そのチョコレートは気づかれたくない
「なぁ香澄? 今日はなんの日か知ってるか?」
俺のベッドの上で横になりながら少年漫画を読んでいる幼馴染に話しかけた。香澄は目だけこちらに向けるとなんの感慨もない口調で答えた。
「バカにしてる? 街中それ一色だから誰だって知ってるでしょ。二月十四日。バレンタインデー」
「良かったぁ。煮干しの日とか言われるかと思った」
「なんで煮干し? ……あぁ、言わなくて良いよ。つまんない語呂合わせなんか聞きたくない」
つまらないとは失礼な。煮干しの日は全国煮干協会という立派な団体が決めた、ちゃんとした記念日だ。その協会が普段はどんな活動をしているのか俺は全く把握していないが。
というか、そんな横道に逸れた話をしている暇はない。俺には大事なミッションがあるのだ。
「そうかー。今日はバレンタインデーだったのかー。うっかりうっかり。道理でクラスの男子がソワソワしていたわけだー。みんな本命からチョコはもらえたのかなー?」
同じ空間にいる相手へ聞かせる為にわざとらしく大きな声で独り言を呟く。香澄はそんな俺の魂胆など承知のようで、聞こえないフリをして漫画をめくっている。
ここで心が折れては駄目だ。この日のためにどれだけシュミレーションを重ねてきたと思っている。
俺は声のボリュームを一つ上げて、更に続ける。
「やっぱりこういうイベントがあるとテンション上がっちゃうよなー。流行り病のせいで学生っぽい事が中々出来ないからこそ、羽目を外せるときには外さないとなー。
ハート型のチョコレートなんて渡すの恥ずかしい! でもでも? バレンタインデーだしー? 周りのみんなもちゃんと渡してるから、私も勇気を出してプレゼントしちゃおっk……」
「そのへんにしとけぇ?」
俺の下手な芝居に注意を入れると、香澄がマンガ本を閉じてベッドから起き上がった。
よし。獲物が餌に食いついた。
「なにガッツポーズしてんの? こっちは似てもいない自分のモノマネをされて腹が立ってるんですけど?」
「香澄のモノマネなんてしてないけどなー。ただ、世界中でチョコを渡せずに困っている女性たちの声を代弁しただけなんだけど?」
「知らないなら教えてあげるけど、バレンタインデーにチョコレートを渡すのは日本だけだから。しかも今どき異性の相手にプレゼントを贈るのを強要するなんてセクハラ以外の何物でもないから」
香澄はベッドから降りるとシワが寄らないように制服の裾を伸ばしながら、クッションを自分の方に引き寄せて俺の正面に座った。
穏やかな印象を与えるタレ目を細めて俺を睨み、小さな口をへの字に曲げている。周りの友人からパッと見だと包容力高そうと言われるその顔が、今は優しさのかけらも見られない。
まだ大丈夫。怒っているアピールをしているだけだ。香澄が本気で切れたらこんなもんじゃない。
俺は相手の出方を伺いながら、ジャブを打つ。
「なんでもかんでもすぐにハラスメント呼ばわりするのは良くないって。好きな相手にチョコを贈るなんて素晴らしい文化じゃないか。社会の風潮に負けず、お菓子メーカーには今一度バレンタインデーの普及を頑張って欲しいと俺は願っているぞ」
「製菓会社のキャンペーンだって認めてるじゃん」
香澄がため息をつきながら目の前のテーブルに肘を乗せて頬杖をついた。お怒りモードから呆れモードへと移行している。
「だいたいさぁ、そんなにほしい? ただのチョコレートだよ?」
「ほしい。とてもほしい。すごくほしい」
「即答過ぎて怖いんだけど」
気のせいじゃなければ、香澄がほんの少し遠くなった。精神的にも、物理的にも。バレンタインチョコを欲しがるその姿がそんなに引かれる物だっただろうか。
「クラスの男子もそうだけど、受け取る側からそんながっついて来られると渡す方としてすんごいやり辛いんだよね。ムードもへったくれもないじゃん」
「つまりそれっぽいムードを演出すればチョコをくれるという事でござるか?」
「話聞け。ムードが大事って言ってるのにそんなふざけた語尾を使うヤツいるか? それに、今のはあくまで一般論の話。私がチョコレートを贈るだなんて一言も言ってない」
ついに香澄が自分の事に言及しだした。このタイミングを逃してはならない。
まずは香澄がチョコを用意しているかどうかの確認フェイズだ。
「香澄さん。今から貴方に大事な質問をいくつかします。その回答によって今後の我々の付き合いも大きく変化しますので、よくお考えの上、正直にお答えください」
「なに? いきなり怖」
「第一問ッ!」
目を見開いて叫ぶ。
「貴方は、最近、チョコ専門店に行きましたか?」
「ノーだけど……」
「第二問ッッ!」
さっきよりも更に目を開く。
「貴方は、最近、バレンタイン特設コーナーに行きましたか?」
「駅とかに出店してるヤツ? いや、行ってな……」
「第三問ッッッ!!」
瞬きをしていないせいか、目が痛くなってきた。
「貴方は、最近、スーパーで手作りチョコセットを購入しましたか?」
俺と香澄はじっと目を見合わせる。
この回答によって俺の次のアクションが決まる。お願いだから買ったと言ってくれ。
「……残念ながら買ってません」
「うわあァァァァァァッッッッッッ!!!!」
俺は悲鳴をあげながらフローリングへ倒れ込み、駄々っ子のように体を左右に転がした。はずみで足の先が香澄の膝に当たる。
「ちょっと。痛いんだけど?」
「誠に申し訳ありません」
「うわっ⁉ 急に素に戻った⁉」
上体を起こして、テーブルに額を擦り付けるように謝る。香澄はちょこっと体をビクつかせて驚いた。
「実は香澄にお願いしたい事があるんだけど……」
「今度はなんなの? 展開が早すぎてついていけてないんだけど?」
それは好都合だ。このまま流れでチョコをプレゼントさせてやる。
俺は立ち上がって机のそばまで行くと、カバンの中から小さな紙袋を二つ取り出した。コンビニで売っていたバレンタイン限定の包装が施されたチョコだ。
俺は香澄の向かいの席へと戻ると、何も言わずに一方のチョコを手渡した。
香澄は困惑している。
「え? なにこれ?」
「バレンタインチョコだ。受け取ってくれ。ハッピーバレンタイン」
「ハ、ハッピーバレンタイン……」
戸惑いながら紙袋を自分の方へと引き寄せる香澄の前に、俺は色違いの紙袋をドンッと置いた。
「いや、なんで二個もあるわけ? 私、一個で充分なんだけど」
「違う。これは俺の分だ。これから香澄に一度これを預ける。だから香澄はこれを俺に手渡してくれ」
「……言ってる意味がよくわからないんですけど?」
本気で訳がわからないという顔をしている。しょうがないから説明してあげるとするか。
「こっちの袋は俺が自分用に買ったヤツ。俺へのバレンタインプレゼントなわけ。そのプレゼントを香澄が俺に手渡しする。つまりは香澄から俺へチョコを贈った事になるって寸法さ」
「ごめん。何を言ってるのか本気で分かんない。なんで自分で用意したチョコレートを私が渡すだけで、私からのプレゼントになるわけ?」
そんな正論を言われても困る。俺だって意味が分からないのだから。
「幼馴染にそんなお願いして恥ずかしくならない? そもそもなんで自分で買ってるの? 会計した時虚しくならなかった?」
「うるさいなぁ。だって、しょうがないだろ。香澄がチョコを用意してないんだから。俺だってこんな手は使いたくなかったよ。でも、チョコが貰えないよりはマシじゃないか」
「いやいや。言ってる事やばいよ? チョコレート貰えないから自分で用意したって……てか、袋が色違いって事は私の分はついでってこと? そんなテキトーな心の込もってないプレゼントとかマジでないわ」
「頭きた。そんなに言うならそれ返せよ」
俺は身を乗り出して香澄が手に掴んでいる紙袋を奪い返そうとした。だが、変な体勢で動こうとしたため、テーブルの角に膝をぶつけてしまい、俺は悶絶しながら再びフローリングへと倒れ込んだ。
一瞬早くテーブルから離れていた香澄は床でのたうつ俺を見下ろしている。
「ちょっと大丈夫?」
「だ、だいじょう……あっ、やべっ」
倒れたまま香澄の顔を見ようとした為に、立っている彼女のスカートの中がチラリと見えてしまった。
慌てて視線を逸したが、すでに香澄の顔には笑みが浮かんでいた。本気で切れている時の表情だ。
「へぇ。ドサクサに紛れてそういう事をするわけだ」
「いやっ、今のは不可抗力ってやつで……」
俺の言い訳に聞く耳を持たず、香澄はベッド脇に置いてあった自分のカバンを手に取った。
「ま、まさか⁉ 帰るつもりか⁉ 待って! 話を聞いて!」
「じゃ。さよなら。覗き魔からのチョコレートなんて貰えないから。ここに置いておく」
香澄は俺が贈った小さな紙袋をベッドの上に放り投げると、俺から距離を取るようにしながら部屋のドアを開けた。
「か、香澄! 違うんだ! 本当に俺はただ……」
足を抑えながら呼びかける俺を香澄は背筋も凍りそうな目つきで一瞥した。そして、何も言わずに部屋から出て行ってしまった。
失敗だ。完全なる失敗。やっぱりチョコ立替作戦なんてするんじゃなかった。代理チョコ作成にすべきだったか。
いや、香澄が言っていた通り、プレゼントは心が込もっていないと意味がない。自分で用意してしまった時点で俺の作戦は失敗していたのだ。
俺は足をさすりながら立ち上がると、ベッドに放置された紙袋を掴む。
「無駄にするのももったいないし、自分で食べるか。それにしても、香澄のやつ。あんな言い方ないだろ……って、あれ? なんでラッピングされてないんだ?」
俺が買ってきたチョコは中の種類は複数あるがデザインは統一されていて、確か沢山のハートが描かれていたはずだ。実際、テーブルの上にある自分の分の外装はハートまみれだ。
だが、手にした紙袋に入っていたのはなんの包装紙も巻かれていない、無地の箱だった。
ピンクのリボンで封がされており、解いて箱を開けると、中には商品にしては少し歪な形をした生チョコが入っていた。
購入したのは生チョコだっただろうか。トリュフチョコだったような気がしたが……
製品名が書いてあるはずのラベルがない以上、今更確認しようがない。
俺は肩を落としながら、中に入っている生チョコを一つ摘んだ。
「これが香澄の手作りだったらな。手作りセットを買ってないって言ってたからそんな事ありえないけど」
そのまま口にチョコを放り込む。
コンビニで買った物とは言え、バレンタイン限定品なのでいつもより美味しく感じた。
お読み頂きありがとうございます
バレンタインデーということでそれにちなんだ短編を書いてみました
何も小難しい事を考えずに書いたのであらもあるかと思いますが、楽しんでいただけたら幸いです