22 ダニエルに相応しい場所 (1)
ダニエルはふと気づくと見知らぬ場所にいた。
「ここは……どこだ?」
ここ数日の記憶はあいまいだったが、屋敷の自分の部屋の中にいたはずだ。
だが今いる場所は、屋敷の中とは到底思えない場所だった。なにせ目の前に鉄格子がある……閉じ込められているのだ。
「何だ?なぜ私はこんなところにいるんだ!?」
必死に記憶を探る。執務室でうたた寝をしていて……またライラの幻影を見たのだ。一緒に追放したはずのジェマもいて、ダニエルを責め立てた。それを振り払って、それから、それから……。
(そうだ、次はイーサンが現れたんだ)
イーサンもダニエルを責めにやってきたのだ。だから適当に手で掴んだもので応戦したような気がする。イーサンは頭から血を出して逃げていった。
(待てよ、血……?)
幻影が血を流すだろうか。まさかあれは本物だったのでは?
ぞくっとした。
「イーサン!どこにいるんだ!?誰かイーサンを、息子を呼んでくれ!私をここから出してくれ!!」
ダニエルはとある可能性に思い至った。もしかして、自分は夢と現実との区別が付かず、イーサンを傷つけてしまったのではないだろうか。イーサンが身の危険を感じて騎士団に駆け込み、拘束されてしまったのかもしれない。とにかくイーサンに会って確かめなくてはならない。推理通りならば、息子に謝罪して訴えを取り下げてもらう必要がある。
しかしダニエルの前に現れたのはまたしても愛しい妻の幻影だった。
「ライラ……どうしてなんだ。どうして私を苦しめるんだ」
白いドレスの妻に、ダニエルは途方にくれた顔をする。
「何度も言うが、私は君のためにアデラに罰を与えていただけなんだ。君を殺したアデラは悪だ。罪人だ。笑うことも楽しむことも許されない。あれは当然の報いだったんだ」
「……出産で母親が死んだら、子供は罪人になる。それがあなたの持論で間違いないのね」
「だってそうだろう!アデラがちゃんと生まれてくれば良かったんだ」
「出産は体に負担がかかるわ。私はもう三人目は必要ない、避妊してほしいとお願いしたわよね」
「君を愛していたんだ!」
「私の体より自分の欲望を優先したってことね」
「違う、違うんだよ!生まれてきたアデラが悪いんだ」
「……あくまでその意見を貫くのね。査問で嘘をついたわけじゃなくて良かったわ」
「は?」
突然「査問」という単語が出てきてダニエルは首を傾げた。幻影だと思っていたライラの輪郭が、急に現実に浮き出てきたかのような錯覚を覚える。
「ら、ライラ。君は何を言って……」
「ライラ、ライラ、ライラ、ライラ……って、気持ち悪ぃんだよ!!!」
白いドレスから出てきたハイヒールが、牢の鉄格子をがんっ、と叩いた。
ダニエルは情けない悲鳴を上げながら尻餅をつく。
「ら、ライ……え……」
顔を上げたダニエルは固まった。ライラだったはずの幻影の姿が変わっていたのだ。亜麻色の髪こそそのままだったが、瞳の色は灰色から水色に変わっていた。
「アデラ、なのか?」
「気安く名前を呼ばないでくれる?」
「ど、どうして!?一体何がどうなっているんだ」
「クラーク侯爵家は男爵に格下げされ、当主もあんたじゃなくなったわ」
表向きは当主が病を得たことになっているが、査問に出席した貴族たちはもちろん本当の理由を理解している。クラーク家はもはや醜聞まみれだったが、ずっと眠っていたダニエルはそんなことを知る由もない。
「はあ?一体何を言っているんだ」
「あなたが薬で気絶している間に私があなたに化けて査問会に出てあげたの。あなたのご立派な考えを丁寧に王族貴族の皆様に披露してあげたわ。それから騎士団の聴取でも、お得意の持論と使用人への不当な解雇を認めてあげたの。聴取があっさり終わったから明日には解放されるでしょう。お礼はいらないわよ」
「私の、考えだと?」
「今まさにライラお母様に向かって言ったことよ。出産で母親が死んだら悪いのは生まれてきた子供だ、だから虐待しても許されるってね」
「そ、そんなことをしたら……っ」
「あら、そんなことをしたら、何?」
「……」
「ふん、本当は分かっていたんでしょう」
ダニエルは息を呑む。
「―――自分のその理論が、世間一般には受け入れられない独りよがりの八つ当たりだって」
ダニエルを睨むアデラは憤怒の形相だった。
「あんたのせいで母が死んだ!その事実が受け入れられなくて私のせいにした。まだ生まれたばかりの私に!!」
「仕方なかった。……ライラの死を受け入れられなかったんだ」
「いいえ、違うわ。あんたは逃げただけよ。息子と娘にこう言われるのが怖かったんでしょう?『お父様の人殺し』って」
「っ」
「だから言い訳もできない赤ん坊のせいにして、まだ幼かったイーサンとジェマを洗脳したのよ」
「イーサン、ジェマ……お前がなにかしたのか?」
「あの二人だけじゃないわ。レックス・ラムゼイ、ブライアン王太子とヘザー、その周辺の連中、全員私が陥れてやったわ。うふふふふ……あいつらの顔が絶望にゆがむ様子は気持ちよかったわよ。あなたが私を虐げる気持ちが分かった気がするわ。蛆虫を嬲るのは気持ちいいわよねぇ」
「……お前が」
本当にこれがアデラなのだろうか。
いつも床に頭をこすりつけて謝り、ダニエルのご機嫌を窺い、少しでも気に入られようと媚びていたアデラ。
それが今やダニエルを見下し、陥れた者たちを思い出して高笑いをしている。
「あなたが私をそうさせたのよ、ダニエル・クラーク。あなた達が私を歪めて復讐者にした。一年前のあの日、私は一度死んだの。そして生まれた変わったときには良心をなくしていた」
「良心だと?」
「あの日まで、私はあなた達を愛していた。虐げられても痛めつけられても血の繋がりがあるのだからいつかわかり会えると信じていたわ。……でもそんなのはまやかしだとやっとあの時気づいたのよ。わかるでしょう、実の娘を絶望させるために破落戸をよこしたクラーク侯爵!今の私だけじゃない、あんたにだって一欠片の良心はないんだもの。そのくせ妻のことは愛しているなんてほざくんだから笑っちゃうわ、人格破綻者のくせに」
「ち、ちがう!私はライラのことを愛している」
「いいえ。愛していないわ。幻想よ」
(違う!)
ダニエルはかっとなる。
彼にとってライラへの愛だけは決して否定されたくなかった。
この十八年間、彼女への愛だけを頼りに生きてきたのだ。
「アデラ!アデラ!この悪魔!」
「ええ。そうよ。あなたに殺されて悪魔に生まれ変わった。存分に吠えなさい」
悪魔呼ばわりされても、アデラは眉一つ動かさなかった。どんな罵倒も彼女を傷つけることはできない、ダニエルはようやくそのことを理解して喉の奥で呻く。
「こんなこと、……こんなこと許されないぞ!私をここから出せ!」
「馬鹿ね。罪人を解放するはずないでしょう」
「私は罪人じゃない!」
「いいえ、罪人よ。次女を赤ん坊の時から虐待し、最後には殺した鬼畜。今のあんたには貴族籍すらないわ。国王様に見捨てられたのよ」
「う、嘘だっ」
アデラはにたりと笑う。
「存分に思い知るがいいわ、ダニエル・クラーク。また後で会いましょう」
それから数日で、ダニエルはアデラが言っていたことが真実だと思い知った。ダニエルがいたのは騎士団が所有する貴族用の牢で、査問会からすでに五日が経っていた。
ダニエルは査問会に出たのは自分ではない、アデラに嵌められたのだと訴えたが、事ここに至ってまだ虐待していた娘のせいにするのかと牢番に軽蔑の眼差しを向けられただけだった。
そして査問会から七日後、ダニエルは後ろ手に縄で拘束された状態で貴族牢から引きずり出された。怯えるダニエルに、副団長のウィリアルド・ローデンが無情に告げる。
「ダニエル・クラーク。あなたはもはや貴族籍にはない。クラーク侯爵家は男爵に格下げされ、別の親族が継ぐことになった。今からあなたの身柄をクラーク男爵へと引き渡す」
「お願いです、ローデン公子!私の話を聞いてください」
「あなたの話ならもう何度も聞いた。全てはアデラが悪い、アデラは悪魔だ、アデラを捕まえろ、だろう?」
「……それはっ」
「あなたには少しの反省も感じられない。都合の悪いことは全て自分より弱い者、抵抗できない者に押し付け責任から逃げているだけだ。だがあなたはもはや平民になった。もう自分がしたことを他人に押し付ける力を持っていない」
「違う、違うんだ……」
ウィリアルドは取り付く島もない。
ダニエルは騎士に連行され、徒歩でタウンハウスに向かうことになった。
「ほら、あれが娘を虐待していたっていう元侯爵よ」
「可哀そうに、虐待されていた娘は殺されて埋められたって話だ」
「実の親がそんなことを?貴族はどうなってるんだ」
「虐待されなかった方の娘は甘やかされて、使用人や他の令嬢に暴力をふるっていたんですって」
「息子も行方不明らしいぞ。やはりあの父親に殺されたんじゃないか?」
タウンハウスに向かう間も、野次馬たちの不躾な視線と嘲りの言葉を浴びせられるという屈辱を味わうことになった。
(どうしてこんなことに……)
ダニエルは生まれてこの方こんな屈辱を受けたことはない。侯爵家の跡取りとして生まれ、多くの使用人に傅かれて生きてきた。貴族たちにも一目置かれ、労せずして美しい妻を娶ることができた。全てが上手くいっていたのに。
やがて騎士たちはダニエルを、もはや彼のものではなくなったクラーク家のタウンハウスへと送り届けた。そこにはとうてい貴族とは思えない風体の新クラーク男爵が待っていた。彼はダニエルを迷惑そうに見ると、粗暴そうな男たちに命じて使用人部屋に押し込む。あまりのことに、ダニエルは不平を言うことすら忘れてしまった。
「まったく、とんでもないことをしてくれた。あんたのせいでなりたくもない男爵になっちまったじゃないか」
ダニエルは男爵をぼんやりと見上げる。
「家の仕事は全て息子に引き継いでいるから、貴族になったのは俺だけだ。俺が死んだらクラーク家は取り潰しになるだろう。……こんな醜聞まみれの家、存続していく理由もない」
新男爵はクラーク家の領地で細々と商売をしていた男らしい。曽祖父が数代前のクラーク侯爵の息子の一人で準男爵だったが、祖父からはずっと平民として生きていたという。今回の話は寝耳に水で、貴族に戻れると言われても全くうれしくなかっただろう。長年連れ添った妻とは離縁し、上手くいっていた商売は早々に息子に譲る羽目になった。そんな彼がダニエルを丁寧に扱うわけがない。
翌日、大して睡眠もとれなかったダニエルはクラーク家のタウンハウスから引きずり出された。そのまま粗末な馬車に押し込まれる。
「この屋敷は売りに出す。あんたは領地に住む場所を用意したからそこに住んでくれ。もちろん使用人なんていないからな」
馬車に揺られながら、ダニエルは頭を抱えた。
「どうして……どうしてこんなことに」
アデラがあそこまで自分を憎んでいるとは思わなかった。
いつもアデラに腹を立てているのはダニエルであって、アデラはただ打たれて這いつくばっている存在だった。人形のようだった彼女があそこまでの激情を抱えているなんて。
アデラはライラに変身してみせた。経緯や方法はわからないが、何らかの方法で彼女は他人に成りすますことができるのだろう。そして自分を蔑ろにしてきた者たちを陥れて行った。
そしてダニエルも同じく嵌められた。アデラはダニエルになって査問会で証言したと言った。ダニエルが何らかの方法で眠らされている間に、彼女はダニエル・クラークという人間の本音を王侯貴族に披露し、クラーク家を破滅させたのだ。
(アデラに優しくしてやれば良かったのか?……いいや、アデラを生まれてすぐに殺すべきだったのかもしれない)
そうすればイーサンとジェマと、空虚ながらも平穏に暮らせたのだろうか。
事ここに至ってなお、ダニエルは自分が悪いとは露ほども思っていなかった。
査問に出ていたのはダニエルに化けたアデラでした。
ダニエルは簀巻きにされて侯爵家の隅に転がされていました。




