第三話
誤解されてはいけないので一言言っておくが、別に彼女のことを嫌ってはいない。気のおけない友人の一人だ。もっとも違う意味で気がおけないところもある。
シズとは今でも連絡を取り合っている。つい先日も、今度こそ同窓会に来いよ、と連絡があったばかりだ。返信はまだしていない。
気取らぬ姿のまま語り合える人が身近にいるということはありがたいものだ。小説家のボヒューズも言っている。
「人間は新しい出会いのたびごとに、仮面を新調し、増やさなければならない。だが、時にはそれが耐え切れないほどにくたびれる日もある」
シズの情報もあながち間違いではなかったらしく、彼の元には連日連夜、運動部の営業係が訪ねてきた。おかげで美術室に平穏が帰ってくるのに二週間かかった。彼の意志固しと判断したのだろう、嘘のように静かになった。
私の元には誰も訪れなかった。小学生の頃は若狭川の小河童と鳴らしたもので、話を聞いた誰かが勧誘しに来ないかと心待ちにしていたのに残念だった。陸に上がった河童には用はなかったらしい。
昔の人はこういう場にふさわしい言葉を残してくれている。覆水盆に返らず、水泳部のみんなにはこの言葉を贈ってやろう。
現実に打ちのめされた私は、以後二年間にわたって美術の道に専心することにした。彼もまた、私と同じように美に耽溺した。
彼は水彩画を好んで描いた。私とは違って写生も得意だった。校内写生コンクールで銀賞を獲ったほどの腕前だ。彼の金賞を阻止したのは私ではない。アニメ・漫画研究会の坂田とかいう三年生だった。いや、坂本だったかもしれない。
授賞式を終えた後の美術室は親を亡くした子供のように静かだった。木魚があれば、ほとんど葬式と変わらなかったかもしれない。
お線香でも上げますか、と肩をすくめながら部長に訊ねると少し引かれた。
銀賞祝賀会を開きませんか、と皮肉交じりに注進したつもりだったのだが、婉曲過ぎたらしい。あいまいさは美徳だと思っていたが、その一件以来どうも分からなくなった。
彼の肩を持とうとしたわけではない。私はパブリックな賞こそ獲れなかったが、シズから残念だったで賞というプライベートな賞をもらい、祝わってもらえていた。フェアではないと思っただけのことだ。
彼の祝賀会は翌々日に開かれた。美術室は線香臭かった。念のために言っておくが、私のせいではない。部長が立てたのか、アニメ・漫画研究会の工作員が嫌がらせで立てたのか、はたまた顧問が厄払いのために立てたのか、真相は今も謎だ。流石のシズも線香事件の犯人までは知らなかった。
水泳に自由形があるように、校内の絵画コンクールに自由の部が存在していたならば私は金賞を獲っていただろう。
前衛芸術を描くことに関しては自信がある。部内でも他の追随を許さないほどの力量だった。写生は駄目だ。自意識が強すぎるのか、抽象絵画のようになってしまう。世の中は上手いようにできている。天は二物を与えてはくれなかったらしい。