13 ジェマの顛末
ジェマとスチュアートの婚約は当然ながらジェマの有責で破棄された。
オーロラに対するジェマの所業は次の日には王都の新聞に取り上げられた。何者かがリークしたようで、たった数日で貴賤問わず知られることになる。
しかもインタビューに応じた騎士団の副団長が、一年前に姿を消した彼女の妹アデラも虐げられていた可能性があると証言したことで、ジェマの名前は婚約者の妹だけでなく自身の妹すら虐げる稀代の悪女の代名詞となった。クラーク侯爵は何とか事態を収めようとしたが、日が経つにつれてジェマに暴力を受けたという下位貴族やかつての使用人たちが声を上げ、話は収まるどころかどんどん大きくなっていく。行方不明のアデラはジェマに殺されて埋められてしまった、いいや、他国に奴隷として売られたのだ、と人々は悲劇の令嬢アデラを悼んだ。
怒り狂ったファース家はクラーク家を激しく非難し、多額の慰謝料を請求した。
というのも事件の後、オーロラがファース家を出奔してしまったのだ。騎士団の聴取に向かうと言い残して侍女長のステラだけ伴って屋敷を出ると、そのままウィリアルドの実家であるローデン大公家を頼った。現在は大公の後妻になっているヴィオーラ・ライダー女男爵の保護下に入っている。
ファース伯爵夫妻とスチュアートは大慌てでオーロラを迎えに行ったが、そこで彼女の激しい拒絶にあった。
「お父様たちは悪くない……。ジェマ様に騙されただけだと頭では理解しております。ですがお父様たちの顔を見ると、弱い私を嗤いながら甚振るジェマ様の顔も思い出してしまうのです。お父様たちの声を聴くだけで、あのしなる鞭の音を思い出してしまうのです。あの屋敷にいるだけで、ジェマ様の嘘に支配されていた絶望が心に蘇ってしまうのです。私を信じ、心から心配してくれたのはステラとアビゲイルだけでした。……どうか、私を愛しているとおっしゃるのならば、この心が癒えるまで距離を置いていただきたいのです」
ぽろぽろと涙を零すオーロラにこう言われてしまえば、ますますファース伯爵たちはジェマを憎む。そして憤りをクラーク家に慰謝料という形でぶつけた。
話が大きくなり過ぎたことで、クラーク侯爵もジェマをかばうことはできなかった。やがて騒ぎから五日という短い期間で両家の話し合いは決し、クラーク侯爵家はファース伯爵家に五百万ギルの慰謝金を支払った。
もちろん安い金額ではないが、周囲はもっと請求できたのではと首を傾げた。実は最初ファース家はこの倍の請求をしていたのだが、オーロラの一時的な保護者となったライダー女男爵が仲裁したのだ。
「オーロラ嬢はお金よりも、二度とジェマ嬢と会わないことを願っております。ジェマ嬢は北の島の修道院で三十年間無償で奉仕する、という内容を契約で取り交わし、それを条件に賠償金を半額にしてもいいと交渉しましょう。侯爵はきっと呑むはずです」
三十年ではジェマは生きて戻ってくるのではと思われるかもしれないが、北の修道院はかなり過酷な環境で、入った修道女は十年はもたないと言われている。しかもだ。修道院には半年に一回訪れる船に乗らないと出ることはできず、しかも船に乗るには少なくない金がかかる。行きはクラーク家が船代を出すだろうが、帰りはどうなるだろうか。果たして三十年後、ジェマの帰りを待つ家族はいるのだろうか。
ライダー女男爵の予想通り、クラーク侯爵はこの条件を呑んだ。
そして騎士団の聴取と拘束を終えたジェマが屋敷に戻ると、身を整えることも許さず外鍵付きの馬車に放り込んだ。
「そんな!お父様、なんで!?」
「もうお前は私の娘ではない」
「お父様!お父様!」
こうして化けの皮が剥がれたジェマは、婚約破棄され貴族籍もはく奪され、北の島へと連行されていったのであった。
北の島に向かう馬車の中で、ジェマは茫然としていた。
輝かしかったはずの自分の未来が、一瞬で崩れ去ってしまった。
王都のタウンハウスを出てからかなり経っており、すでに隣の領地に入っているだろう。
馬車に詰め込まれてからずっと暴れ続けていたので、今は疲れ切って泣く気力も湧いてこない。
「―――ご気分でも悪いのですか、お義姉様?」
突然耳元で響いた声に、ジェマはぎょっと顔を上げた。
「な、……え?オーロラ、さま?」
向かいの席に優雅に座っていたのは王都にいるはずのオーロラだった。
「なんで、幻覚?」
オーロラが……いいや、そもそも連行される自分以外の人物がこの馬車の中にいるはずがない。
あれだけ暴れても外鍵の付いた馬車の扉は開かなかった。そもそもいくら茫然としていたとはいえ、扉が開いたらさすがに気が付いたはずだ。
オーロラはにやりと歯を見せて笑った。やはり幻覚なのだろう、とジェマは思った。オーロラはこんな笑い方はしない。
「性根の腐った陰険女……たった一言だけであっさり激高するのね。昔からあんたは沸点が低くて堪え性がないのよ。ちょっと興奮剤をかがせただけで、内扉の存在も忘れるんだから」
内扉……。そうだ、あの日アビゲイルという侍女があそこから飛び込んできた。
オーロラの部屋で彼女に会うのならば、まずあの扉を確かめなければならなかったのに……どうして忘れてしまっていたのか。そう、いつもの私なら……。
「いつもの私なら注意を払ったのに?」
まるでジェマの心を読んだかのような言葉に、再び目の前のオーロラに焦点を合わせる。
「……!」
ジェマは息をのんだ。オーロラだったはずの彼女の顔は、いつの間にかあの侍女アビゲイルに変わっていたのだ。
「あんたみたいな邪悪な女が、我儘な妹を諫める慈悲深い令嬢だなんて片腹痛いわ。伯爵夫人なんてもとから無理だったのよ。すぐに化けの皮が剥がれたでしょうね」
「あ、あなた……誰?」
「私が誰かですって?……ふふふ、あんたを世界一憎んでいる女よ」
アビゲイルがゆっくりと立ち上がる。馬車は走り続けているというのにふらつくこともなく、ひたりとジェマを見下ろした。
そこでジェマは気づく。またしてもアビゲイルの顔が変わっていた。
亜麻色の髪と水色の瞳……その顔立ち。
「アデラぁ!!」
ジェマは全てを理解した。アデラの企みだったのだ。
あの日、ジェマを挑発してウィリアルドたちに突き出したオーロラはアデラの差し金だった。
「お前が!お前がぁ!ちくしょうっ、私の人生を返っ、……っっ!?」
ジェマはアデラに飛び掛かろうとしたが、なぜか中腰の状態で体が固まってしまった。まるで金縛りにでもあったかのようだ。
「なんで……からだ……」
「馬鹿ねえ。本当に馬鹿」
アデラは満足そうにジェマを見ると、ゆっくりと座席に腰を下ろした。
そこにいたのは、間違いなくジェマの妹アデラだった。
一年前より少し背は伸び、無造作にまとめただけだった髪は結い上げられ、ジェマのお古のドレスではなく、シンプルながらも上品なベージュのワンピースをまとっている。顔には化粧を施し、かつての彼女にはない匂い立つような色気があった。ジェマの知っている萎えた姿ではない、いかにも貴族のご令嬢然としている。
対するジェマは二週間近くも投獄されていたため髪はぼさぼさ、ワンピースは薄汚れ、肌は黒ずんでいる。アデラはただそこに立っているだけでジェマの心を打ちのめした。
「無様ね、ジェマ。やっとあんたの性根に相応しい姿になったわ」
「生きていたの……」
「いいえ、一度死んだわ。あんたたちに復讐するために生き返ったのよ」
「がっ!!」
ジェマは一瞬体の緊張が解け、そしてすぐに床に押し付けられた。何らかの圧力を上からかけられ、立ち上がることができない。
「うっ、うっ、たすけ……」
「『助けて』?笑っちゃうわね。何人もの人間を虐げてきたくせに、自分が窮すると助けを乞うなんて。あんたを恨む人間はいても、同情するもの好きはいないのよ」
「あ、あくま……」
「まあ!相変わらず自分のことを棚に上げて人を悪魔呼ばわりするのね」
アデラは優雅に足を組み直す。だがジェマを見下ろす水色の瞳は、氷のように冷ややかだった。
「ねえジェマ。私思ったのよ。このまま北の島の修道院に行ってしまえば、あんたは二年と生きられない。あんまりよね」
「……」
「―――あんたが私やオーロラ様たちにしたことに比べたら、軽すぎる罰だわ」
ジェマは一瞬呼吸を忘れた。
馬車の中という密室の空気がどろりと重くなる。アデラから発せられているのは、間違いなく殺気だった。
がたがたと震え始めるジェマをよそに、アデラは一瞬で優雅な笑顔に戻っていた。……もうそれすらも恐ろしい。
「知ってる?北の島の修道院を預かる辺境伯様には、独身の兄上様がいるの。お歳は五十近かったかしら?」
「……」
「その兄上様はね、人を鞭で痛めつけることに快感を覚える方なんですって。何人もの訳アリの令嬢を引き取っては毎日毎日……。あら?誰かにそっくりね」
「……!」
「大丈夫よ。オーロラ様の心の安寧のためにも、あなたは北の修道院で真面目に奉仕していることにしてあげる。辺境伯様も喜んでいたわぁ。兄上様がオモチャを壊したばかりで、新しいのを見繕わなきゃいけなかったからちょうど良かったって。十年は持たせるとお墨付きをもらったから安心してね?」
「まさか」
「そうよぉ。あなたは辺境伯様の兄上の、新しいオモチャになりましたー!馬車はこのまま修道院じゃなくて兄上様のお屋敷に行くから乗り換えを心配しなくていいわよ」
「アデラ!!やめて、お願いっっ。これまでのことは謝るわ。だから」
「……乳母から聞いたのよ」
「え?」
急にアデラの表情がごっそりと抜け落ちた。
「私の乳母、生きていたわ。だから会いに行ったの」
アデラが生まれてから二年ほど、真摯に面倒を見てくれた乳母。年を取っていたがまだ健在で、王都から少し離れた街で家族と住んでいた。
「体の弱いお母様が妊娠したのは、幼い娘に懇願されたからなんですって。『弟か妹がほしい』って」
「え?え?」
「お母様を殺したのはジェマ、あんたの我儘よ」
「ち、ちが……覚えてない」
「お母様はあんたが弟妹がほしいと泣き喚くから、体が弱いのに無理して三人目を妊娠したのよ!あんたがお母様を殺した!」
「違うわ」
「この母親殺し!!」
「違うっ」
「悪魔はあんたの方よ」
「違う、違う!私のせいじゃないーーーー!!」
「おい、うるせぇぞ!!」
どんどん、と馬車の壁を外から叩かれ、ジェマははっとする。
いつの間にかアデラの姿は消えていた。
「ゆ、め……?」
だが、あまりにもリアルな……。
「ね、ねえ、御者さん……御者さんっ!ねえってば!」
「うるせぇって言ってるだろ!」
「この馬車は北の島に向かっているのよね?そうよね?」
「ああん?ああ、心配するなよ。お前を引き取ってくれる奇特な貴族がいるそうだ」
「!!」
「北の辺境伯の親族らしいぞ」
「い、いや……」
「よかったじゃねぇか。もう二度と悪いことはしないで、お貴族様の言うことを聞いて慎ましく暮らすんだぞ」
「いやーーーーーーー!!!!!」
北の辺境伯の領地に向かう馬車を見送りながら、アデラはマリアに語り掛けた。
「……今回はありがとう、マリア。全部あなたのおかげよ」
《いいってことよ。久々に外に出れて私も楽しかったしね。でもウィリアルドにもお礼言っときなさいよ》
「……」
《そこで黙んないの。ウィリアルドの協力なしでジェマへの「ざまあ」は成功しなかったんだからね?》
「わかってるわ」
《鞭打ち好きの変態親父っていうジェマにぴったりな引き取り先を見つけてくれたのもウィリアルドだしね。あいつ、純朴そうな顔して悪い友達持ってるのね》
騎士団の伝手らしい。アデラがジェマをもっと懲らしめたいと言うと嬉々として紹介してくれた。
《―――あとの復讐対象は二人ね。イーサンとクラーク侯爵》
「ええ、そうね」
姉は去った。残ったのは兄と父。
《やっぱりクラーク侯爵は後に残しておくの?》
「もちろん……と言いたいところだけど、二人同時に仕掛けるつもりよ。最後まで残った侯爵が危険を察知して逃げるかもしれない」
《ありうるわね》
「明日から早速始めるわ」
《……アデラ》
「なに、マリア?」
《一度ウィリアルドと話し合った方がいいわよ?》
「……」
《あいつが味方なのは間違いないけど、秘密も多いわ。全部聞き出しておいた方がいいと思う》
「話してくれるとは限らないじゃない」
《聞かれたら話すわよ。あんたがウィリアルドから逃げ回っているだけでしょう》
「う……」
《ねえ、アデラ……あんたもしかして……ウィリアルドを好きになるのが怖いんじゃない?》
「……」
『―――あなた、復讐が終わったら消えるつもりなのね』




