夢幻機械
地下室へ繋がる階段を降り、半壊した木製の扉を開けると、ぬるい空気と共にカビのすえた臭いが鼻を突いた。消えかけのランプがいくつか吊るされながら、中央に鎮座する夢幻機を暗く照らしている。床を軋ませながら機械に近づき、大きな錆びた鉄の蓋を開けて中を覗くと、ぴんと張った銀色の弦が数十本、何重にも重なっているのが見えた。
「これなら直りますよ、多分。基幹鉄糸が切れてたらもうダメでしたが、さすがに大丈夫でしたね」
振り返り、後ろの方から遠慮がちに夢幻機を覗き込む依頼主に伝える。彼はほっと安心したように息を吐くと、控えめな笑みを見せる。
「そうですか。よかったよかった。初めて見つけた時は、これで俺たちも幻燈が見られる!なんてはしゃいだものですから、あの苦労が無駄にならなくて安心しましたよ」
「では、さっそく修理に取り掛かりますので、上で待っててください。結構かかりますので」
彼はそれを聞くとこくりと頷いて、素早く上へ──つまり地上へ戻っていく。まもなくして部屋に静寂が満ち、つんと鼻にくるカビ臭さだけが残った。
どれほど長い間放置され続けてきたのだろう、そう思いながら、錆びてボロボロの蓋を取り外し、持ち込んだ懐中電灯で中を照らす。射し込む光を鈍く反射する基幹鉄糸と、その向こう側に、ドクドクと脈打つ鉄の心臓──夢幻機の心臓──が見える。鉄糸に向けて潤滑剤を丹念に吹き付け、重く大きい蓋を戻すと、今度は裏にあるハンドルを探した。
ハンドルにも潤滑剤を吹きかけて、ギリギリと音を立てながら回していく。中の鉄糸が不快な高音を立てて稼働し、夢幻機全体が大きな音を立てながら振動し始めた。機械の端という端からカスが落ち、接合部が悲鳴を上げる。
バタバタと足音が近づき、半壊したドアを勢いよく開ける音が聞こえる。
依頼主が不安そうな目をこちらに向けて何か言っているが、夢幻機のたてる騒音に消されてしまい、私の耳には届かない。5分ほど重たいハンドルを回し続けると、だんだんと音が小さくなってくる。
「……聞こえますか!」
「ああ、すいませんね。手を止めるわけにもいかなかったもので」
左手で汗をぬぐいながら、しかし右の手はハンドルから離さずに依頼主と応対する。異常なことは何もないとわかると、彼は安堵した表情で上の階へとまた戻っていった。
修理には4時間ほどがかかった。夢幻機は、見た目こそボロボロだが、中の機構はもう直ったと言って良いだろう。
「どうも助かりました。やっとこれで幻燈が見られます、仲間たちも喜ぶと思います」
そう言いながら、彼は笑顔で頭を下げる。彼の言う仲間たちはどこにいるのだろうか、聞きそびれてしまったな。
「では、ご縁があれば、また」
粗末な一軒家を後にすると、心地よい五月の風が全身を突き抜ける。
太陽は地平線へ沈もうとしていた。