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目がさめると、そこには――
「おはよう、伊澄くん」
結さんが、微笑んでいた。
手を伸ばし、頬に触れる。確かに結さんは、そこに居る。
「……お帰り、結さん」
身体を起こし、結さんを抱きしめる。
結さんは、確かに帰ってきた。
「……ただいま」
ぎゅっ、と最後に少し力を込めてから、結さんを離す。
時計を見ると、4時半を指していた。そんなに経ってないんだな。なんか変な感覚。あっちの世界では何日か経ってた筈だから。
早朝じゃないか……もうちょっと寝ようかなぁ……。
……って、ここ結さんの部屋か。結さんのベッドで寝るのも申し訳ないな。さっきまで寝てたみたいだけど。
「そういえば明は?」
部屋を見渡しても明の姿はない。
「一旦帰った。またすぐ来るって」
「……そっか。俺も一回帰ろうかな。シャワー浴びたいし」
そう言って立ち上がろうとすると、結さんが制した。
「うん、でもその前に……」
結さんの両手が、俺の頬に添えられる。え、まさか……。
唇に、柔らかな感触。2回目……だよな。キ……ス。
たっぷり数秒経ってから、唇が離れた。
「……できるだけ、早く戻ってきてね」
結さんは何事も無かったかのようににっこり微笑んで言った。
「……結さん、だいぶ変わったね」
「伊澄くんのおかげかな」
……まぁ、いいか。変わるのは悪いことじゃない。
「……じゃぁ、行ってくる。待っててね」
「うん」
部屋を出て、けれどすぐに振り返って、結さんを見る。
「ん? どうしたの?」
「……いや……」
もしかしたら、また居なくなっちゃうんじゃないか。そんな不安が急に押し寄せた。
「……大丈夫、もう居なくなったりしない」
察してくれたのか、結さんは俺の手を握って微笑んだ。
「……うん、ありがとう」
俺は礼を言って、今度こそ部屋を出た。
その日はみんなで学校をサボった。
疲れが半端じゃなかったし、なにより結さんと一緒に居たかったから。
いつかみたいにみんなでゲームをして、飽きたら買い物に行って。
俺は店長に遊ばれて、結さんと明のミニファッションショーで楽しんで、結さんと一緒に帰った。長いマフラーを、二人で一緒に
巻いて。まるで恋人みたいに。
結さんはよく笑うようになった。喜ばしいことだし、それまでより一緒にいると楽しく感じるようになったから、実際嬉しい。
明はそれまで以上に明るくなった。肩の荷が下りた、っていうと言い方が悪いかもしれないけど、それまで以上に自由になった。
俺は、どうだろう。変わったのかもしれないし、変わってないのかもしれない。自分じゃよくわからない。
「え~っと」
俺は一人で繁華街にいた。明にお使いを頼まれたからだ。メモを確認して、商品を探す。
そういえば少し明に優しくなったかな。自分の変化ってのはやっぱりよくわかんない。
「あら、伊澄くんじゃない」
後ろから声をかけられて振り向くと、店長がいた。
「あぁ、店長。買い物?」
「そう。伊澄くんも? 奇遇ね」
相変わらず妖しい笑みの人だなー……。
「あ、そうだ伊澄くん。聞いて聞いてー」
「何だよ気持ち悪い」
「気持ち悪いとは失礼ねぇ。でも伊澄くんイヂめたらお嬢ちゃんが怒るからなぁ……」
相変わらず変な人だなー……。
「で、聞いて欲しいことってなにさ」
「あ、そうそう! 店の名前決まったの!」
え、決まったの? 前は「店名がないのがこの店の常」って言ってたのに?
「お嬢ちゃんが考えてくれたのよ。私ももうすごい気に入っちゃって」
「結さんが?」
「……お嬢ちゃんが絡むと興味湧くのね」
う……。まぁ結さんが考えたことだから興味がある、ってのは否定はできない。
「で、どんな名前なんだ?」
「『ティラミス』って言うの」
それって結さんがティラミス好きなだけじゃ……。
「ノンノン。ティラミスはイタリアのお菓子でしょ? イタリア語の意味が素敵なの」
イタリア語でティラミス……?
「どんな意味なんだ?」
俺が尋ねると、店長はにっこり笑って答えた。
「『私を引っ張りあげて』」
――――あの日。『英雄』を結さんが聞かせてくれた日。
あの日も、結さんは俺にティラミスを――――。
「……どうしたの、伊澄くん」
「……いや、なんでもない。いい名前だと思うよ」
結さんは、やっぱりずっと待っててくれたんだ。
もう、辛い思いをさせちゃいけない。結さんと一緒に、笑っていたいから。
「店長、ごめん。俺急いで帰らなくちゃ」
今日は急いで帰ろう。早く、結さんに――会いたい。
今まで辛い思いをさせてた分、一緒に楽しい時間を作りたい。
「わかったわ。またお嬢ちゃんと一緒にうちの店に遊びにいらっしゃい」
「ありがと」
店長と別れて、頼まれたものを急いで探して購入する。
結さんに会いたい。
愛しい人に、会いたい。
走って走って、やっと明の家に着いた。
預かっていた鍵で玄関のドアを開く。
「ただいま――」
息を切らしながらも、大きな声をあげる。
ドタドタという足音とともに、2階から降りてくる愛しい人。
「――おかえり」
その微笑みが、俺を幸せにしてくれる。
俺たちは、ずっと一緒に生きると約束した。
約束と、誓いと、願い。それが、力になる。
孤独の中での神の祝福は、いらない。一緒に掴む幸せを、俺たちは求める。