26 突然の別れ
アデラの新しい身分はすぐに用意された。
すり寄ってきた母ライラの実家、ラファイエット子爵家が利用された。アデラの新しい名前は「アリシア」。……マリアが書いたあの小説のヒロインと同じ名前である。
アリシアはラファイエット家から外国の貴族に嫁いだ女性の曾孫で、一年前に両親を亡くしたことをきっかけにラファイエット家に養女に引き取られた、と言うことになった。国境を越えてラファイエット家の領地に向かう途中、休暇旅行でたまたま通りかかったウィリアルドに見初められた。ラファイエット家に引き取られてからも密かに交際を続け、今回結婚の運びとなった、ということにするらしい。
ラファイエット家はそもそもアデラの親族なので、彼女にそっくりなアリシアが現れても疑問に思われない。アリシアとなったアデラは顔は変えず、髪の色だけ赤く染めた。
ラファイエット家は自分たちの娘をウィリアルドやオットーに売り込みたかったようだが、ダニエルの虐待に勘付きながら放置していたのではとローデン家に責められると一転アリシアを養女とすることを認めた。みすみすローデン家との縁を駄目にする愚は避けたようだ。
準備が整うなりウィリアルドはアデラを改めて家族と職場に紹介した。「クマのぬいぐるみになる魔法をかけられていたアデックマが、人間に戻ることができました」と言って。
家族はまた呆れた視線を投げかけただけだったが、騎士団の面々は目が死んでいた。気の毒なことである。
ちなみにアデックマの中には入れ替わりにマリアが入った。
「クマー、クマかぁ。でもこのマリアちゃんにかかればぬいぐるみのクマと言えどもアイドルに仕立てて見せるわ。そのうちアデックマキーホルダーとか売り出すからちゃんと買いなさいよ」
マリアの魂が体から出ると同時にアデラは魔法が使えなくなる。だがもう魔法は必要ない。アデラは復讐にしかマリアの魔法を使うつもりがなかったので、むしろちょうどよかった。ただ少し寂しかった。
「魔法はともかく、マリアと離れ離れになるなんて心細いわ」
「え?本当?私ってば女も魅了できるのね」
「ねえマリア、本当にその姿のままでいるの?私の体を使いたいときが有ったらいつでも言ってね。マリアにならいつでも貸すわ」
「もう!自分の体を安売りしちゃだめよ。っていうか、私が体目当てのヒモみたいじゃないっ。やめてよね」
表情は変わらないのに、マリアは話しながら大きな動作をするのでアデラが中にいる時よりもアデックマの感情が豊かだ。
アデラはこの時、アデックマになったマリアがずっとそばにいてくれるのだと勝手に思い込んでしまっていた。
……そんな都合のいいことが、あるはずなかったのに。
婚約後、アリシアとなったアデラはローデン家の伝手で夜会や食事会、オペラ鑑賞などをこなす怒涛の日々がやってきた。
アデラは王太子の婚約者だったにもかかわらずほとんど社交に出なかったので、アリシアとアデラの顔が同じことに気づく者はほとんどいなかった。気づいても髪の色が違うので、親戚だから似ているんだろう、と納得してもらえ、ラファイエット家の養女アリシアという肩書はすぐに馴染んだ。
やがて王族の仲間入りとなる将来有望なウィリアルドの婚約者となったことで妬みは買っているだろうが、直前の騎士団での騒ぎのおかげで表立って婚約を抗議したり、アデラに嫌がらせをしようとしたりする猛者は現れなかった。
そんな忙しい日々が一ヶ月ほど続いただろうか。
とうとうその日がやってきた。
「―――第一王子ブライアンを、廃太子とする」
国王ルークが、唯一の息子のブライアンを切り捨てた。
彼は次期国王としての能力が著しく欠けているとされ、いずれ臣籍降下することが決定となった。さらに現国王は次期国王に異母兄のゴロード・ローデン大公を指名し、自身は病身を理由に一年以内に退位すると宣言した。
ローデン大公家はにわかに慌ただしくなった。ダニエル・クラークの査問会の時から予想できたとはいえ、突然王位が転がり込んできたのだ。
大公が国王になればオットーとオーロラは王太子とその婚約者、ウィリアルドは第二王子となる。アリシア(アデラ)もいずれ王子妃になるだろう。
そんなある日のこと、アデラとウィリアルドはゴロードに呼び出された。居間に向かえば、同じく呼び出されたオットーとオーロラの姿がある。そして先にソファに腰掛けていたゴロードはがっくりと肩を落としていた。
「父上、いかがされたのですか?王家がなにか言ってきましたか?」
「そうではないのだ」
「では一体……そういえば、ヴィオーラ様はどこに?」
「ヴィオーラは……出ていった」
「は?」
「いずれ国王となる私に、自分という妻は邪魔になるだろうと離婚届を置いて出ていってしまったのだ……」
アデラはすぐにヴィオーラ……ヴァイオレットの部屋に急いだ。
(まさか……まさか……)
ヴィオーラの部屋のドアは半開きだったので、アデラは勢いよくそれを開けて中に飛び込んだ。中に人気はなく、がらんとしている。
「ヴァイオレット!マリア!!」
マリアの魂が入っているはずのアデックマもいない。二人とも消えてしまった。
「そんな……」
「アデ、……アリシア!」
「ウィリアルド様……」
ウィリアルドが駆けつけ、空っぽの部屋に息を呑んでいる。彼も知らなかったようだ。
「どうして……わたし、私、あの二人に何も返していないわ」
「……」
「お礼も満足に言っていない。なのにどこに行ってしまったの?」
この一年間、二人はアデラの心の支えだった。
実の家族に虐げられていたアデラにとって、彼女たちこそが本当の絆で結ばれた家族だった。なのに。
「置いていかれてしまったんだわ」
アデラを助けるだけ助けて去ってしまった。
「違うよ、俺を信頼して君を託してくれたんだ」
ウィリアルドはぽろぽろと涙をこぼすアデラを抱き寄せる。
彼女たちはアデラが自分の命や人生を復讐の代償に変えようとしていることに気づいていたのだろう。だからアデラに惚れ込んでいたウィリアルドとの仲を取り持ち、自分たちには何も必要ないとばかりに姿を消したのだ。
アデラは生まれてからずっと苦しんできた。復讐はその苦しみを昇華しただけで、他にはなんの代償もいらないのだから、と。
「酷いわ、酷いわ……。私たち、家族よ。家族だったでしょう」
アデラは理解していた。
ヴァイオレットは守銭奴魔女、マリアはかつての王族を誑かした邪悪な偽聖女と呼ばれていた。アデラもそれを理由に恩を主張して、二人を繋ぎとめられると思っていた。
だがそうではない。彼女たちは確かにちょっとがめつくてちょっと悪ノリが過ぎるところがあるが、情に厚く、他人の痛みが分かる人たちだ。そんな彼女たちが不遇だったアデラに、これから幸せになろうとしているアデラに何かを望むはずがなかった。
「二人とも……愛してる。愛してるわ」
アデラはこれから幸せにならなければならない。それが二人の魔女の願いだから。
……でもなれるだろうか?
アデラの心には、大きな穴がぽっかりと空いてしまったのに。
第三章は終わりです。
アデラの復讐は終わりましたが、完結まであと一章あります。
もうしばらくお付き合いください。




