34 後始末
ちょうどオットー新国王が誕生した直後のこと。
ケンブリッジ王国の国境にある修道院に三人の奴隷が集められていた。
「ま、まさか……、イーサンなのか?」
「父上」
「じゃあお前は」
「お父様……」
「ジェマ、か」
その三人はかつてアデラ・クラークという血の繋がった娘であり妹を虐げ続けたクラーク家の罪人だった。
ダニエルはイーサンはともかくジェマに会ったら一言言わずには済ませられないと思っていた。だがまだ二十代前半のはずのジェマは、もう四十過ぎにしか見えないほど肌の張りがなくなり、髪にも白いものが混じっている。窪んだ眼は常に何かに怯えているようで、ダニエルは文句を言う気概を削がれてしまった。
イーサンはそこまで老けていなかったが肌が浅黒く焼け、無精ひげを生やしてかつての貴公子然とした面影は全く感じられない。それにどうやら右の手首から先がないようだ。何かの事故で失ったのだろう。
そしてダニエルもまた似たような状態だった。過酷な砂漠の奴隷として二年を過ごし、心も体もすっかり擦り切れてしまった。食事も満足に与えられず、他の屈強な奴隷たちには暴力を振るわれる。読み書きができたので多少は優遇してもらえると思っていたが、そもそも砂漠の商人とは語学が堪能でなければできない。侯爵家のちょっとした雑務しかしたことのない事務能力をこれ見よがしにひけらかしたダニエルを商人たちは嘲り、待遇はもっと酷くなった。先日とうとう足を骨折して歩くのに障害が残ることになり、少なくても出されていた食事がとうとう配給されなくなった。このまま干からびて死ぬのかと覚悟したところで、突然馬車に荷物とともに詰め込まれた。今度はどこに売り飛ばされるのかと戦々恐々としていれば、途中で意識を失い、気づけばこの修道院の床に転がされていたというわけだ。
「あれからお前たちはどうしていたんだ?ジェマは北の島の修道院だったか」
「違うわ。アデラの陰謀で、変態男のペットにされていたの。毎日気まぐれに鞭で叩かれて……くやしいっ、全部アデラのせいよ」
ジェマは怒りに顔を歪ませる。完全に自分がアデラやオーロラにした仕打ちを棚に上げていた。
「……僕は、他国の鉱山に連れていかれた」
「その手の怪我もか?」
「ああ」
ジェマに対してイーサンは言葉少なだった。男ばかりの鉱山奴隷の中で、若くて顔立ちが整っていた彼がどんな扱いを受けていたのか想像がつく。ダニエルはそれ以上のことは聞かなかった。
「お父様は?」
「私も奴隷だ。二年も砂漠で家畜のように扱われた。アデラめ……っ、絶対に許さないぞ」
ダニエルもまた自分の境遇を自業自得とは思っていなかった。二年間、屈辱に耐えながらアデラへの憎しみを募らせていた。いつか復讐してやる……。その黒い想いだけが心の支えだった。
イーサンとジェマもそうだ。自分たちが悪いとは露ほども思っていない。
「ここがどこだかわかるか?」
「リロ王国との国境なのは間違いありません」
「修道院みたいだけど、人の気配がないわね」
「もう少し様子を見て、逃げられそうなら逃げよう。王都に行くんだ」
「アデラのところに行くんですね」
「そうよ!あいつに思い知らせてやらなきゃ。……でも今あいつ、魔術を使えるみたいよ」
「ならこちらも魔術師を雇えばいい。金さえ払えば何でもする魔女がいると聞いたことがある」
「でも金はどうしますか?」
「この修道院で売れそうなものを物色しよう。足りなければアデラを殺すときに金を奪えばいい」
「良い考えだわ、お父様」
この二年間、彼らは全く己を省みなかった。それどころか相変わらず全てをアデラに責任転嫁し、彼女をさらに甚振る算段までし始めている。
アリシアがこの場にいたら、反省するふりをしただけブライアンの方がましだったと呆れただろう。
「―――随分楽しそうね」
女の声にダニエルたちはぎょっと固まった。人の気配など全く感じられなかったと言うのに、いつの間にか扉の前に若い女が立っていた。
一瞬アデラかと思ったが、歳の頃は同じでも全く別の令嬢だ。だがそのピンクゴールドの髪色に彼らは見覚えがあった。
「ヘザー・エルスマン」
「あら、社交に興味がないクラーク元侯爵に知ってもらえていたなんて光栄だわ」
知らないわけがない。憎きアデラを追い落とし、ブライアンの婚約者の座をかすめ取った伯爵令嬢だった。当時ダニエルたちはアデラを貶めてくれたヘザーに心の中で喝采を送ったくらいだ。
「どうして王太子の婚約者のあなたが……」
「まさか、ブライアン王子が私たちを助けて下さったのか?」
アデラを蔑ろにしていた者同士、ダニエルたちは勝手にブライアンを仲間のように認識していた。一方のブライアンからは気味悪がられていたというのに。
勝手に妄想を膨らませて期待に満ちた目を向ける三人を、ヘザーは鼻で笑った。
「何も知らないのね。ブライアンは廃嫡されてとっくに王都を追放されているわ」
「なっ」
「ルーク国王も退位して、大公のゴロード・ローデンに王位を譲ったわ。つい先日、息子のオットーが国王になったばかりよ」
「ば、馬鹿を言うな。そんなことあるわけが……っ」
あまりの情報量に、ダニエルは椅子から崩れ落ちそうになる。まさかルーク王の唯一の子であったブライアンが玉座を逃すことになるとは思いもよらなかった。しかも次の王がローデン家からとは。自分たちが転落してから一体何があったのだ?ブライアンが廃嫡されたのなら、目の前にいるヘザーは……。
ダニエルは改めてヘザーを見た。かつての彼女は常に宝石とリボンとレースで着飾り、ブライアンの横で愛らしく振舞っていた。だが今の彼女は小綺麗にはしているものの、とても伯爵令嬢とは思えない簡素なワンピース姿だ。靴は革靴だったが明らかに使い古されているのが分かる。アクセサリーは唯一赤い宝石が付いたペンダントのみだが、それも年季の入ったものだった。お忍びをする貴族令嬢だとしてももう少し帽子なり外套なりで着飾るだろう。ということは……。
「私はブライアンが廃嫡される前に婚約解消されたのよ。アデラの陰謀でね」
「そうだったな」
ジェマのオーロラ嬢への傷害とそれに続く婚約破棄ですっかり忘れていたが、王宮にいたブライアンとヘザーは社交界での立場をなくしつつあった。アデラの悪い噂は全てヘザーとその取り巻きたちのでっち上げだと噂され、ブライアンは浮気相手のヘザーを正妃に迎えるためにアデラに衆目の中婚約破棄を言い渡してわざと貶めたのだと非難されていたはすだ。
するとそれまで黙っていたジェマがヘザーへと身を乗り出した。
「なら、あなたも一緒にアデラに仕返しをしましょうよ。協力するわよ」
「はっ、協力?落ちぶれた奴隷が何様のつもりよ」
「っ!」
ヘザーはジェマの申し出に、嫌悪丸出しの顔で返した。ジェマは言い返そうとしたが何とか押し黙る。自分たちをここに集めたのはおそらくこの女だ。集めることができたのなら、また元の場所に戻すこともできるだろう。今はヘザーのご機嫌を取らなくてはならない。
ダニエルとイーサンも同じ結論に至ったのか、黙ってヘザーの言動を見守っている。
(だが自分たちを復讐の仲間にするために集めたのでないのなら、一体何のために?)
「アデラに復讐したくてもできなくなったのよ」
「え?」
「どういう……」
「アデラは死んでるの」
「!!」
ダニエルたちは驚いてとっさに声も出なかった。
(アデラが、死んだ?)
「実家の伝手を使ってアデラがどうしているのか調べたわ。そうしたら、辺境の男爵の奥方に収まってたの」
「……」
「でも、つい先月死んだわ。お産でね」
「馬鹿な!」
「うそっ」
「……っ」
ダニエルたちが思い浮かべたのは亡くなったライラ。
悪魔のアデラが母親と同じ死に方をした?
「本当よ。私もアデラがまた卑怯な手を使って隠れたんじゃないかと何度も調べたわ。でも実際に遺体を見ちゃあね」
「お産で……アデラが……」
「はあ?何驚いているの?お産で母体が死ぬのは別に珍しいことじゃないでしょ。子供は助かったらしいけど」
「どっちだ?男の子?女の子……」
「どっちでもいいわよ!アデラが勝手に死んだのが問題だってのよ!」
「……っ」
「アデラの子供に復讐してやろうかと旦那に近づいたけど、アデラが命をかけて産んだ忘れ形見を守っていくとか言って取り付く島もなかったわ。不審に思われて素性も調べられて、もう屋敷に近づくことすらできない」
「そんな……」
ダニエルは呻いた。
「だからアデラの唯一の家族だったあなたたちに復讐してやるわ。この孤立した修道院の下働きとして死ぬまで働けるように手続きしておいたわよ」
「……」
ヘザーはその後もこの修道院が問題を起こした他国の王族や高位貴族を受け入れる特別な修道院であること、今まで抜け出した者はいないこと、劣悪な環境で死人が毎年出ていることをぺらぺらと話したが、ダニエルたちは心あらずといった様子で聞いていた。
死地も同然の修道院に詰め込んでやったのに悔しがる様子も見せない三人に、ヘザーは悪態をつきながら去っていった。
ダニエルたちが集められた修道院は、断崖の丘の上にある。
ダニエルたちとの面会を終えたヘザーは修道院を出ると、赤い宝石のペンダントを握りしめながらぶつぶつと何かをつぶやいた。すると彼女の体がふわりと浮く。そのままヘザーの細い体は断崖の下へとゆっくり降りて行った。
「お話は終わりで?」
「ええ。ご苦労様」
ヘザーが降り立った先には、腰の曲がった小男が待っていた。
ヘザーはペンダントを外すと小男に渡す。ペンダントはアクセサリーに見せかけた、この修道院を出入りするための門と鍵の役割を果たすものだった。そしてこの小男は修道院の管理人だ。
「あの三人が抜け出す恐れは本当にないのね?」
「ええ。ペンダントなしではこの断崖を登ることも降りることもできません。仮に私からペンダントを奪うことができたとしても、決まった呪文を魔力を込めながら唱えなければ発動しません」
ダニエルたちが魔術を使えないことは調査済みだ。
「人気がなかったけど、あの三人の他に誰もいないの?」
「先日まで他国の元王妃とやらが一人いたんですが、気が狂って首を吊ってしまったんでね」
そういえば、海を隔てた国であるドロレス王国の王妃が病死したというニュースがあったな、とヘザーは思った。その王妃は側妃を殺してその息子も殺そうとしたとか、自分が生んだ王子は国王の種ではないかもしれないというスキャンダルに事欠かない悪女らしかった。
「ですが来週にはリロ王国の王太子の婚約者に危害を加えようとした公爵令嬢とその取り巻きの令嬢二人が来る予定ですわ。どうなるか楽しみですね」
「毒を食らって毒を制すってこと?」
「そんな上等なもんじゃないですよ」
無表情だった小男がにやりと笑った。ヘザーはこの男がこの辺境の修道院の管理人を引き受けている理由が分かった気がした。だが……。
「今回は肩透かしかもしれないわよ」
「なぜです?」
「あの三人、もしかしたら毒が抜けたかもしれないわ」
「はあ?そうなんですか?聞いてた話と違うな。今でも自分たちが虐待した娘を未だに逆恨みしているとか」
「つい数分前までそうだったんだけどね」
彼女の予想は当たっていた。
この僅か数日後、まずはイーサンが断崖から身を投げた。遺書も何もなかったという。
さらに半年後、ジェマが自室で首を括っているのが見つかった。新しく来た修道院の住人に苛め抜かれ、顔に消えない傷を負わされた翌日のことだった。
ダニエルはジェマの死後数か月は生きていた。だがある冬の寒い日に中庭で一人凍死しているのが見つかった。
彼らの遺体は修道院の管理人によって手厚く葬られ、その悲報は誰の耳にも届くことはなかったという。
ヘザーは管理人に金を渡すと、そのまま国境を目指して歩く。
修道院は国境を臨むように建っていたので、一時間もしないうちに国境の検問へとたどり着いた。
そこには紫の魔女が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「ヴァイオレット」
「終わったのね、―――マリア」
明日、二話投下して終了です。




