28 廃太子ブライアン
アリシアがカザリンに捕らわれた時より、五時間ほど時は遡る。
元王太子ブライアンは、ヘザーとミーノスに裏切られて二度目の婚約が破談となった日から、国王の命で自室に軟禁状態となっていた。
食事は三食きちんと運ばれてくるが、話し相手もおらず、ひたすら運ばれてくる書類を捌く毎日だ。ブライアンは自然と考え込むことが多くなり、よく思い出すのはあれほど愛したヘザーではなく、疎ましいはずだったアデラのことだった。おそらく現在の自分の状況が、かつて彼女が追い込まれていたそれに似ているからだろう。
(アデラは俺やレックスに仕事を押し付けられて一人でいる間、こんな気持ちだったのか)
(俺は食事をきちんと運んでもらっているが、アデラはちゃんと食べられていたんだろうか。思い返せばいつも青い顔でふらふらしていた)
(俺がこの仕事をしていることは殆どの人間が知らない。……きっと父上や母上がやったと思われているんだろうな。これだけ働かされているのに、俺は穀潰し扱いなんだ)
自分がやった仕事が正当に評価されないどころか他人のものになる……これほど虚しいことはない。
なのにブライアンはそれをアデラに強要しようとしていたのだ。傷物令嬢を娶ってやるという恩着せがましい理由まで付けて。事ここに至ってブライアンはようやく我が身を省みていた。
やがて仕事が一段落したブライアンは、少し休憩を取ることにした。侍女や従者などいないので自分でコンロで湯を沸かして茶を淹れる。仕事と寝食以外は茶を淹れるくらいしかやることがないのでもう慣れたものである。
「……ふう」
淹れたての紅茶を一口含んで息を吐いたところで、ブライアンは部屋の入口で何者かが話をしていることに気づいた。扉には外側から鍵がかけられており、必ず見張りの兵が立っている。理由はわからないがここ数日特に見張りが厳重になっており、何かが起こっているとはブライアンも感じていた。
見張りの交代の会話にしてはずいぶん長い。ブライアンが首を傾げたところで、扉が突然がちゃりと開いた。ブライアンは身構えるが、中に滑り込むように入ってきた人物に目を丸くする。
「ち、父上?」
入ってきたのは国王でありブライアンの父であるルーク王だった。
「ちち……国王陛下、なぜ?」
「ブライアン……こちらへ」
ルークは扉をちらちらと確認しながら、ブライアンの手を取って部屋の奥へと移動した。
ブライアンはさらに驚いた。ルークに直接触れられたなど、本当に幼い時以来かもしれない。それくらいブライアンとルークの関係は薄かった。いいや、父子だけではない。母であるカザリンも腹を痛めて産んだブライアンに冷淡だった。
公式の場ではほほ笑みを浮かべ、仲のいい家族であることを国民にアピールするが、私生活ではほとんどかかわらない。ブライアンは生活に不自由さえしなかったものの、常に孤独を感じていた。
「父上、どうされたのですか?」
「ブライアン、お前がカザリンに最後に会ったのはいつだ?」
「え、え……母上ですか?直接はお会いしたのは……いつだったかな?」
王宮内は広いとは言え、王族のための区画は警備もあって広大すぎるというわけではない。それでもブライアンは両親に気軽に会いに行くことは許されなかった。特にカザリンは長患いをしていたため、ブライアンも十五を過ぎたあたりから意識的に避けるようにしていた。幼い頃からそんな距離だったため、リロ王国で親しくなったパウロ王子が両親兄弟と仲良くしている様子に衝撃を受けたほどだ。
ブライアンは鬼気迫った様子のルーク王にどぎまぎしながら答えるが、ルーク王は息子の返答にむしろ安堵の息を吐いた。
「よかった、ではお前はさほど影響を受けていないのだな」
「は?」
「いいか、よく聞くんだブライアン」
ルーク王は握っていたブライアンの手に力を込めた。ブライアンはごくりとつばを飲み込む。
「お前の母、カザリンは魔女だ」
「……なっ、馬鹿なことを」
「最後まで聞きなさい。先日クラーク侯爵が査問にかけられ、次女のアデラ嬢への虐待で糾弾された。そしてその場でカザリンはお前の廃嫡を宣言したんだ……アデラ嬢への虐待に加担したとな」
「!!」
ショックだったが言い返すこともできない。まさにその通りだったからだ。だが本当の衝撃はここからだった。
「カザリンはお前の価値をなくし、幽閉して自分の餌にするつもりだ」
「え、さ?」
言葉の意味が咄嗟に理解できない。
ルークは戸惑うブライアンの手を引き、廊下に出た。見張りの兵はいない……ルーク王がなにかしたのだろうか。
ルークはそのまま廊下を進み、国王と王妃のための区画へと出る。ブライアンは事前に許可を得ないといけない場所だ。そして王妃の私室にほど近い、一つの部屋で立ち止まった。
「こ、ここは……」
戸惑うブライアンに、ルークはハンカチを差し出す。
「吐くなよ」
一言言うと、そのままドアを押し開けた。
部屋の奥に広がる光景にブライアンは心臓が止まるかと思った。
そこには何人もの生気が抜けた顔をした人間が座ったり倒れたりしていたのだ。そのうちの一人はブライアンがよく知る少女だった。彼女は焦点の定まらない目で虚空を見つめていた。
(ヘザー!)
いつも香油を垂らして丁寧にセットしていたはずの髪はぱさつき白髪が混じっている。頬はこけ、目が落ち窪んで老婆のようだった。
(ミーノスと逃げたはずの彼女がどうして王宮に?)
だがその疑問は言葉にならなかった。ブライアンは喉の奥からせり上がるものを必死に押し留める。視覚も衝撃だったが、何より部屋の奥からははっきりと死臭がした。
ルークはすぐにドアを閉める。そしてまたブライアンの手を引き、自分の私室の近くへと促した。
「あのヘザーという娘も含め、中にいた者たちは魔力が常人より多い人間らしい。私は魔力が少ないし魔術も使えないからよくわからないが、カザリンは定期的に魔力を他人から補給しなければならないようだ」
「……そんな。ではミーノスは?」
「あの部屋にいなかったのならヘザーを捕まえる際に始末された可能性が高いな。お前の側近で魔力が高いのならば、とっくの昔にカザリンが目をつけて魔力を吸い取っていたはずだから」
「母上は一体……、父上はずっと知っておられたのですか?こんな恐ろしいことが王宮内で行われていると」
「知っていた……知っていて何もできなかった。私は長年カザリンの魔術の影響下にあったのだ」
ブライアンは目を見開く。にわかには信じ難かった。
「操られたのは結婚して半年ほど経ってからか。もう二十余年もカザリンの操り人形だった。お前のことも、認識したのは歩き始めてからだ……。もっと息子のお前と触れ合いたかったが……、いいや、今はそんな話ではない。とにかくカザリンは私とお前の利用価値をなくし、ローデン家に寄生するつもりのようだ」
「伯父上に」
「次の国王はゴロード・ローデンに決まった。今日継承の手続きが行われるはずだ。そうなればお前もあの部屋に放り込まれてしまうぞ」
「は、母上はどうして……どうやってローデン家に寄生するつもりなのですか?」
「詳しくはわからない。だがカザリンには何か奥の手があるようだ。私を操っていたときはアデラ嬢をなにかに利用するつもりだったようだ」
「アデラ?」
「アデラ嬢を手に入れるためにお前と婚約させたのだ、あの女は。だがお前がアデラ嬢を婚約破棄し、しかも彼女は行方不明になった……」
「母上は私に腹を立てているのですね」
だから見捨てられたのか。
「それもあるだろうが、何らかの計画変更があったのだろう。あの女は私のこともお前のことも愛していない。……感覚が人間のそれとは違うのだ」
「魔女だからですか?」
「そんなことはない。良い魔女も存在する……いいかブライアン、お前はここから逃げてヴァイオレットという魔女と会うのだ」
「え、ええ?誰ですかそれは」
「私が幼い頃、一度だけ会った魔女だ。金には目がないと聞くが、私にとっては優しくて善良な人だった」
「そのヴァイオレットという魔女に会ってどうすればよいのでしょう?」
「私が今言ったこと、お前が見たものをありのまま伝えるのだ。彼女はきっと手を差し伸べてくれる。これを持っていきなさい」
ルークはそう言って、小さなピンク色の宝石がついたペンダントをブライアンに渡した。
「隠し通路の使い方は知っているな?王都のメロディア通りに行って、三軒目の文房具の店の店主にペンダントを渡しなさい。必ずヴァイオレットに伝わるだろう」
「父上は?父上も一緒に行きましょう」
「私まで行ったらすぐにカザリンに知られてしまう。お前だけならば暫くの間は金で使用人たちを口止めできるしごまかせる……さあ、行きなさいっ」
ルークは隠し通路の扉を明けると、ブライアンの体を強く押し込んだ。
「ち、父上っ」
ブライアンはよろけながらも父の方を振り返る。ルークの瞳には深い悔恨が見えた。
「ブライアン、愛している」
「!」
「望んだ結婚ではなかったが、お前が生まれたときは嬉しかった。今まで守ってやれなくてすまなかった」
ルークはブライアンの返事を聞かず、扉を勢いよく閉めた。
「ちちうえっ」
ごおん……。
無情に扉が閉まる音が響き、辺りが暗闇に包まれる。
ブライアンの生き残るための旅が始まった。




