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tira mi su  作者: tetori
7/8

 目を覚ますと、視界は白で支配されていた。

 ここ、あれだ。何回か来た、あの白くて何も無い空間だ。たぶん。

 死後の世界ってやつなんだろうか。でも、自分の身体がある。自分には触れられる。服装が制服になってるのはなんでだろう。

 ……本当に、死んだのかな。

 少し歩いてみると、不意にピアノの音が聞こえてきた。

 聞いたことのない曲だった。はじめからゆったりと、優しいメロディが絶えることなく続く。少し力強くなって、でも力が抜けた


ように悲しそうなメロディになる。まるで、なにかを求めているような、なにかに縋ろうとしているような音の表情。

「……これは……」

「お主は死んではおらんよ。ここは彼女が創ったもう一つの世界。我らが戦っていたのとは、また別の世界」

 声が聞こえた。

 ピアノが奏でる旋律は、悲しげで、優しげで、音は強いのにどこか儚いものだった。これが主旋律の部分だろうか。

 俺が振り向くと、そこには天照が立っていた。

「……生きてるのか、俺は」

 天照は無言で頷いた。

 遠くから、パタパタと足音が聞こえる。走ってる足音。

 足音は次第に近づいてきて、やがて俺の近くで止まる。

「お前も、生きてたんだな」

「うん。でもここ、なんにもないからちょっと退屈だった」

 俺が声をかけると、そいつは少し息を切らしながらも答えた。

 振り向いて、唯一無二の親友の姿を確認する。

「また会えてよかった、伊澄」

 にっこり微笑む俺の親友――明は、もう妖精みたいな姿じゃなくて、俺と同じように制服だった。

「……あぁ」

 俺はそれだけ言って頷いた。それ以上言うと、泣くかもしれないから。

「再会を喜んでるところ悪いんじゃが」

「明を消し飛ばしたのはお前だろう」

「言い返せんのぅ。はっはっは」

 呑気な奴。あの邪悪な笑みとか全部演技だったのか?

 それはともかく。

「わかってるよ、まだ残ってる」

 そう、俺にはもう一仕事残ってる。

 天照は頷いて、こう言った。

「少し遠くにある。歩きながら話すとしよう」



「そうか、思い出したか」

 俺が昔、結さんと会ったことがあることを二人に伝えると、天照はそう言った。

 歩いている間も、ピアノの音は止む事がない。周りの景色、っていうか白色は変化することもなくて、足のついているところも白


だから、進んでいるのかさえわからない。不思議な感覚だ。

「正直、自分でも信じられない。あんなに大切な思い出を忘れてたなんて」

「人間ってのはそういうものじゃよ。けれど、それ故に他者を知らぬ間に傷つけることがある」

 保健室で会ったときの俺と結さんがまさにそれだろう。悪意の無い俺の言葉が、結さんをどれだけ傷つけたことか。

「とりあえず、彼女の願いは1つ叶ったということじゃの」

 俺が思い出すことを、結さんは望んでいたのか。そりゃそうだろうな。……自分が嫌になる。

「自分を責めるな。彼女が悲しむ」

 ……そう、だな。俺も結さんが自分を責めて苦しむのは嫌だし。

「……そういえばさ、結局お前はなんなんだ?」

 天照は最初から全部わかっているような口ぶりだった。それがずっと疑問だったんだけど。

「我か? 我はこの世界の軸じゃよ」

「軸?」

「そう、軸。地球に地軸があり、それを中心に廻るように。太陽系の星々が、太陽を中心に廻るように。我を中心にこの世界は廻っ


ておる」

「……なるほど」

 この世界を創った結さんとは別に、この世界を廻す存在があって、それが天照なのか。

「この世界に何かがあっても、創造主たる彼女に影響がないように創られたもう一人の彼女。それが我じゃよ」

 なんかめんどくさいな。

「我と彼女は殆ど同じ存在じゃよ。彼女が動けぬ今は我が動くしかなくての」

 ――ふと、思うことがあった。

「天照、お前――」

 俺がそれを口にしようとすると、天照はそれを制し、悲しそうな笑みを浮かべた。

「いいんじゃよ。それが我の役割じゃから」

 ……役割、か。

 投げ出したいのもわかる。天照は――

「……あの時は、すまんの」

「……いや。天照の気持ち、わからないでもないよ」

 天照が、結さんを「彼女」と呼ぶ理由。きっと、自分と結さんは別の存在だってことを主張したいんだと思う。結さんに創られ、


世界を廻し、役割を果たすだけの存在じゃなくて、一人の人間としての存在を、俺に、俺たちに伝えたいんだと思う。

 けれど、それは俺の判断を鈍らせかねないから、堪えて役割を全うしたんだろう。

「あの時って?」

「いや、明は知らなくていい」

「結ちゃんに伊澄が天照をたぶらかしてたって伝えようかなぁ……」

 やめてくれ。

「……とにかく」

 天照が話を戻す。

「彼女はちんまいの……ではなくなったな。明の支えがあったからこそ今こうして生きておる。けれど、彼女を支えていたのは明だ


けではないんじゃよ」

 そう言うと同時に天照は立ち止まり、くるりと後ろを向いて俺を指差した。

「幼少の頃、一度だけ会った友達――お主に会いたい、という思いも、彼女が生きる糧となった」

「…………」

 その言葉が、俺の心に突き刺さった。あの時、俺は――ほんとうに、どれだけ結さんを傷つけてしまったんだろうか。生きる理由


にまでなっていた相手に、忘れられて。

「……明は、全部知ってたんだろ?」

「そりゃぁね」

 俺の問いに、明は平然と答える。

「でも、教えるわけにはいかなかった。もどかしくて仕方なかったよ。伊澄をぶん殴って無理矢理思い出させてしまいたかった」

「微妙に物騒なこと言わないでくれ」

 明はくすりと笑って、どこか優しい瞳で言った。

「……結ちゃんが言ったんだ。伊澄が自分で思い出してくれるのを待つって。結ちゃんがそう言うなら、ぼくは他にどうしようもな


かった」

 結局、明にとっては結さんが全てなんだ。だから、自分が苦しんでも動かなかった。

 明は強い。結さんのためなら、なんでもできる。……俺は明のそういうところを見習わなきゃいけないな。

「……でも、多分結ちゃんも、自分の心を抑えてたんだと思う。そうじゃなかったら、こんなことにはなってない」

 「早く思い出して欲しい」という気持ちと、「思い出すまで待ちたい」という気持ち。その2つが、結さんの中でせめぎ合ったんだ


ろう。

「だから――」

「明」

 続けようとした明を、天照が制した。

「それ以上は、の」

「……うん。伊澄、これ以上は結ちゃん本人に直接聞いて。そして、受け止めてあげて。それができるのは伊澄だけだよ」

 俺の、俺だけの役割。

「……うん」

 俺は真っ直ぐに明の目を見て頷いた。明は満足げに微笑んで、天照は前を向いて歩き出した。俺たちもそれに続く。

「我からは、まだ話すことがある。創られた世界は、お主らの推測通り彼女の願望が現れた世界じゃ」

「……火雷神は」

「炎がお主らを守る存在であってほしい、という想いじゃ。想像通りじゃよ」

 やっぱり、そうなのか。

「大体はお主らの想像通りじゃ。けれど、一つ間違いがある。明、お主の姿に関してじゃ」

「ぼくの?」

 明は自分を指差して、意外そうな表情をした。

「あの姿はお主自身の望み。彼女の想いは、お主が自分が望むように生きて欲しい、というものじゃよ」

 明の表情が、固まった。

「自分を支えるためにずっと隣にいてくれたお主に。誰よりも優しくて明るいお主に。大好きなお主に。これからは自分の幸福のた


めに、生きて欲しいと」

 明が立ち止まった。

 俯いて、表情を伺うことはできない。

 俺と天照も立ち止まる。

「……そ、か」

 小さく、明が声を出した。震えていて、崩れてしまいそうな声。

 今まで自分が生きていた理由からそう言われてしまえば、悲しくて壊れてしまうこともあるかもしれない。

 けれど。

「……よかったな、明」

 明は、そんなに脆くない。弱くない。

 結さんを、自分の生きる理由というだけの存在にして、自分を安定させてるような人間じゃない。

 俺が声をかけてその手をそっと握る。

 下を向いた明の顔から、ぽつりと涙が零れた。

「……うん。よかった……結ちゃん、優しい子に育って……」

 お前は結さんの親かなにかか。……って従兄だったな。ずっと一緒にいたんだからいいんだけど、その言い方はなんか引っかかる


ぞ。

 明は顔を上げた。涙の筋が残っていて、けれど明は微笑んでいた。

 明は、強い。大好きな人が自分のことを想ってくれたことを、素直に喜ぶことができる。

 俺が胸張って誇れる親友だ。

 天照も微笑んで、三度歩き出した。

「……それと、シンデレラの世界じゃな。あそこは彼女の心を落ち着けるための世界じゃった」

 歩きながら、天照はまた喋りだす。これも、天照の役割なのだろう。

「あの時、彼女の心は恐怖でいっぱいじゃったからの」

「恐怖? なんでまた」

「この朴念仁」

 ゴッ。

 天照に殴られた。ひでぇ。

「もしかしたら、お主が助けに来てくれないんじゃないか。彼女はその恐怖に襲われてたんじゃ。お主が彼女のことを覚えておらん


かったせいで、彼女はお前を信じたくとも心の底から信じられない一番辛い状況下に置かれてたんじゃろうが。そのくらい解れ」

 ……あぁ、そういうことか。だからあの時結さんは「本当に来てくれたんだ」って言ったのか。半信半疑だったんだろうな……。

「……まぁよい。そんなところも好きなんじゃろうからの」

 なんていうかごめんなさいね、鈍くて。

「……む」

 急に天照が立ち止まる。

「どうした?」

「着いたようじゃの」

 着いたって、どこに?

 俺がそう問おうとした瞬間、ふわりと青い光りが目の前に現れた。

「それに触れるんじゃ。それで、彼女のところへ行くことができる」

「これ……」

 光の正体は、すぐにわかった。

 疲れきって休んでいたとき、この世界で見た光る何かと同じものだ。そしてそれは神話の世界に入る前、結さんの部屋で見つけた


――


「昔、俺が結さんに渡した――俺の宝物か」


 あの時、結さんと初めて会ったとき。帰る前に、またいつか会えるようにと俺の宝物のガラス玉を結さんにあげたんだっけ。

 そのことすら、忘れていたなんて。

「……彼女を助けられるのはお主だけじゃ。我々は、ここで待ってる」

「……あぁ」

 俺は頷いて、光に手を伸ばす。

 結さんは、俺の宝物をまだ持っていてくれた。だから、本当に俺とまた会いたかったんだろう。

 ごめんね、結さん。遅くなって。

「……行ってくる」

「うん」

「頼んだぞ」

 今、行くから。

 光に触れる。身体が溶けるような奇妙な感覚と共に、視界は黒で塗りつぶされた。



 目を開くと、そこはまた白い世界だった。

 周りには明も天照も居ない。

 ピアノの音は、さっきよりはっきり聞こえる。

 このピアノを弾いているのは――

「……お待たせ」

 俺はピアノを弾くその幻想的な姿に見とれてしまいそうになりながら、声をかけた。


「結さん」


 結さんは手を休めることなく、ピアノを引き続ける。

 白いピアノだった。明の部屋にある、ピアノ。

 白いワンピースを身に纏い、透けるような白い肌と、艶のある黒髪が、どこかぼんやり見える。

 俺は動くことなく、結さんの演奏を聞きつづけた。

 思えば、俺がこの白い世界でガラス玉を見たとき、思い出して、私を思い出してと俺に懇願していたあの声は、結さんだったんだ


ろう。そんなことを考えながら。

 やがて結さんの手の動きが止まる。

 世界に静寂が訪れて、俺は結さんがそのまま消えてしまうんじゃないかとさえ思った。

「……リクエストは?」

 やがて、結さんが口を開いた。

 俺は少し考えて、俺が知ってる数少ないピアノソナタの内の一曲をリクエストすることにした。

「エドワード・エルガーの『愛の挨拶』」

「…………」

 結さんは無言で曲を弾き始める。

 ピアニシモだらけの旋律。結さんの優しいタッチが耳に心地よく、俺はいつかそうしたように目を瞑って音を一音も逃すことなく


聞きつづけた。

 やがて演奏が終わり、世界に再び静寂が訪れる。

 俺は目をあけて、結さんを真っ直ぐ見つめながら尋ねた。

「……俺がここに来たときに弾いてた曲の名前、教えてくれる?」

 一度だけ名前を聞いたことがあるような気がする。あの曲は確かフランツ・リストの詩的で宗教的な調べ第3番――


「『孤独の中の神の祝福』」


 やっぱり、そうか。

 この世界で、孤独だった結さん。

 祝福を願って、ひたすらに願っていたんだろう。

「……ごめんね、結さん」

「……思い出して、くれた?」

 結さんは立ち上がり、ゆっくり俺の方へ歩いてくる。

「……うん。待たせて……ごめん」

 結さんは立ち止まって、真っ直ぐ俺の方を向いた。

「……ありがとう」

 結さんはすごく悲しそうな笑みを見せた。

 瞬間。

 世界が、変わった。

 見える光景は、ただの白から灰色に。

 俺と結さんの間には、石の壁と、錠の付いた鉄格子。

 まるで、牢獄のような、そんな世界に。

「……伊澄くん」

 結さんは格子を握って、俯きながら俺の名を呼んだ。

「……お願い、私を……」

 顔を上げた結さんの瞳は、涙で潤んでいた。


「私を、ここから出して」


 俺は結さんの手を優しく握って、その温もりを確かめた。

 助けると約束した。

 独りにしないと誓った。

 一緒にいたいと願った。

 俺の目の前にいる、大切な存在を。

 だから、ここまで来れた。

 自分が忘れていたことで引き起こした、不思議な世界での出来事を乗り越えて。

 何を迷うことがある?

 どこに躊躇する理由がある?

 そんなもの、無い。

「……うん」

 右手を結さんの頬にそっと添えて、俺は頷いた。

 結さんは俺の手に手を添えて、涙を零して頷いた。

「これは私の迷いが創った牢獄。でも、私には壊せないから……」

「大丈夫」

 俺はにこっと笑ってみせた。

「大丈夫、俺を信じて。もう辛い思いをさせたりしない。こんなところで諦めたりなんか、しないから」

「……うん」

 結さんも、微笑んでくれた。俺を信じてくれた。

 信頼に、答えなきゃいけない。

 信頼に、答えたい。

 この不思議な世界での俺の最後の仕事。

 結さんを、助けること。

 やり遂げる。

 絶対に。



 鉄格子は折れるどころか、曲がりすらしない。

 石の壁はたたいても響くことすらない。

 錠も同じように、壊れる気配はまったくない。

 どうしようもない状況だった。

 それでも、どうにかしなきゃいけない。

 諦めたりなんか、絶対にできない。

 拳が砕けても、足が折れても、絶対に助け出さなきゃいけない。

「――――ッ」

 格子をひん曲げようとした左手に激痛が走り、思わず顔をしかめる。殴ったときに痛めたかな。

 けれど、休んでいられない。休んでいたくない。

 早くここから結さんを助け出したい。

 結さんは部屋の奥で、俺から目をそらす事なく見つめている。こうなったのは自分の弱さが原因だから、と俺の制止も聞かず、自


分への戒めとしてそうしている。

 結さんも辛いだろう。自分のために、他人が傷つく。けれど、結さんは逃げずに立ち向かおうとしている。

 だから、俺も頑張らなきゃいけない。

 ゴッ、と格子を殴る。殴った右手からは血が滴り、痛みが走る。

 俺は膝をついてそれを堪える。結さんが悲痛な表情で俺を見つめている。

 早く、助けてあげないと――

 けれど、俺の身体は限界だった。傾いて、倒れこんでしまう。

「伊澄くんッ!」

 結さんが叫びながら格子の前まで走って来る。

「伊澄くん、大丈夫!?」

 目に涙を浮かべて、俺に手を伸ばしている。

 俺は左手を伸ばし、結さんの手が俺の左手を握った。痛みが走っても、気にはならなかった。

「……俺は……」

 こんなに悔しいことが、いままであっただろうか。

 愛しい相手が、目の前にいるというのに。

 抱きしめて、笑いあうことも、できないなんて。

 俺は、こんなにも。

「……無力なのか……」

 想いだけじゃ、どうしようもならないのか。

 身体を起こし、結さんの手を両手で包み込むように握る。

「……結さん」

 俺が名前を呼ぶと、結さんは俺の頬に手を添える。

 その表情は、見てる俺まで泣いてしまいそうになるほど、哀しいものだった。

 こんな表情の結さん、見たくない。

 結さんの手を離して立ち上がって、格子を握り、力を込める。


 絶対、助け出すんだ。


 けれど格子はびくともしない。

 格子を殴って、俺は崩れ落ちた。

「…………」

 鉄格子の向こうから、結さんの手が俺の背中に回される。

 一番大切な存在でさえ、俺は。

 守ることすら、できないのか。

「…………伊澄くん」

 震えている、結さんの声。

「……信じてる」

 結さんの、優しくて、想いのこもったその一言。

 それが、俺に力をくれた。

「…………結さん」

 だから、次は俺の番。

「……待っていて」

 俺が、結さんに力をあげる番。

「……うん」

 こうやって、お互いがお互いの力になっていく。それが、俺が、結さんが望んだ道。

 一緒に居たいから。

 俺はまだ、がんばれる。

 立ち上がろうとした、その時だった。

「……伊澄くん、なんか、光ってるよ」

 そう言いながら結さんが指差したのは、俺の制服の、内ポケットのあたりだった。微かにだけど、確かに光ってる。

 制服を脱いで、チャック付きのそのポケットの中を探る。

「……これ」

 出てきたのは。


「あの時屋上に落ちてた、ウォード錠……!」


 俺が結さんと、この高校で初めて会ったとき。

 あの時の、ウォード錠。

「……このために、あったのかな。この鍵は」

 結さんが呟く。そうかもしれない。

「運命っていうのを、信じてみたくなるね」

「……そうだね」

 不思議と気持ちが穏やかになっていた。さっきまでの焦燥感なんてどこにもなくなってしまった。

 ウォード錠を、鉄格子の錠に入れる。ゆっくり回すと――


 ――カチリ。


 錠が外れた。

 ゆっくりと、鉄格子の扉が開く。

 これでもう、俺と結さんの間には、邪魔なものは一つも無い。

「……結さん」

 俺の目から、自然と涙が零れた。

 結さんも立ち上がって、真っ直ぐ俺を見つめる。

「……お待たせ。よく、頑張ったね」

 両手を広げると、結さんは涙を溢れさせて、俺の胸に飛び込んできた。

 全身で感じる、結さんの温もり。

「……ありがとう……」

 小さく、けれど俺にははっきり届く声で。

「ありがとう、伊澄くん」

 結さんは、そう言った。

 お互いの存在を確かめるように。

 お互いが二度と離れることがないように。

 俺たちは、ずっと抱きしめあっていた。



 ふわりと、目の前に青い光が現れた。

「……これ」

 俺の宝物だ。結さんにあげた、ガラス玉。

「……行こう。明と天照が待ってる」

 俺は結さんに手を差し伸べた。

「……うん」

 結さんは俺の手を取り、二人で一緒に光に触れた。



 目を開くと、そこはあの白い世界だった。

「結ちゃんっ!」

 明が結さんの姿を確認するやいなや抱きついた。

「ごめんね、明くん。心配かけて……」

「ううん、いいよ、全然。……お帰り、結ちゃん」

 涙を流して喜ぶ明。結さんも同様に、明との再会を涙を流して喜んでいる。

 自由な生き方をしてって言っても、明のことだからまだ結さんのために生きるんだろうな。でも、それが明らしくていいと思う。

「……再会を喜んでるところすまぬが」

 天照が口を開いた。

 結さんは明から離れ、天照と向き合う。

「……ごめん、辛いこといっぱい押し付けて」

「いや、いいんじゃよ。それが我の役割じゃしの」

 二人が並ぶと変な感じだ。顔が一緒だからかな。

 結さんは少し俯いて、でもすぐに顔をあげて、おさげを片方解いた。

「……これ、もらってほしい」

 結さんは解いたリボンを差し出す。

 天照はキョトンとしてる。

「お礼と、あと――」

 結さんは微笑んで。


「友達の、証として」


 そう言った。

「…………」

 天照は唖然としていたけれど、やがて涙を一筋流して。

「……ありがとう、結」

 その黒いリボンを受け取った。

 天照の願いも、叶ったのだろうか。天照は、そう思ってくれたんだろうか。

「……俺からも礼を言わせてくれ。天照、ここまで導いてくれてありがとう」

「ぼくからも、かな。殺されたけど気にするようなことじゃないし」

 俺と明も、微笑んで天照に感謝の意を伝える。

 天照は涙を溢れさせて、太陽みたいに微笑んだ。

「……お主らを元の世界に戻すのも、我の役目じゃ」

 涙を拭いて、天照は言った。

「最後に我からも礼を言わせてほしい。ありがとう。仲良く暮らすのじゃぞ」

「わかってる。安心しな」

 俺が笑ってそう言うと、天照も微笑みを返してくれた。

「では、行くぞ」

 天照が両手を重ね、目を伏せる。

 俺たちは、風化するように少しずつこの世界から存在が失われていく。

「……そうじゃ。お主とのダンス、楽しかったぞ」

 半分ほど身体が消えたところで、天照が口を開いた。

「ダンス?」

 踊ったっけか、天照と。

「シンデレラの世界で、結とお主が踊る直前に踊ったの、あれが我じゃよ」

「は?」

 あれお前だったのか?

「我の一生の中で、一番大切な思い出じゃ。大切にしておるよ」

「……あぁ、ありがとう。俺も楽しかった」

 身体は殆ど消えてる俺に、天照は。


「さよなら、伊澄」


 最後の最後に微笑んで、初めて俺の名前を呼んだ。

 さよなら、天照。お前のこと、俺も忘れないよ。


 俺の身体は、完全にその世界から消えた。


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