21 王妃の謝罪
「―――これ以上の審議は無駄のようですわね」
ホール全体に、静かな、しかし威圧感がある声が緞帳のように降りてきた。
全員が口を閉じるも、声の主の方に顔を向けることはしない。うかつに視線を向けられない相手だったためだ。
「ウィリアルド・ローデン公子。査問委員長の御役目ご苦労でした。立派でしたよ」
「お、恐れ入ります。……王妃陛下」
声の主は王妃カザリンだった。
茶色の髪に濃いグレーの瞳をした色白の美女。他国から嫁いだ公爵令嬢で、十八歳の時に立太子した現国王に嫁いできた。すぐに王子ブライアンを産んで地位を確立したものの、ここ数年は病を患っており、公の場に姿を現したのは久しぶりのことだった。
王妃は立ち上がり、こつこつと足音を響かせながらダニエルが立っている席へと向かっていく。護衛の騎士は何も聞かされていなかったのか、ばたばたと慌てて後ろに続いた。
王妃は査問員の席がある場所まで降り、そのままダニエルを見据える。
「ダニエル・クラーク……あなたは信じていたのですね。自分の行為の正当性を」
「……」
「アデラ嬢のお産の際にライラ夫人が亡くなったと言えば、同調してアデラ嬢を糾弾し、自分を擁護してくれる人間がきっといると思ったのですね」
ダニエルを糾弾していた者たちから徐々に顔を上げ、そしてダニエルを再び睨みつける。ダニエルはその空気を感じているのか俯いたまま顔を上げない。
「あなたがそれほど独りよがりな世界に生きているとは思いませんでした。しかも邪悪で身勝手。最初の証言者だったご婦人が言っていましたが、あなたは侯爵の地位に相応しくはありません」
ダニエルの命運が決定した。最終的な判断を下すのは国王だが、王妃がここまではっきり言った以上、彼がクラーク侯爵のままでいる未来はないだろう。
場内にほっとした空気が流れる。
皆がダニエルを糾弾していたが、ここにいる貴族たちは侯爵より身分が低い者がほとんどだ。王家がここでクラーク侯爵に罪ありと言ってくれなければ、彼らはダニエルの報復に怯えなくてはならなかっただろう。
これで査問は終わりかという空気が流れかけた時、再び王妃が口を開いた。
「アデラ嬢のことで、私から告白することがあります」
石のように動かなかったダニエルが、ぴくりと反応した。
「ご存じの通り、アデラ・クラーク侯爵令嬢は我が息子ブライアンの婚約者でした。アデラ嬢と初めて会った時のことを私はよく覚えています。十歳になったばかりだった彼女は緊張して顔はこわばっていましたが、王族相手に見事に挨拶をし、とても堂々としていました」
ダニエルがとうとう顔を上げ、王妃をまじまじと見つめる。
「そして彼女はとても賢かった。私が確認したのは語学だけでしたが、習い始めたばかりだというのに三か国語を理解し、ある程度は話せていました。彼女がブライアンと結婚してやがて王妃となれば、この国は堅剛であると安心したものです……ですが」
王妃はちらりと窓の外に目をやり、深いため息をついた。そこは王族が住む本館がある方角だ。
「我が息子はそうは思わなかったようです。あれは愚かにも、優秀なアデラ嬢に嫉妬したのです。そして彼女の優秀さを利用する形で虐げ始めた」
「お、王妃様。それ以上は……」
王妃に声をかけたのは重臣の一人だった。こんな場で王妃が王太子の罪を公開しようとしているとは思わず焦っている。
だが王妃は彼に対して首を振っただけだった。
「皆はもう気が付いているのでしょう。私が調べて分かったことは書面にして公開します」
「王妃様!おやめください、王太子殿下のお立場が!!」
「……諦めなさい。ダニエル・クラークが侯爵に相応しくないように、ブライアンも王太子の地位は分不相応だったのです」
全員が腹に鉛を飲み込んだような感覚を味わった。
この国の未来が今、変わろうとしている。ブライアンがいずれ国王の地位を継ぎ、自分たちはそれを支え付き従うはずだった。彼が生まれた二十余年前から当然だと思われていた未来が、全く別のものになる。
(王妃様……どういうつもりなの?ブライアンを庇うために査問の場を設けたと思っていたのに)
ある人物に姿を変えて会場にいたアデラは戸惑う。王家は地に落ちたブライアンの評価を少しでも回復させるため、アデラの不遇は全てダニエル・クラークのせいにするのだと思っていた。
だがまさか、王家が……ブライアンの両親が全てを詳らかにすると言うのだろうか。本当に、アデラへの贖罪のために?
「知っての通り、ブライアンは一年前にアデラ嬢に無実の罪を着せて婚約を破棄しました。それまでにも学園で流れるアデラ嬢の事実無根の噂を放置し、彼女が生徒や教師たちに軽んじられる状況を改善しようとしなかった。そのうえ生家でも学園でも虐げられていたアデラ嬢に王宮で自分の仕事を肩代わりさせていました。ブライアンもまた、ダニエル・クラーク同様アデラ嬢を虐げていた人間の一人です」
アデラはふと国王を見た。王妃の突然の告白は彼も知っているのだろうか。
高い席にいる国王の表情はよく見えないが、焦っているようにも見えなかった。国王夫妻が示し合わせたうえでの、突然の王太子の断罪なのだろうか。
「それだけではありません。ブライアンはアデラ嬢を婚約破棄しておきながら、折を見て自分の側妃とし、自分が即位した後も仕事をさせるためだけの道具として使い潰そうとしていました。本人から直接聞きましたから間違いありません」
それまで王妃の言葉に聞き入っていた聴衆が、一気にざわめき出した。
ほとんどが「酷い」「あんまりだ」「令嬢を馬鹿にしている」と王太子を非難するものだ。王太子がヘザーに入れ込んでアデラを婚約破棄したことを彼らは薄々感づいていただろうが、側妃にして都合のいいように使おうとしていたことはさらにブライアンの印象を下げただろう。
「すべては私の教育が間違っていたからです。アデラ嬢には大変に申し訳ないことをしました」
「王妃様」
「私はアデラ嬢が十歳から十二歳まで王妃教育を施していましたが、家族と上手くいっていないことには何となく気づいていました。しかし一家族に深入りするのが憚られ、二の足を踏んでいるうちに自分が病にかかってしまい……」
病がちだった王妃はここ数年胸の病気が一気に悪くなったらしい。随分前から公務も国王と王太子が代行し、さらに王太子がそれをアデラに卸していたというわけだ。
「ブライアンにはアデラ嬢を見守るようによくよく言い聞かせたのですが……いえ、もうやめましょう。結果が全てです」
カザリン王妃は背筋を伸ばした。
視線の先には国王がいる。
「―――ローデン公子。査問会を閉会せよ」
国王の静かで低い声が響いた。
ウィリアルドは軽く頭を下げると椅子から立ち上がる。
「査問会を閉会する。正式な沙汰は国王陛下から後ほど下されるだろう。それまでダニエル・クラークの身柄は騎士団が保護する」
ダニエルは騒いだり暴れたりはしなかったものの、むくれた顔で立ち尽くしていた。
実の息子の罪を詳らかにし、「申し訳ない」と正式ではないものの謝罪の意を示したカザリン王妃とは対照的な姿だ。査問を傍聴していた者たちは当然ダニエルに対して悪い印象を抱く。
ダニエル・クラークが実の娘を見当違いな言い分ゆえに虐待し、しかもそれを虐待とも思っていない人格破綻者であるという噂はその日のうちに王都中に広まった。そして次の日には平民も目にする新聞に大々的に記事が載るのは当たり前の流れであった。
査問会から一週間の間に行われた騎士団からの聴取で、ダニエル・クラークは次女への虐待と元使用人への不当解雇を全て認めた。
聴取が全て終わった同日、王命が下される。
ダニエル・クラークは病のため当主の座を退き引退。クラーク家は男爵になったうえで遠い親族に引き継がれることになった。
ダニエルはもちろん、行方不明のままの嫡男イーサンも貴族籍を抜かれ、ダニエルがアデラを犠牲にしてまで守ろうとした家族はあっけなく崩壊する。
そしてダニエルは新しい当主に身柄を引き渡され、領地に送られることになった。
ダニエル、イーサン、ジェマの名前はこの日よりケンブリッジ王国の歴史から消え、二度と人々の話題に上ることはなかった。




