ジャンゴ
「おいマスター! 酒持ってこい! ひとりに一本ずつだ!」
荒々しい怒鳴り声が、酒場に響く。
酒場の店主は怯えを露わにしながら、命じられるがままによく冷えたビールの瓶を四本、テーブルへ運ぶ。
彼の目の横は大きく腫れており、殴られたのが見て取れた。
テーブルに集まる覆面姿の男たちは、店主が運んできたビールを奪うように乱暴に取り、一斉に栓を抜いた。
彼らはそのビール瓶をグラスへ注がず、そのまま豪快に喉に流し込んだ。
「前祝いだ。俺たちの勝利にな」
「おいおい、なにに勝ったんだよ」
「いろいろだ、いろいろ!」
ゲラゲラと下品に笑い、二重の意味で酔いしれる。
酒のうまさはもちろんのこと、悪事の楽しさにも。
覆面姿の彼ら若者は、鬱屈な勉強や就職活動から逃げた大学生だった。
彼らはストレス発散の一環としてあらゆる欲望に忠実に働き、こうして強盗などのスリルある犯罪に明け暮れていた。
悪事を悪事と思わず、自分たちが無敵だと完全に信じ込んで。
彼らが楽しむ犯罪という遊びは非常に痛快で素晴らしく、最高の気分をもたらしてくれた。
若者たちは、すっかりこの危険な魅力に取り憑かれ、病みつきになってしまっている。
だが、彼らを裁くことはできはしない。彼らの後ろには、権力と金を持つ親がいる。政治家の親、大企業の社長の親……それらが彼らを守ってくれる。
ゆえに裁判沙汰にはならない。そもそもさせはしない。
すべては金だ。金さえあれば、もみ消せる。どんなに品のない真似をしても、金がすべてを解決してくれる。
親の権力を傘に、彼らは享楽に明け暮れる。
自分たちを止めるものなどいはしないのだ。
「それにしても、はは、今回のエモノは最高じゃないか?」
「ああ、めっちゃ可愛いぜ」
「お嬢様学校に通うだけはあるよな。あの制服もあんな子に着られてるんなら本望だろ」
「なら、今回は脱がさずにそのままヤるか?」
「いいねぇ、そりゃ気持ちよさそうだ。なぁオイ。おまえもその方がいいだろ?」
リーダー格の男が、手足を縛られて拘束された少女に声をかける。それに合わせて、下卑た視線が一斉に彼女へ集まる。
赤毛の綺麗な髪と、スレンダーでモデル並に整った体型を持つ美少女。
まるで人形めいて綺麗な彼女であるが、その容姿からどちらかというと不良寄りに見え、彼らにとっては格好の獲物だった。
しかしその少女は、男の問いかけになにも答えなかった。
俯いて、じっと床を見つめている。
「そんな恐がることないぜお嬢ちゃん。これから楽しいことしてやっから」
「……」
「別に悪いことをしようってんじゃないんだ。社会勉強だよ。大人になるためのな。絶対後悔しないさ。それに、骨抜きになるって評判なんだぜ?」
「……」
だがやはり、少女は黙したままだった。
不自然に感じ、若者たちは顔を見合せた。
ひとりが少女に近づき、足でこつんと小突いてみた。
すると、
「ん……ふわぁ」
気の抜けた欠伸が漏れた。
男たちは、ぽかんとして、再び顔を見合せた。
まさか、寝ていたのか? この状況で?
少女はまだ眠そうな顔で周囲を見回して、「んっ」と縛られた体で伸びをした。
そして、
「……おはよ」
と、なんとも危機感のない挨拶をしてのけた。
「おはようじゃねぇ! なに寝てんだ、おまえ」
「だって眠かったし……昨日徹夜しちゃったんだよね。ガッコウでも昼寝したけどまだ寝足りなくて。ふあ……うん、もう少し寝るね。おやすみ」
「また寝るな! クソっ、なんなんだこいつ」
「んー……すぅ」
「寝るなつってんだろ!」
男のやかましい癇癪に、少女は仕方なく寝るのを諦める。
「はぁ、しょうがないなぁ。ねえおじさん、今何時?」
「……22時13分です」
酒場の店主が少女の問いに答えたが、退廃大学生たちにギロリと睨まれ、店主は逃げるようにカウンターへ隠れた。
「え、どうしよ。門限過ぎてる。怒られちゃうなぁ。早く帰らないと。お兄さんたち、私のこと送ってくれる?」
「なに呑気なこと言ってんだおまえは……なんでおまえが捕まってるのかわかってんのか」
「? だってそういう遊びなんでしょ? 私と会ったときそう言ったじゃん。俺らと遊ぼうって」
「誘拐したんだよ! ざけんなくそが!」
「あ、これ誘拐なんだ。へー、私誘拐されたのって初めて。ふふっ、映画みたいだね」
呑気にも少女はくすくすと笑った。
リーダー格の男は少女のふわふわとした天然な様子に完全に調子を崩され、頭に血を昇らせ始めていた。
このままでは少女を加減せずに痛めつけてしまいそうなので、仲間たちは強引に引きずって後ろへ下がらせた。
「なんなんだ、あいつは……マトモじゃないぞ。ネジが外れてるのか?」
「やっぱりお嬢様って俺らとはその、感覚が違うんじゃないですか? 頭の作りっていうか」
「俺らがバカだって言いたいのか?」
「いや、そうじゃなくて。バカはどちらかと言ったらアッチの方だと思うけど……とにかく、落ち着きましょうよ。あんなんでも、金の成る木には違いないんですし」
「……そうだな」
諭されて、クールダウンしたリーダー格はビールを煽った。
アルコールが体に駆け巡り、気分もよくなった。
「あ、いいな。私も喉乾いちゃった。ねぇ、コーラある? ペプシじゃないよ。私、コカ・コーラ派だから」
「……」
無視だ。
あれを相手にしていたら疲れる。
とにかく、いちばん欲しいのは金だ。
それさえ手に入ればこんなのとはおさらばだ。
すっかり萎えた。犯す気にもなれない。
「ねぇねぇ。誘拐ってことはアレしたの? 娘を返して欲しければお金を用意しろってお決まりのやつ」
「……」
無視だ。
構うことはない。
確かに要求はしたが、わざわざこんな天然女にそうだと教えてなんになる。
「だとしたら、今のうちに逃げた方いいよ」
少女は心配を口にしながら、薄く笑って言った。
「痛い目に遭うから」
KRAAASH!
突如として、酒場の扉が吹き飛ぶ。
外で見張りとして待機していた仲間のひとりが、扉と共に店の中へ転がり込んだ。
大学生たちが予想だにしていなかった出来事に身構え、酒場の出入口を注視する。
そこから現れたのは、カジュアルスーツに白いコートを羽織った偉丈夫。
整った顔立ちに、獅子の鬣めいて美しく雄々しいダークブロンドの髪と髭を持つ美男子だ。目鼻立ちが凛々しく引き締まったその顔立ちの整った美しさは、精悍という言葉がこれ程ないまでによく似合うという風貌だった。ただ美しいだけでなく、研ぎ澄まされたワイルドな雰囲気が漂うそれは、ある種の神々しさや神秘性を秘めていた。
「よう。元気か、ベル」
現れた男──トニーにジョンと呼ばれていた彼は、囚われた少女の名前を呼んだ。
少女は男の顔を見てぱぁっと嬉しそうな顔になった。
ベルはこくんと頷く。
「うん。へーきだよ。迎えに来てくれたんだ、ジャンゴ」
「帰りがずいぶん遅かったからな」
「心配した?」
「いや、別に。むしろ、おまえを攫うような命知らずの方が心配だったさ」
「そっか」
ベルにはジョンではなくジャンゴと呼ばれた白コートの男は、ベルを攫った大学生の方へと歩み寄った。
薄らと不敵な笑みを浮かべるジャンゴがこちらへゆっくりと迫り、彼らは滲み出る異様な気迫に緊張して固まったように動けないでいた。ただ、恐れまいと己を奮い立たせ、きっと睨みつけながら目の前の男の得体の知れなさに警戒する。
「店主、ミルクを持ってこい」
「は、はぁ……ミルク、でよろしいので?」
「そうだ。ミルクだ。持ってこい」
ジャンゴは硬貨を店主へ投げつけて、大学生たちの緊張を他所に、彼らの囲むテーブルまで近づく。
そして、手に提げていたアタッシュケースをドン、とわざとらしく大きな音が鳴るように乱暴に自分の足元、テーブル下に置いた。
大学生たちの視線が、アタッシュケースとジャンゴの顔に行き来する。
「それで、おまえさん方。うちのベルが世話になったようだな」
「……おまえ、こいつの電話に出た男だな」
「あぁ、そうだ」
「ということは、おまえがこいつの親か?」
女子高生の親にしては、少し若く見える。といっても、若すぎる訳でもない。どういうわけか、年齢の判別がつかない不思議な雰囲気を纏っている。
「どう見える?」
「恋人とかかな」
ベルが無邪気に言った。
その発言に、ジャンゴは肩を竦める素振りを見せた。
「おれは一応、こいつの面倒を見ている男だ。それ以上でも以下でもない。親になったつもりはない。まぁ、どうでもいいことだな。おれとベルの関係なんて、おまえらが知ったところでなんの得にもならないだろ」
ジャンゴはスーツの胸ポケットからマールボロを取り出して火をつけ、一服する。
そして、テーブルに灰皿がないことにあとから気づく。彼はテーブルに携帯灰皿を置いた。そこで、木目のテーブルの木の板のひとつが傷んで外れかかっていることに気づいた。
そこへちょうど、店主がミルク瓶を運んできた。
「えぇと……お待たせしました」
「ああ、どうも」
「そのう、一応ここは禁煙席……あ、いえ、なんでもありません。ご、ごゆっくり」
「そうさせてもらうよ」
ジャンゴは差し出されたミルク瓶には目をくれず触れもせず、そのままタバコを吸い続けた。
彼の刺すような鋭い視線が、リーダー格の男とかち合う。
威圧され、ごくり、と無意識に唾を飲み込む。
だが、リーダー格の男は負けじとジャンゴを睨みつける。彼の宝石のような碧眼に、リーダー格の顔が写り込む。底知れぬ恐怖に苛まれ、引き攣りそうになっている顔が。
「そいつに入ってるのは金か?」
「そうだ。おまえらにはお似合いの金だとも」
まるで蛇に睨まれた蛙だ。
だが、ここで無様に醜態を晒すわけにはいかない。
リーダー格の男は精一杯の威厳を保ち、ちっぽけな勇気を引き出してジャンゴと対峙する。
「ああ、それはご苦労。受け取ろう。このガキも返してやる。だが……」
リーダー格の男は手を挙げて仲間たちに指示を出す。
こいつを締めあげろ。思い知らせてやれと。
その指示に従い、彼らは思い思いの得物を取り出す。ナイフやメリケンサックを取り出す者もいれば、素手で威圧する者もいる。
「舐められたら示しがつかない。おまえには少し痛い目に遭ってもらう。こいつを返した後、馬鹿な気を起こさないようにな」
リーダー格の男は、懐から銃を取り出した。
六連発のリボルバー。ニッケルメッキの光り輝く銃身が鏡のように男の顔を映し込む。
撃鉄をカチリと起こし、ジャンゴにいつでも撃てるぞ、と言うように突きつける。
しかしジャンゴは意に介さず、怯えた様子もなく、ゆったりとタバコの紫煙を燻らせる。
彼の表情はまるで変わらず、能面めいて無表情だった。
「いい銃だ。けどガキが持つには過ぎたオモチャだな。撃ったことはあんのかい?」
「あぁ、あるとも。おまえの体に風穴を開けるぐらい、ワケねぇよ。しかもこの距離だ。外す理由がないぜ?」
「へぇ」ジャンゴは面白そうに薄く笑った……ように見えた。彼の目だけが、わずかに感情を表した。「なら、やってみせな。三下」
「っ……! Kiss my ass!!」
ジャンゴの挑発を受け、リーダー格の男は激高を露わに怒鳴り声を上げて引き金を引いた。
BLAM! けたたましい銃声が、店内に響き渡る。
だが。
「……は?」
なにが起きたのかわからなかった。
己の腕が突然なんらかの衝撃で跳ね上がり、銃弾はジャンゴではなくその後方、天井のシーリングファンを撃ち抜いていた。
……それは一瞬の出来事であった。
リボルバーの引き金が引かれる寸前、ジャンゴはテーブルを下から軽く無造作に蹴りあげ、外れかかっていた木目の一部をシーソーめいて跳ねあげて、リーダー格の男の肘にぶつけたのだ。
それにより、彼の腕は上を向き、狙いは大きく狂って弾丸はシーリングファンに命中することになった。
シーリングファンは天井から床へ落下し、その下のテーブルに直撃した。
リーダー格の男は呆然として、目を見開いてしばし……実際は一秒にも満たない……硬直していた。そして、状況を判断する間もなく、彼はジャンゴに伸びきった腕を掴まれると、そのまま強引に引っ張られて、反対側に投げ飛ばされる。
リーダー格の男は壁に背中からぶつかり、そのままずるずると崩れ落ちた。
「ごはぁ……!」
勢いよく壁に叩きつけられたリーダー格の男は肺から一気に酸素を吐き出し、手放すように意識がふっと薄れ、そのまま動けなくなった。
「さて」
ジャンゴは、あっという間の出来事に驚愕していた残り四人の大学生たちを睨みつける。
「指導の時間だ。教育してやるよ」
「……サノバビッチ!」
ナイフを持った男とメリケンサックをつけた男が、啖呵を切って同時に飛び出た。
ジャンゴは襲いかかるふたりの攻撃を軽く手でいなし、赤子の手をひねるように彼らを容易くあしらう。
そこへもうひとりの徒手空拳の男が割り込み、勢いよく前蹴りを繰り出した。だが、技も型もない雑な力任せの一撃では、ジャンゴを倒すことなど到底叶わない。
ジャンゴは素早くかがみ、その場で滑るように滑らかな足払いで蹴り足とは逆の足を崩す。バランスを失った男はそのまま前のめりに転倒し、テーブルに頭からぶつかった。
壊れかけていたテーブルはついに限界を迎えそのまま真二つにぱっくりと割れ、テーブルの上にあったミルク瓶が大きく跳ね上がり、宙を舞った。
「ヤロウ!」
そこへひとりが凶暴な輝きを放つナイフを大きく振りかぶり、ジャンゴを切り刻もうと挑みかかった。
だが……大きく振りかぶるのは良くなかった。
その行動はあまりに隙だらけだ。素人ゆえにそれを咎めても仕方のないことだが、兎にも角にも、今回は相手があまりに悪かったという他ないだろう。
ジャンゴはわずかに体を動かして半身になり、ひらりとその突撃を容易く躱す。
そして彼は、吸っていたタバコを彼の額に押し付ける。
「あ、ああぁぁぁあああ! あつ、あづ、ぁぁぁ!」
ジュッと嫌な音が小さく聞こえ、悲鳴がわんわんと店内に木霊する。
そして、タバコを額でもみ消された男の首根っこを掴むと、ジャンゴは彼を床に思い切り叩き伏せた。その衝撃に、床の木材が爆ぜて、あたりに破片をばらまいた。
ジャンゴはちょうどそこへ落下してきたミルク瓶をキャッチすると、瓶の紙蓋に親指を押し込んで開栓する。
「そんなに熱いか? 悪かった。ほら、これで頭冷やせよ」
ジャンゴはミルク瓶をひっくり返し、足元でのたうち回る男にかけてやった。
彼は恨み言も言うことができず、激痛に耐えれずそのまま気絶した。
そして、ジャンゴは静かに呟く。
「心配しなくていい。もちろん奢りだ」
ジャンゴが空になった瓶を放り投げたその直後、メリケンサックを両手につけた男が、勇ましくジャンゴに襲いかかった。
先程のナイフの男とは異なり、彼の身のこなしには無駄が少なく、素早かった。一対一になってようやく本領を発揮できたというところだった。
彼はかつてボクシングでもやっていたのか、非常に洗練された動きを見せる。
右、左、交互に繰り出される鋭い拳が、ジャンゴを攻め立てる。
ジャンゴは反撃に転じることなく、回避に専念してそのまま後ろへと下がっていく。
そして、延々と下がり続けたジャンゴは、やがて壁際で埃をかぶっていたビリヤード台に背中を預けた。
そこへ男のストレートが滑り込む。ジャンゴの胸めがけて放たれた拳が、ひゅっと風を切って弾丸めいて襲いかかる。
しかし、ジャンゴはそれを横に身を捻ってかわす。男のストレートがビリヤード台にぶち当たり、劣化で脆くなっていたためかバキッと音を鳴らしてそのままひび割れた。
ちっ、と舌打ちをして男はジャンゴの方に素早く振り向く。すると、突如横から強い衝撃を受けた。
男の右腕が折れ、そのまま脇腹を打ち付ける。衝撃に弾かれたように吹き飛んで、彼の体はビリヤード台にぶつかり、台を破壊した。
壊れた台からボールが散乱する中、男はそのままがくりと気を失った。
「JACK POT」
男をのしたジャンゴの手には、細長い棒……ビリヤードのキューが握られていた。
鋭いパンチを横に避けたあの瞬間、彼は抜け目なくキューを手に取っていた。そして、それを手頃な武器として扱い、男に叩きつけたのだった。
「お疲れ──」
ベルがにこにこ笑いながら、ジャンゴに声をかけた。
これにて退廃大学生の四人、正確には見張りも含めて五人全員があえなくジャンゴの手によって倒されたのだった。
いや……。
「──って言うには、まだ早いかな」
「そうらしい」
カチリ。
撃鉄の起こる音が冷たく聞こえた。
「意外にタフだな。いい根性してるぜ」
「殺してやる……殺してやる! もう脅すだけじゃ済まねぇ……おまえの脳天吹き飛ばしてやるっ! その女もだ! 皆殺しだ畜生が!」
いちばん最初に投げ飛ばされて今までのびていたリーダー格の男が目を覚まし、リボルバーを再び構えてジャンゴを鬼の形相で睨みつけていた。
顔を真っ赤にして荒い息遣いで息を吐く様子は、いにしえの蒸気機関車めいている。
ジャンゴはこの怒り狂う暴走列車を相手に、やはり眉ひとつ動かさず、余裕たっぷりにキューをくるりと回して持ち直して大胆にも歩み寄る。
「Go ahead」
そして、彼は静かに言った。
「Make my day」
「死ね──!」
リーダー格の男は憎しみを込めて引き金を引いた。
CLICK!
しかし、酒場には乾いた銃声が轟くことはなかった。
弾切れではない。リボルバーゆえ、ジャムが起きることも有り得ない。ではなぜ?
その原因は銃口にある。
男は目を剥いて驚愕していた。
リボルバーの銃口に、キューが蓋をするようにすっぽりと差し込まれていたからだ。
恐ろしく素早く、鮮やかな手品だった。
「バカな……!」
「残念、スコンクだ」
ジャンゴはそのままキューを捻るように振り抜き、リボルバーを弾き飛ばした。
そしてそのまま、棒術の要領で男の胸を二度三度と鋭く突き、最後に顎を強か叩く。
リーダー格の男はその一撃にひっくり返り、背中から床へ叩きつけられた。
こんなことがあるか?おかしい。絶対に有り得ない。
夢だ。悪い夢だ……。
「おまえは……なんなんだ」
男は、閉じゆく視界に映る夢の中の幻に対して尋ねた。
「何者、なんだ──」
男は呻くように声を絞り出し、そのまま再び意識を失った。
ジャンゴはそれを確認すると、キューを近くのテーブルに立てかけ、タバコを取り出して火をつけた。
一服し、煙を吐き出す。
「……さぁな」
ジャンゴは短くつぶやく。そこへぱたぱたとベルが駆け寄ってきた。どうやら、縄はいつの間にか自分で解いていたらしい。いや、そもそも最初からずっと縛られたフリをしていたのかもしれないが。
とにかく、ベルは人懐っこい無邪気な微笑みを湛えて、自分を迎えに来てくれた男に半ばぶつかるように飛びついた。
「こんどこそ、お疲れ。ほら、イェーイ」
「イェーイ」
ふたりはハイタッチして、悪戯っぽく笑った。
「じゃ、帰ろっか」
「そうだな。……腹が減ったし、帰りにハンバーガーでも買って帰るか」
「え、いいの?」
「ああ。ただし、トニーには内緒でな」
「怒られない?」
「つまらない心配するな。どうあれおまえは誘拐されたんだからどの道あいつにはガミガミ口うるさく怒られるよ。ま、そういうことだから説教のネタが今更ひとつふたつ増えたところで変わらんだろ」
「うーん……でも」
「サイズはワッパー。チョコレートサンデー付き」
「食べる!」
ベルはぱあっと顔から光が漏れ出そうなほど表情を明るくしてギューッとジャンゴの逞しい腕にしがみつく。そして、「ふふふっジャンゴ〜」と甘えた声を出した。
ジャンゴは、そんな彼女の幼い様子に呆れたように苦笑いするが、ぽんぽんと頭を撫でて引き離そうとはしなかった。
彼は腕を抱くベルと連れ添って歩きながら、荒事が収束してもなおぽかんと間抜けに固まっていた酒場の店主にくしゃくしゃのドル紙幣を十枚握らせた。
「邪魔したな。そいつらは適当に警察にでも引き渡しておけ。どうせすぐに釈放されるだろうが少しは懲りるだろ」
「あ、ああ……どうも」
店主は手渡されたドル紙幣をぺらぺらと確認し、
「あのう……この店の修理費には足りないんですが」
と、ジャンゴに確認した。
「ああ、だろうな。それがどうかしたか?」
「え、いや、じゃあこの金は?」
ジャンゴは振り返り、ひとこと言い放つ。
「教育費」
店主はすっかり荒れ果てた様子の自分の店をぐるりと見回した。壊れたテーブル、割れた床に壁、落下したシーリングファン、破壊されたビリヤード台。そして彼ひとりの手により撃退された退廃大学生五人。
まったく、ひどく悪い夢だ──本当に。
かたん、と店主の憂鬱な心を煽るように壁に飾っていた名も知らぬ風景画が落下し、虚しい音を立てた。
そしていつの間にか、ジャンゴとベルの姿は酒場から消え去っていた。
「最悪な日だ……」
店主はガックリと項垂れ、深く重いため息を吐き出した。
そこで、ジャンゴが持ってきたアタッシュケースが残っていることに気づいた。
しばらくどうしたものかと考えたが、ほんの少しばかりの期待を募らせて、そのアタッシュケースを開けることにした。
元々あの誘拐された……本人は誘拐された自覚はあまりなかったようだが……少女のために身代金を用意していたことだし、それなりの額の金は入っているかもしれない。
「……なるほど」
アタッシュケースを開けてみて、店主は苦笑した。
「教育費かぁ……ははは、はぁ……」
……アタッシュケースの中に入っていたのは、「こども銀行」とでかでかと書かれたオモチャのお札だった。