百物語略式より抜粋
これで最後か?みんなもう話しただろ?あぁ、俺だけだ、まだ語っていないのは。
そんなこと言うなよ、つれないな。大丈夫、ちゃんととっておきを選んださ。いいから静かに聞いてくれ。
これはある学生達の肝試しの話。……だから静かに聞けって。ありがちだなんて自分がよくわかってる。でも言ったろ?とっておきだって。
僕たちはある廃校……仮に沼田高校とでもしておこうか、そこに四人で肝試しで忍び込むことにした。そこは地元じゃ有名な心霊スポットで、立ち入り禁止にも関わらず毎年何人も度胸試しで忍び込む。ただ、有名なのはそういった連中が帰ってこないからじゃない。確かに何人か行方不明になった奴もいるらしいがあくまで噂だし、何年かに一度の話だ。それも大抵酔っ払いや天候が悪くて山に行くのには不向きな日や人ばかりだ。
そう、山だ。沼田高校は山にある。そんなに奥でもないが、かといって麓というわけではない。
有名なのは帰ってくる連中が、偽物が出たと言うからだ。偽物……そこに行った人そっくりの何かが、自分は本物だと言って成り代わろうとするらしい。
あともう一つ、そこは事故物件というか……何でも何十年か前に心中事件が起こったらしい。無理心中だから犯人って言えば良いのか?そいつはいじめられっ子でクラスぐるみでひどい扱いを受けていたらしい。担任は見て見ぬ振りどころか煽る様なことをしてたって言うんだからひどい話だよな。
その日そいつは遅刻してきたんだが、担任の受け持っていた授業中にいきなり現われたかと思うと担任に灯油をぶちまけてライターをぶん投げたそうだ。そんでもってパニックになったクラス中にも灯油をまいて同じように放火。クラスメイトは逃げる間もなく焼死、近くのクラスにも少なからず被害が出て、当の本人は屋上から飛び降り自殺だ。
……校舎は辛うじて全壊を免れたものの、損傷が激しくてな。その教室があった棟は使うのも難しくなった。幸い建物の老朽化が進んでるってんで別の、もう少し麓に近いところに新たに校舎を建ててたんだ。だからその校舎が完成するまでその棟で授業を受けてたクラスは別の棟、会議室とか職員室、あとはなんて言うの?実技教室?そうそう、調理室とか実験室な、とにかく一般教室じゃない教室がある棟や図書館、あとは近隣の公共施設に頼み込んだりして授業を行ってたんだが。
その数年で入学者は激減。校舎を移ってからは徐々に増えたけど、私立高校だったからな。一時は経営も危なかった。
そりゃあんな事件があって、しかも原因はいじめだし、教師もその存在を知ってて放置してたんだ。そのせいで評判が落ちたってのもある。
でも一番は、出るんだよ、その学校に。それも一人二人じゃない、死んだ奴らほぼ全員が。いじめられっ子も、いじめっ子も、教師も、見て見ぬ振りしてた奴らも、近くのクラスの逃げ遅れた連中も。
それで生徒も教師も参っちまった。学校に文句を言いに行った親の中にも、何人かパニックを起こした奴がいたらしい。それに加えて新校舎が完成して、つまりその校舎を使わなくなって取り壊そうとしたら事故が連発、その内仕事を請け負う奴もいなくなった。廃校になってからだいぶ経つのに今もそこにあるっていうのは、まあ……そういうことだ。
なのに何人もそこに忍び込む奴がいる。度胸試しでな。恐ろしいしもちろん違法行為だが、警察も人間だ。そこで何かあっても積極的に捜査してくれねえ。通報があってもふざけるな、いたずらも大概にしろってそればっかり。だからこそバカな連中はそこに忍び込みたがる。
あぁ、そうだよ。僕も、そのバカの一人だった。でもな、やっぱりダチにビビってるって思われたくなかったし、あそこに行く奴は勇気があるって言うんで学校、いやその地域だと尊敬されたんだよ。
あ?女子に良いカッコしたかっただけだろ?うるっせえな、ほっとけ。とにかく肝試しだ。
その日は満月だった。空には雲があったが、丸い、でっかいお月様は遮られてなくて真夜中の山だって言うのにいやに明るくって、校舎に着くまでは明かりがいらないくらいだった。
ゲームとかのテンプレだとそういった心霊スポットは生き物の気配がしないって感じだろ?そこは全然そんなことなくって、虫の声とか普通に聞こえてた。でもやっぱり、いくら明るくても生き物の気配があっても、不気味な廃校であることには変わりなかった。苔むした石の門とか腐りかけてる木造の壁とか。人が使わなくなって久しい建物が静かに、緩やかに死んでいく課程、そのわずかな瞬間を目の当たりにして、それが建物なのに自分も、人もいつかこんな風に緩やかに腐って、別の生き物に身体を侵されて死ぬんじゃないかって想像してしまう、そんな変な、見ているこっちが変になる雰囲気があった。
……考えすぎだって?わかるよ、実際友達は誰もそんな風に考えていないみたいだった。そう見せていなかっただけかもしれないけど、それでもダチの落ち着いた様子見てたら自分も平気になってきてさ。やめときゃ良かったのに敷居を、跨いじまった。
中もやっぱり荒れてた。床も壁も天井も腐ってて、所々穴空いてて、床からは雑草が伸びてて、教室の中を覗くと壁からは月の光が差し込んでた。まあ文字通り腐ってても建物の中だからさ、外よりも暗くて明かりは必要だった。一人一つずつ持ってきた懐中電灯の半分、つまり二つを点けて僕たちは一番校門から近い教室棟の一階を回ることにした。事件があったのはその棟の最上階、三階で、そこを見たらその階にある渡り廊下を通って特別棟を回って、あとはまあちょろっと校庭を見て帰るかって、そういう計画だった。
いくら土間とか下駄箱があっても、さっきも言ったけどやっぱ荒れてたからさ、靴を脱ぐ気にはなれなくて僕たちは全員土足のまま床に新しく穴を開けないように、見てて笑えるくらいに慎重に廊下を歩いてた。一歩踏み出す度に床が軋んで、話しててもそれが耳について、不気味というか耳障りだった。
ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。音がうるさい。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。こんなに傷んでるなら、全部は見て回れないかもしれないな。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。でも、せっかくなら事件現場らいは見たいよな。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。
ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。ギシ、ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。
ふ、と違和感を感じた気がして、立ち止まる。ギシ、ギシ、ギシ。ギシ。どうした、と友人が言う。ギシ、ギシ。ギシ。何かおかしくないか、と他の奴らに言う。ギシ。ギシ。何がだよって、全員立ち止まる。ギシ。音が、鳴る。
誰も歩いてなんかいないのに。
誰かの吐息か、声になり損なった音か。空気の抜けるような音がして、次の瞬間に音がまた聞こえた。
ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。ギシ。
「家鳴りだよ」
先頭を歩いてた、僕らのリーダー格だったやつがきっぱりとそう言った。
「古いからさ、ここ。柱か何かが軋んでるんだよ」
やけに断定的な口調のそいつに全員が同調した。その声は震えてたし、この、穴だらけの、次はどこの面積がなくなるかわからない廊下を歩くにしても家鳴りにしても音はやけに規則的だったし、何より間隔が短すぎることに僕も、多分友人も気づいてたけどそう思いたかった。
「……一階だけ見て帰ろうぜ」
誰かがそう言って、それに対する返答はなかったけど全員が賛成なのはわかってた。僕らはちょうど廊下の真ん中らへんにいたからもう半分、廊下の端まで行って、そしたら折り返して玄関から
「あ、」
ふ、とちょうど僕たちがいた横の教室の方を向いた友人が、聞きようによってはひどく間抜けな音を漏らした。何があったのかわからないけどろくでもないことは察せられた。それでも向いた。向いて、しまった。
最初はさ、時計だと思ったんだ。振り子時計。何か大きな、人くらいの大きさの物が教室の真ん中でゆらゆら揺れてて。ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。それで下の方だけ二つに分かれてるみたいでさ、左右で動きが少し違って。……でもさ、いくら別の物だと思おうとしても無理がある。現実逃避なんかできなかった。
だってそれ、明らかに人だったから。しかもさっきも言ったと思うけど教室の壁とか割れた窓とかから月の光が、明るすぎる光がはいってたからさ、懐中電灯で照らす必要なんてなかった。
さっきから鳴り止まない軋む音が、それが左右に揺れてるのと同時に鳴ってるって気付いたらもうだめだった。
僕たちは情けない悲鳴を上げて、上げたらさ、そいつ、こっち向いて。逆光だったから顔は見えなかったはずなのに二チャリって笑ったのがなんとなくわかって、それで、ここにいたらまずいんじゃないかって思った。それで、もと来た方へ、玄関から外にって思ったんだけど、駄目だった。なんでかさっき来た方に、なかったはずの何かがあった。それが何なのか、その時はよくわからなかったけどそこそこに大きくって、たぶん僕の腰のあたりかな。それぐらいの高さの、幅は人二人分くらいの何かが、なかったはずなのに。しかも、少しずつだけど動いてるみたいだった。何となく、本当に何となくばっかりだけどそう思って。思った瞬間、油と何かが焼ける臭いが鼻をついた。
だから嫌だったけど、進むしかなかった。床が抜けるんじゃないかって思ったけどそれでもさっきまでみたいに慎重に進む気にもなれないし、たぶんもたついて追いつかれたらやばいって、理解してた。だから全員懸命に走った。足が遅い奴の手を速い奴が引いて、とにかくあいつらとは逆の方へ。
廊下の端にはトイレと階段があった。おれたちは選ばなければならなかった。トイレに隠れてやり過ごすか、二階に行くか。でもさ、トイレに隠れて見つからない保証なんてない。二階にも何かいるかもしれないけど、トイレだって怪談の定番だろ?あいつらは追ってきてる、廊下はそんなに長くないからトイレに入ったって気付かれる。何よりそこから漂う何かが腐ったような悪臭が、ひどく耐えがたかった。
二階の床板を踏むと、一階のそれよりも大きく軋んで、一瞬呼吸を忘れた。慌てて一番近い教室に飛び込んで、動きを止める。自分の手で口を覆っている奴もいた。
鳴っているのは僕たちの呼吸音と自分の鼓動。それだけだった。
何秒、何十秒、何分かだったかもしれない。追われていないことを確信してやっと息をつける。
「見た、よな?」
「あ、あぁ」
暗い中でもわかるくらい全員の顔色が真っ白だった。
「なん、何だよあれ、いたずらか?」
「いや、でも結構な時間吊ってたはずだぜ。だから、」
生きているはずがない。なのにあいつは間違いなく僕たちを見た。その事実に改めて気味悪さを感じる。
加えて玄関の方にあった謎の物体だ。
「誰かいんのかよ……」
「そうだったら音の説明が付くんだけどな」
「え、でも、あれ」
「うるせえ」
グループ内ではやや乱暴なやつが凄むと、そいつは黙り込んだ。居心地の悪い、先ほどとは違う沈黙が落ちる。
「もう帰ろう」
誰かがいった言葉がやけに響いた。
「そうだな」
「でも、どうやって」
「特別棟だ。この階にも渡り廊下はあるはずだ。そこから向こうに渡ってあっちの玄関から出よう」
リーダーの言葉に皆頷き、そろそろと廊下に出た。
二階は一階よりも痛みがひどくて、踏み出すごとに鳴る軋む音が一階のあいつらに聞こえていやしないかと思うと恐ろしく、それでも足を動かすしかなかった。
周囲を警戒しながら、無事に特別棟への渡り廊下へ辿り着いた。途中、一階でも嗅いだ覚えがある、何かが焼ける臭いがしたが、俺も、だれも言わなかった。
特別棟もひどく荒れていた。何年も前の火事で焼けなくても、人の手が離れれば建物はすぐに死ぬ。それでも先ほどまでより、ずっと息がしやすい気がして、知らず知らず肩の力が抜けた。
ぼくたちが通ってきた渡り廊下は廊下の真ん中あたりに繋がっていて、階段は廊下の右手側の端にあった。逆側の端には別の棟に通じる渡り廊下があった。少し変わった構造だったけど、それを気にする余裕なんてなくて、俺たちは階段をまっすぐ目指した。廊下に備え付けられた水道からも、腐った臭いがしていた。ちらりと目線を配ると、黒々とした何かが排水溝に詰まっているみたいだった。
そうやってよそ見をしたのが悪かったのだろうか。突然、足を踏み外した。否、踏み外したのではなく踏み抜いたのだ。友人が避けて通り抜いた床板を、ものの見事に踏みつけて破壊した。
驚いて足を引き抜くと同時に、雷が鳴った。あぁそうだ、外は晴れていたってのに。他の奴らの反応を見ようとして、周りに誰もいないことに気がついた。床板を踏み抜いたことで、ナニかに居場所を知られたのではないかと動揺していた俺は、更に激しく動揺した。
我を忘れて一人一人の名前を呼ぶ。
それでも、半ば発狂していてもすぐにそれに気がついた。背後、別棟の方から嫌な気配がする。振り返ると、入り口に闇が迫っているのが見えた。そう、闇だ。そうとしか表現できない。黒いクレヨンで塗りつぶした闇が、別棟の廊下を呑みながらこちらへ向かっていた。
本能的に不味いと思う。慌てて階段まで走った。ダチのことを気にかける余裕はあれを見た瞬間になくなってしまった。さっき床を破壊したから慎重にはなっていたが、それでもできる限り早く階段へ向かい、一階へ駆け下りた。
友人達は、そこにいた。
「大変だ、早くにげ」
そこで、あいつらの様子がおかしいことに気がついた。僕を見てひどく驚いている。怯えている
「どうした?」
言ってから、気付いた。一人多い。
咄嗟に懐中電灯の光を向けて、絶句した。そこには、自分がいた。ひどく混乱した顔をして、こちらを見ていた。
「、なんで」
「来るな!」
踏み出した瞬間、そいつが叫んだ。
「来るな、偽物!」
続いて、ダチの一人が叫んだ。そいつは僕が一番仲良くしていた親友だった。他の連中も、そいつを、偽物を庇うように立つ。
「違う、俺は」
「寄るな!」
近づいて、手を伸ばす。瞬間殴られた。痛みに呻く間もなく、二発、三発殴られる。息をする間もない殴打と、友人に殴られているという事実に気が狂いそうだった。今までに直面したどの恐怖をも上回る体験だった。
それでも、きっと長くは続いていなかったんだろう。
突然、暴力が止んで、皆走り去った。あとに残された僕は、寒気に晒されて動くことも出来ずにただ震えていた。
背後に、闇が広がっているのがわかる。さっき俺が逃げた闇だ。背中に目が付いているわけではないのになぜかはっきりと知覚していた。
それは、ばっくりと大きく口を開けて俺を呑み込もうとしていた。それに呑み込まれたら死んでしまうと直感してなお僕の頭に浮かぶのは去り際に僕が、偽物が浮かべていた表情だった。
蔑むでもなく、あざ笑うでもなく、ただ怯えていたような。恐らくは僕自身が同じ目に遭えば浮かべるような。
(あいつにとっては、紛れもなく自分が本物だったんだ)
不意に納得した、瞬間、呑まれた。
俺の話は、これで終わりだ。
電気が点いた。
「結局何もなかったね」
「そうだな、拍子抜けだな」
十人の少年が口々にそんなことを言いながら、先ほどまで使っていた道具を片付ける。
(あれ、あいつろうそく消したか?)
ふと、そのうちの一人がそんな疑問を抱いた。最後の語り手に確認する。
「いや、あれは俺じゃないぞ」
「え、」
「あいつだったろ?」
彼は怪訝な顔で、別の少年を指さした。
(おかしい、そんなはずは。だって、あいつの声は)
「声、は」
そして、気がついた。
(あの声、誰のだっけ)
十本のろうそくを片付ける。
その後、彼らが最後の話の語り部を思い出すことはなかった。