A定食の内容を教えてください。
ーとある食堂で起きた話…なのだが…
とある町のど真ん中にある食堂に一人の男がやってきた。
「A定食とB定食があるのか。」
男の目の前にある看板には、《A定食・B定食》としか書かれていない。
「内容わからないじゃん…」
男は入るかどうか迷った。しかし、飲食店はここ以外になさそうだ。空腹でもあった男は悩んだ末に食堂に入ることにした。きっと、店の中には詳しいメニューがあるはずだ。
「いらっしゃーい!」
引き戸を開けると、店の奥から従業員と思しきやたら背の高い細身の中年女性が甲高い声で男を迎え入れた。
「お好きな席どうぞ。」
「は、はい。」
妙にテンションの高い中年女性に困惑しながらもすぐ近くの席に着く。
「お決まりになったらお呼びくださーい。」
そう言うと、女は奥へと戻っていった。
「なんなんだあのおばさん。」
そう言いながらも男は机の上に置いてあった妙に薄いメニューを手に取る。
「は⁉」メニューを開いた男。「ほんとにA定食とB定食しかないじゃん!」
妙に薄いメニューを開くと、左に横書きで《A定食》、右にも同じく《B定食》と書かれているだけだった。
「え? 内容は?」
メニューには、《A定食》と《B定食》以外には何も書かれていない。余白だけがある。
「ちょっとこれは…すいませーん。」
男は店の奥に叫ぶ。
「いらっしゃーい!」
三角頭巾をつけたハイテンションおばさんが再び現れた。
「いやいや僕ですよ。」
「あ、新規さんじゃない。もしかして注文ですか?」
「大体そうでしょ。でもその前に。」男は女にメニューを見せる。「これ《A定食》、《B定食》としか書かれてなくて、何が食べられるのかが全然わからないんですよ。」
「なんだ~。そんなことぉ?」
「いや、『そんなこと』でもないでしょ。せめて写真かなにか載せてくださいよ。」
「大丈夫。うちは産地直送でやってるから。それじゃごゆっくり~。」
「ちょっと! ごゆっくりじゃなくて。ちょっと、えー!」
女は奥へと戻っていった。
「なんだこの店。完全に外れじゃん。どうしよ、店変えよっかな…でもなんか気になるんだよな~。」
男は店の奥をのぞき込む。厨房でカップラーメンをすすっている女と目が合う。
「なんなんだよあのおばさん…」
女は逃げるように厨房へと消えた。
「とりあえず内容聞かないと頼む気しないな~。すいませ~ん。」
男は再び女を呼ぶ。
「いらっしゃーい!」
「だから僕ですって。出てくるときいつもそういう感じなんすか。」
「やっと、決まったみたいね。」
女は男の机に手を置く。
「距離近いな。あの決まったわけじゃなくて。とりあえず二つの定食の内容だけでも教えてくれませんか?」
男はメニューの中を指差す。
「あら~気になる~?」
「『気になる~』じゃないですよ。知らないと注文のしようがないんですよ。怖いですよこれ。」
「それじゃさ、どっちか適当に選んで、出てきてからのお楽しみ、なんてどう?」
「え? もしかしてこの店、そういうお店だったんですか?」
「今思いついたの。」
「やっぱ怖いな~。んも~。こうなったらもういくしかないかもな。」
「やっと腹括った?」
「なんすか“腹括る”って。もうA定食でいいですよ。」
「なに…?」
女の目が鋭く変わる。
「なんすかその顔。」
「本当にAでいいのねぇ?」
「なんでそんなにじらすんですか。」
「ゴツゴツしてるわよ~。」
「なんすかそれ⁉ もしかして唐揚げですか?」
「私、火使えないのよ~。」
「なんで飲食店やってるんですか⁉」
「まあでも、あなたがそんなにA定食がいいと言うのなら、私、一肌脱いじゃう。」
「……きもちわる。」男は引き気味になる。「あの、本当にヒントだけでもいいんです。A定食がどんなものなのか教えてください。それじゃないと、気味が悪すぎるんですよ。」
「じゃぁ、ヒントをあげる。」女は上目づかいに男を見て近づく。「厨房いらっしゃい。」
「帰ろ。」
立ち上がる男。
「わかったわかったわかったわかった。」
男の腕を引く女。
「なんすかもう気持ち悪い~。」
「もう言うから。唐揚げは入ってないから。」
「じゃ、ゴツゴツってどういうことですか。」
「ゴツゴツもしてるし、プチプチもしてる。」
「プチプチ? 海ぶどうですか?」
「あ!」
女の表情が明るくなる。
「え⁉ もしかして、海鮮系ですか?」
「あらあらあら。」
「てことはゴツゴツしてるのって…貝ですか?」
「A定食、一丁?」
女がペンと小さいクリップボードを取り出す。
「ようやく昼ご飯に行きつけるよ~。A定食一丁で。」
「かしこまりました~。」
女はそう言うと厨房の中へと入っていった。
「やっとだよ。やっと食べられるよ。本当になんだよこの店…というかあのおばさん。」
安堵する男のもとに女が料理を持ってやってくる。
「お待たせしました~シーフードヌードルです。」
「シーフードヌードルじゃないすか。」
お盆の上に乗せられているのは白いカップラーメンの容器。
「三分お待ちください。
「しかも完成してないじゃないすか。」
「ゴツゴツしてるでしょ~。」
女が容器の側面を爪で小突く。
「さっきからなんですかそのテンション。」
男は完全に騙されたと思った。しかしこの際もうこれを食べて帰るしかない。男は割り箸に手を出した瞬間、嫌な予感が体をよぎった。
「ちょっと待ってください。これ値段はいくらですか?」
女が固まる。
「あら、気づいちゃった?」
「あ、やっぱりぼったくりですか? だから値段も何も書いてなかったんですか?」
女は不敵な笑みを浮かべながら店の扉の鍵を閉めた。男の背中に冷たいものが広がる。
「この世には知らない方が幸せなこともあるのよ。」
「ちょっと、待ってくださいよ。」
男はこの不気味な店に入ったことを心の底から後悔していた。なぜ、入口にある看板を見た時点で入るのをやめなかったのか。
「僕は絶対に払わないですよ。払うとしたらせめて定価ですよ。」
男の額から汗が流れる。
ーパン、パン、パン
店の扉が揺れる。引き戸のすりガラスの向こうには影が見える。誰かがやってきたのか。
「あら、誰か来た。」
女が扉の方を向く。男は安堵した。これで助けを求められるかもしれない、と。
「木水さーん、開けてくださーい。」
扉の向こうから男性の声がする。
「はーい、岡井さん。今開けまーす。」
女はあっさりと開錠し、扉を開けた。
「木水さん、何やってんすか? あれ?」
女から岡井と呼ばれる男性は男を見て呆然としている。
「あ、あの、この店ぼったくりです! 僕今、ぼったくられるところだったんです!」
男は必死でこの店での出来事を説明する。
「木水さん、なんかやってたんすか?」
木水さんと呼ばれる女は突如微笑む。
「いや~急に知らない人が迷い込んできたから、ちょっと遊んでやろうと思って。でもここまで翻弄されるなんて思わなかったのよ~。」
岡井はそれを聞いて吹き出した。
「も~なにやってんすか~。そんなことより撮影始めますよ。」
男は岡井と木水の会話を呆然と眺めている。そんな男に気づいた岡井は説明する。
「あの~ここはですね、撮影用のお店なんですよ。ドラマや映画の撮影で使われるスタジオセットです。本物のお店だと間違えて入っちゃったんですよね。」
「うわー。」男は椅子の上で力が抜ける。「もうなんなんすか~。死ぬかと思った~。」
「私の演技力の勝ちね。」
勝ち誇る木水。
「てことはこれからドラマの撮影ということですか?」
男が聞く。
「そうよ。だって私、女優だもん。この人はスタッフさん。」
木水が岡井を示す。
「え⁉ 女優さん⁉ え…でも見たことない。」
「まあ、再現ドラマだからね。」
「帰ろ~。」
男はシーフードヌードルだけ持つと立ち上がった。
ーー終わり