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tira mi su  作者: tetori
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 気持ちのいい風が吹く。草と土の香りがして、屋外であることに気づく。

 身を起こして周囲を確認して。

「……うわ」

 絶句した。

 見渡す限りの緑。しばらく草原が続き、遠くに森が見える。どうやら俺は、この草原の真中で寝てたらしい。確か俺、結さんの部屋で意識を失ったと思うんだが…。いつの間にこんなところにいたんだろう。また夢の中なのだろうか。

 立ち上がって服についた草や土を払う。今度は私服だった。確かに俺の持ってる服。俺があの日――明と、結さんと一緒に買い物に行った日に着ていた服。

「結さん…ここに、いるのか?」

 あの時俺に「助けて」と言った結さん。今にも壊れてしまいそうな、ガラス細工のようなその表情が脳裏に浮かぶ。

 助けよう。いや、助けなきゃいけないんだ。俺は結さんとの約束を破りたくない。それになにより、俺は結さんと一緒にいたい。もっと結さんと仲良くなって、いっぱいしゃべって…。やりたいことが、一緒にやりたいことがいっぱいある。

 と、そのとき。

 ヒュッ、と黒い何かが視界の端に映った。

 勢い良く振り向くが、そこにはなにもなかった。

 今この状況で何かに襲われたらマズイ。なんせこっちは丸腰で、ここがどんなところかも把握できていない。

 周囲を警戒し、耳を澄まし目を凝らす。

 草原はただ風が草を殴る音しか聞こえない。気のせいだったのか。そう思って警戒を解いた、その瞬間だった。

 背後から、ガサッ、という草の音がする。――軽率だった。後悔しながら振り向いて。


「伊澄ぃ~!」


 聞きなれた声が――明の声を聞いた。けれど、姿が見えない。

「明か!? どこだ?」

「ここ、ここ!」

 呼びかけると返事が返ってくる。でも、見渡しても明の姿はない。

「もう、ここだって言ってるでしょ!」

 怒った明の声と共に、目の前に現れたのは。

「明……お前」

 現れたのは、確かに明だった。けれど、シンデレラの世界にいた時の俺のように、やはり決定的に違う。


 なんで明が手のひらサイズになってて、蝶みたいな半透明の羽根が生えてるんだ。


「…ちょっと見ないうちにまた小さくなったな」

 15センチくらいだろうか。よく見ると羽根からはキラキラと光る粉のようなものが落ちている。蝶というよりは妖精に近い感じだ。

「こんなに縮む訳ないでしょ! もう、せっかく合流できたと思ったらなんでいつもみたいに酷い伊澄になってるの! ぼくを抱きしめたときの優しい伊澄はもういなくなったの!?」

「さっきまでは優しい伊澄くんだったがお前の姿を見た瞬間にいつもの伊澄くんに戻ったんだ。どうしたんだその姿は」

 いつも通りの長い髪と、あの日、店長の店で買ったゴスロリ服。背中には羽根が生えたミニサイズの明なんぞ見たってどうしようもない。

「それについての話があるの」

「…ここについてのことか」

「そう。ここが何なのか、ぼくにはわかる」

 さっきまでのとは違う、真剣な目つきで明が言う。だから俺も真剣に明の話を聞く姿勢を取ることにする。

「じゃ、とりあえず座ろうか」



 草原に座って風を感じるのは気持ちのいいことだけど、そんなことをまったり楽しむほど今の俺には余裕はない。

「この世界は、確かに夢の世界だよ」

 最初に明が言ったのは、その一言だった。

「でも、寝てるときに見る夢とは違う。『夢』と呼ぶに相応しい世界、つまりは異世界」

 異世界。じゃぁここは現実なんだろうか。明は説明を続ける。

「どんな世界かはわからない。けど、わかったのはここが結ちゃんによって創られた世界だってこと」

「……そんなことができるのか?」

 一人の人間に世界の創造なんてできるのか。そう思うのはおかしなことではないだろう。

 明は首を横に振った。

「普通は無理。でも結ちゃんの場合――――想いがそれを可能にした。月日が積み重ねた想いの力は、何よりも強い」

 月日――というのはさっき明が話してくれた火事の時から、あるいはもっと前から、結さんがいなくなるまでのことだろうか。今まで結さんは何を思って生きてきたんだろう。机の上に置いてあった勿忘草を思い出す。そういえばあれは電話が掛かってきたときに落としてそのまま置いてきてしまった気がする。そして、シンデレラの世界。ガラスの靴を履いた結さん(シンデレラ)は、確かに俺(王子)の心を射止めた。けれどガラスの靴は割れてしまって、さらには世界が崩れた。探さないで欲しいのかもしれない。でも、結さんは助けてと言った。私を忘れないで(forget me not)とメッセージを残した。……俺は、どうしてやるべきなんだろうか。助けるとは誓ったけど、現実に連れ戻すのが「助ける」ことなのかは疑問である。

「……ところで、明はなんでそんなことがわかるんだ? それにその姿は?」

 さきからずっと疑問だったので、草の絨毯に腰を下ろしてひらひらと羽根を動かす明に問う。一人で立ち止まって思考の海に浸ったって得るものは自己満足でしかない。助けると誓った。だから俺は立ち止まれない。

「姿に関してなんだけど、さっき結ちゃんが創った世界だって言ったでしょ。この世界はもともと伊澄しか侵入を許可してないんだ」

「じゃぁなんでお前はここにいるんだ?」

「無理矢理入ってきた。隙間みたいなのがあったから」

 ほんとに無理矢理だな。

「ちょっと狭かったんだけど、なんとか通れたんだ。そしたらいつのまにかこんな姿に――――」

 明がそこまで言った、その瞬間だった。

 なにかが――大きななにかの気配を感じる。気配だけじゃない、殺気も。

 明も気が付いたのか、警戒して周囲に気を配っている。

 さっきみたいな油断はできない。今近づいてきているものは、明らかに殺気を放っている。野生動物ならまだいいんだが、映画に出てくるような怪物だったら――

「伊澄、後ろ!」

 明の声に反応して、後ろを振り向く。

 そこにいたのは。


 首から上が8つに分かれて、それぞれに頭のある巨大な竜だった。


「なっ……」

 声を漏らした瞬間、竜の前足が宙に浮く。反射的に明を引っつかんで倒れこんだ。俺の左腕を、何かが掠る。

 すぐに起き上がって左腕を見ると、血こそ出てないものの服に穴が開いていた。引っかかれたのだろうが、なにも見えなかった。喰らったら「痛い」じゃ済まない。

「伊澄、大丈夫!?」

 腕の中にすっぽり収まっている明が叫ぶ。

「大丈夫、掠っただけだ。でも……マズイぞ、これは」

 元々戦えるような状態じゃなかったっていうのに、相手は巨大な竜。勝ち目なんて微塵も無いのは、誰が見ても明らかだ。

「なんなんだよこいつはッ!」

 竜がその身をすばやく回転させる。素早く屈むと、尾が頭上を高速で通過する。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)……かな」

「冷静に答えるな! どうすればいい!?」

 さっきの攻撃も今の攻撃もギリギリかわせはしたが、次もまたかわせるとは限らない。一刻も早くこの状況を打開しないと。

「逃げるしかないでしょ。戦える訳じゃないんだから」

 それもそうだ。

 俺はヤマタノオロチに背を向けて、全速力で草原を駆け抜けた。



 撒いただろうか。後ろを振り返ってみると、なにも居なかった。

 足を止め、弾んだ息を整える。

「ヤマタノオロチが出てきたってことは、日本神話の世界なのかな」

 俺の腕から開放された明がふわふわ飛びながら一つの可能性を示した。

「断定するのは早計だろうな。結さんの想いの――精神の世界なら怪物のイメージとしてあれが出たって可能性もある」

「……いずれにせよ、早いとこ離れたほうがいいね。ここで死んだら現実に戻れるかどうか…」

 あんな化け物が跳梁跋扈する精神世界で、死んでしまえば現実に戻れないかもしれない。ぞっとする。

「動ける?」

 明が心配そうに俺に尋ねる。かなり走ったので、できればしばらく休みたいけれど、そんな悠長なことは言ってられない。

「大丈夫。行こう」

 明に手を差し出してそう言うと、明は不思議そうに俺を見た。

「この手は何?」

「ん、さっきみたいに俺が運んでやろうと思ってな」

 さっきのは成り行きだったけど、たぶんこれからもそうした方がいいと俺は思った。だって――

「……伊澄、もしかして」

 明は案外カンが鋭いのかもしれない。俺の考えていたことがわかったようだ。

「そのほうがいいだろう」

 またヤマタノオロチにでも襲われて危なくなったとき、俺が助からなければ、明だけでも逃げれるように。そう考えたから。

 今の明に体重なんてないも同然だ。俺が抱いて運んだって体力を消耗はしないだろう。だったら、余計な体力を使わない方がいい。

「……伊澄ッ」

 明は少しの間驚いて固まっていたが、やがて怒りに満ちた声で俺の名を口にした。

「馬鹿なこと考えないで! 結ちゃんを独りにしないって約束したでしょ!?」

「約束を守るために尽力はするさ。けれど――」

「けれど、じゃない! 可能性を考慮するのが悪いとは言わない。でも伊澄の覚悟はやっちゃいけない覚悟だよ!」

 明は目に涙を溜めて叫ぶ。

「覚悟するなら最高の結果以外を招かない覚悟をして! 結ちゃんを助けたとしても伊澄が死んじゃえば意味なんてないんだよ!?」

 最高の結果。それは、俺と明と結さんが、一緒に、無事に現実に戻ることだろう。

「あの時の――火事の時の話をしたでしょ!? あの時結ちゃんは自分を責めてた。伊澄は、また結ちゃんに自分を責めさせて苦しめたいの!?」

 そんな訳、ないだろう。

「だったら――ッ」

 明の目から、ついに涙が零れる。

 静かな草原で、明が漏らす嗚咽と風の音だけが聞こえる。

 俺はもう、自分の何が明を怒らせたのか理解していた。こういうところは直すべきだな。自己犠牲が他人の命を助ける手段であっても、心までは助けられない。

「…明」

 俺が名を呼ぶと、明は濡れた瞳で俺を見つめた。

「ごめん。目的をはき違えてた。……みんなで一緒に帰るぞ」

「……うん」

 俺が手を差し出して言うと、明は涙の跡を残して、けれど嬉しそうに笑って俺の手を取ろうとした。

 瞬間。


「――――ッ!?」


 衝撃が、俺を空高くへ吹き飛ばす。

 時間がゆっくり流れているようだった。ゆっくり地面が遠くなって、今度はゆっくり近くなる。見える世界に色はなく、感覚もない。

 理解した。俺を捕らえた衝撃は――――ヤマタノオロチの尻尾だ。空高く舞い上がった俺は、もうすぐ落下して――

 死ぬんだろうな。

 涙を溢れさせて何かを叫んでいる明の姿が見えた。馬鹿、逃げろよ。お前だけでも生き残れ。

 もう地面は目と鼻の先だった。もう終わるのか。そう思った俺は。


――――まだ終わらぬよ。


 声を聞いた。低く、落ち着いた声。俺のでも、明のでもない。

 誰が――。そう思った瞬間に、俺は地面に叩きつけられた。



 白い、何も無い世界に俺は居た。

 死後の世界ってやつだろうか。結さんも、明も、自分の身でさえも助けられなかった。それはなにより大きい後悔であり、罪だろう。

 不意に。

 ピアノの音が聞こえてきた。

 最初の音は低く、けれど徐々に上がって。

 再び低くなり、また徐々に上がって。

 現れた旋律は、ゆったり、けれど力強く。

 あの日、結さんが弾いてくれた曲だ。名前も、思い出した。こんな時に思い出すなんて。

 あの曲の名は、ショパンのポロネーズ第6番変イ長調――


 「英雄」。


 あぁ、結さん。

 あなたは、ずっと待っていたのか。

――終わらぬ。終わらせぬ。

 地面に叩きつけられる直前に聞いた声が、再び聞こえた。

――お主には役目があろう。果たさずに逝くなど、我が赦さぬ。

 お前は誰なんだ。

――我の名など、今はよかろう。さぁ、目覚めよ。

 問いに答えない声がそう言った瞬間。

 世界は、赤く塗りつぶされた。



 目を開くと、視界は赤で満たされていた。

 ゆらゆらと、ゆらめく赤。

「伊澄ッ!」

 明の声が聞こえる。俺は――生きているのか。

 立ち上がったところで、ようやくこの赤が何の赤なのかを理解する。

 俺の身を包む赤は――炎。熱くはない。どこか優しい温かさの炎。

――さぁ、我を使え。そしてあの暴れ者を消し炭にしてやれ!

 この声も、この炎だったのか。

 視界から赤が消える。目の前には、ヤマタノオロチ。視界の端に、明もいた。無事なようだ。二人とも無事にこの状況を打開するためには、こいつを倒してしまえばいい。

 最高の結果以外、起こさせないためにも。

「いいさ、使ってやる。力貸せよ!」

 腹ぁ括って、いっちょ暴れてやろうじゃねぇか。

 力が湧いてくる。この炎が、俺の力になっている。

 駆け出しながら意識を右手に集中する。右手には炎が集まり、剣のような形になる。

 ヤマタノオロチは先ほどと同様に身体を回転させる。尻尾が、来る。

「伊――」

 明が叫んだその刹那。

「遅ぇ!」

 叫びながら放った炎の剣の一閃が、尻尾を切り裂く。切断された尻尾は、面白いくらいふっ飛んだ。

 動きが止まって見える。弱ぇ弱ぇ。

 ヤマタノオロチは痛みからか悲鳴のような泣き声をあげたが、すぐに攻撃に転じる。

 3つの頭が同時に俺に噛み付こうと迫ってくる。けれど、今の俺にはそんな攻撃を防ぐことなんて造作もない。

 俺と3つの頭が交差し、次の瞬間にはヤマタノオロチの頭は5つになっていた。

 俺は血の雨が降り注ぐ中を駆ける。

「……弱ぇな、ぜんっぜん!」

 ヤマタノオロチの目の前で叫びながら跳躍し、剣を横に薙ぐ。さらに1つ、ヤマタノオロチの首が宙に舞った。

 そのまま別の頭を斬るついでに蹴り、背中に着地する。

「どっ――――せい!」

 剣を深く突き刺す。ヤマタノオロチの悲鳴のような泣き声が耳をつんざき、身体が大きく揺れた。

 俺は背中から飛び降りて一旦距離を取る。

 カーテン・フォールだ。

――さぁ、やれ!

 俺は指を鳴らす。

 パチン、という小気味のいい音と共に。

 ヤマタノオロチの全身は、炎に包まれた。



「伊澄……ほんとに死んじゃったかと思った……」

 明は涙を流しながらそう言った。

「ごめんな、心配かけて。まぁ実際に死んだようなもんだったけど」

「なんにしても生きててよかった……。で、さ」

 明が言いたいことはすぐわかった。だって俺も疑問だったんだから。

「あの炎は、何さ?」

――我のことじゃろ? 障害も排除したしの、話してやろう。

 その疑問に、炎が答えた。

「……ほぇ?」

 どうやら明にも聞こえているらしく、素っ頓狂な声をあげる。

 目の前に、ふわりと浮遊する赤い光の球が現れた。

 明は俺を見ながら光を指差す。どうやら、声の主これなのかどうかと言いたいんだろう。俺は頷いて答える。

――そこのちんまいの。我に触れてみよ。

「ち、ちんまいのってぼく? えと、触れればいいんだよね?」

 恐る恐る明が光に触れると、それは一瞬だけ強く発光して、消えた。

「あ、あれ?」

――下じゃ下じゃ。早う拾いあげい。

 声の言う通りに下を見ると、小さな赤い宝石のついた指輪があった。

 拾い上げると、声は俺に対して偉そうに言った。

――お主はそれ、というか我の依り代じゃな。はめるがよい。先刻と同じように炎が使えるようになる。

 そいつは便利だな。戦う力があれば、少しは安心できる。

 指示どおりに指輪をはめる。もう一度意識を集中すると、さっきと同じように炎が自由に扱えた。

「それで、お前は何なんだ?」

――お前、は失礼じゃろ。

 名乗りもしない奴も失礼だとは思うが。

――ほ、そうじゃの。我の名は火雷神(ホノイカヅチノカミ)。まぁなんじゃ、神じゃ。

 神様か。まぁ精神世界なんだから驚きはしないが…。火雷神ということは、やはりここは日本神話がベースの世界なんだろうか。

「なんで俺に力を貸した? それに、俺の傷は?」

 次の疑問を火雷神に投げかける。

――傷に関しては我の神力で生命力を増幅させただけじゃ。もう治っておるじゃろ。さっきの戦いも…使ったならわかるじゃろ、同様に我の神力で肉体を強化したんじゃよ。

 神様ってのは便利なもんだな。とんでもねぇ。けれど、役に立つ。

 火雷神は続けて喋る。

――近頃様子が変での。いろんなことが起きておるのじゃ。そんな中この高天原(たかまがはら)に人間がおったんでの。

 高天原。確か日本神話の「神々の国」だったか。そんなところにいるのか、俺たちは。

――天照大神(アマテラスオオカミ)の様子もおかしいから心配じゃったんじゃがの。あやつにここに行け、と言われたから来てみたら死ぬ直前じゃったから助けたんじゃ。天照大神はこれを知っておったんじゃろうのう。

 答えになってないような気がする。助けたのはわかるが、その後も力を貸す必要はないだろう。

――そこは興味本位じゃよ。なんとなくじゃがの、面白くなりそうじゃったから。

 そうかい。おかしなな奴だ。

 明はさっきからずっと上の空だ。精神世界とはいえ、神と普通に会話する方がおかしいんだろうか。

「…天照とはどこで会える?」

 明はひとまず置いておいて、最高神である天照に会えればなにかわかるかもしれない。そう思って聞いてみた。

――普段は高天原の中央に位置する場所におるよ。行くのか?

「今のところアテがそれしかないからな」

――そうか。されど、天照は最高神。会うのは困難を極めるぞ? お主らのように人間なら尚更じゃ。

 まぁそうだろうな。けれど、俺は立ち止まってられないんだ。早く結さんを助けなきゃいけない。

「それでも行く。行って、絶対に会う」

――ほう。

 火雷神は驚いたような、感心したような声をあげる。

――真っ直ぐな目じゃな。何を見ておるのかは知らぬが…気に入った。案内しようぞ。

「ありがとう、助かるよ」

 なんか気に入られた。まぁ、いいか。

――なんの。……おっと、忘れるところじゃった。

「? なんかあるのか?」

――ヤマタノオロチの尾のところへ行ってみい。いいものがあるぞ。

 いいもの、ってなんだろう。俺は先ほど切り離したヤマタノオロチの尾の所へ行ってみる。

 尾の切り口からは赤い血が流れていて、緑の草原を汚している。

――ほれ、そこの切断面に黒いものが見えるじゃろ。

 見てみると、確かに黒い何かが尾の中央から出ている。これが「いいもの」なのか。

――引っこ抜いてみぃ。

 ……骨とかじゃないよな?

 恐る恐る「いいもの」を引き抜くと、血が溢れ、ぼたぼたと草の上に落ちる。正直苦手なんだよな、血とか……。

 少し引き抜いて、それがなんなのか理解した。

「……そうか」

 黒いそれが、途中から銀色に変わる。

 剣だ。

――天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)じゃ。

 天叢雲剣。素戔鳴尊(スサノオノミコト)がヤマタノオロチを倒した時に手に入れた剣。これで疑いようがなくなった。ここは完全に日本神話の世界だ。

 俺は服で剣についた血を拭う。真っ直ぐに伸びた刀身はやや細く、けれど力強い輝きを放っている。

――それもお主の力になるじゃろう。

 剣術なんて心得てないけれど、さっきみたいに火雷神の力を借りれば使えないこともないだろう。

 鞘はないのかと思って尾をもう一度見てみると、鞘も同じように埋まっていた。引き抜いて血を拭い、天叢雲剣を収める。

「ありがたいこった。使わせてもらうよ」

 結さんの想いが創った世界、と明は言った。その世界で武器や力が手に入った。結さんは、望んでいるんだ。「英雄」が――俺が、助けに来ることを。

 あの日、「英雄」を弾いた結さん。勿忘草もそうだけど、結さんはメッセージなのかそうでないのか分からないことばかりを残していた。たまたまかもしれない。小さなことだからこそ強い想いを秘めれたのかもしれない。何が真実か俺にはわからない。けれど、もし結さんが残してくれたメッセージだったとしたら。俺は、それを読み取って、結さんの願いを叶えたい。

 だから、今はこのまま流れよう。結さんの精神世界。きっと、結さんの願いのままになる。

「……それにしても」

 俺は溜息をついて言う。さっきからずっと思ってたんだが、血まみれってのはかなり気持ちが悪い。

「水を浴びたいな。近くに川とかないか?」



 川の冷たくて透き通った水が、血の赤で少し濁る。

 服を適当に揉み洗いし、自身も川に入り、肌や髪についた血を落とす。ヤマタノオロチとの戦闘があった草原から少し歩いたところにある森を、さらに抜けたところにこの川があった。ここまで歩いてくる間に大分血も乾いてしまったから、洗うのが大変そうだ。

「気持ちいいねー」

 川に足だけを浸け、石に腰掛けている明が言う。

「…少し冷たすぎるけどな。でも、気持ちいい」

 天叢雲剣もを鞘から抜いて、鞘のほうを洗う。外側はともかく、内側は拭けなかったから一応洗っておきたかった。

 軽く振って水を飛ばしたあと、鞘を立てかけておく。しばらくすれば乾くだろう。

「……結ちゃんも」

 不意に、明が口を開いた。どこか、遠い瞳で。

「こうやって一緒にいられたら、よかったのにな…」

 俺も、同じことを考えていた。一緒にいられたら、笑いあえたら、と。…だからこそ。

「一緒にいるために、俺たちはここにいるんだろう」

 独りにしないと約束した。助けると誓った。一緒に居たいと願った。だから、俺たちはここにいる。ここに来て、結さんを探している。

 明は無言で頷いた。

「………さて、と」

 俺は岸に上がって火雷神の依り代である指輪に話し掛ける。

「火雷神、色々教えてもらいたいことがある」

――何じゃの?

「俺たちはここが高天原で、最近周囲の様子がおかしい、ということしか知らない。俺たちは人を探しにここに来たから、できるだけ情報が欲しいんだ」

 火雷神は悩んでいたんだろう、しばらくの間黙っていたが、やがて口を開いて話し始めた。

――そうじゃのう。まず話すべきは……天照についてかのぅ。

 俺と火雷神の会話に気がついた明が、俺の傍まで来て座る。情報を持ってる味方は多いほうがいいだろうから、構わず話を続ける。

「天照は高天原の主神だよな?」

――そうじゃ。我々を統率するのが天照。しかしの、最近様子が変なのじゃ。

「変っていうと、どういう感じなの?」

 明が問うと火雷神がうぅむ、と唸る。

――たまに集会があるんじゃがの、そのときも姿を見せぬのじゃ。なにをしとるのかもわからん。

 なるほど。この上なく不審だな。

「そもそも、天照ってどんな人なの? 元々そういう性格じゃないんだよね?」

――元々は真面目な奴じゃよ。笑うことこそ少ないが、静かに微笑むことはある。責任感もあるし、統率者としてはこやつ以上に適しておる奴はおらんよ。

 火雷神の口調から察するに、悪い印象はない。信頼できる相手だった、ということか。それでも今は不審な行動もあって信頼が揺らいでいるんだろう。

――天照の姿を久しく見たかと思えば草原に出向けとの命令での。驚きはしたし訝んだのじゃが、逆らおうとは思わなんだ。瞳に邪気がなかったんでの。

「……天照に形はあるんだな」

――天照は人間の少女と見紛うような外見をしとる。というかそもそも、姿の無い者はおらんよ。我も一応姿はあるんじゃが疲れるんでのう。この依り代に精神だけ存在しておる。

 怠惰な神様だな。

――それで………む?

「……? どうしたんだ?」

 様子がおかしかったのでそう問うが、火雷神の反応がない。

 数分ほど経ってから、ようやく火雷神が声を発した。

――いや、すまぬ。急用でな。お主らの案内をすることができんようになってしもうた。

「また急だな……」

――急にできるから急用と言うんじゃよ。依り代が天照の位置を教えてくれるから、心配はせんでいい。

 火雷神がそう言うと、指輪が光り、出現した光の針がコンパスのように方向を示した。この方向に天照がいるのか。

「わかった。ありがとう」

――無事を祈るよ。探し人、見つかるといいの。

「あぁ」

――ほいじゃの。

 短い挨拶のあと、しばらくの静寂が訪れる。……本当に行ったみたいだな。

 少し耳を澄ましてみると、川のせせらぎだけが聞こえた。



「……なぁ、明」

「なに?」

 しばらく黙って考えていたが、意見交換するのもいいんじゃないかと思ったので、この時点で持っている情報を整理することにしよう。

「とりあえずここに来てから思ったことを全部吐け」

「なんで命令形!? ……え~っと」

 明は指を顎に当てて考える。

「……ごめん、浮かばないや。日本神話がベースの世界ってことはわかるんだけど、神様って言われてもピンと来ないし」

 それはまぁ、わからないこともないけど。

「伊澄は引っかかることがあるの?」

「そりゃあな。まずお前の姿について疑問に思ったことがある」

 俺がそう言うと、明の頭の上に疑問符が浮かぶ。

「ぼくの姿?」

「そ。お前は無理矢理入ってきたって言ったろ?」

「…うん、言った」

「お前が触れたことで火雷神の依り代が出てきたろ? なんで存在を許可されてない筈のお前が、そんな力を持ってるんだ?」

「……あぁ!」

 ようやく明は納得したような表情になる。遅ぇよ。

「許可されてない存在だからこそそんな能力がある、って可能性も無いことはないけどな。でもその線は薄いだろう」

「なんで?」

 明、お前はもうちょっと自分で考えろ。なんで結さんのことに関してはあんなに鋭いのに、こういう時は使い物にならんのだ。ほんとにこいつはよくわからん。

「火雷神が指示したってことは、分かってたんだろうよ。お前がそういう力を持ってるって」

「なるほどねー…。そもそも、これって力なのかな」

「よくわからんがな。今のところはそういう力かもしれない、ってしか分かってないだろ」

 明はんー、と短く唸ってから頷いた。完全に腑に落ちないのはわからんでもないが、不確定要素だらけの現状じゃ確かな答えを出そうったって無理な話だ。

「明は存在を許可されてる可能性もある。それも、なんらかの力を持った存在として。俺はそっちの可能性の方が高いと思うよ」

「なんで?」

 お前マジで少しは考えろ。

「ここ、結さんの精神世界なんだろ? 結さんがお前を拒絶すると思うか?」

 明は、ひたすらに結さんを想って生きてきた。結さんも同様に、明をひたすらに支えとして生きてきたんだろう。今まで支えになってくれていた人間を拒絶する人は少ないだろう。まして、今回はあの結さんだ。

 明は少し嬉しそうに笑みを浮かべる。可能性でしかないとはいえ、嬉しいんだろうな。自分を支えとして生きている人が、自分のことを受け入れてくれるんだから。あるいは、受け入れてくれているから支えになってるのかもしれないけど、最たる問題はそこじゃない。

「……あと、ヤマタノオロチと戦ったときに思ったんだが」

 あの時はかなりノリで戦ってたんだが、実際一度死んだと思うし、かなりヤバイ状況だったように思う。

「平和なご時世だ、当然だけど戦いなんてものをやったことなんてない。なのに、あの時は不思議と身体が動いた。それも、動き方がわかった、とかだけじゃなくて、身体的にも普通じゃなかった」

「あの時すごい跳んだよね、伊澄」

 背中に突き刺す前か。あれが現実世界でもできたら、高飛び世界記録とか普通に行けるだろうな。

 じゃなくて。

「シンデレラの世界の時もそうだった。社交ダンスなんてしたことないのに、身体が自然と動いたんだ」

「……それは、あれじゃないかな。ここが結ちゃんの想いが創った世界だからじゃない?」

 ようやく自分でも考えてくれたか。俺と同じ結論――というには早計だろうけど――に辿り着いたようだ。


「結さんの想いが創った世界なら、結さんが願う通りになるのかもしれない」


 今まで起きたこと全てに矛盾しない仮定。

「伊澄が戦えるようになったのは、守って欲しいっていう想いから、かな?」

「かもしれないな。明がそうなったのも、あるいはもっと可愛くあってほしい、っていう想いからかもしれない」

「…なんか、そう言われるとぼくがかわいくないみたいじゃん」

 あくまで仮定ですよ明くん。

「ベースの世界は……願望とは違うかもね。結ちゃん、シンデレラはともかく日本神話は詳しくないだろうし」

「お姫様に憧れるっていうのはわかるけど、日本神話はさすがに望むものはないだろうしな……。断定するのは早計だろうが、その可能性は高いと思う」

 結さんはヤマタノオロチみたいな危険なものが闊歩する世界を望むこともないだろう。

「火雷神の炎は……」

 言いかけて、気がついた。結さんが家族を亡くし、明の姿を奪ったもの。結さんが、望んだのは。

「……炎に、守って欲しいと願ったのか…」

 炎が、生きているものを焼き殺すのではなくて――――守るものだったら。

 明は俯いて黙ってしまう。俺も、なんとも言えない気持ちになる。

 本当に、あの子は――どれだけの想いを溜め込んで、独りで背負ってきたんだろう。あの子は優しいから、きっと明に話したり、助けを求めたりしなかっただろう。

 ……早く、早く結さんを見つけなきゃ。

「……行こう」

 立ち上がり、剣を掴んで出発の準備をする。

 …………結さんを見つけたら、教えてあげなきゃいけないな。きっと、あの子は知らないから。


 一緒に想いを背負う、ってことを。


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