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復讐令嬢アデラの帰還  作者: 小針 ゆき子
第二章 復讐本番
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閑話 ウィリアルド・ローデンは転生者である


 ウィリアルド・ローデンは王兄ゴロード・ローデン大公の次男であり、騎士団の副団長を務めている。


 そんな彼には、実は前の生の記憶があった。

 ある日、ウィリアルドは王宮内で突然昏倒した。そして意識不明に陥ってしまったのだ。意識を失っている間、彼の中に前世と前前世の記憶が流れ込んできたのである。


 ウィリアルドの前前世はなんと女性だったらしい。

 ニホンという文明が発達した異世界で、両親と弟と平凡に暮らす女子高生。彼女はゲームと小説、漫画が好きな内向的な性格だった。そしてある日、彼女は交通事故であっさりと死んでしまった……。だが記憶はそこで終わりではない。彼女はニホン人の記憶を持ったまま生まれ変わった。この世界の『悪役令嬢』に転生したのである。

 カーリー・オズボーン公爵令嬢。オズボーン公爵家の令嬢で、王太子の婚約者。奇しくもそこは、ウィリアルドが今生きているのと同じ「ムーアクロフト」という世界のケンブリッジ王国で、前世でプレイした「ラピスラズリの王冠」という恋愛シミュレーションゲームの世界でもあった。


「私、悪役令嬢に生まれ変わっちゃったんだわ。ヒロインが現れる前になんとかしないと、破滅しちゃう!」


 カーリーは記憶を取り戻したその日から勉強に励み、使用人たちにも優しく接し、「品行方正な公爵令嬢」になった。もちろん断罪が起こってしまったときに少しでも味方を増やすためだ。そしてニホンでの知識を使って便利な道具や日用品を開発し、自分の商会を運営するほどになった……なぜなら大金が必要だったから。

 やがて稼いだ金を使ってカーリーがしたのは……魔女ヴァイオレットを探すことだった。

 ヴァイオレットは「ラピスラズリの王冠」の世界に出てくるチートなキャラクターだ。ゲームの中のヴァイオレットは強大な魔力と様々な魔法を使い分ける天才魔術師。そして彼女は金に汚い。ゲームの中でヒロインはヴァイオレットが欲しがっていた魔法アイテムを手に入れて仲間に引き入れ、便利な魔法を教えてもらったり助言をもらったりする。そしてとあるルートで悪魔を召喚して黒魔術を手に入れたカーリーを皆で協力して倒し、ヴァイオレットがその汚れた魂を浄化すると言って魂だけ持っていってしまうというラストがある。

 前世の知識でそのことを知っていたカーリーは、便利なお助けキャラのヴァイオレットを全力で懐柔することにしたのだ。彼女が欲しがっていた魔法アイテムを金の力で取り寄せ、それを使って彼女と接触を図ると法外な報酬を用意してヘッドハンティングした。するとヴァイオレットはあっさりカーリーに雇われることを了承した。ヒロインが現れるまでの数年間、何もしなくとも金が入る上パトロンのカーリーのもとで研究に没頭することができるという条件だったのだから当然である。こうして魔女ヴァイオレットはヒロインと接触することはなかった。


 やがて時が経ってゲームが始まり、ヒロインのマリアが現れた。

 マリアはゲームの通り、あっという間にカーリーの婚約者の王太子をはじめ他の攻略対象たちを攻略した。そしてカーリーが人を雇って監視させているというのに、せっせといじめの冤罪をでっちあげ始めた時はしめたと思った。マリアもゲームの知識があるようだが、何年も前から入念に準備をしてきたカーリーの敵ではない。案の定マリアは焦って夜会で断罪劇を起こした。もちろんカーリーは両親はもちろん、王子の親である国王にも根回し済みで臨んだ。そして彼らの冤罪を華麗に論破し、見事断罪を回避。そしてこの日のために雇っていたヴァイオレットに、マリアの肉体から魂を抜き出させた。これでもう何の憂いもない。カーリーは新たに第二王子と婚約を結び、幸福な未来へと踏み出した……。



 やがてカーリーの記憶は終わったが、ウィリアルドに流れ込んできた記憶はそこでは終わらなかった。

 同じ「ムーアクロフト」のケンブリッジ王国ではあるが、時代はウィリアルドが生まれた後の現在に移る。そこでウィリアルドはある少女の半生を俯瞰で見ていた。どうやらその少女に転生したわけではなさそうだ。

 少女の名前はアデラといい、侯爵家に生まれながら家族に虐げられていた。姉には肉体的に痛めつけられ、兄には精神的に支配され、父からは毎日のように生きていることへの謝罪を要求されていた。幼い少女が送るには過酷すぎる状況だった。

 それでも家族に愛されようと努力するアデラはいじらしく、ウィリアルドは彼女を助けたいと願った。


(こんなに真摯で清らかな少女を守りたい。苦境から救ってやりたい)


 アデラの父であるクラーク侯爵のことはよく知っている。彼は社交界ではやや浮いているのだ。

 父大公の話だと、末の娘をあちこちで悪しざまに言っているらしい。奥方がお産で亡くなってからは何度か再婚話があったようだが、良識ある貴族ほどクラーク侯爵は地雷だと察しているようで、いまや噂を知らない男爵家や田舎の貴族から数件打診がある程度だという。

(クラーク侯爵……なんて酷い父親なんだ、あんなに愛らしい娘を虐げるなんて)

 記憶の中でクラーク侯爵は何度もアデラに手を上げていた。長女の虐待と長男からの洗脳を黙認し、自身も気に食わないことがあると屋敷の中のアデラを探し出して暴力を加えたり、理由もないのに床に這いつくばらせて謝罪を強要する。彼は記憶の中でアデラを悪魔呼ばわりしていたが、クラーク侯爵たちの方がよっぽど悪魔に見える。使用人たちが完全に引いていることにも気づいていない。

 その記憶も、アデラがブライアン王太子の婚約者になった十歳の時に終わった。



 ウィリアルドが目を覚ました時、王宮で意識を失ってから二日が経っていた。

「ウィル!」

「私のウィル!目を覚ましたのね」

「大丈夫なのか、ウィリアルド。気分は悪くないか?」

 ベッドを父と兄、そして五年前に父と離婚して遠方にいるはずの実母まで取り囲んでいたのでさすがに驚いた。どんなに急いでも丸二日かかる領地の屋敷に住んでいるはずなのに、夜通し馬車を走らせたのだろうか。

 家族たちは涙を流してウィリアルドが目を覚ましたことを喜んでいるが、本人はそれどころではなかった。


(アデラ嬢を助けなければ!)

 ウィリアルドは心配する家族をよそに早々に床上げし、早速アデラと接触しようとした。あの記憶がただの夢ではないという確信があった。今もアデラは辛い思いをしているに違いない。

 本当はすぐにでも彼女のもとに駆け付けたかったが、ウィリアルドはまずはアデラの現在の状況を慎重に調べた。記憶の最後から五、六年が経っていたし、自分は彼女のことを知っているが相手にとって自分は会ったことのない他人なのだから。

 そして分かったのは、すでに彼女の状況はのっぴきならないところまで来ているということだった。アデラは婚約者のブライアン王太子にまで虐げられていた。周囲の者たちはそれに追従し、王立学園では針の筵だったようだ。なぜか婚約を決めた国王夫妻がそれを静観しており、アデラは王妃教育に加え王太子の執務や彼の側近の仕事まで押し付けられる苦しい状況に置かれていた。だというのに、相変わらずの家族たちや王太子を奪いたい彼の恋人、アデラの立場を妬んだ公爵令嬢が悪い噂を広め、アデラは酷使されているにも関わらず「怠惰で我儘な無能令嬢」だと揶揄されている。全く意味が分からない。

 ともかくウィリアルドはブライアン王子に直談判しようと思った。アデラの家族は邪悪すぎて説得するだけ無駄だろう。だがブライアンなら懇意にしている女性を餌にうまく交渉すれば、アデラを助けることに協力させられると思った。

 数日後にブライアンが好きなキツネ狩りの催しがあったため、そこに参加してこっそり話を持ちかけるつもりでいた。


「―――なら明後日の夜会の時にしよう。皆の前で大々的に発表すれば、アデラも何も言えまい」

「嬉しい!とうとうアデラさんと婚約破棄してくださるのね」

 アデラの名前が出て、ウィリアルドは足を止めた。恋人のヘザーと消えてしまったブライアンを探していたのだが、どうやら二人で不穏な話をしていたようだ。


「婚約破棄されたらアデラさんはどうなさるの?私をいじめた罪で追放かしら?」

「いくら王族とはいえ侯爵家の令嬢を勝手に追放はできないよ。それに折を見てアデラは側妃として王宮にあげるつもりだ」

「そんな!どうしてですの?」

「だってアデラは便利だろう?執務は彼女にやらせればいいんだ」

「あら、そういうことでしたのね。だったら側妃ではなくて私付きの侍女にしましょうよ」

「ただの侍女だと執務はできないんだ。形だけでも王族にしないとね。どうしてもアデラを側妃にしたくないのなら、正式に女官として雇わないと執務を手伝わせられないよ」

「……うーん、なら仕方ありませんわね」

「側妃ならただでアデラを使えるんだ。もちろん子供は君に産ませるよ。何の問題もないだろう?」


 下衆な会話だった。にこやかにアデラを使い潰す算段をしているこの国の王太子に、ウィリアルドは吐き気を覚えた。

(駄目だ。この男には相談できない)

 アデラが実家で虐げられていることを知れば、クラーク家には戻さず、王宮に囲ったまま先程の案を実行するのだろう。

(どうすればいい?……どうすれば)

 このままではアデラは破滅だ。クラーク家から引き離せばなんとかなると思った。王家が味方につけばおそらく彼女は命は助かるだろうが、今度はブライアンとヘザーをはじめとする下衆な連中に使い潰される。もちろんクラーク家よりはましな生活になるかも知れないが、今まで辛い半生を歩んできた彼女をなんとかして幸せにしたかった。

 何かないのだろうか。王家を、侯爵家を出し抜けるような何かが……。


「そうだ……ヴァイオレット」

 カーリーの記憶が役に立った。魔女ヴァイオレットならばなんとかしてくれるかもしれない。

 キツネ狩りがあったその日の夕方のうちに、ウィリアルドは王都の裏路地にある古い雑貨店に向かった。ヴァイオレット宛に依頼内容と自分が手配可能な報酬額を記載した手紙を書き、それを年老いた盲目の女店主に預ける。それがヴァイオレットと連絡を取る唯一の方法だと、カーリーの記憶のおかげで知っていた。



 それから三日後、奇しくも夜会の当日にヴァイオレットが接触してきた。ウィリアルドはカーリーの記憶のままのヴァイオレットの姿に少し驚く。魔術を使うと年齢詐称もできるのかと感心してしまった。

「あなたがウィリアルド公子ね。……どこで私のことを知ったの?」

「依頼を受けてくれるのなら話す」

「傲慢ねぇ。あなたの頭の中に直接聞くこともできるのよ」

「金なら払う」

「確かにお金はほしいわ。でも危ない橋は渡りたくないの」

「あなたほどの実力なら恐れるものなどないだろう。過去に偽聖女マリアの魂を簡単に抜き取っただろう」

「……何故それをっ」

「時間がない。受けるか受けないかここで判断してくれ。あなたが助けてくれないのなら、私が行くしかない。……破滅の道だが」

 いくらウィリアルドが大公子息とはいえ、王族に逆らい、縁もゆかりも無い侯爵令嬢を保護しようものなら悪評だけではすまないだろう。家族にも迷惑をかけるし、駆け落ちするくらいの気概でやらなければアデラは結局クラーク家に戻されてしまう可能性が高い。正攻法ではどうにもならない所まで来ているのだ。

 ウィリアルドの悲壮な決意が伝わったのかはわからないが、ヴァイオレットは観念したように肩をすくめてみせた。

「私の負けよ。受けてあげるわ。……アデラという令嬢を保護すればいいのね?」

「彼女にとって家族こそが一番の敵だ。彼らから守ってほしい」

「夜会で王太子が婚約破棄するんですってね。そこから張り付いてうまい具合に攫いましょうか」

「……頼む」

 ウィリアルドは前金として自分の指輪を差し出した。家紋がついた純金のものだ。指輪そのものもそうだが、家紋がついているということはそれだけウィリアルドがヴァイオレットの仕事に期待していること、彼女を信頼していることへの証だった。ヴァイオレットにもその思いは伝わったらしい。揶揄することなくそれを受け取ると大きく頷いた。

「アデラ嬢を保護したら連絡するわ。……そうね、一週間後に使い魔をよこして手紙を届けさせるから、指定した場所に残りの報酬を用意して持って来て頂戴」

 そう言うが否や、ヴァイオレットは足元の己の影に吸い込まれるようにして消えた。



 一週間後、ヴァイオレットから連絡を受けたウィリアルドは王都のとある屋敷で彼女と再会した。

 あの夜会でアデラは予定通りブライアン王太子に婚約破棄され、クラーク侯爵家に戻された。そして侯爵に叱責されたアデラは家を飛び出し、そのまま行方不明になったとされている。実際は侯爵が家から身一つで追い出し、さらに男をけしかけて酷い仕打ちをさせようとしたのであるが、侯爵家でことを為すわけにはいかないと一度屋敷の外に出したのだろう。そこをヴァイオレットが動いて上手く保護したという。

「あなたが言う通り、あの家族は本当にクズね」

 ヴァイオレットはウィリアルドが報酬として持ってきた宝石を鑑定しながら言う。守銭奴のヴァイオレットから見ても、クラーク家の連中は腹立たしい存在だったようだ。やがて彼女は宝石を確認し終わると、先に渡したはずの指輪を返してきた。

「これは前金で渡したものだ」

「今度は私があなたに仕事を頼みたいの。だからこれは私からの報酬よ」

「仕事……」

「先に言うけど、偽聖女マリアの魂をアデラの中に入れたわ」

「はあ!?何だそれは!アデラ嬢は無事なのか?」

「平気よ。しかもマリアが使えた魔法が使えるようになってるわよ」

「アデラ嬢が魔法使いに?」

「アデラは家族に復讐したいそうよ。私はそれを手伝うわ。あなたにも協力してほしい」

「……」

「嫌かしら?」

「本当にそれはアデラ嬢の意志なのか?」

「鋭いわね。そうよ、アデラは最初は復讐なんて考えてなかったわ。王子の心を繋ぎ止められなかった自分が悪いと言っていたくらいよ」

「……そうだろうな」

 ウィリアルドがあの不思議な夢で見たアデラもそうだった。クラーク家の歪んだ教育により、自分の存在そのものを悪だと洗脳されていた。

「マリアがアデラを説得したのよ。アデラの家族や婚約者に怒っていたわ。アデラに復讐するべきだとここ一週間ずっと言い聞かせていたわ」

「マリアか。……アデラを利用しようとしているだけじゃないのか?」

「そうかもしれないわね。でもしばらく見張っておくつもりだし、アデラの復讐を手伝ったら新しい体をあげると言ってみるつもりなの。喜んでアデラに尽くすと思うわよ」

「あなたもアデラが復讐することに賛成なのか?」

「じゃああなたはしない方がいいというの?清らかなアデラは復讐なんて醜い行為はするべきでないと?そして全てを忘れて清廉なまま生きろというのかしら」

「……」

 ウィリアルドは考え込む。

 生まれた時から疎まれていたアデラ。姉には暴力を振るわれ、兄には洗脳され、父からは理不尽で意味のない謝罪を強要された。頼みの婚約者にも邪険にされ、王子の周囲の人間にも必要以上に虐げられ続けた。

 それらを綺麗サッパリ忘れ、血に汚れないまま新たな人生に踏み出せたら確かに素晴らしいだろう。周りは彼女の清廉さを称賛し、もてはやすだろう。……だが傷ついた彼女の心はそれで癒えるのだろうか。全てなかったことになるのだろうか。

(きっと否、なのだ)

 だからこそ、アデラは「復讐したい」と口にした。連中にどこまでやり返すつもりかはわからないが、虐げられた彼女の過去が、このままでは前に進めないと言っているのだ。

「分かった。私もアデラ嬢の復讐に協力する」



 話し合いの後、ヴァイオレットはアデラを連れて隣国へと渡った。まずは弱った体力を回復させるという。さらにいずれアデラが復讐をするときのための仕込みを隣国でしてくるとのことだ。仕込みの意味がわからないままウィリアルドは彼らを見送った。

 そうしてウィリアルドは一度元の生活に戻った。騎士団の仕事をこなし、舞い込む結婚話を躱す。そんな生活の中、ふと思うのはアデラのけなげな横顔だった。彼女を思い出すたび愛しさが募る。

 あの夢がきっかけで、ウィリアルドは完全にアデラに恋をしてしまっていた。


 そもそもである。

 ウィリアルドは王太子の婚約者であるアデラをほとんど名前しか知らなかった。彼がアデラの苦境をあの夢を見るまで知らなかったのは理由がある。ウィリアルドは大公子息でありながら華やかな社交を積極的に行ってこなかったのだ。

 王兄の息子であるウィリアルドには王位継承権がある。ブライアンに何かあれば、王位は父、兄、そして自分の順に回ってくるのだ。だというのに兄の婚約者はなかなか決まらず、ウィリアルドに狙いを定める令嬢も多かった。それを煩わしいと感じ、ウィリアルドは騎士団に所属すると宿舎に居を移し、社交の場からさらに遠ざかった。アデラやブライアン王太子とは年が少し離れていたので、学園に在籍する時期も被らなかった。


(このまま王宮の情勢に疎いままでは、アデラ嬢を助けることはできない)


 アデラを隣国に逃がした後、ウィリアルドは意を決して王都の夜会に参加した。そうすればあっさりと王太子の婚約に関する様々な話を手に入れることができた。アデラは実の家族や王太子たちによって酷い噂を立てられていたが、案外高位の良識ある貴族ほどアデラの苦境に気づき同情している者が多かった。そしてブライアン王太子と新しい婚約者のヘザーを冷めた目で見ていた。王太子らはアデラを婚約破棄してなお彼女を貶めて自分たちが苦難を乗り越えた真実の愛だと吹聴していたが、それに憧れるのは若い子女や高位貴族を妬む下位貴族ばかりだ。

(もっと早く知っていれば……。いや、やはりあれでよかったのかもしれない)

 もしウィリアルドがもっと前にアデラの状況を知り、正義感に突き動かされるまま彼女を庇えばどうなっただろうか。おそらくクラーク侯爵はアデラを理由を付けて閉じ込め、貴族令嬢として社会的に抹殺して婚約を解消させ、囲った屋敷内でさらなる虐待を加えただろう。ブライアンが不誠実な婚約者だったからこそ、彼女は婚約破棄されるまで家族に半ば放置されていた。

 きっとウィリアルドがあのタイミングでアデラの半生を知ったのは、神からの天啓だったのだ。

 



 やがてアデラが婚約破棄されて半年が過ぎる頃、ウィリアルド宛に隣国から一冊の小説が送られてきた。

 ―――『王妃アリシアの誓い』

 読めば明らかにアデラをモデルにした小説だった。執筆したのはマリアだと言うからさらに驚く。婚約破棄を題材にしている物珍しさで、リロ王国の貴族や商人の間で話題になり、庶民向けに演劇にまでなっているらしい。その演劇はこの国にはまだ渡らず、周辺の国をゆっくりと周回する予定だそうだ。

 これらがヴァイオレットが言っていた仕込みなのだろう。


 やがてアデラが婚約破棄されてから一年が経とうとした頃、ヴァイオレットに呼び出されたウィリアルドは国境の街にいた。ヴァイオレットに伴われたアデラと、ウィリアルドはここで初めて対面した。

「はじめまして、ウィリアルド公子。アデラでございます」

 彼女のことをよく知っているのに、完全に恋焦がれているのに、「はじめまして」とは妙な気分だった。とはいえアデラがウィリアルドが見た夢のことを知りようはずもないのだが。

「どうかウィリアルドと呼んでほしい。私もアデラと呼んでいいだろうか」

「……もちろんですわ」

 会うなり距離を詰めてくるウィリアルドにアデラは戸惑った顔をしている。一方のウィリアルドは高揚していた。

 やはりアデラは美しく可憐だった。隣国で平民として暮らしていたはずだが、家族や婚約者に虐げられない生活は彼女の新たな一面を開花させていた。かつて美しくはあってもどこか人形めいていて陰鬱な空気をまとっていたのに、今の彼女はみずみずしく弾けるような美しさを持っている。暗くよどんでいたはずの水色の瞳は、今や自信に満ちあふれていた。

 すっかりアデラに見惚れているウィリアルドをよそに、アデラは身構えていた。

 彼女にとってウィリアルドは突然現れ、自分に無条件に協力してくれる都合の良すぎる人物だった。何か企んでいるのではないかという疑いを持つのは致し方ないことだろう。

「ウィリアルド様、お答えください。どうして私の復讐に協力してくださるのですか?」

「―――君が好きだから」

「はあ……、え!?」

 アデラが水色の瞳をいっぱいに見開いた。バラ色だった頬がさらに赤くなってトマトみたいになっていく。そんな顔もできるのかとウィリアルドはさらに彼女への愛しさを募らせた。

「私は不思議な記憶があるんだ。その中に苦しんでいた君のものもあった。最初は君を助けたいという一心だったが、いつの間にか君のことを好きになってしまったようだ」

「なっ、そんなこと……、記憶?……ともかく、こ、困ります!」

「迷惑かい?」

「あ、当たり前です!私はこれから復讐をするのですよ?王子たちを地獄に落とすんです。そんな私をあなたは好きだというの?」

「君のことを知っているといっただろう。復讐したいという気持ちは当たり前の話だ。もちろん協力するよ」

「……」

 何を言っても駄目だと思ったのか、アデラは黙り込んでヴァイオレットの後ろに隠れてしまった。ヴァイオレットは何を言うでもなく、静かに微笑んでいる。ウィリアルドもそれ以上無理にアデラに話しかけることはせず、ヴァイオレットに向き直った。

「それで私は何をすれば良いんだ?」

「アデラは家族への仕返しは最後に取っておくそうよ。練習も兼ねて、手始めにレックス・ラムゼイをはめようと思っているの」

「ラムゼイか」


 確かに適任かもしれないとウィリアルドは思った。

 レックス・ラムゼイはブライアン王太子の腰巾着だった。まだ学生だったアデラに自分の仕事を押し付け、さらに王太子の仕事まで彼女に回し、それらの事実が周囲にバレないように細工して王太子に恩を売っていた。そのくせアデラが仕事をサボって遊んでばかりいる愚鈍な令嬢だと吹聴し、彼女の功績を奪って出世までした。あの婚約破棄にも奴は一枚嚙んでいる。

 ブライアンと一生アデラを使い潰そうとしていたはずだが、アデラが姿を消したことでその目論見は外れた。彼女がいなければ当然仕事は捌けなくなり、職場では遠巻きにされ、恩を売っていたはずのブライアンにはあっさり見捨てられた。放っておいても勝手に堕ちていくだろうから、仮に復讐に失敗しても大した痛手ではない。さらにレックス一人の凋落では誰も気にしない上、アデラが復讐していると気づく者は皆無のはずだ。復讐一番手にもってこいだろう。


「まずはこの子……アビーを宰相府に送り込んでほしい」

「アビーちゃんよ。よろしくねぇ!」

 ヴァイオレットの後ろから出てきたのはアデラではなく、野暮ったい雰囲気の赤毛の女だった。

 アデラが変身した姿だと気づくが、性格まで違うものだろうか……と、ウィリアルドはある可能性に思い当たった。

「君、マリアだな」

「そーでーす!アデラはまさかの愛の告白に閉じこもってしまいました」

 話し方やちょっとした仕草がカーリーの記憶の中のマリアそのものだ。

「本当に五十年間魂のまま生きてたのか」

「生きてたかどうかは微妙だけどね。……ふーん、あんたがねぇ」

「なんだ?」

「いーえ。べっつにぃ」

「……そろそろ計画の続きを言っていいかしら?」

「あ、どうぞどうぞ」

「アデラのサポートに私も貴族の中に潜り込みたいのよ」

「ほう」

「そこでね、あなたの父親の大公閣下は数年前に離婚してからまだ再婚していないわよね?」

「ああ、そうだが」

 ウィリアルドの両親は五年前に離婚している。お互い納得ずくの円満離婚で、現在実母は大公家の領地で恋人とともに暮らしている。一方の父は一時期恋人がいたが再婚に至らず、その恋人とも別れて離婚後は独り身のままだ。

「とある伝手で、貴族籍を持っているの。私をお父上に紹介してはくれない?」

「家族を巻き込みたくはないんだが」

「だからこそよ。アデラの復讐が上手く行けば、ブライアンは廃嫡になる可能性が高い。……少なくともあたしたちはそのつもりで動く。そうなれば、王兄である大公と息子のあんたたちは嫌でも巻き込まれるよ」

「王位争い……」

「本当は俗世にはあまり関わらないようにしているんだけどね。ただここの王家とは前に関わってしまったから、どうにも責任を感じて」

「責任?」

 確かにカーリーがヴァイオレットを引っ張り出さなければ、今の王は別の人間だったかもしれない。だが五十年前のマリアは確かに当時の王子たちを籠絡しカーリーを陥れようとしたわけだから、責任を感じるのは違うと思うが。

 ウィリアルドの疑問を察したのだろう、ヴァイオレットは「なんでもないわ」と首を振った。



 ウィリアルドの尽力によって、アビーは部下のアッシャー準男爵の養女となり、文官に入るための試験を受けた。ときを同じくしてウィリアルドの父である大公は、ヴィオーラ・ライダー女男爵と電撃再婚して社交界を驚かせるのである。


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