40.未来を信じて
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花の魔女にそろそろ次の子を産ませてはどうか。そんな提案を瑠璃に伝えたのは翡翠だった。紛れもなく、白珠の事である。最初の子が無事に生まれて二年は空いた。月花の子は丈夫だが、精霊の世界は残虐だ。どんなに丈夫に育っても、数が少なければあっという間に滅んでしまってもおかしくない。
とくに月花という精霊は、どれだけいても足らないくらいだというのが翡翠の主張であった。
翡翠の言葉を伝えにきたのは、雷電だった。紅玉によって祖国を裏切らされた彼女だが、新しい主人である蒼玉が、翡翠に媚びを売ってくれたお陰で、また生まれ故郷に顔を出すことが許されているらしい。
時間を持て余した女王の単なる思い付きをわざわざ律儀に伝えただけだろうと瑠璃は甘く見た。だが、それからほんの二日ほどで、今度は別の者が瑠璃と向き合っていた。
「彼女自身が新たな子を欲しがっているそうだが、君が気づいていないはずはない」
要塞の屋上でそんな事を言うのは、蒼玉の部下である名も無き胡蝶の青年であった。
「それなのに君ときたら、今日も雌花ばかりを相手して」
呆れた様子で彼は言う。そんな彼の横顔を瑠璃は見つめた。彼の言葉は彼を寄越した蒼玉の意見に等しい。翡翠と同じく蒼玉もまた白珠に次の子を産んでもらいたいのだろう。だが、そんな白珠は瑠璃の干渉でしか子供を生みたがらないのだ。そのことにとてつもない愛おしさを感じながらも、瑠璃は困り果てていた。
「せめて、あと一年は空けたいわ」
正直にそう言って、瑠璃は俯いた。
卵を産む彼女にとって、白珠の出産は衝撃的な体験だった。多産な月花たちは獣より――とくに人間よりもずっと安産だと聞かされていたが、いざ子が生まれるとなると、やはり白珠は苦しそうだった。その様子をずっと間近で見守りながら、何度も何度も変わってやりたいと瑠璃は願った。
あれをまた体験させると考えただけで気が進まない。白珠がさほど苦痛に思っていなかったとしても、瑠璃には気が乗らなかったのだ。
胡蝶の青年はため息を吐いて、空を見上げた。清々しい青空が広がり、柔らかな風が木々を揺らしている。広間では今日もいつもと同じように白珠の子供たちが駆け回り、その歓声が屋根まで響いていた。
「子供らも弟妹が欲しいと言って皆を困らせているというのに」
呆れ気味に言って、胡蝶の青年は声を潜めた。
「それに何より、白珠自身が次の子たちを望んでいるじゃないか。君が運んだ子がいいと言ってきかない。気の多い月花のはずなのに、俺や瑪瑙の誘いにも乗らず、ただ君だけを受け入れている」
「それは……そうなんだけど」
気まずさを覚えながら、瑠璃は言い訳を探した。
白珠がそれとなく望んでいることは分かっていた。あんなに苦しそうにしていたのに、次の子たちを産むことに抵抗を感じている様子もない。それどころか、次はどんな子たちだろうと前向きな話までしてくるのだ。
母親になって以来、白珠にはますます大人の花としての色気が加わった。さらに金剛から受け継いだ魔力がいけない魅惑となって、同じ力を受け継いだ瑠璃の心をぐっと掴んで離そうとしない。もしも、雄花との関わりがあれば、あっという間に白珠は次の子たちを胎に抱えることになっていただろう。
だからこそ、瑠璃は慎重になっていた。
白珠が母親になってからこっち、雄花とのかかわりは完全に断ってしまった。探せば理想の相手はいるはずだし、何なら、蒼玉が使わせた中にも毛並みのいい月花の男性はいる。相手探しには苦労しないだろう。だが、問題はその相手と関わらないといけないことだった。その気力が、瑠璃には湧かなかったのだ。
あらゆる壁が阻んでいる。いくら今の主君である翡翠に急かされても、重い腰はあがりそうになかった。瑠璃だけでなく胡蝶の青年もそれを察して、大きくため息を吐いた。
そんな時だった。広間の方から声がかかった。天窓より下を覗くと、蒼玉の配下の一人である雑種花の精霊が瑠璃たちを呼んでいた。急いで彼らの元へと降り立つと、慌てた様子で地下を指さした。
「急いで、今なら間に合いますよ!」
白珠や瑪瑙、そして六つ子たちはとっくにいない。慌てて瑠璃も青年と共に地下へと急いだ。階段を駆け下りると、すぐに六つ子たちが瑠璃の手を引っ張った。引き寄せられるままに瑠璃は白珠の隣へと向かう。白珠は真剣な表情で卵の一つを見つめていた。すぐに何事かを理解し、瑠璃もまた息を潜めてそれを見守った。
卵の中身が揺れている。半透明の殻の中で、小さな精霊が目を閉じたまま、もがいていた。小さな手で小さな穴をあけ、そこから外の世界へと出てこようとしていたのだ。
瑠璃は声を殺したまま、その神秘的な瞬間を見守っていた。間違いなく自分の産んだ卵だ。中から出てくるのも、自分の子である。最初に生まれた卵が、今まさに孵ろうとしていたのだ。
「がんばって」
六つ子のひとりが声をかけると、それに応えるように小さな精霊の動きが激しくなった。穴は広がり、柔らかな殻をこじ開けていく。手を貸してやりたい気持ちを必死に抑えて、瑠璃は見守り続けた。
白珠と出会っていなければ、きっと自分は卵の孵化をこうやって見守ったりはしなかっただろう。自分の父母だって、こうやって見守ってはくれなかった可能性が高い。見守ってくれていた者がいたとしても、それは歳の近い胡蝶であったはずだ。
だとしても、自分の子が頑張っている姿を見守ることに感動しないということは決してない。瑠璃は強くそれを感じながら、祈るような気持ちで我が子の奮闘を応援した。
やがて、穴は広がり、名前もない胡蝶の幼子は目を閉じたまま外に出てきた。小さな手が何かを求めるように上がるのを見て、白珠がはっとした。すぐに瑠璃の顔を見つめ、視線で促した。
瑠璃は促されるままに、恐る恐るその小さな手に触れてみた。初めての、我が子の感触だ。その柔らかな手の平に言葉に出来ない感動が芽生えてくる。
「おめでとう」
小さな声で、白珠がそう言った。我が子の感触を確かめながら、瑠璃は頷くので精一杯だった。
それから数日の間に、他の二つの卵も次々に孵った。無事に成長できたのは三つだけで、残りの二つは成長が止まってしまった。だが、三人も我が子が育ってくれた。それだけで、瑠璃には十分だった。いずれも娘であり、かねてから準備しておいた玉菜の葉を美味しそうに食べてくれた。
六つ子たちは孵ったばかりの幼い胡蝶たちにすでに夢中になっていた。そして、彼女たちの兄として振舞う気満々の胡蝶の少年も同じだった。卵が孵って以来、和気あいあいとした空気はさらに高まった。瑠璃の周囲の賑やかさはだいぶ増していた。
だが、不満もあった。それは、白珠と二人きりになれる機会がだいぶ減ってしまったことである。
誰もが寝静まる夜。六つ子も、三姉妹も、そして胡蝶の少年も、珍しく早いうちに地下でいい子に眠ってくれたその日、瑪瑙が夜の見回りに出て行くのを見送ってから、瑠璃は白珠と共に高台の寝室で過ごしていた。
天窓から差し込む月光をふたりで見つめ、肩を寄せ合って他愛もない事を囁き合う。そうして少しずつ夜が深まるのを感じてから、ふと瑠璃は白珠の唇を奪った。
「ねえ、白珠」
存分に味わってからその目を見つめ、迷いつつ問いかける。
「また子供を産みたいって思ったりする?」
すると、白珠は瑠璃をまっすぐ見つめた。月光のせいか、瑠璃にはその瞳がいつも以上に輝いて見えた。蜜の香りを漂わせながら、白珠は力強く肯いた。
「思うわ。もちろん、あなたがくれる子だったらだけど」
恥ずかしがりもせずに白珠はそう言って、瑠璃の手を握り締めた。瑠璃はその手を握り返しながら、慎重に彼女に訊ねた。
「でも、苦しかったでしょう? 卵を産むのとは全然違ったもの」
「……そうね。苦しかったし、必死だった。でもね、生まれたら、すっごく嬉しかったの。この世で一番大好きなあなたが運んでくれた子たちだって思うと、たまらなく嬉しかった。お腹にいる頃からずっとそうだったの。まるで……その、あなたの子を抱えているみたいで、幸せで……」
そう言って、白珠は赤面した。その姿に瑠璃はたまらないほどの愛らしさを覚えた。花の生む子は自分の子では決してない。ましてや女性同士だ。それでも、自分の選んだ胤を、自分の手で届けているのだと思うと、まるで我が子を産ませているかのようであるには違いない。それを幸せだと言ってもらえるなんて、嬉しくてたまらなかったのだ。
瑠璃はたまらず白珠を抱きしめた。興奮が興奮を呼び、そのまま勢いよく燃え上がっていく。そのままベッドへとなだれ込み、単なる夕食とは言えない愛のやり取りで心を硬く結んでいった。
「ねえ、瑠璃」
蜜の香りを強めながら、白珠はその頬に手を置いた。
「あなたの子をまた産ませて」
こうして、瑠璃の迷いはなくなった。
平和な時がいつまで続くかは分からない。肉食花との戦いに、翡翠たちが敗れればどうなるだろう。だが、不安だけに怯えていては何も出来ない。希望と未来を信じて過ごし、愛を愛で覆いつくしながら、金剛から受け継いだこの力と共に精霊としての命を輝かせることこそ、今の自分たちに出来る事。それこそが月の女神への敬意となる。
瑠璃はそう信じることにして、白珠に向かって頷いた。
「近いうちに、絶対にね」
そうして、深く口づけをしながら、さらにその心身を求めていった。
明日にはきっと雄花を探すことになるだろう。複数の候補者を選んで、白珠に届けるまでに何日かかるかは分からない。しかし、いずれは白珠の身体に喜ばしい兆しが訪れて、産まれる時を楽しみに待つ日々が来るだろう。
少なくとも今宵ではない。それが分かっていても、瑠璃は手を抜いたりしなかった。今、この瞬間を、逃してはならない。いつだって自分だけの花は美しい。しかし、今日の白珠は今日しか愛でられない。
花の魔女と称えられるようになって三年。日々、健やかに成長する六つ子たちも、孵ったばかりの三姉妹も、いずれまた生まれることになる白珠の新しい子たちも、金剛から受け継いだ魔力を駆使して守る日が来るだろう。
だが、今だけは静寂が二人を守ってくれていた。
厳かな月光の見守る世界の片隅で、これまでのように、そしてこれまで以上に、二人の心は愛で結ばれていった。
偉大な者として生きることを目指していようといまいと、この愛は変わらない。瑠璃と白珠は大精霊であることを忘れ、今だけはただの胡蝶と月花として、生きる悦びを噛みしめ合ったのだった。




