19 査問 (1)
「……なんですって?」
その知らせにアデラは思わず息を止めた。
クラーク家のタウンハウスで幽霊のふりをしてダニエルの精神をガリガリ削り、その憔悴ぶりをマリアと一緒に楽しんでいたアデラ。イーサンも排除して一週間が経とうとしていた頃、突然ウィリアルドに呼び出された。そして現在はヴィオーラ・ライダー女男爵を名乗っているヴァイオレットの部屋で三人(ともう一人)は顔を見合わせていた。
「王家から通達があった。ダニエル・クラークをアデラ・クラークに対する虐待で査問にかけるようだ」
「そんな……本当なの?」
王家とはいえ、いいや王家だからこそ、他家の事情に首を突っ込むことはないと思っていた。
「ジェマが修道院に送られイーサンが消息不明になってから一気に王都内でアデラに対する噂が広まったんだ。王太子も絡むことだから王家も無視できなくなったんだろうな」
そう言ってウィリアルドが取り出したのは王家からの通知書だ。
ダニエルに対する王家主導の査問を行うというものだった。査問日は一週間後になっている。王都に屋敷を持つ大公家から伯爵家までの家の代表の参加を呼びかけているという。強制ではないようだが、内容が内容だけにほとんどの貴族が駆けつけるだろう。
さらにウィリアルドはもう一つの封筒を取り出した。これもまた、王家の封蝋印が押されているものだった。
「通知書とは別に、私には査問委員長になり、査問を進行するよう命令が下されている」
「なんだか出来過ぎのような気がするわね」
眉根を寄せて言ったのは現在ヴィオーラ・ライダーを名乗っているヴァイオレットだ。
「査問員になるのを命じられただけ?質問の内容とか指示はなかったの?」
もしかしたら、ブライアンを守るために全てをダニエルに押し付ける気なのかもしれない。ならば王家が急にクラーク家の問題に首を突っ込んできた理由も説明がつく。
だがウィリアルドは「他には何もなかった」と首を振った。
「―――どう動く?」
「あくまで私の最終目的はダニエルよ。ブライアンはどうでもいいわ」
王家がブライアンを守ろうとするのならばそれでもいい。いずれ王太子の座から引きずり下ろし、ローデン家に王位を継いでもらいたいと思っているが、今は動くときではない。ダニエルの罪を公にできるのならば、それを何よりも優先したかった。
「でもダニエルは簡単に罪を認めないでしょうね」
「アデラについて、あることないこと喚くかもしれない。真に受ける者もいるだろう」
「それが狙いかもしれないわね。王家やイシドラの実家のエッシェンバッハ公爵家は、アデラが悪女のままの方が都合がいいでしょうから」
アデラが婚約破棄された時、アデラを悪女に仕立ててブライアンとヘザーの愛の成就を謳った者たちからすれば、アデラが虐げられた不遇なヒロインだったという事実はありがたくないだろう。
「事前に自白剤でも打っておけばいいのでは?」
「ウィリアルド……結構過激ね」
「自白剤なんて使ったら挙動不審になるし、すぐに薬の有無を調べられるわよ。証言に正当性がなくなるでしょうが」
ウィリアルドの乱暴な案にアデラは顔を引きつらせ、ヴァイオレットはすかさず突っ込みを入れる。薬を使っていることがばれたら余計アデラの悪女説に信ぴょう性が出てしまう。
「じゃあどうするんだ?」
「うーん」
「マリアはなんて言ってるんだい?」
「『催眠をかけて罪を認めさせればー?』と」
「ウィリアルドと思考が同じ……」
「失礼なっ」
「マリアが『失礼なっ』って言ってます」
「……」
「私に一つ案があるんだけれど、耳を貸してちょうだい」
しばらくして、そう言い出したのはヴァイオレットだった。三人の打ち合わせは日が暮れるまで及んだ。
そして査問の日がやってきた。
呼び出されたダニエル・クラーク侯爵は査問の場に立っていた。両脇には屈強な騎士が立っている。少し離れたところをぐるりと取り囲むように壁が覆っており、そこから階段状に席が並んでいた。ダニエルの正面には査問委員長を務めるウィリアルド・ローデン大公子息が座り、両脇に同じく査問員に選ばれた六人の貴族が座る。彼らの更に高い位置に王族のための席があり、国王と王妃が座っていた。王太子ブライアンの席はなく、会場にはいないようだった。
「―――これよりダニエル・クラークに対する査問を始める」
定刻になったため、ウィリアルドが声を上げた。ざわついていた会場が一瞬静まり返る。
「ダニエル・クラークには次女アデラ・クラークへの虐待と殺害、侯爵家のタウンハウスに勤めていた使用人十七名への虐待・不当解雇についての疑いがかけられている。今回はアデラへの長年に渡る虐待について査問する」
ダニエル・クラークは罪状を言い渡されても平然としていた。焦る様子もなく、正面にいるウィリアルドを真っ直ぐ見つめている。
「証人をこちらへ」
騎士に手を引かれて六十過ぎくらいの女が現れた。髪は真っ白だったが腰は曲がっておらず、貴族たちの前に立っても臆した様子がない。女が用意された椅子に座ると、ウィリアルドは先ほどの硬い声とは打って変わって穏やかな様子で語り掛けた。
「ご婦人、お名前は?」
「オルガ・ラスと申します。亡き父が騎士爵を賜っておりましたので、若い頃は貴族のお屋敷でメイドとして雇っていただいていました。夫はラス子爵家の前当主の三男で、ラス家のタウンハウスの執事をしておりました。現在は息子が引き継いでおり、息子夫婦の家に居候しています」
「ダニエル・クラークとの関係を教えてください」
「息子を生んでからしばらく仕事はしておりませんでしたが、手を離れたのを機にクラーク家のタウンハウスに侍女として雇っていただきました。それから十五年ほど奥様……ダニエル様の母上、その次は奥方のライラ様付きの侍女として務めました」
「使用人と雇用主の関係だったのですね。アデラ・クラーク嬢と会ったことは?」
「アデラお嬢様が生まれてから三年半、乳母としてお側におりました。……お可哀想なお嬢様」
淡々としていたオルガの顔に少しだけ影が差す。傍聴者たちは彼女の一挙一動を固唾をのんで見守っていた。
「アデラ嬢がどのような環境に置かれていたのか教えてください」
「ええ、ええ!もちろんですとも。皆様、どうか聞いてくださいませ。この男、この男は……!侯爵などという大層な身分にふさわしい男ではないのです!」
穏やかそうに見えたオルガが突然目尻を吊り上げた。彼女の表情が見える位置にいた傍聴者たちは息を呑む。何かが乗り移ったかと疑うほどの、激しい怒りの形相だったからだ。
「落ち着いてください、オルガ夫人。見たことだけを話してください」
「……失礼しました。先程も申しました通り、私は侍女として長年勤め、アデラお嬢様が生まれたときは四十八の年寄りでございました。ここにいる皆様は正統なる、真っ当なお貴族様ばかりでしょうからもうおかしいと思われたのでは?私は息子こそおりますがとっくに乳は出ませんでした。乳母の経験もありません。しかも五十近いというのに、クラーク侯爵様は赤子のお嬢様を一人で世話をせよ、と。……他の使用人を付けることは許されませんでした。……貴族の、それも侯爵家のお嬢様ですよ!?さらにアデラお嬢様は屋敷から離れた粗末な別邸に追いやられました。本邸に足を踏み入れることは、私がお仕えしている間は許されませんでした」
案の定、傍聴していた貴族たちはどよめいた。何か罪を犯したのならばともかく、生まれたばかりの赤子に過酷すぎる処遇だ。
「別邸で乳飲み子のアデラお嬢様をお世話するのは大変でございました。私は乳が出ませんでしたので、水で溶いた小麦粉や牛乳を飲ませるなど毎日必死でした……幸い何人かの使用人がお嬢様に同情しており、必要な物資をこっそり手配してくれましたので飢えることこそありませんでしたが、冬は薪を使うことを許されず、服も使用人の子供のお下がりでした。侯爵家の正統なるご令嬢として誕生したというのに、あまりに惨めな生活でした。王都の平民とて冬はストーブを使用し、お下がりではない綺麗な服を着ているでしょうに」
「当時クラーク家のタウンハウスに勤めていた多くの使用人が、今の証言は事実だと言っています」
ウィリアルドがすかさず補足する。すると貴族たちの非難の視線がダニエルに突き刺さった。幼い子供への仕打ちに涙している夫人もちらほらいる。
「そしてお嬢様が三歳になったある日のことです。私は突然解雇を言い渡され、クラーク家の屋敷から引きずり出されてしまいました。それ以来、アデラお嬢様と会ったことはございません。……お可哀想なアデラ様。でも平民同然の私にはなすすべもございませんでした。なにせ侯爵が相手です。遠くからお嬢様の幸せを祈ることしかできませんでした」
「ちなみに侯爵はなぜアデラに年老いたあなたしか使用人をつけず、別邸に追いやったのでしょうか」
「それは、アデラお嬢様のお産の際に奥方のライラ様が命を落とされたからです。クラーク侯爵はアデラ様を見るたびに言っていました。「こいつがライラを殺したんだ、この人殺しめ!」と。赤ん坊だったアデラ様がライラ様を死なせたと信じていたんです。そんなわけがない!」
オルガは声を荒げたが、ウィリアルドはそれを咎めなかった。
「私にはライラ様のお気持ちがわかります。……いいえ、私だけでなく、ここにいる子を持つ母親ならばおわかりのはず!子を慈しむ心がある殿方ならば理解できるはず!ライラ様は、お母上はアデラお嬢様の幸せを願っていたのです!……ねえ、そうでしょう?ここにいる皆様は人の心を持つご立派な親でございましょう!?」
オルガが呼びかけると、幾人かの貴族が大きく頷いた。
「オルガ夫人の言う通りだ、アデラ嬢にはなんの罪もない」
「妻が命がけで生んだ子を虐げるなんて。理解できないわ」
「鬼畜の所業よ」
「ダニエル・クラークのような男に育てられたからこそ、ジェマ・クラークは道を誤ったのでは?」
「奴の侯爵の身分を剥奪しろ!」
その後も何人かの使用人が証人としてアデラが家族から受けた虐待を証言した。
「アデラ様は姉のジェマ様に鞭で暴力を振るわれ、食事も満足に与えられなかった」
「イーサン様は幼いアデラ様に『お前の存在は悪だ』『お前は悪魔の生まれ変わりだ』と洗脳していた」
「家族全員で、アデラお嬢様は我儘の癇癪持ちだと嘘の情報を広めていた」
「ブライアン王太子がアデラお嬢様を蔑ろにしても、それを嗤うだけで抗議の一つもしなかった」
「クラーク侯爵は何か気に入らないことがあると、アデラお嬢様が寝ていてもベッドから引きずり出し、『生まれて来たことを謝罪しろ!』『ライラを死なせたことを詫びろ!』と言って冷たい床の上で土下座させ、何時間もその恰好をさせていた」
次々と報告される非道な虐待に、気分が悪くなって退室する傍聴者も出てきた頃。
ようやく査問にかけられているダニエルが口を開く番がやってきた。




