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39.待ち遠しい日


 温かな風がよく吹くようになった時期、白珠は要塞の中を歩いていた。

 このところ、翡翠からの便りが何度も届く。真面目な胡蜂の口を借りて伝わるのは、相変わらず肉食花との恐ろしい抗争の現状と、こちらでの過ごし方の注意事項などだった。

 それらの言葉を受け止め、あるいは、聞き流しながら、白珠は瑠璃や瑪瑙と共にこの場所を守っていた。


 大精霊と呼ばれるようになって、すでに三年が経とうとしていた。

 金剛や紅玉の記憶は薄れつつあったが、それでも忘れさせてくれないのが自分たちに宿る魔力であった。また、遠く離れた地を治める蒼玉の存在も、かつての傷跡をいつまでも疼かせるものだった。


 蒼玉は時折、こちらに使いを寄越してきた。翡翠との戦闘でこそ見捨ててきた彼だったが、結局、その翡翠に救われ、新たな大精霊となったと分かるやいなや、これまでの無関心とは打って変わって、何かと兄より引き継いだ隷従たちを遣わすようになっていた。

 その態度の変化に瑪瑙はすっかりへそを曲げたが、少なくとも白珠はほっとしていた。味方は多い方がいい。それに、少しでもこの要塞が賑やかになると、心も落ち着いた。


 蒼玉が送り込んでくるのは、手の空いている者か、戦いに不向きな者ばかりだ。その多くは紅玉が金剛の機嫌を取るために捕まえてきた隷従たちで、本来ならば平穏に暮らしていたいだろう者たちである。だから、彼らは蒼玉や白珠たちの許可によって、この要塞で暮すことを認められていた。

 大半は力のない花の精霊だ。時には白珠を手伝う服の作り手となり、時にはおととしに無事に生まれた六人の我が子たちの遊び相手となる。話し相手としては物足りない彼らだったが、居てもらった方がずっと有難い存在だった。


 広間で駆け回る花の子たちを優しく見守りながら、白珠はそっと地下への階段を目指した。瑠璃の手で生まれた六つ子たち。三人ずついる息子も娘もすべてが愛おしかった。溢れんばかりの愛で包み込む毎日だった。

 けれど、小さな花の子というものはとにかく大人しくしていない。二歳の花の子ともなれば、母を求めるのはほんの少しの間で、あとは起きている間中、駆け回って遊んでいる。

 人間たちの子よりもずっと早いその成長ぶりは、精霊であっても感心するほどだった。


 そんな彼らを優しく見つめる目が多ければ多いほど、白珠にとっても安心だった。

 顔もあまり覚えていない蒼玉の判断にうっすらと感謝しながら、白珠は地下へと降りて行った。これから先、さらに忙しい日が訪れるはずだ。そんな期待が地下には眠っていた。


「魔女さま」


 地下に降りるなり、声をかけてきたのは胡蝶の少年だった。羽化どころか蛹化も迎えていない青虫で、大人になるにはまだまだ時間がかかる。それでも、すでにしっかり者で、年少者たちを優しく見守る慈愛もあった。名も無き彼は、一年ほど前に瑪瑙が外から捕まえてきた隷従の一人であった。

 子供らしく屈託のない笑みを見せながら、胡蝶の少年は白珠に頭を下げた。


「様子を見に来られたのですね?」

「ええ、どんな感じ?」

「御覧の通りですよ」


 そう言って示す先には、少ない光の中で煌く五つの卵が寝かされている。

 この卵がそれぞれ産み落とされた日からずっと、白珠は毎日、様子を見に来ている。中ですくすくと育っているのは、瑠璃の血を引く胡蝶たちだ。


 去年も、おととしも、その前も、同じように瑠璃は卵を産んだ。しかし、その中で育ったのは一つもなく、瑠璃以上に白珠は涙を流し、その死を嘆き悲しんだ。

 そして、今年も季節は巡り、瑠璃は卵を産んだ。これまでと違い、今年の卵は少し違う。胡蝶の少年がいつも見守っていてくれることも大きいのか、卵の中で子どもたちは順調に成長し、孵化という奇跡を期待してもいいと大地に告げられているかのようだった。


 だが、そうであってもやはり白珠は心配だった。これまでだって、その期待を胸にしていたのに悲しい結果が待っていたのだ。生みの母である瑠璃はとうに諦めていたけれど、白珠には諦めきれないものがあった。

 自分の子がのびのびと育つこの場所で、瑠璃の子がはばたく姿を見たい。ここを胡蝶と月花の場所にすることは、今でも白珠の夢となっていた。だからこそ、期待と失望の繰り返しは、白珠の心を存分に疲れさせたのだ。


 けれど、幸いなことに、この度は胡蝶の少年すらも信じて疑わない様子だった。


「瑪瑙さまもおっしゃっていましたよ。今回の卵はとても調子がいい。きっと、魔女さまのお力がこの大地によく馴染んだお陰だろうって。瑠璃さまもここ一年ほど、お顔色がとても良かったですからね。きっと、魔女さまのお力がますます強大なものになったからだろうと僕は信じています」


 大精霊となって以来、こうした世辞にも白珠は慣れてきた。だが、白珠が欲しいのは褒め称える言葉ではない。敬意があろうとなかろうと、大事なことは目の前の卵たちが無事に育つかどうかということだけだった。


「そう信じたいわね」


 白珠は呟いて、卵の一つ一つを見守った。この五つが全て孵れば、ここはきっと賑やかになる。青虫たちが育つための準備はいつでも出来ているのだ。瑪瑙の配下であるこの少年の後を追うように、彼らが育つところを早く観たい。心より愛している精霊の子であれば尚更のことだった。

 けれど、出来ることはあまりない。この場所を守り、ただ待つだけ。あとは卵の殻のなかですくすくと育つ彼ら自身の生命力と、この大地を見守っている月の女神の守護を期待するだけだった。


 ――皆、どうか無事に育って。


 触れたい気持ちをぐっと堪えて、白珠は五つの卵を見守った。と、そこへ、顔を出す者があった。振り返り、白珠は少しだけほっとする。胡蝶の少年が慌てて膝を折り、彼を出迎えた。


「お帰りなさいませ、瑪瑙さま」


 胡蝶の少年の言葉に胸を張って、瑪瑙は頷いた。

 その姿は出会った頃とあまり変わらない。かねてより変わらない愛らしい風貌には不似合いな勇ましい表情。そのアンバランスさに白珠がくすりと笑うと、瑪瑙はむっとした表情を見せた。


「何がおかしいのさ」

「別に、ちょっと昔の事を思い出しただけよ」


 瑪瑙は腑に落ちなかったようだが、すぐに気を取り直して白珠へと近づいた。


「どうだい、様子は。もうそろそろ孵りそうかな」

「どうかしら? 調子はいいみたいだけれど」


 胡蝶の少年に振ると、彼はきりっとした表情で答えた。


「調子はかなりいいです。少なくとも去年のようなことにはならないと思いますよ。最初に生まれた卵なんていつ孵ってもおかしくないと思います」

「そうであって欲しいね。少なくとも、君が蛹化しちゃう前には孵って欲しいもの」


 瑪瑙はため息交じりにそう言って、卵の前にしゃがみ込んだ。


「それに、情勢も今がちょうどいい。肉食花の目立った動きもなく、翡翠さまのお力も安定している。胡蝶の子が育つにはとてもいい時代だよ」


 そして、白珠を見上げて目を細めた。


「ちょうどあの子たちも楽しみにしているみたいだったし」


 我が子たちのことだと分かり、白珠もまた軽く微笑んだ。

 まだまだ蜜を生むまで時間のかかる花の子たちだが、愛嬌だけは存分に振りまいている。瑪瑙もまた親戚にでもなったかのように遊んでくれるいい兄貴分だった。

 周りには年上の者しかいない。しかし、いつかは弟妹が生まれるかもしれない。そう伝えると、花の子たちは目を輝かせ、自分たちが兄や姉になる日を楽しみにし始めていたのだ。


 しかし、生憎、白珠にはまだ二回目の出産の予定はなかった。次の子も絶対に瑠璃の手で運ばれた子がいい。強くそう希望しても、何故か肝心の瑠璃がその気になってくれないからだった。毎日、雄花に手を出さずに帰って来る彼女に、それとなく次の子たちの話をしても、どこ吹く風。

 そんなわけで、花の子たちの期待もまたもうすぐ孵るはずの胡蝶の子供たちに向けられていたのだ。


「きっと、可愛いだろうなあ」


 白珠はそう言って、卵を眺めた。


「わたしの子供たちも、皆が見惚れるくらいに」


 孵化する小さな胡蝶を皆で見守るのはどんなに素敵だろう。その未来を楽しみにしながら、白珠は後の事を胡蝶の少年に任せて瑪瑙と一緒に地上へと戻った。

 広間に顔を出してみれば、すぐに我が子たちに取り囲まれてしまった。


「お母さま!」


 六人の内でもっとも活発な娘が真っ先に白珠に抱き着いた。


「卵を見ていたのでしょう? あたし達も見たい!」

「後でまた見せてあげるわ。だから、今はもう少しお日様に当たっていなさい」


 白珠の言葉に、六人全員が不満の声をあげた。口々に要求をしてくる六つ子たちを、白珠はどうにか落ち着かせようと視線を合わせる。だが、好奇心旺盛な彼らを黙らせるのは相当な力が必要だった。


 ――お母さんはどうしていたっけ。


 そんなことを考えながら白珠が途方に暮れていると、横で瑪瑙がしゃがみ、六つ子に向かってニッと笑みを向けた。


「全員注目!」


 美しい声で六つ子たちの注意を惹きつけると、立ち上がって彼は宣言した。


「今から瑪瑙お兄さんと鬼ごっこをしよう! 最後まで捕まらなかった子は、特等席で卵を見守ることができるよ!」


 その言葉に六つ子たちの目が輝きだした。全員が乗り気になったのを間違いなく見つめると、瑪瑙は叫んだ。


「さ、はじめ!」


 一斉に花の子たちが広間へと駆け出していく。あんなに走り回っていたのに、まだまだ元気は有り余っていたらしい。外からの偵察帰りだというのに、これからそんな彼らを瑪瑙は捕まえに行かなくてはならないのだ。白珠はそっと瑪瑙を窺った。


「大丈夫なの?」

「ここは任せて!」


 頼もしい表情で軽く準備運動をすると、すぐに瑪瑙は駆けだした。空を飛べる彼が、走るしかない花の子たちを捕まえるのはあっという間だ。それでも、一応は子供だからと手加減して、歓声をあげて走り回る花の子たちを追いかけまわしている。広間では蒼玉の部下である精霊たちが顔を出して、微笑ましく見守っていた。

 我が子らや瑪瑙の元気の良さに半ば呆れながら、白珠も鬼ごっこの様子を見届けていた。そして、つくづく思ったのだ。こんなにも平和な時を過ごせるなんて、三年前は思いもしなかった。


 程よい時間をかけて全員が捕まったちょうどその頃、外から瑠璃が戻って来た。その姿に六つ子たちが無邪気に駆け寄っていく。もうすっかり関心は瑪瑙から瑠璃へと移っていた。白珠もまたゆっくりと歩みだし、まずは瑪瑙に声をかけた。


「ありがとう。瑪瑙お兄さん」


 苦笑する瑪瑙に笑みを返し、そのまま我が子らの後を追って、たったいま帰ってきた愛しい家族のもとへと向かった。すでに六つ子に取り囲まれ、せがまれるままにその一人一人の頭を撫でてやっていた。

 白珠はその集りの傍まで近づいてから、瑠璃に声をかけた。


「おかえりなさい、瑠璃」


 その美しい瞳がすっと白珠を見つめる。広い外の世界の甘い香りを引き連れて、今日も瑠璃は無事に戻って来た。その喜びと安心を胸に留めて見つめ返すと、瑠璃は色気を含んだ笑みを浮かべて答えたのだった。


「ただいま、白珠」

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