第7話、訓練と試し打ち
翌朝、香しいパンの匂いで目が覚めた。ベッドから起き上がると、昨日の執事さんがテーブルに朝食を用意しているところであった。彼は、俺が目覚めた事に気が付くと、こちらを向いて優雅に礼をした。
「おはようございます、ザックス様。
朝食を用意しましたので、こちらへお越しください」
鼻腔をくすぐるパンの匂いを嗅いでいると、腹が空腹を訴えた。寝間着のまま、テーブルへと誘われた。
そこに用意されていたのは、ホテルのような朝食である。肉厚のベーコンに、ソテーされたトウモロコシ、眩しい程に黄色なオムレツ、瑞々しい緑の野菜サラダ、ゴロゴロと野菜が煮込まれたスープ、そして山盛りのパンだ。昨日の夕飯も美味しかったが、朝食も同様である。思わず異世界に来ている事を忘れてしまいそうだ。実は日本のホテルだったりしないよな?
しかし、こんな状況でも「頂きます」と言ってしまうのは、日本人故か。
取り敢えず、一番気になっていたパンに手を伸ばす。添えられていたバターを軽く塗り、一口頂くと、口いっぱいに小麦の香りとバターの芳醇な香りが広がった。焼き立てのパリッとしたパンが美味いのは当然のことながら、バターも美味い。ミルクの香りとコクが有るのに、後味はさっぱりしていて、パンとバターだけでいくらでも食べられそうだった。
執事さんに、そんな感想を言うと、微笑を返してくれた。なんでも、近くの牧場で作られた新鮮なバターが、毎朝届けられるそうだ。流石は伯爵様、毎朝届くとか贅沢過ぎる。
他の料理も美味しく、腹いっぱいになるまで食べてしまった。
その後、運動し易そうな服に着替え、執事さんに案内されて、領主の館の外にある訓練場へ向かった。
訓練場は広いグラウンドに、打ち込み用の鎧付きの案山子や、魔法の的になる石壁、着替え用のロッカールームにシャワー室が有る建屋、訓練用の武具の倉庫と色々揃っている。
俺も訓練に備えて、特殊アビリティ設定を変更。経験値増5倍のスキルにチェックを入れてアクティベートしておく。
軽くストレッチをしながら、執事さんに設備の事などを雑談で聞いていると、ノートヘルムさんが1人の年配の男性を伴ってやって来た。俺は居住まいを正し、挨拶を交わした。
「おはよう、ザックス。よく眠れたか?」
「おはようございます。はい、おかげさまでぐっすりでした。朝食も美味しかったので、訓練も頑張れそうです」
挨拶を返しつつ、隣の人に目を向ける。髪に白髪が混じり始めた初老の男性だが、身体つきはムキムキで、歴戦感がある。
「それは結構。
紹介しておこう、見習い騎士の教官役、ウベルトだ。彼には君の訓練を担当して貰う。それと、事情は話してあるから、訓練に関する質問は彼にすると良い」
「私は戦闘経験の無い初心者ですので、基礎からよろしくお願いします」
ウベルト教官に対し、頭を下げて挨拶するのだが、何故か悲しそうな目を返される。
「昨日の事故現場にも居合わせておったし、事情も聞いたが、未だに信じられんのう。一応自己紹介しておくか、教官役のウベルトじゃ。若が10歳の頃から指導してきたが、覚えておらんのか?」
「すみません。ザクスノート君の記憶は残っていません」
ウベルトさんは軽く頭を振ると、溜息をひとつ付いた。
「しょうがないか。儂の事はいつも通りジジイと呼んでくれればいい」
「いやいや、教官役の方にそれはちょっと……ウベルト教官と呼ばせて下さい」
そんな呼称をどうするかで、軽く揉めていると、ノートヘルムさんが割り込んで来た。
「ウベルト、彼はザクスノートでは無い。他の者と同じく教官にしておけ。
ザックス、昼前にエヴァルトが来るので、その時に聖剣の力を見せて貰うぞ」
ノートヘルムさんはそう言うと、執事さんを伴って帰っていった。
取り敢えず、ウベルト教官の指示で、どれだけ身体が動かせるのか確認から始まった。
柔軟に始まり、ジョギングで体を温める。その後は短距離走や幅跳び、腕立て、腹筋等で身体能力を測り、最後にマラソンで持久力を見た。
身体つきから分かっていたが、まるでアスリートになった様な気分だ。ただマラソンで無心になって走っていると、この体に慣れて行っている気がする。
しばらく走っていると、ウベルト教官に呼び止められた。
「そろそろ領主様がお見えになる頃だ、クールダウンしておきなさい」
ウォーキングに切り替えて、その後ストレッチをする。
ウベルト教官が建屋の方から、コップのような何かを持って来て手渡してくれた。それは、子供の頃に見たような竹製のコップである。水がなみなみと入っていたので、美味しく頂いた。
まだ時間はありそうなので、手早くシャワーと着替えを済ませると、丁度ノートヘルムさんとエヴァルトさんがやってきた。エヴァルトさんは、楽しみで仕方がないといった様子で笑う。
「やあ、お待たせ。早速昨日の続きと行こうじゃないか」
上機嫌なエヴァルトさんに押されて、縦横3m程の石壁が並ぶ場所へ案内された。今朝、執事さんに聞いた、魔法で壊しても良い石壁らしい。
俺も特殊アビリティ設定を変更して、聖剣クラウソラスを取り出す。
「さて、それではスキルの試し打ちと行こう、あの石壁に向かって使ってくれ」
ノートヘルムさんの言葉に頷き、聖剣を抜刀し正眼に構えた。執事さんに聞いた話から、スキルを使うには魔力を手に集めて、スキル名を言うらしい。ただ、魔力の扱いが分からないので、取り敢えず、スキル名を言ってみた。
「〈プリズムソード〉!」
次の瞬間、手から……いや体中から、何かが吸い出されて行き、聖剣の鍔に嵌められた宝石が光を発した。そして、聖剣の左右に、赤く光る剣と、青く光る剣が出現した。あれ、2本だけか?
光剣の剣先にカーソルが見えるので、注視して見るとカーソルが回転し始める。その状態で視線を動かすとカーソルも追従して動くようだ。石壁にカーソルを置いて注視すると回転が止まる。発射方法がわからないので、取り敢えず(行け)と念じてみる。
その瞬間、弾かれた様に赤い光剣が飛んで行き、石壁を貫通していた。
「おお!!石壁を易々と貫通するとは。青い剣も試してくれ」
興奮するエヴァルトさんの声に、青い光剣のカーソルを動かして射出する。こちらも簡単に貫通するが、赤い方と比べると穴が若干小さい。
色々動かして見たところ、念じても動かせる様だ。
目視で3次元にカーソルを動かすのは難しいが、念じると奥や手前に動かす事が出来るし、(石壁を攻撃)と念じれば、カーソルが自動で動いて攻撃してくれる。ただし、狙いは大雑把になるが。攻撃も縦切りや、横切りを指示する事で斬撃にする事が出来た。
聖剣本体の赤い宝玉と、青い宝玉が点灯しており、触るとカーソル位置がリセットされて聖剣の剣先に戻った。カーソルが動かせなくなったので、恐らく自動攻撃モードになったのだろう、魔物がいないので確かめようも無いが。そのまま、1分程放置すると、光剣は手元に戻って来てしまった。
「なかなか凄いな。今のはザックスが動かしているのか?」
エヴァルトさんに、先程の検証内容を話したところ、熱心に聞いてくれた。そればかりが、目を輝かせて質問をして来る。
「なるほど、カーソルと言うのはイマイチ分からないが、私も気になっていた事がある。ザックスステータスを開いてMPの残量を見てくれ」
「はい……MPが1/3ぐらいに減っています。後、ついでに基礎レベルが2に上がっている」
「スキルの発動にはMPが必要だ。鑑定結果には7本とあったが、ザックスの最大MPでは2本呼び出すのが限界だったのだろう。
そして、基礎レベルが上がったのは、石壁を壊したからだ。あれは基礎レベルで言うと30くらいの魔法だからな、良い経験になったのだろうな。5レベル未満の時は、初めての経験をするだけでレベルが上がるのだよ」
レベルを上げれば、7本召喚出来るようになるのだろうけど、現状の2本でも十分強い。スキル発動時に、本数指定が出来ればMPの節約になるだろうか?MPが回復したら試してみるか。
「それともう一つ、赤の光剣と青の光剣で破壊力に違いがあったのに気付いたか?
おそらく属性の違いによるものだ。
赤は火属性、青は水属性、そして石壁は土属性だ。属性の相関だと水は土に弱く、威力は半減している筈だ。
まあ、半減していても石壁を貫通出来る威力なので、始めのうちは気にしなくても良いだろうね。属性に関しては、午後の講義で教えよう」
そう話していると、2本の光剣が消えていった。エヴァルトさんが懐中時計の様な物で、確認してくれたところ、どうやら召喚してから15分程が効果時間らしい。
「そうそう、聖剣本体でも試し切りしてごらん」
「剣で石壁を切るとか、刃こぼれしそうで……いや、破壊不可が付いていたましたね」
抜き身のままだった聖剣を構え、石壁に斬りかかる。石の硬い反動を予想していたが、切った感触は殆ど無く、石壁を軽々と切り裂いていた。斜めに切り裂いた岩の破片が、足元へ落下したので、慌てて避ける。そして、今度は真一文字に振るってみると、先程と同様に簡単に切り裂いた。
包丁以外で何かを切るなんて、初めてであるが、驚くべき程の切れ味である。
少し楽しくなって来て、何度も剣を振るっていると、後ろから声が掛けられた。
「石壁は細かくして、全部切り倒しておいてくれ」
ノートヘルムさんの声に、石壁を賽の目切りにするが、まるで豆腐を切っている気分になる。ガラガラと音を立てて崩れているので石なのは確かだ。
ある程度破壊したところで、ノートヘルムさんに目を向けると「それで十分だ」と、許可が出たので皆の所へ戻る。
地面に置いてある鞘を拾い、納刀しようと聖剣に目を向けると、刃こぼれどころか砂埃すら付いていない綺麗な刀身に驚いた。聖剣の規格外さを目の当たりにしつつ、特殊アビリティ設定を変更し聖剣を消す。
「聖剣の強さは十分に分かった。あれほど簡単に石壁を切る事が出来るのならば、ダンジョン攻略に役立ってくれるだろう。
ただし、普段は使わない方がよいな。ボス戦や強敵相手の切り札にするべきだ」
ノートヘルムさんの意見に、ウベルト教官とエヴァルトさんも頷く。
「光剣が目立ち過ぎるし、楽勝過ぎても戦闘技術が身に付かないと思いますのう」
「同感ですね。普段のアビリティポイントは、ジョブや経験値増に回すべきでしょう」
これがRPGゲームなら一気に攻略を進める事もできるが、現実となると安全マージン確保の為にレベル上げと戦闘経験を積みあげた方が良いか。先達の意見をありがたく拝聴し、それに倣う。
「私としては、皆さんの意見にプラスして、初見の敵には使いたいですね。行動パターンを観察するにしても、いざという時に即殲滅出来る様にしたいです。
それにある程度、聖剣を使って慣れて置かないと強敵相手に使うのも怖いです」
「その辺のさじ加減は、君に任せる。ダンジョンを攻略していけば、次第に慣れるだろう」
そう言うとノートヘルムさんは懐から緑色の金属棒を取り出して、石壁のあった方へ向ける。それは只の棒ではなく、魔法使いが使うワンドの様に根元に宝石が付いていた。
何が起こるのかとワクワクしてみていると、ワンドの先に光が灯り、魔法陣を描いて行く。ワンドを動かして描いているのでは無く、光自体が動いて魔法陣を作っている様だ。
そして、十数秒くらいで光の魔法陣が完成し、ノートヘルムさんがスキル名を発した。
「〈ストーンウォール〉!」
すると、バラバラだった石壁の残骸が、更に細かく分解され……次の瞬間には石壁が下から生えて来た。先程の分解された分も吸収されたのか、跡形もなくなり、新しい石壁だけになっている。
俺は、初めて見る魔法に、感動してしまった。
「おお……これが魔法ですか?」
「ああ、初級属性の一つ、土属性魔法ランク5〈ストーンウォール〉である。主に敵の群れを分断する場合や、攻撃を防ぐ壁として使うのだ」
そこで、ふと気になった。こんな魔法を使えるノートヘルムさんはどれくらい強いのだろうか?
特殊スキルの〈詳細鑑定〉と〈無充填無詠唱〉を有効化して、こっそり鑑定させて貰う。
【人族】【名称:ノートヘルム・アドラシャフト伯爵、35歳】【基礎Lv67、魔導師Lv67】
レベル高い! ダンジョン攻略にはこれくらい必要ということか。そして魔法使いではなく、魔導師か。よく分からないけど、強そうである。
俺が内心で驚いていると、ワンドをしまったノートヘルムさんが、訓練場の横の方角を指差した。そっちは、昨夜泊めて頂いた伯爵邸の方角からは少しズレている。
「午前中はこれくらいだな。ザックス、離れの屋敷を準備したので、今後の生活や講義はそちらで頼む」
「……本館には顔を出さない方がいい、という事ですね?」
「家族を失ったのだ。私はともかく、子供達には心を整理する時間が欲しい」
「分かりました。気をつけます」
ノートヘルムさんとウベルト教官にお礼を言って別れ、エヴァルトさんと2人で離れの屋敷に向かった。