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6.落ち着かない心


 苛々とした気持ちを抱え、瑠璃は悶え苦しんでいた。

 今宵はどうしても落ち着けない。食欲は満たされても、自分の花を支配する悦びを求めるあまり、白珠に何度泣かれても解放する気になれなかったのだ。

 それもこれも、すべて瑪瑙とかいう小鳥のせいだ。あと少し遅ければ手を出されていたと思うと、まだ怒りが収まりそうになかった。そして怖かった。白珠が自分以外の精霊との交わりに興味を抱いたのではないかと思うと、気が気でなかったのだ。


 そのためだろう。少し早めに始まった夕食は長引き、気付けば深夜にまで差し掛かっていた。

 睡魔と疲労に見舞われ、白珠はすでにぐったりとしている。もはや哀願も拒絶もしてこなくなっており、蜜の出もずいぶん悪い。甘い香りも殆どしなくなっていた。

 すでに食事や戯れの域を超えている。今やっていることは、なぶっているにも等しい虐待に変わりない。

 それを自覚していながら、瑠璃は自分を止められずにいた。白珠の意識がまだあることを確認すると、少しでも蜜を出させようと愛撫しながら責めるように囁いてしまうのだ。


「もう眠ってしまうつもり?」


 微かに開いている白珠の瞳が揺らいでいる。怯えている。弱々しさを感じさせるその表情は、瑠璃の中に眠る捕食者としての本能を刺激する。

 瑠璃にとって白珠はただただ可愛い花であるが、同時に全てをぐちゃぐちゃにしてしまいたいほど魅力的な獲物でもあったのだ。胡蝶としての欲望が理性を超えてしまったとき、自分はきっと白珠にとってこの上なく恐ろしい怪物となるだろう。

 それを自覚していながら、瑠璃は自分を止められずにいた。


「私はまだ欲しい。まだ足りないの」


 怒りを抑えられない瑠璃の声色に、白珠の目がさらに開かれた。


「……瑠璃、お願い。わたしを許して」


 震えながら白珠は言った。

 触りたくなるほど美しい赤い目が、まっすぐ瑠璃の顔を見つめている。その目から涙が零れ落ちると、僅かに甘い香りが広がった。

 いつもよりもずっと控えめになってしまったその香りが、瑠璃の心をぐっと掴んで揺さぶってくる。たまらないほど美しく、そして食欲だけでなく後ろめたいほどの欲情をかきたてた。


「わたしの蜜は瑠璃のものよ。それなのに、彼の声を聞いていると抵抗できなくなってしまったの。あなたの帰りが遅かったらと思うと今でも怖い。本当よ。だから、わたしの事を嫌いにならないで」


 瑠璃は内心微笑んだ。


 では、白珠が怯えているのは、自分に嫌われたくないからなのだ。必死に言い訳を探して、睡魔や疲労に必死に耐えてまで応じようとしている。それらは全て、自分に嫌われたくないからなのだ。

 そう思うと、たまらないほどの優越感が生まれ、愛おしさは倍増した。


 ――ああ、なんて可愛いのだろう。


「嫌いになれないから苦しいのよ」


 瑠璃は囁き、そして額に口づけをした。


 酷く無理をさせているのは瑠璃にも分かっている。しかし、心はまだ落ち着いてくれない。


 早めに帰ったのは偶然でしかなかった。当てにしていた花の精霊のひとりが、どうしても見つからなかっただけのこと。いつも通りならば、とっくに小鳥に奪われていただろう。それがあまり恐ろしく、いつまで経っても落ち着かない原因でもあった。


 白珠はまだ若く、心身にも幼さが残っている。大人扱いされているとはいえ、もう少し成長の余地があるはずだ。それでも、蜜食精霊との付き合いは誰が相手であろうと彼女を母にする可能性がある。

 自分以外の手で白珠に子が宿ることだってあるのだ。それを瑠璃は望んでいなかった。


 小鳥の脅威が去っても、次は違う者が来るかもしれない。その恐怖は、瑠璃の心を焦らせた。

 愛する白珠の初めて生む子は、自分の手によるものであって欲しい。どうしても諦めきれないその欲望が、怒りや嫉妬と結びつき、さらなる欲望へと繋がっていく。


 だが、そんな自分をふと省みて、瑠璃は静かに感じていた。


 ――なんて身勝手なのかしらね。


 それは瑠璃が時折抱く、胡蝶としての自己嫌悪でもあった。そうとも知らず、白珠は恐る恐る訊ねた。


「わたしは、どうしたらいいの?」


 無垢なその声に、瑠璃は少しだけ癒されながら答えた。


「もう少し、頑張って。私が満足するまで受け止めて」

「……うん」


 白珠がちゃんと頷いたのを確かめるなり、瑠璃は再びその体に手を付けた。


 その香りに胸いっぱいに吸い込んでも、興奮はなかなか静まらない。むしろ、今、抱きしめているこの花が、間違いなく自分のものであるという確信が欲しくなってしまう。

 切なる願いがその気持ちを暴走させ、どうしても攻撃的な欲情へと変わってしまうことを瑠璃は感じていた。


 白珠はひたすら耐え、苦痛の涙を流し始めた。いつもならば欲望に抑制をかけてくれる姿だ。それなのに、どうあがいても、瑠璃は自分を抑えられなかった。

 ようやく解放してやれたのは、白珠がとうとう気を失ってしまった後のことだった。蜜に手をつけずとも、これ以上責めればさすがに命に係わる。その危機感が、ようやく瑠璃の興奮を抑え込んでくれたのだ。


 しかし、その後も瑠璃はなかなか眠ることが出来なかった。疲れ切った白珠の肌がいつもより青白いのを感じると、今度は罪悪感でいっぱいになった。

 どうして、こんなことをしてしまうのだろう。そして、どうして、今も手を出したくなるのだろう。白珠に手を出さないでいるのが苦痛なくらいだった。これ以上は死なせてしまうと分かっているのに、少しでも気を抜くと手を出してしまいそうになる。


 後悔と、そして底なしの欲望に打ちのめされ、瑠璃は震えていた。

 自分が醜い。白珠の信頼を利用して、ここまで苦しめてしまった自分が恐ろしい。


 ――どうして、こんなにも節操がないの……?


 手にいれても、手にいれても、不安になる。


 ――おかしい。


 眠れないまま欲望の渦に飲まれているうちに、瑠璃は段々とそれに気づいた。


 風が、大地が、香りが、瑠璃の肌を刺激してくる。

 この体の熱り、視界の歪み、感情の高ぶり。それらは全て羽化して数年は経つ瑠璃にとって経験済みのものだった。なのに、毎回、新鮮な驚きと苛立ちを与えてくる厄介者でもある。

 瑪瑙への怒りだけで狂ってしまったのではない。白珠への独占欲だけのせいでもない。

 精霊の世界が冷気に閉ざされないかぎり季節の移ろいの度にそれは訪れる。苛立ちも、攻撃的な愛も、すべてはその時期の訪れを報せる前触れだった。


 ――ああ、そうなんだ。


 天窓から窺える月の光を求めて、瑠璃は心の中でそっと嘆いた。


 ――恋の季節が来てしまったのだわ。


 それは、白珠を手に入れる前から懸念していた苦悩の時期の訪れだった。

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