3
「……っはぁっ」
立ち止まり、大きく息を吐く。呼吸が荒い。落ち着けないと。
日は落ちている。もうどれくらい探していただろうか。挫けそうにもなるけれど、挫ける訳にはいかないんだ。
前を見る。どこにいるのだろう。どこに行ってしまったんだろう。
右手に持つ花を見る。それだけで、力が湧いてきた。
諦めるなんてできない。あなたの願いは、絶対に叶える。
だから、待ってて。
「結さん…!」
俺はまた、走りだした。
数時間前。明から電話があった。
今日は学校があるが、明は欠席だった。保健室に結さんを探しに行ったけど、結さんも欠席らしい。
暇だったからいつかみたいに屋上で暇を潰していた。
微睡んでいたら携帯が鳴って、耳に入ったのは明の叫ぶような声。
『結ちゃんがいなくなった!』
唐突すぎて、耳を疑った。なんだって?
『だから、結ちゃんがいなくなったの!』
明の泣きそうな声が耳に刺さる。俺の頭はその言葉を理解する。理解すると同時に急に押し寄せる、不安。
「いつから!?」
『朝から!家にもいないし、携帯も部屋に起きっぱなしだった!』
「…俺も今行く、待ってろ!」
『結ちゃんの家に来て、できるだけ早く!』
「わかった!」
通話を切って携帯をしまう。なんで、どうして。疑問が俺の脳内を支配する。疑問が不安を増加させる。
結さんが一人でいたら。もし、倒れたら。もし――死んだら。
「嫌だ」
思わず口にしてしまった。でも、紛れもない本心だ。
どうか。どうか――
「……無事でいてくれ…」
学校を飛び出して、ひたすら走ってきた。早退の手続きなんざ面倒くさくて無視したから、後で何か言われるだろう。けど、今はそんなことはどうでもいい。
学校から結さんの家まではそう遠くはない。とはいえ、ずっと走ってくれば息が上がりもする。
「明!」
家の前に明を見つけ、その名を叫ぶ。振り向いた明は――泣いていた。
「い…ずみっ」
大きな瞳から大粒の涙が零れる。
俺は明の傍まで行き、荒い呼吸を整える。
「…一昨日、結ちゃんから電話があった」
涙声で明は話を切り出す。その声に、俺も泣きそうになった。
「…いつ?」
「夜に。家に帰ってから」
明は涙を拭いて玄関のドアを開き、俺もそれに続く。
「すごく、嬉しそうだった。伊澄のことを、笑って話してた」
靴を脱いで、家に上がる。
「また一緒に遊びたい、って言ってた」
「…うん」
俺も、また結さんと遊びたい。喋りたい。笑顔を、見たい。
「…なのに、居なくなった」
二階に上がって、結さんの部屋に入る。
結さんの匂いが残る部屋。机の上には、携帯電話。
「…お願い、伊澄」
部屋の真ん中で、明が振り向く。
「結ちゃんを、探して」
明は言った。大きな瞳を潤ませて、今にも泣きそうな表情で。
「…断るわけ、ないだろ」
俺の答えを聞くと、明は目を閉じて頷く。その拍子にまた、涙が零れる。
「結さんを独りになんてしない。居なくなったなら探して、絶対に見つけ出す」
「…うん」
明は涙を拭いてまた頷いた。
部屋を見渡しても、なんの手がかりもない。
「…心当たりは?」
俺が問うと、明は首を横に振る。
「…ない。なんにも」
アテもなく探すしかないのか。
ベッドは整えられてる。毛布をめくってはみたが、なにもない。
「…これは――」
ふと、机の上に置かれた花が目に入った。
薄い青色の、小さな5枚の花びらの――
「――勿忘草…」
結さんは、何を思ってこれを置いたのか。
その花の、意味は。
「私を、忘れないで《for get me not》」
忘れるわけ、ないのに。
俺は走り出した。いてもたってもいられなかったから。
「待って伊澄!」
玄関を出たところで、二階から明の声が飛んできた。
「これ!」
窓から身を乗り出した明は、そう言って何かを投げる。受け取って確認すると、鍵だった。
「この家の鍵!なにかあったら戻ってきて!」
「…わかった!」
鍵をポケットにしまい、今度こそ走り出す。
花を握り締めて。
結さんを、自分を忘れて欲しくないと願った少女を、探すために。
結さんが自分から消えたのか、何かに巻き込まれたかはわからない。この花がメッセージなのかどうかさえ、定かではないのだから。
俺には結さんが自ら居なくなったとは思えない。でも、それ以上に。
俺はあなたと一緒にいたい。
だから、探しに行く。それ以上の理由なんて、必要ない。
辺りは既に真っ暗になった。
明から連絡はない。もちろん、結さんからも。
結さんは、今何をしているだろうか。
元気にしているだろうか。
怪我をしてないだろうか。
辛い思いをしてないだろうか。
携帯を見ると、21時を過ぎていた。あれからずっと探し続けていた俺の身体は悲鳴を上げ、これ以上は動けそうもない。
けれど。
「…結さん」
彼女の笑顔を思い浮かべる。口数は少なくて、静かだけど。
それでも、太陽みたいに笑ってくれた。心からの、純粋な笑顔で。
その笑顔は、俺を暖かな気持ちにしてくれるから。
俺を癒してくれるから。
また、見たい。
また、一緒に喋りたい。
また、一緒に買い物に行きたい。
このままもう会えないなんて、絶対に嫌だ。
「…動け、俺の身体ッ」
無理をしてでも、今は結さんを見つけ出さなきゃならない。
一歩、また一歩と道を歩く。倒れそうになりながらも、倒れることなく。
その時だった。
ズボンのポケットの中で、携帯が震える。
明かと思って取り出してみると、そこに表示されていたのは――
「着信 杵島 結」
目を疑った。
結さんの携帯から、俺の携帯に電話がかかっている。
通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「――――――――」
聞こえてくるのは結さんの声――ではなく、ノイズ。
――いや。
「――ヶ―」
微かに。
「た――――ケ――」
聞こえる。結さんの、声。
「結さん!?」
叫んで呼びかけても、ノイズは酷くなる一方だった。でも、確かに聞こえる。
助けて、という結さんの声。
「結さん、どこにいるの!?」
「――エに―――」
ノイズは大きくなる一方。結さんの声がどんどん小さくなっていく。
「――イ―にい―」
聞き取り辛いけど、答えてくれてる。耳を澄まし、声を聞き取る。
「イエ――にイ――」
家に、いるのか。
「待ってて結さん、今行くから!」
そう叫ぶと、ノイズの音が一瞬消え。
「早く来て、伊澄くん」
ブッ。ツー、ツー。
はっきりと、聞こえた。結さんの、声。
通話が切られた携帯を、ポケットにしまう。
待ってて、結さん。なにがあろうと。
絶対に、あなたを助ける。
「――イ―にい―」
聞き取り辛いけど、答えてくれてる。耳を澄まし、声を聞き取る。
「イエ――にイ――」
家に、いるのか。
「待ってて結さん、今行くから!」
そう叫ぶと、ノイズの音が一瞬消え。
「早く来て、伊澄くん」
ブッ。ツー、ツー。
はっきりと、聞こえた。結さんの、声。
通話が切られた携帯を、ポケットにしまう。
待ってて、結さん。なにがあろうと。
絶対に、あなたを助ける。
結さんの家についたのは、21時半を過ぎた頃だった。
明に渡された鍵で玄関のドアを開ける。
「結さん!?」
呼びかけても、反応がない。
でも、確かに結さんだった。履歴も残ってる。
なのに、結さんはどこにもいない。
「…結さん」
目から涙が溢れてくる。
結さんの家についたのは、21時半を過ぎた頃だった。
明に渡された鍵で玄関のドアを開ける。
「結さん!?」
呼びかけても、反応がない。
でも、確かに結さんだった。履歴も残ってる。
なのに、結さんはどこにもいない。
「…結さん」
目から涙が溢れてくる。
「…諦めない。絶対に」
涙を拭いて、前を向く。ここで泣いてたって、どうにもならない。
結さんは、俺に助けてと言ってくれた。結さんは、望んでいるんだ。
だったら。
「こんなところで、立ち止まれない」
叶えると決めた。結さんの、願いを。
明と約束した。結さんを、独りにしないと。
立ち止まったら、結さんにも、明にも顔向けできない。
何より、俺は。
結さんが、好きだから。
結さんの部屋にも、結さんはいなかった。
結さんの携帯も、机の上に置いてあったままだった。
数時間前に明といた時となにも変わっていない。
「結さん…」
誰も居ない部屋で、呼びかける。
居ないとわかっていても。
居ると信じていたいから。
結さんを信じたいから。
「もっと、一緒に居たいよ…」
へたりと座り込んでしまう。疲労が、限界に達していた。
「…一緒に遊んで、買い物して、ご飯食べて」
考えることもできなくなってきた。意識が、遠のいていくのがわかる。
「店長の服着て、明とゲームして」
それでも、不思議と喋っていた。
「みんなで、喋って。もっと…もっと、一緒に笑っていたい」
誰もいない部屋で。
「だから、さ…」
俺は、遂に。
「帰って、きて」
意識を失った。
目が覚めた。
あぁ、俺はいつの間に寝てしまったんだろう。はやく、結さんを探しに行――
――あれ、なんで俺もう立ってるんだ?
目の前に大きな鏡がある。鏡に映った俺は、確かに俺だった。いや、当然なんだけど。
けれど、決定的に違う。なぜだ?なぜ俺は。
王子様のような衣装に身を包んでいるんだ?
辺りを見渡すと、そこはお城の、それも王室のような雰囲気だった。
俺は確かに、結さんの部屋で寝てしまった筈なのに、なんでこんなところにいるんだ?
ていうかまずここはどこだ?
不意に、コンコン、という音がする。
「失礼します」
そう言った後に入ってきたのは、老婆だった。
「まぁ、よく似合っておりますよ、王子」
老婆は近付いてくるなりそう言った。俺は王子なのか?
「おかしな人ですこと。さぁ、もうすぐパーティーが始まりますよ。こちらへ」
「あ、あぁ」
ここがどこだかわからない。状況も呑めないが、流されてみれば状況が読めるかもしれない。
俺は老婆に続いて部屋を出た。
社交ダンスなんてもう嫌だ。
部屋を出てから1時間、ひたすらに何人もの貴婦人と踊らされた。こういうダンスの経験なんてなかったが、不思議と身体が勝手に動いた。踊れなかったらいい笑い者だったなぁ。
まぁそのお陰で、なんとなくとはいえ状況が呑み込めてきた。
まず、ここは日本じゃない。いまさらだけど、それは確か。周りにいる人たちはほとんど金髪だし、日本にはこんな「王宮」みたいなのは現存しない。
次に、これは夢じゃない。食べたもの、飲んだもの、疲労感、すべてが現実のそれだからだ。夢の中だからそう思う、ということもあるかもしれないが、夢ではないと思う。
あとは、この場にいる全員が富豪かそれに近い人物であることと、俺はどうやら王子でこのパーティーの主催者であることくらいだ。
…大して状況を飲み込めてない気がする。
「踊ってくださりませんか?」
一人の貴婦人が俺にそう問うた。さっきからずっとそうしてきたように、断らずに誘いに乗る。
この人はさっきの人より踊るのがうまいな。ステップを踏むタイミングも測りやすい。
「お上手ですね」
「あら、王子様ほどではないですよ」
余裕が生まれてきたのか、自然と会話をすることができるようになった。意外と向いているのかもしれないな…そんなことないか。
しばらく踊っていると、異変を感じた。
会場がざわつきはじめた。ざわつきは瞬く間に広まり、演奏者も手を止める。
「どうしたのでしょう?」
踊るのをやめ、貴婦人が不思議そうに呟いた。
周りは皆同じ方向を向いている。俺もそっちの方を向くと、人の間からちらりと見えた。
女性は真っ直ぐこっちに歩いて来ている。
パーティーの参加者達は左右に散り、道を作る。俺はようやく女性の姿を見ることが出来た。
歩み寄って来たのは、黒髪の、思わず絶句してしまうほど美しい女性だった。真っ白なドレスに身を包んで、ガラスの靴を履いた――
「…結、さん」
俺は思わずその名を口にした。なんで、結さんが。
結さんはドレスのスカートの裾をつまんでお辞儀をする。俺も反射的にお辞儀をする。
「よろしければ」
結さんはそう言って手を差し出す。声も、確かに結さんだった。あの時「早く来て」と言った結さんの、声。
「…喜んで」
俺はその手を取り、演奏者に演奏を再開するように指示をする。
演奏が再開され、俺と結さんは踊り始める。
周りの参加者は踊らず、俺達を見ているだけ。
「…結さん?」
ステップを踏みながら話しかける。
結さんは答えず、踊り続ける。
しばらく無言のまま踊る。結さんにしか見えない。他人とは、思えない。
「…本当に、来てくれたんだ」
結さんが口を開いた。口調はどことなく嬉しそうだったが、表情は今までに見たことのある表情ではなく、嬉しさと悲しさが混ざったような表情。
これは、夢なのだろうか。
「行くって言ったでしょ」
「…約束、守ってくれてありがとう」
都合のいい、夢なのだろうか。
曲が終わる。なぜだか演奏者は次の曲を演奏しようとはしなかった。
俺と結さんは踊るのを止め、真っ直ぐに向き合う。
都合のいい――夢なんだろうか。
「伊澄くん」
結さんが俺の名を呼ぶ。
そっと頬に手を添えられて。
「…ん」
結さんの唇が、俺の唇に重ねられた。
たっぷり数秒、結さんの唇の柔らかさを感じる。
唇を離して、結さんが少し悪戯そうに笑った。
「これでも、夢だと思う?」
今、結さん何した?顔が近付いてきて、唇が重なっ――
「…なっ」
結さんの唐突な行動によってフリーズしていた頭がようやく動き。
「ななななっ…なにをっ」
動揺を隠すことなんて浮かばないくらい動揺してしまう。
「…伊澄くん、結構面白い」
これは絶対都合のいい夢だ。うん。じゃなかったら結さんがこんなこと――
「…伊澄くん」
結さんが真剣な声音で言った。その、瞬間。
ピシリ、とガラスの靴と世界に亀裂が入り。
次の瞬間には、世界が崩壊した。
世界だけじゃない。人々も、一緒に。
「伊澄くん」
結さんと俺だけが、崩壊した世界に取り残される。
「一つ、お願い」
ガラスの靴の亀裂が、大きくなる。
「私を――」
結さんは、泣きそうな顔で。
「私を、助けて」
俺に、助けを求めた。
鐘が鳴る。灰かぶり(シンデレラ)の魔法が解ける、十二時の鐘。
同時に、ガラスの靴が割れ。
結さんも、消えた。
「結さん!」
ガラスの靴の残骸だけが目の前に残る。
また、消えてしまった。また、助けを求めて。
唇に残る感触はやけにリアルで、やっぱり夢だとは思えない。
だから。
「…待ってて」
願いを叶えるために。
約束を果たすために。
「絶対に助けるから」
再び、そう誓った。
世界は、完全に消滅した。