35 アデラは愛されるために生まれてきた
「ここにいたのか、アリシア」
ソファの上で少しうとうとしていたアリシアは、夫の声に覚醒した。
「ウィル、帰っていたのね」
「風邪をひくよ。さあ……」
ウィリアルドはアリシアの肩にガウンをかけてくれる。そこへわきゃわきゃと子供特有の笑い声が聞こえ、赤ん坊を抱いた乳母が入ってきた。
「ご苦労様、私と妻が見ておくから休憩していいよ」
ウィリアルドが声をかけると、乳母はベッドに赤ん坊を寝かせ、一礼して出て行った。アリシアとウィリアルドはゆっくりとベッドに歩み寄る。
亜麻色の髪と水色の瞳をした、美しい女の赤ちゃん。二人の間に生まれたアデラだった。
「さあアデラ、いらっしゃい」
アリシアはアデラを抱きあげる。
「愛しい、愛しいアデラ……」
「あっ、あー」
母親に抱かれ、アデラは嬉しそうだ。ウィリアルドはその様子を愛おしそうに眺めた。
二年前、アリシアの妊娠が分かった。
すでにゴロード国王からオットー王太子への譲位がささやかれ始めていた最中のことだ。
ウィリアルドは第二王子、そしていずれ大公になる身として忙しかったが、それでも妊娠したアリシアのためにまめに屋敷に帰り、彼女との時を多く過ごした。焦がれた女性と結婚し、子供まで授かって彼は幸せの絶頂だった。
ところが一方のアリシアは不安だった。
「ウィル、私はお産で死ぬかもしれないわ」
「そんなことはない。君は無事に子を産めるよ」
「私だって子供とあなたを置いて死にたくない……。でもね、ウィル、もし私が死んでもどうかこの子を責めないで」
「そんなことはしないよ」
「わかってる。分かってるわ……。あなたはダニエルとは違う。でも不安なの。この子を愛して……守って頂戴」
ウィリアルドは虐待され続けていたアリシアの苦しみを本当に理解していなかったことに気づいた。
アリシアと結婚して、子供を産んで育てるのは当然だと思っていた。だが彼女にとって母親とは虚無で、父親は害悪だった。故に子供を授かってもその事実から希望を抱くのは難しかったのだ。
やがて月が満ち、アリシアは女の子を産んだ。だがただでは済まなかった。出産こそ無事に終えたものの、アリシアは産褥で一時重篤な状態に陥ってしまった。何とか持ち直し、アリシアが娘を初めて腕に抱くことができたのは一ヶ月も経ってからのことだ。
「アデラと名付けたんだ」
「アデラ……」
「愛されるために生まれてきた子だ」
たとえアリシアがあのまま亡くなったとしても、一人で娘を幸せにするというウィリアルドの決意でもあった。
「ウィル、ありがとう」
「大事に育てよう。きっとこの子は幸せになるよ」
あれからアデラはすくすくと成長している。
体が回復したアリシアは、大公となったウィリアルドを支えながらも娘の子育てにも積極的に関わっていた。
「あぷー、あっ、あっ」
「今日はご機嫌だな、アデラは」
「ふふっ。新しいおもちゃが届いたのよ。後でまた遊びましょうね」
「もうすぐアデラの初めての誕生日だな。遠出はできないけど、休みは取るから家族で過ごそう」
「ええ、そうね……」
ふとアリシアの表情が沈んだものになる。ウィリアルドは心配そうにのぞき込んだ。
「どうした、アリシア?」
「ウィル、もっと子供が欲しいのなら、第二夫人がいてもいいのよ?」
「誰かに何か言われたのか?」
「……」
アデラが生まれてしばらくして、二人は話し合って子供はもう作らないという選択をした。
おそらくアリシアは二度目の出産には耐えられないだろう。その決定をゴロードたち家族は理解してくれたが、色々言ってくる者もいる。
「私は子供はもう作らない。兄弟がいなくともアデラは決して不幸せにはならいよ」
「ウィル……」
「どうしても君が気になるのならいずれ養子を取ろう」
「本当にあなたはそれでいいの?」
「もちろんさ。血の繋がりはなくとも、正しく導けば固い絆で結ばれる……君とマリアがそうであるように」
「マリアが……そうね。そうだったわ。私の家族はあなたたち、そしてヴァイオレットとマリアだったわ」
アデラ以外の誰もアリシアと血が繋がっていない。過ごした時間も長くはない。けれども彼らこそがアリシアの『家族』なのだ。ヴァイオレットは時々顔を出してくれるし、隣国に渡ったマリアは時折手紙をくれる。
アリシアはようやく手にした愛に充実した人生を噛みしめるのだった。
オットー国王の実弟ウィリアルド・ローデンは大公として長年国の中枢で活躍した。大公妃のアリシアとは有名なおしどり夫婦だったが、彼らの子供は娘が一人だけだったという。やがてその娘は他国に嫁ぎ、オットー国王の譲位とともにウィリアルドも後継者がいないことを理由に大公位を返上。王領で妻と静かに余生を送ったという。




