23 ダニエルに相応しい場所 (2)
「―――着いたぞ、出ろ」
数日馬車に揺られ続け、日にちの感覚もなくなった頃、ダニエルは突然馬車から降ろされた。
そして眼の前に広がる光景に愕然とする。
「こ、これは……どこだ、ここは」
そこには砂漠が広がっていた。
確かあの新男爵は、ダニエルをクラーク家の領地に送ると言っていた。だがクラーク家の領地には砂漠のある場所などない。砂漠のある領地は、確か……。
「そう、ここはラファイエット子爵家の領地だ」
「ば、馬鹿な」
声をかけてきた御者に、ダニエルは唖然とする。ラファイエット家は亡妻ライラの実家だ。
「ラファイエット家の今の当主がお前を引き受けてくれたんだよ。これまで虐待に気づけず手を差し伸べられなかったお詫びだとね。……ふふふ、笑っちゃうわよね。ライラが死んだ途端、クラーク家に背を向けて無関心を貫いていたくせに」
「あ、アデラ……か」
会話の途中で御者の顔がぐにゃりと変化し、アデラの顔に変わった。ダニエルは息を呑むが、もう驚かなかった。
「今更ローデン大公にすり寄ってきたから、どうせだから利用させてもらうことにしたの。……ずっとあんたに相応しい罰を考えていたわ。苦しんで苦しんで苦しんで……絶望してほしかったの」
アデラの水色の瞳がふとダニエルの斜め後ろを向く。つられてダニエルが顔を向けると、五十代くらいの髭面の男が立っていた。明らかに砂漠の民といった衣装をまとっている。後ろには髭面よりは若く、体格のいい男が二人控えている。その温度のない黒い目に、ダニエルは寒気を覚えた。
「この男ですカ?」
「そうよ。頼んだ通りにお願いね」
「かしこまりマシた」
するとダニエルは体格のいい男たちに両手を押さえ込まれ、あっという間に首輪をつけられた。鎖が付いている悪趣味なものだ。唖然としていると、髭面が鎖を強く引く。
「ついてコい!」
「っ、やめろっ!私を誰だと……、ぎゃあっ」
ダニエルは突然頬を殴られて唖然とする。髭面はダニエルを馬鹿にしたように見ると、部下の男の一人を指で示した。なんと手には鞭が握られている。
「言うことを聞くンダ!次はコイツが鞭でウツぞ!」
「ひいぃっ」
ダニエルはそのまま砂漠の奥へと歩かされた。
目を凝らせば先にはキャラバンがあり、ダニエルのように首輪をした男が何人かいた。皆一様にやせ細った体にボロを纏い、くたびれた顔をしている。ダニエルは自分が砂漠の商人の奴隷にさせられたことをようやく理解した。
噂には聞いたことがある。
砂漠の商人は、ジキリス王国と、ケンブリッジ王国を含めたいくつかの国境にまたがる砂漠を生業としている。ジキリス王国は希少で質のいい金属が産出され、独特の果物やスパイスもある魅力的な国だ。だが半面、閉鎖的であまり他国を受け入れようとしない。攻めようにも砂漠に囲まれた土地を占領するのは難しく、金と労力ばかりかかる。なので周辺国は砂漠の商人を使ってジキリス王国と細い貿易を繋げるに留めているのである。
砂漠の旅は過酷で、死を伴うことも少なくない。ゆえに砂漠の商人の地位はどの国でも高く、貴族相手でも軽んじられることは少ないのだ。そんな彼らは奴隷を使用することを許されていた。奴隷たちはラクダに乗って移動する商人たちの後ろを荷物を抱えて徒歩でついていくのが主な仕事だ。過酷どころではない、屈強な男でももって五年だと言われている。主によっては食事も満足に与えられず、酷いときは水分はラクダの尿を飲まされることがあるらしい。
貴族として生まれて育ったダニエルがそんなところに放り込まれたら、三日と持たないだろう。
「アデラ!!」
ダニエルが振り返れば、アデラはすでに馬車を発車させるところだった。
「アデラ!アデラ!待ってくれ!私が悪かったっ。謝るからっ。だから私を連れて帰ってくれ」
馬車は無情にも遠ざかる。アデラはこちらを振り返ることもなかった。
「今度こそ愛してやる!だから頼むっっ。奴隷なんて嫌だ。アデラーーーーー!!」
元父を砂漠の商人に引き渡したアデラは、鼻歌を歌いながら馬車を駆った。
ダニエルはこれから数年間、砂漠の奴隷として酷使される。あの商人には相応の金を払い、簡単には死なせないように頼んでおいた。砂漠の奴隷としては使い物にならなくなったところで加虐趣味の貴族の夫人のペットとして売られる予定だ。
《ご機嫌ね、アデラ》
「ええ、すごくいい気分よ。『復讐しても虚しいだけ』っていうのはやっぱり嘘ね」
マリアが書いた「王妃アリシアの誓い」を発行する際、アデラは参考として他の恋愛小説を読み、自分を虐げた相手にやり返す話をいくつか見た。だがどれも復讐というには程遠い甘い仕打ちばかり。主人公とは相手につらい目にあわされても過度な復讐をしてはならない、正しくあらねばならぬ、と言い聞かされているようだった。
アデラは正義の味方ではない。たとえ世界中の人間に後ろ指を指されるような事になっても、自分を痛めつけた連中に同じかそれ以上の復讐をしてやると心に決めていた。
そして今日、それらが全て終わった。
連中を、特にずっと憎んでいた家族を完膚なきまでに踏みつぶした。
心のままに復讐を成し遂げた今のアデラの心にあるのは後悔でも空虚感でもなく……心地よい達成感だった。やっと生まれてからずっと苦しめられてきた幼い自分が報われた気がした。これで良かった。復讐は正解だった。
だからこそアデラは思うのだ。自分に苦痛を与えた連中にはやり返した。反対に支えてくれた仲間には、恩を返さなくてはならない。
「ねえ、マリア。私の体をあなたが使ってくれない?ヴァイオレットは私が説得するわ」
マリアには自分の体を報酬として譲る。彼女がこの体をどう使うかはわからないが、たとえ悪事に使っても後悔はない。彼女にはそれだけの恩ができた。
《……》
しかしマリアはすぐには返事をしなかった。
予想はしていたことだ。マリアは我が儘で身勝手なところがあるが、仲間とみなした相手にはとことん甘い。アデラに同情しているから、その体を受け取るのを躊躇するのではないかと思っていた。
《アデラ、私があなたの体を手に入れたら、あなたの魂はどうなるの?》
「ヴァイオレットに託すわ。魔力の供給源にするなりなんなり彼女の自由にしてもらうつもりよ」
《それがあなたが考えた私とヴァイオレットへの恩返しってわけね》
「……そうよ。駄目なの?」
《ねえアデラ、あなた忘れてるわよ。もう一人の協力者を》
「それは」
《ウィリアルドには何を返すの?》
「ウィリアルドには……王位を」
ブライアンにさほど恨みはないと言ったが、彼をこのままにするつもりもなかった。ダニエルたちのように完膚なきまでにとはいかないまでも、大事なものは奪ってやるつもりだった。
ブライアンの大事なもの……次期国王の座。それをウィリアルドの実家のローデン家のものにする。
査問会でのカザリン王妃の暴露でブライアンの廃太子はほとんど決まったようなものだが、本来ならばもう一仕事してブライアンを国王夫婦ごと玉座から引きずり下ろすつもりだった。だからこそブライアンを切って捨てた王妃には驚いたが、手間が省けたのはいいことだ。
だがマリアはそれでは納得しない。
《ウィリアルドが王位を欲しいと言ったの?》
「……言っていないわ。でも彼に相応しい地位よ」
《それはあなたの思い込み。そして押し付け。ウィリアルドに恩を返したことにはならないわね。ウィリアルドはあなたの復讐の手助けの一番の功労者と言ってもいいくらいよ。不公平だわ》
「そんなことを言われても。じゃあどうすればいいと言うの?」
《本人に直接聞きなさいよ。ライダー女男爵の執務室で待っているそうよ》
「い、いつの間に……」
アデラのあずかり知らぬところで、二人は勝手に約束を交わしていたらしい。
《ウィリアルドに会いに行きなさい、アデラ。あなたの復讐はまだ終わっていない。あなたの復讐をサポートしてきた私とヴァイオレット、そしてウィリアルドに相応の対価を払って初めてあなたの復讐は完成するんだから》




