第二話
彼と初めて言葉を交わした日のことは今でもよく覚えている。新入生歓迎会の時に私の右隣に座っていたのが彼だった。
先輩方の愚にもつかぬ部活動紹介に飽きてしまい、私の方から話しかけた。たいした話はしていない。名前や出身を尋ねたり、部活は決めたのかと聞いたぐらいである。彼も暇を持て余していたらしく、逐一丁寧に答えてくれた。聞いていないことまで教えてくれた。
もう時効だろうから白状するが、その時の私は彼のことを女の子だと見間違えていた。
耳元で切り揃えられた髪は快活さのあらわれのようでまるで違和感なかったし、薄桃色のぷっくりとした唇が、私の抱く女性像と合致していた。
今となっては笑い話だが、ボーイッシュな女の子だと思い込んでしまっていたのだ。
歓迎会は体操服を着用しての参加だったので、制服で見分けることができなかった。誤解の大元である。 私の純情は、歓迎会立案者の手によって踏みにじられたといえよう。
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偶然なことに彼と私は揃って美術部に入部した。誤解はその時に解けた。
夢は夢のままがいい。私はその日、ひとつの真理を得た。
彼が美術部に入った理由は私も知らない。中学生の頃は陸上の中距離走で鳴らしたそうで、全国大会にも出場した実力者と聞く。
もっとも、吹奏楽部の丸山から聞いた話だ。真偽の程は定かではない。前世からの因縁か、高校生の頃の私は、女子とほとんど接点を持っていなかった。丸山は高校時代に交流があった数少ない異性の一人である。
彼女のもたらす情報の信憑性には校内でも定評があった。吹奏楽の丸山から聞いたと言えば、訳知り顔をされて肩を叩かれたものだ。
私自身、シズーー彼女は本名を丸山静といい、シズと呼ぶように厳命されていたーーの話を信じて何度涙を飲んだか分からない。
彼女の言が正しければ、私は高校時代に十三回は告白されたはずである。そして知らぬ間に十三人の異性を傷つけたことになる(注1)。もちろん、身に覚えはない。
想像を裏切って申し訳ないが、友情が恋心に変わるなどといった陳腐なロマンスは起きなかった。
熱帯雨林にサボテンは咲かない。分かり切った理屈だ。ロマンス、ロマンス、としきりに口ずさみたがる連中のために忠告しておくが、映画や小説の見過ぎは好くない。
あんなもの、所詮は言葉じゃないか。足元を見てみたまえ、人生が音を立てて転がっている。
反ロマン主義者の烙印を押されてしまいそうだが、別に映画や小説が嫌いなわけではない。むしろ嗜んでいる。中毒とさえいえる。履歴書の趣味欄にはいつも映画鑑賞と読書と書いている。
「注釈」
(注1) 独自に行った調査の結果、十三人のうち三人は存在しないことが分かっている。彼女の誇大妄想癖が造り出した架空の人物だった。