?」
「違うのか?」
「違う!全然違う!これはアデラの陰謀だ」
「そのアデラ嬢はどこに行ったんだ?」
「それは……」
「考えてみればおかしな話だったんだ。君の婚約者だったアデラ嬢が、君に近づく女をけん制するのは当たり前なのに、嫉妬するのがさも悪いかのように断罪されるなんて。しかも彼女はそのまま行方不明らしいじゃないか。……まさか君が殺したんじゃないだろうな?」
「違う!私はアデラを救うつもりだったんだ」
「婚約破棄して惨めな令嬢に仕立ててまでか」
「……」
「他国のことだ、これ以上は介入するつもりも、問いただすつもりもない。……だが、君と友人だと思われるのは迷惑だ」
「さすがに都合が良すぎないか?君のために便宜を図ったこともたくさんあったはずだ」
「その便宜とは、僕の婚約の斡旋だろう?」
「そうだ」
パウロ王子はゴーセン王国の公爵令嬢と婚約している。パウロ王子と同じ時期にケンブリッジ王国に留学していた公爵令嬢と見合いの場を整え、婚約に貢献したのはブライアンということになっているのだ。だからパウロ王子は少しは動揺するかと思ったのに、ブライアンに軽蔑の眼差しを向けただけだった。
「盗人猛々しいとは君のことだな……知っているんだよ、僕は。見合いの場を用意し、僕たちを引き合わせてくれたのは本当はアデラ嬢だということを」
「っ!!」
「婚約者が教えてくれたよ。我らの婚約が君の功績のように言われていることに彼女は納得していないようだ」
「だ、だが……っ。君たちを引き合わせるようにアデラに命じたのは私だ」
「命じただけで何もしなかったんだろう?……そしてうまく行くと彼女の功績を奪った。ブッシュ王子のように」
「違うっ、違うんだ、パウロ!話を聞いてくれ」
「いいや、もう十分だ。さようなら、ブライアン王太子。二度と僕の友人面しないでくれ」
ブライアンはパウロに追いすがろうとしたが、リロ王国の護衛たちに阻止された。
そしてそのまま自国へと送り返されてしまったのだった。