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復讐令嬢アデラの帰還  作者: 小針 ゆき子
第二章 復讐本番
19/40

17 イーサンの顛末


 アルフレッドが用意した馬車の中に、イーサンは飛ぶ勢いで乗り込んだ。

 アルフレッドも中に入り、すぐに馬車が動き出す。窓から屋敷が遠ざかっていくのを確認し、イーサンはようやく深いため息をついた。

「イーサン様、これで傷口を押さえてください。あちらのタウンハウスに着いたら手当をしてもらいましょう」

「ああ、ありがとう」

 すっかりアルフレッドに心を許したイーサンは、疑いもせずに差し出されたハンカチで額を押さえる。

「ん、……これは、」

「どうされました、イーサン様」

「ハンカチに軟膏でも塗って、いるのか?……ふしぎ、な、かおり……、……」

 イーサンの体が突然ぐらりと傾いだ。そのまま前のめりに倒れ……。

 どさり。

 座席の下に体を投げ出してしまう。アルフレッドはイーサンの体を受け止めることもせず、ただ冷めた目でその様子を眺めていた。


「あっけないこと」

《ヴァイオレット直伝の麻酔薬はさすがの効き目ね》

 

 ハンカチに染み込ませていた薬草はいい仕事をした。

 イーサンはペレット家を訪問してからずっと緊張状態だったうえ、先ほどのクラーク侯爵とのやり取りで精神が疲弊していたのだろう。麻酔薬を嗅がせただけであっさりとイーサンの意識は刈り取られてしまった。

「ふふ……。イーサン、とうとうお別れよ。でもその前に私の怒りを骨の髄まで分からせてあげる」



 馬車は王都の中を進み、やがてダウンタウンに入り込むと、とある建物の前で止まる。馬車が止まるなり浮浪者が近づこうとするが、建物のドアの前で門番をしていた屈強な男たちがすぐに追い払った。

 アルフレッドは軽やかな足取りで馬車を降りると、門番の一人に近づく。

「こんにちは。マーロンさんは中にいるかな?」

「はい、アルフレッドさん。首を長くして待っていますよ」

 アルフレッドより明らかに背が高く屈強な男がへこへこと頭を下げる。

「遅くなって申し訳ない。『商品』は馬車の中にいるから連れ出してほしい」

「お任せください。『処置』も我々の方でやっておきますので」

「よろしく。……ああ、お礼の他にいい酒も持ってきたんだ。馬車に積んであるから君たちで分けてくれ」

「よろしいんで?」

「出発は明日だろう?英気を養ってくれ」

「兄貴!すごいですよ」

「おい、お前……」

 耳ざとく二人の会話を聞いていた門番の一人が、馬車の中から酒の入った木箱を見つけてくる。アルフレッドと話していた男は呆れた顔をしながらも期待に満ちた目を箱に向けた。

「マリバーク産の葡萄酒ですよ!」

「そ、そんな高級なものを?ありがとうございます、アルフレッドさん」

「道中気を付けておくれ。では」

 アルフレッドはにっこりと笑うと、建物のドアをくぐった。



「これはこれは。アルフレッド様」

 中の応接室では、この建物の一時的な主であるマーロンが待っていた。

 頭頂部が禿げた小太りの男で、いかにも悪徳商人といった風の豪華な服に身を包んでいる。

「明日の出発でバタついているところ、こちらの要望を聞いてくれて感謝するよ」

「大恩あるヴァイオレット様の紹介ですからね。それに若い健康な男をタダでいただけるのでしたらこちらには得しかありませんよ」

「貴族の男だから軟弱だよ。鉱山開発の鉱員としては向かないから断られるんじゃないかと思っていたよ」

「それはそれで需要があるんですよ。……ふふふ。貴族のお坊ちゃまなら顔はいいのでしょう?」

「ああ。顔はね」

 アルフレッドはマーロンにつられてにやりと笑った。

 

 マーロンはこの国で生まれたが、貧しさゆえに親に捨てられたという。しばらく物乞いをしていたが、とうとう飢えに耐えかねて行き倒れたところをヴァイオレットに救われたらしい。ヴァイオレット曰く「気まぐれ」だったらしいが、マーロンは隣国のゴーセン王国に渡って無事に成長し、商人として成功した今でもヴァイオレットを慕っていた。

 そんな彼は現在リロ王国とゴーセン王国、ナイトレイ公国の三つの国境が接する鉱山の採掘権を獲得し、鉱員を集めていた。ヴァイオレットはその話を聞くとマーロンにアルフレッドに変装したアデラを紹介したのだ。本当はジェマも彼に売り飛ばすつもりだったのだが、ウィリアルドの紹介でもっといい就職先が見つかったので、イーサンのみ引き渡すことになった。

 オーロラや使用人たちに暴力を振るっていたジェマとは違い、イーサンを公の場で裁くのは難しい。彼はアデラを精神的に痛めつけてはいたものの決して手は上げなかったし、使用人に対しても同様だ。使用人にジェマの所業を口止めして解雇こそしたものの、断罪するには弱い。

 クローディアに婚約を解消されて意気消沈し、失望のあまり姿を消したという流れだ。



 しばらくマーロンと談笑していると、門番をしていた男の一人が部屋にやってきた。

「お待たせしました、アルフレッドさん。『処置』が終わりましたよ」

「ご苦労様。あいつは地下にいるのかな?」

「ええ。ずっと眠り続けているので楽は楽でしたが……『処置』の間だってのに眠り続ける奴なんて初めてですよ」

「本当ですか?アルフレッド様、どういった魔法を使ったので?」

「ふふ……、秘密だよ」

 アルフレッドはマーロンに礼替わりの宝飾品を手渡すと、地下への階段に向かったのだった。



 イーサンは体にまとわりつく不快な気配で目を覚ました。

 暗い。

 視界がほとんど定まらない。

「ここは……どこだ?……っ、これは」

 動いた瞬間、手首からじゃらりと音がした。

 暗い中で目を凝らせば手首には鉄の手枷がはめられ、鎖に繋がれている。まるで囚人のようだ。

「一体なにが……、」

 イーサンは混乱する頭で必死に考える。


 錯乱した父ダニエルに襲われた後、アルフレッドが手配した馬車に乗り込んでクラーク邸を後にした。そのまま馬車は同じ王都にあるランティス公爵邸に向かったはずだ。ラファイエット子爵はタウンハウスを持っておらず、社交シーズンだけ寄り親のランティス公爵邸に滞在する。ランティス公爵邸にさえ行けば、子爵本人がいなくとも学園に通っている子息が滞在しているはずで、そこから子爵家に連絡を取るつもりだった。

 馬車に乗って一時間弱ほどで到着する距離。……だがイーサンが馬車に入って腰をおろした瞬間、急に眠気が襲ってきてそこから後の記憶がない。


(まさか意識がないうちに誘拐されてしまった?)

 治安のいい王都では貴族の襲撃は滅多にないことだが、ゼロというわけでもない。それでも襲撃されて拘束されているというのに、今まで異変も感じず眠りこけていられるものだろうか。何らかの薬を盛られたのかもしれないとも思ったが、子爵邸で紅茶を一杯だけごちそうになってから何も口にしていなかったはずだ。子爵も証人を抱え込んでまで婚約解消した相手を今更攫ったりしないだろう。


「おい!誰かいないのか!?これはどういうことなんだっ。アルフレッドーーー!」

「騒々しいなぁ。聞こえてますよ」

「っ!?」

 大声を出してみたものの、まさか反応があると思っていなかったイーサンはぎょっとする。

 イーサンが捕らえられている檻の真横に椅子が置かれていて、そこにアルフレッドが足を組んで座っていた。

「アルフレッド!どういうつもりだっっ」

 イーサンはアルフレッドに掴みかかろうとするが、ぎりぎり繋がれている鎖の長さが足りず、つんのめってしまった。よろけたイーサンを見て、アルフレッドがケタケタ笑う。

「お前!」

「いい格好ですよ、イーサンお坊ちゃま」

「……」

 イーサンの怒りはすぐに引っ込んだ。イーサンは愚鈍な男ではない。アルフレッドの瞳に怒りと恨みが宿っていることに気づいたのだ。

(だがどうして?)

 アルフレッドは先日クラーク邸に来たばかりだ。恨みを買うほど関わった覚えはない。

 いや、だが、そういえば……。

(こいつは本当にうちが雇った使用人なのか?)


 先ほどまで、イーサンはアルフレッドがクラーク家が雇った使用人だと認識していた……母の実家のラファイエット家から紹介された、と記憶していた。

だがその記憶が何だか急に心もとないものになっていた。面接、したような気がする。契約書を交わした、ような気がする。子爵家に話し合いに行く際も準備を手伝ってくれた、ような気がする。

(なんだ?僕は何か見落としているのか?)

 何だか重要なことに気づかないでいる。だからこんなことになっている?


「アルフレッド……。君は、何者なんだ?本当にラファイエット家から来た使用人なのか?」

「ほお。やはり勘がいいんだな。お兄様は」

「は?おにい、……え?」

「妹の顔を忘れるなんて酷い人」

 一瞬でアルフレッドの髪が伸びた。着ていた服も男物から柔らかい藤色のワンピースに変わる。イーサンは眼の前で起こったことがすぐに受け入れられず、その場にぺたんと座り込んだ。

「アデラ……!」


 死んだはずの妹。死んでほしいとずっと願っていた妹。いなくなってせいせいしたと言いつつ、どこかで生きているかもしれないとは思っていた。

 それでもこんなことは起こり得ないはずだった。あのアデラが自分たちに復讐を企てるはずがない。そうならないように、イーサンはいつも努力していた。ジェマはアデラを肉体的に痛めつけたが、一方のイーサンはアデラの心を踏みつけ、折り続けていた。全てはアデラの存在が悪だから。アデラは罪に対する罰を受け続けているだけで、イーサンたちには何の落ち度もないとささやき続けた。ゆえにアデラは容姿端麗で頭脳明晰な侯爵令嬢であるにもかかわらず、常に自己評価が低かった。だからレックスに利用され、ヘザーやイシドラの横暴を許し、ブライアンに貶められ続けた。イーサンがそういうふうに育て、万が一にも自分たちに刃を向けないように。

 ……だが。

「あなたが私にし続けてきたことは知っているわ。ジェマと同じくらい……いいえ。もっとひどい目に遭わせないと気がすまない」

 アデラに教えた人物がいたのだ。


 ―――イーサンの行いは非道だ、と。


「アデラ、お前いままでどこにいたんだ」

「親切な人に助けられたのよ。あなたが私に施した教育が間違っていたと教えてくれたわ」

「私はこれからどうなるんだ」

「これからというか、すでにあなたは奴隷よ。背中に焼印があるでしょう」

「!?」

 マーロンの部下が言っていた『処置』とは、背中に奴隷の印である焼き印を押すことだった。

「痛みはないでしょう?私に今まで英才教育を施してくれたお礼に、今は魔法で痛覚を麻痺させているの。だけど、……ほら」

 アデラがぱちんと指を鳴らすと、イーサンは背中全体に引き裂かれるような痛みを感じた。

「ぎゃああああああああああっっっ!!!!!」

 イーサンはあまりの痛みに転げ回る。侯爵家を継ぐ貴族令息として生きてきた彼にとって、切り傷すら滅多に負うことはない。火傷の痛みなど以ての外だった。

「あーあ。やっぱりうるさいわね」

 アデラは再度指を鳴らす。イーサンの背中から痛みが消え、彼はのろのろと体を起した。

「あ、アデラ……。お前は一体」

「私、魔法を使えるようになったの。この力でレックスもブライアンも、そしてジェマも皆破滅させてやったわ」

「やはりお前がやったんだな。子爵に証拠と証人を提供したのも」

「もちろん私よ。でもね、イーサン・クラーク。自分がしたことがそのまま返ってきたとは思わない?」

「そんな、それは」

「あなたを買った奴隷商はこれから外国に行くんですって。……ああ、そういえばとある国境でダム建設があるって聞いたわね。過酷で危険だから、若くて健康な奴隷はさぞ活躍できるでしょう。きっと大切にしてもらえるわ。……現地に着くまではね」

「あ、アデラ!助けて……っ。すまなかった!僕は反省しているんだ」

 アデラはにやりと笑った。ジェマは激昂したが、イーサンは泣き落としらしい。

「具体的に何を反省しているのよ。あなたはあなたの信念があって私を虐げていたんでしょう?」

「違うっ。僕は間違っていた。すまない、すまないっ。今度はお前を大切にする。だからここから出してくれ」

「いやよ」

「っ!」

「私は十六年間も理不尽に虐げられたのよ。なのにあなたは何?婚約を解消されてここに繋がれてから一日も経っていないじゃない。軟弱な男ね」

「アデラ!お前、よくも」

「奴隷として頑張りなさい。十六年経ったら許してあげなくもなくてよ」

「アデラっ、この……、ぎゃああああああーーーー!!!」

 イーサンはアデラに掴みかかろうとしたが、アデラは一瞬早く麻痺させていた痛覚を復活させた。イーサンは背中の火傷の痛みにまた転げ回る。しばらく苦しんでいたが、数分後には気絶してしまった。

「本当に軟弱ねぇ。……うふふ。さようなら、イーサン。大嫌いなお兄様」

 次の瞬間、アデラの姿は地下室から掻き消える。

 その場には倒れたイーサンしかいなかった。


 次の日にはイーサンは奴隷商マーロンに叩き起こされて王都を出発した。

 国境を越えるまでは馬車に乗せられたが、隣国に入ると同時に徒歩で危険な建設現場へと向かわねばならない。助けを求めてもマーロンの部下に鞭打たれ、他の奴隷たちには食事を奪われる。国境に着くころにはイーサンの目は死んでいて、抵抗する気力もなくしていた。



 イーサン・クラークがペレット家の息女クローディアとの婚約を解消した話はすぐに王都中を駆け巡った。しかしジェマが起こした事件があったため、ペレット家の行動を非難する声は少なかった。

 同時にイーサンは社交界に姿を全く現さなくなったが、婚約を解消されたことで出づらくなっているのだろうと、気に留めるものは誰もおらず、彼がすでにケンブリッジ王国にはいないことに気づくものは誰もいなかった。

 ……実の父親でさえ。


次はいよいよ父親の登場です。

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