03 レックスとアビー
レックスは、最初の方は丁寧にアビーに仕事を教えた。優秀な成績というのは嘘ではなく、アビーは飲み込みが早く、三週間も経てば一人で一通りの仕事ができるようになっていた。
「ラムゼイ君、アッシャー君の様子はどうだね?」
「よく頑張っていますよ。でもまだミスが多いのでもう少し一緒に仕事をしようと思っています」
「そうか……よろしく頼んだよ」
宰相からの問に、レックスは平然と嘘を吐く。まだ当分はアビーと引き離されては困るのだ。
そしてレックスはアビーに回されてきた仕事を最終チェックするふりをして、自分の手で上席や他部署の担当者にまわすようになった。その際に「新人が全く使えないやつで、ほとんど自分が処理をしている」というセリフをつけて。
ちょうど王太子の結婚式が三ヶ月後に迫っており、王宮の総務を担当する宰相府は目が回るほど忙しくなっていた。レックスは忙しさを理由に自分が受け持っていた仕事を取り戻すと、それをそのままアビーに放り投げた。アビーが処理したあと、いかにもレックスが仕事をしたようにサインなどを細工して上席に報告する。
「アビー、この書類に不備があったぞ。俺が直しておいたからな」
「あ、ありがとうございます。……でも」
「気をつけてくれよ。建築部の担当者には俺が詫びを入れておいたけど、かなり怒っていたぞ」
「はい……。あ、あのっ」
「その書類を終わらせたら今日はもう帰っていいぞ。俺がまたチェックしておくから」
「……わかりました」
アビーも次第におかしいと思っていたようだが、案の定自分からは言い出せないようだった。周囲にはいかにも面倒見の良さそうな先輩の姿をアピールし、さり気なくアビーは単調な仕事しかできないどんくさい娘だと言って回っている。
そうこうしているうちに仕事ぶりが再評価されたらしく、レックスはほぼ一年ぶりに昇進し、個室を与えられることになった。
「やった!宰相もとうとう俺を認めたんだ」
上手く行った。アデラの時にも使った手だ。
王太子の前の婚約者だったアデラは、王太子の補佐をするためにレックスと一緒に宰相の下で働いていた時期があった。レックスはアデラに仕事を押し付け、彼女の功績を奪った。彼女が一から考えた、治水工事に関する工員の募集と配置、工事の進め方などの計画書を丸ごと奪ったこともある。
それが可能だったのは、アデラにもともとあった悪評と、彼女が王太子の婚約者だったということで特別に個室を与えていたからだった。レックスはアデラのためのその仕事部屋を私物化し、本来の持ち主のアデラを仮眠室に追いやって仕事をさせた。
アデラは最初の方は抵抗していたが、次第に抵抗を諦めた。どんなに王太子に訴えても彼はレックスの味方だった。いや、正確にはアデラの敵だった。王太子は王命によって決められた婚約に納得しておらず、アデラを明らかに疎んじていた。
さらに彼女の家族も彼女の味方ではなかった。詳しい理由は分からないが、アデラは王宮で何度かすれ違う父侯爵や実兄に無視されていた。
なのでレックスはアデラを利用し放題だった。彼女が婚約破棄され、失踪するまでは……。
なのでレックスはアビーを手放すつもりはない。これからもアビーを利用し続けるため、彼女を補佐にしたいと宰相に申し出た。
案の定、プリチャード宰相は渋い顔をした。
「君にはこれから重要な仕事を回す。あまり有能でないアッシャー君は足手まといではないか?」
「アッシャー女史は私が初めて教育係を担当した後輩です。ここで投げ出したくはないのです。それに彼女は仕事を覚えるのは遅いですが真面目で意欲があります。もう少し任せてもらえませんか?」
プリチャード宰相は訝しがっていたが、結局アビーはレックスの部下になった。個室で二人きりになれば、もうレックスの独壇場だ。レックスはアビーを呼び出すと、腕を乱暴に掴んで仮眠室に放り込んだ。
「おい、アビー。この書類を全部今日までに終わらせろ」
「こ、こんなに……」
「終わるまで出てくるなよ。食事は届けてやる」
レックスは無情にも仮眠室に外から鍵をかけた。宰相府の誰もアビーの身に襲い掛かっている理不尽に気づかない。
ある日、レックスはプリチャード宰相から任された王太子の結婚式の計画書もアビーにやらせた。
出来上がった計画書は完璧で、レックスの評価は上がった。そして久しぶりに、レックスはブライアン王太子から声を掛けられたのだ。
「レックス、頑張っているようだな」
「ありがとうございます」
「一時期調子を悪くしていたようだが……。だが前のお前に戻ってよかった。これからも頼むぞ」
「はい!精一杯務めさせていただきます」
こうしてレックスはブライアン王太子の側近に戻ることになった。もう宰相府でレックスを粗略に扱うことができる者はいない。
一方のアビーはどんどんやつれて行った。休む間もなく仕事を押し付けられ、解放されるのは深夜だ。レックスは最初の方はアビーを寮まで送り届けていたが次第にそれも面倒になり、アビーは仮眠室で寝泊まりすることを強制されるようになった。寝る時ですら鍵を掛けられ、助けを呼ぶことはできない。朝礼の時だけは皆の前に出られるが、レックスがぴたりと貼りついていて、朝礼が終わればすぐに仮眠室に直行だ。
仕事はアビーにやらせ、レックスはブライアン王太子の太鼓持ちだけに専念していればいい。高笑いが止まらなかった。
その日、いつものようにレックスはアビーをたたき起こすと、彼女を連れて朝礼に出た。ここ一週間でアビーはめっきり口数が少なくなり、ぼんやりした表情をしている。すっかり従順になった彼女にレックスは満足していた。
「ラムゼイ君、おはよう」
「おはようございます、宰相」
朝礼が終わって部屋に戻ろうとしたところ、珍しくプリチャード宰相が話しかけてきた。
「交通府から、提出した決算書の承認が来ないと連絡が来ている。五日前に君に渡したはずだ」
「こ、交通府ですか?昨日提出した書類に入れた気がしたんですが……申し訳ありません。きっと別のところに紛れ込ませたのだと思います。本日必ず提出します」
「頼んだよ。交通府を任されているのはギルモア伯爵だ。目を付けられんようにな」
プリチャード宰相の背中を見送ると、レックスはアビーの腕を強く掴んで部屋に入る。そして仮眠室に直行して彼女の細い体を中に放り込んだ。
「書類を遅らせるなと言っているだろう!お前のせいでまた宰相からお小言だ」
アビーは床に臥したまま顔を上げようとしない。
「いいか。さっき宰相が言っていた書類を最速で仕上げろよ!午後に交通府に俺が持っていくからな」
レックスは言うだけ言うと、仮眠室の扉を閉めて外鍵をかけた。アビーを閉じ込めるために特別に作ったものだ。そしてそのまま自分のデスクの前に座ると、引き出しから細工の施されたチェス盤を取り出す……最近はまっているのだ。アビーが書類を終わらせるまでゲームをしようとしたところで、レックスはテーブルの上の書類に気づく。
「これは……」
手が付けられていない書類の束だった。嫌な予感がして中を見れば、プリチャード宰相が言っていた交通府からの書類もある。他にもいくつか書類があり、一番古い日付は一週間前だった。
「アビーが戻した?……いや、それはないか」
アビーはいつも仮眠室に閉じ込めている。
そして書類はいつもレックスが仮眠室に運び入れ、仮眠室から運び出すので、アビーが書類を置いたとは思えなかった。どうやらレックスの方が書類の束に気づかず、アビーに渡し忘れてしまったようだ。
さすがに一週間前の書類を放っておくわけにはいかず、レックスは書類を掴んで再び仮眠室に向かおうとする。
こんこん。
その時、ノックがして来客を告げた。
「……どちら様でしょうか」
それは因縁の相手だった。