32 最後の闘い
カザリンの話を聞き終わったアリシアは驚愕していた。
ウィリアルドはカーリーの生まれ変わりではなかった。五十年前の悪役令嬢カーリーは、他人の身体を乗っ取って生き永らえていたのだ。しかも本物のカザリン王妃は魂を抜かれ、ネズミとして死んだらしい。わざわざカーリーを嘲笑いに来たということは本物もなかなかの性格だったようだが、それにしても理不尽すぎる最期だ。しかも、これからアリシアも同じ運命を辿ることになる。
「私に忠誠を誓うなら別の貴族の娘の身体を用意してあげるわよ。ウィリアルドの妾にでも推薦しましょうか」
「……」
カザリン……いいや、カーリーの中ではアリシアの身体を奪った後の展開も決まっているらしい。彼女のことだ、ゴロードとオットーを排除しウィリアルドを国王に、そして自分は王妃になるつもりなのだろう。
やがてカーリーは侍女の一人に頑丈そうな箱を持ってこさせた。鍵を使って箱の蓋を開けば、水晶の玉がついたブレスレットが入っている。おそらくあれが魂を入れ替えるための魔道具なのだ。
(こんな女が王妃に?)
本物のカザリンを惨めな姿にして死なせ、何の落ち度もないルーク王を長年魔術で支配下に置き、ブライアンを幼い頃から放置し、アデラの苦境すら利用した。そして今度はローデン家の人達を食い物にしようとしている。許せない。許せるわけがない。
(絶対に阻止しなくては……とにかく時間を稼がないと)
ウィリアルドが絶対に来てくれる。今のアリシアはそれに賭けるしかない。
アデラはそっと深呼吸すると、なるべく感情のこもっていない目でカーリーを見つめた。
「私の体がほしいみたいだけど、残念だわ」
「……」
「先約があるの。あなたにはあげられないわ」
「どういう意味?」
アリシアが怯えて命乞いをするか、せいぜい強がるだけだろうと思っていたカーリーは片眉を上げた。
「私の体は聖女マリアにあげることになっているの」
「マリアですって?なんであなたがその名前を」
カーリーが面白く動揺した。アリシアはしめたと思う。もう少し会話を引き延ばせそうだ。
「あら、あなたも魔女だから気がついていると思ってましたわ」
「まさか……マリアがあなたに……」
「ええ、そうよ。私に魔術を授けてくれたのは聖女マリアよ。彼女の力を使って私はあなたの息子に復讐したの」
「そんなはずないわ。マリアはヴァイオレットが……」
アリシアはヴァイオレットの名前が出た途端、にっこりと笑ってみせた。すぐに答えは与えない。
数分前までこの場を仕切っていたカーリーは、目に見えて顔色が悪くなった。
カーリーはブライアンやクラーク侯爵家にアデラが復讐をしていることには気づいていたようだが、まさかマリアとヴァイオレットが噛んでいることには思い至らなかったらしい。もともと魔力が潤沢だったアデラが、自分のように自力で魔術を身に付けていたと思っていたようだ。
「私の目的は私を虐げた人間への復讐だけ。それ以外は何もいらなかった……。マリアにはこの肉体を、ヴァイオレットには金を渡す約束で協力させていたのよ。そして……」
「……」
「そのどちらも、まだあの二人には渡していないわ。ローデン大公への譲位の話を聞けば、今日にでも報酬を回収しに来るでしょうね」
「あなたはいいの?肉体をマリアにくれてやるなんて……ウィリアルドと何のために婚約したの?」
「ふふっ、五十年前にマリアをやり込めたって聞いたけど、本当なの?」
「どういう意味?」
「察しが悪いって言ってるのよ、おばさん」
「……っ」
カーリーはぴくりと頬を動かしたが、流石に激昂はしなかった。それだけアリシアの話に引き込まれているのだ。
「ウィリアルドも協力者よ。そもそも私にヴァイオレットを紹介してくれたのは彼だもの」
「馬鹿な……」
「ウィリアルドはマリアの信奉者よ。いずれマリアと結婚するために、器の私と婚約したに過ぎないわ」
「……」
ウィリアルドがとんだ下衆野郎になっているが許してほしい。
「私の身体を乗っ取るのは良いけど、その後ウィリアルドを騙し通せるかしら?マリアとヴァイオレットはすぐにでもローデン家に乗り込んでくるわ。彼女たちを退けられるといいわね?せいぜい私の魔力を駆使して頑張ってちょうだい」
カーリーはアリシアをしばらく睨んでいたが、やがて額を押さえてぶつぶつと何やら呟き始めた。次には立ち上がり、足を踏み鳴らしながらぐるぐると部屋の中を歩き回る。おそらくアリシアの話がどこまで本当なのか、本当ならばどうなるのかを頭の中で整理しているのだろう。
(想像以上の打撃だったみたいね)
カーリーにとってマリアとヴァイオレットの名前だけでもかなりの破壊力があったようだ。しかもアリシアはほとんど本当の話をしている。嘘はマリアたちの復讐に協力したときの報酬、そしてウィリアルドの下衆疑惑くらいだ……それもかなり信憑性のある嘘なので、カーリーはアリシアの体を乗っ取ればあの二人と対峙せざるを得ないと信じるだろう。
カーリーはなおも十数分ほど歩き回っていた。時間を稼ぎたいアリシアは当然急かさず様子見だ。
一方の侍女たちは明らかに挙動不審な主人を目にしても呆けた顔で無言のままだ。完全にカーリーの魔術の支配下にあるのだろう。
「……ウィリアルドを殺すわ。いいえ、すぐにでも生贄部屋へ連れていきましょう。今度はオットーを操り人形に……婚約者は殺しましょう。そして私がその妻に収まればいいのよ」
(ターゲットをオットーに替えたわ)
魔力が多いウィリアルドは魔力の供給源に、オットーをルーク王のように支配してゴロードとオーロラだけを排除することにしたようだ。
一見筋は通っているようだが、確実にカーリーの脳内が迷走しているのが見て取れる。騎士のウィリアルドを捕らえるなんて一苦労だし、そもそもそんな命令に疑問を持つ者が出てくる。決して秘密裏には運べない。そしてウィリアルドとオットーの婚約者が入れ替わったりなどしたら、ヴァイオレットとマリアはさらに警戒する。ローデン家の周囲に気を配るはずだ。
だがアリシアはあえて感心したふりをした。
「まあ、頭が切れるのね。でもマリアとヴァイオレットが現れたらどうするの?」
「あなたの膨大な魔力さえあれば、高度な魔術を使えるわ。あいつらに勝ってみせる」
「あの二人と正面から戦うつもりなの?勇気あるのね」
「うう、うるさいうるさいうるさいっっ!」
とうとうカーリーが声を上げた。恐怖と興奮で自分が叫んでいることにも気づいていない。
(そうよ、もっと騒ぎなさい)
「私の魂を抜き出したらこの体はあなたのものよ。その後あなたがどうなろうが、もう復讐を終えた私には関係ないわ。興味もないしね」
「どうして!どうしてなの!せっかく理想の身体が手に入るのに……っ。どうしてマリアとヴァイオレットが!」
カーリーは地団駄まで踏み始めた。髪を振り乱し頭を抱えている。
その時だった。
「―――王妃様、いかがなされましたか?何か不測の事態でも起こりましたか?」
若い女性の声がした。おそらくは王妃の居住区を中心に配属されている女騎士だろう。カーリーの異変に廊下にいた下女あたりが部屋の騒ぎに気づき、女騎士に知らせたというところだろうか。
アリシアはすかさず声を張り上げた。
「助けて!!王妃様が突然胸を押さえてお倒れに!お医者様とローデン大公子息をお呼びして!」
しれっとウィリアルドの名前を入れるのを忘れない。王妃の危機に動転しているだろう女騎士は言われたとおりに行動するだろう。
「……このっ」
カーリーは慌ててアリシアの口を塞ぐ。その直後にはっとして「違うの、医者は必要ないわ!」と叫ぶが、すでに廊下は医者を呼ぶ女騎士の声が響いていた。
「よくもやってくれたわね」
カーリーはアリシアの頬を張ろうと右手を上げ、だがすぐに手をおろした。そして侍女がずっと箱を開けて待機させていた魔道具を掴む。
「今すぐ身体を交換するわ。そしてあなたの魂を人質にウィリアルドに言うことを聞かせる」
「やってみなさい」
「時間を稼ごうとしたみたいだけど無駄よ。扉の鍵には魔術を仕込んでいる。蹴破ろうとしても簡単にはできないわ」
「私の体を奪ったところであなたの思い通りには決してならない」
一度はマリアに譲ろうとした身体。しがみつく気はない。
カーリーはアリシアの一歩も引かない瞳に怯みながらも魔道具を腕に装着する。
その時、廊下をばたばたと走る音が聞こえた。
「アリシア!アリシア、無事なのか!!?王妃様は!?」
「王妃様!」
ウィリアルドの声だった。一緒にいたはずのビビアナ夫人の声もする。やはり警戒して近くにいてくれたのだ。アリシアは「ここよ!」と叫ぼうとしたが、今度は侍女に口を塞がれてしまった。だが諦めるわけには行かない。
「―――っ、―――っ」
アリシアは手足を拘束されたまま滅茶苦茶に動かした。拘束していた侍女はまさか深窓の令嬢然としていたアリシアが火事場の馬鹿力を出すとは思わなかったようで、慌てて力を入れ直す。だがその時、僅かに侍女の肩がティーテーブルに当たり、カップががちゃりと大きな音を立てた。
その音は扉の向こうに聞こえたらしい。
「何か音が聞こえたわ!」
「王妃様……、いや、カザリン夫人の危機だ!扉を蹴破るぞっ」
「くっ」
カーリーは手に魔道具を慌てて装着する。そしてアリシアの前に突き出した。侍女たちがアリシアの口に無理やり手を突っ込み、口を開けさせる。口から魂を抜き出すつもりだ。
(ここまでなのね……。でもここまで騒ぎになれば、絶対にウィリアルドやマリアたちはカーリーの思惑通りに動かないわ。絶対に私達が勝つ)
アリシアが勝利を確信しながら身体の力を抜いたその時。
がしゃーーーーんっっっ。
部屋の窓が爆散した。
同時に弾丸のように何かが突っ込み、カーリーの顔に張り付く。
「なんーーーふうっ、うわああーーーっ!!」
突然視界を塞がれたカーリーが、顔にくっついているものを引き剥がそうとする。恐る恐る目を開けたアリシアが見たのは……。
「マリア!!」
カーリーの顔に張り付いているのはアデックマだった。今はマリアの魂が入っているはずだ。
(マリアが助けに来てくれた!)
「こ、このっ」
カーリーは両手を使ってアデックマをなんとか引き剥がすと、そのぬいぐるみの体を床に叩きつけた。
「やめて!マリア!!」
「そ、その中にマリアが入ってるというの……?」
床に倒れたアデックマだが、ゆっくりと立ち上がる。そしてアリシアをかばうようにカーリーの前に立ちふさがった。そんなアデックマをカーリーは鼻で笑う。
「ふっ。惨めな姿ね、マリア。体がぬいぐるみじゃあ魔術も使えないでしょう」
「……」
「ヴァイオレットと一緒に来るべきだったわね。アリシアの体を手に入れたら、ぬいぐるみごと燃やしてあげ……」
「母上!!」
ばんっ。
音がして扉が開いた。扉の向こうには、ウィリアルドと何故かブライアン王子が立っている。
「馬鹿な……。扉が開くはずないのに」
どうやら扉の鍵に魔術を施していたというのはとっさの嘘ではなかったようだ。だが彼女の魔術が破られたということは……。
「ヴァイオレット」
「カーリー。ひさしぶり、ね!」
「!」
ヴァイオレットがブライアンの背中から出てくるタイミングで手を上げ、ぱっと開いた。次の瞬間には、カーリーの腕にあったはずの魂の入れ替えの魔道具がヴァイオレットの手に移動していた。
そしてばきんっ、と音がして、魔道具が砕け散る。カーリーの頼みの綱である魔道具が破壊された。もう彼女は自力では他人の体を奪うことはできない。
「ちくしょう、ちくしょう!!」
「やめろ!」
カーリーはナイフを取り出し、振り回そうとするが、それはウィリアルドに取り押さえられた。
「放しなさいよ!」
「カザリン夫人はご病気だ。このまま医者のもとに連れて行く」
冷たく言い放ったウィリアルドに、カーリーはようやく大人しくなった。このまま暴れ続ければ立場が悪くなる一方だということにようやく気づいたのだ。そして何とかこの場を切り抜けようと縋るような眼差しを向けた先は、息子のブライアンだった。
「ブライアン、……ブライアン!母の言うことを聞いてちょうだい。この方々は勘違いしているだけなの、私は病気などではないのよ。解放するように言ってちょうだい」
カーリーの懇願に、ブライアンは眉一つ動かさない。無言のままつかつかとウィリアルドに拘束されたままのカーリーに歩み寄る。息子が助けてくれると確信したカーリーが顔に喜色を浮かべるが……。
ぱんっ。
「……っ、ふぁ?」
乾いた音がした。
ブライアンがカーリーの顔を平手打ちしたのだ。
まさかの展開にカーリーは目を点にする。鍛えていないとはいえ若い男の平手打ちは強烈で、カーリーはふがふがと口を動かすが唇が痺れて意味のある言葉になっていない。
ぱんっ、ぱぱんっ。
「あばっ、……あぱぱっ」
ブライアンは更に反対側に一発、そして連続して往復ビンタをした。カーリーはもちろん、アリシアも唖然とする。
ブライアンは傲慢なクズ男だったが、女に手を上げるような男ではなかった。アデラだったときの生傷はすべて実の家族につけられたもので、ブライアンはアデラを支配するために暴力という手段を選んだことはない。そんな彼が実の母親に平手打ちをするなんて思っても見なかった。
だが次の瞬間、ブライアンから出た科白で謎は解けることになる。
「ざまあ見なさい、カーリー!アデラを傷つけた罰よ!」
「ま、まさか……」
アリシアは顔を引くつかせる。目が合った瞬間、ブライアンはくねっとして頬に手を当て、あざとポーズをした。
「そうでーすっ!こっちがマリアちゃんだよぉーー!」
「やめろぉぉーーーー!私の体で気色悪いポーズをしないでくれぇーー」
アデックマがアリシアの足元で悶えている。
「こ、こっちが……ブライアン」
「前にヴァイオレットが持っていた装置でアデックマミサイルを作ったの。いやー、飛んだ飛んだ。ばっちりだったわよん、王子様」
「……死ぬかと思った」
どうやら窓を突き破り、状況を打破したのは元婚約者であったらしい。ふかふかの毛に刺さったガラスの破片が痛々しい。
この部屋は隔絶された区画だから、反対側の塔から五十メートルほど吹っ飛ばされてきたのだろう。さぞ恐ろしかったに違いない。
(マリアとヴァイオレットのことだから、嬉々としてブライアンをミサイルに仕立てたんでしょうね)
アデラはブライアンが廃嫡されたと聞いた時も、ざまあみろとしか思わなかったほど恨みは深かった。だが今回問答無用で特攻ミサイルにされたことに関しては、さすがに気の毒に思ってしまったのだった。




