表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/40

38.共に歩むために


 瑠璃は微かな寒気に耐えながら、力を失って倒れる愛しい白珠を撫でてやっていた。

 ほぼ全裸のその体は、いまも甘い香りに包まれている。あふれ出すのは蜜だけではない。蜜と共にその偉大な魔力が地面に沁み込み、平穏を取り戻したこの要塞全体へと伝わっていく。その魔力は金剛の時とは違い、極めて自然の恵みに近いものだった。

 金剛が遺した力が蜜に混ざって全てを包み込んでいく。半裸のまま、瑠璃はその感覚に浸った。要塞と同じように、白珠より受け取った力が少しずつ瑠璃の心身に馴染んでいた。


 自分は花の精霊ではない。それなのに、花の魔女を名乗るということの意味を瑠璃は理解していた。

 金剛が苦労していたことを、瑠璃は今も忘れていない。花の魔女として振舞うために、花の精霊を捕らえ、残酷な方法で蜜を利用してまで戦っていた。

 自分もまた彼女のように強くなるには、同じ手を使った方が早いのかもしれない。だが、瑠璃は同じことをするつもりなど到底考えられなかった。


 要塞に白珠の蜜が魔力と一緒に沁み込んでいく。地面に手を触れながら、瑠璃は果てしなく大きなその力の気配に寄り添った。

 金剛が造った蜜薬よりも濃厚な力が、この場所に宿り始めている。今なら、自分にもこの蜜を操ってここをさらに厳重な守りで固めることが出来るだろう。そう瑠璃は悟った。たしかに、白珠だけの力では辛いかもしれない。それでも二人なら違う。段々とその願いが確信へと変わっていった。


 白珠の身体を引き寄せて、瑠璃は目を細めた。


「素敵ね」


 互いの鼓動を寄り添わせながら、瑠璃は白珠に囁いた。


「金剛の息吹がまだ近くにあるみたい。彼女の命は魔力の遺った身体と一緒に奪われてしまったけれど、もっと濃厚なものが私たちの身体に宿っているみたいだわ」

「きっと、宿っているのよ」


 白珠は肯定し、震える手で瑠璃の平らな胸元に触れた。


「金剛さまはわたし達とまだ一緒にいる。金剛さまだけじゃない。彼女の中には、きっとこれまでの花の魔女さまがいらしたのよ。月の女神さまの誉れを貰った月花の代からずっと受け継がれてきた魂が。今はわたしたち二人の中にいるの」


 そう言って、白珠は軽く目を閉じた。

 瑠璃は軽く笑ってその唇を豊満な胸元へとつける。瑠璃だけの接吻をいつでも歓迎するその胸に優しく触れると、魔力と命の温もりを確かめながらその蜜を求めた。何度目かは分からない。だが、白珠は拒んだりしなかった。ただの精霊同士だった時よりもさらに濃厚な触れ合いを、二人して楽しみ続けた。

 蜜の味に夢中になりかける瑠璃の頬に触れ、白珠がふと声をかけた。


「ねえ、瑠璃」


 真っ赤な目を潤ませながら、その顔に問いかける。


「昔の約束を覚えている?」

「約束?」


 問い返す彼女の唇を奪うと、額をくっつけて白珠は宣言した。


「わたしの蜜をあなたのために取っておくという約束。これまで散々お客を取らされたけれど、もうそんな日は来ないわ。わたしが子供を産むとしたら、それはあなたの選んだ雄花の子になるでしょうね」


 月花らしくない健気な約束に、瑠璃は胸を高鳴らせた。

 なんて可愛い花なのだろう。これから先ずっと、花の魔女として畏れられるはずの月花は、子供の頃と変わらぬ可憐な魅力を宿した精霊だった。瑠璃はそんな魅惑の花の特別な蝶になれたことを素直に喜んだ。


 今宵は愛しいその身体に届けるものもない。かつてのように愛を含ませた食事の後で、未来の期待を抱けるのも、もう少し後の事だろう。そうは分かっていても、瑠璃は白珠を丸ごと愛でずにはいられなかった。


 いずれここでは花の子が生まれる。白珠によく似た可愛い花たちだろう。彼らがこの場所で育って、立派な月花となる頃には、精霊の世界はどうなっているのだろう。

 遠く離れた王城で今も肉食花を睨んでいる翡翠の戦いは、うまく行くだろうか。そしていつかは、自分たちも、金剛より受け継いだ力を使って彼女の戦いに助力する日が来るのだろうか。

 未来を考えればきりがない。だが、瑠璃は感じていた。考えることが出来るその喜びと、希望というものは確かにあるのだと。


 その夜は、瑪瑙も帰ってこなかった。よって、白珠と瑠璃は一晩中、共に過ごし、誰の邪魔も干渉も受けずに愛し合える幸福に浸ることができた。白珠がすっかり眠ってしまうと、瑠璃は月の気配を天窓の向こうに感じながら、白珠より受け継いだ魔力に向き合っていた。

 金剛の命と共にあったこの力は、どのような日常を目撃しただろう。そして、これより先は、瑠璃や白珠と共にどのような日々を目撃するのだろう。いつか、二人の力も誰かに引き継がれる日が来るはずだ。その時は、いったいどんな精霊が、どんな事情で引き継ぐことになるのだろう。


 ――金剛。どうか見ていて。


 瑠璃は自らの手のひらにそっと思いを馳せた。

 どんな事情であれ、この力は愛によって引き継がせたいと瑠璃は心底感じていた。後継者であれ、我が子であれ、愛する者たちが美しく輝けるように。残酷な現実を乗り越えられるだけの力と知性を伝えられるように。その為に、魔力を使い、未来の担い手に引き継げるようにしたいと。

 そのために、出来ることは何だろう。


 翌日以降、瑠璃は瑪瑙と共に外へと繰り出すようになっていた。

 瑪瑙は紅玉の力を駆使して己のための兵を集めようとしている。まだ失敗が続いているようだが、少しずつその力をモノにしているらしい。

 そして、瑠璃はというと――要塞と心を合わせ、この場所に巣食う物言わぬ植物たちを操る練習を軽く済ませると、あとは力を隠し、ただの胡蝶として外の世界を歩んでいた。


 広い住まいには白珠を待たせてある。かつてのようにきつい言葉で自由を奪うのではなく、ただ留守を任せて外に出た。

 精霊の世界の情勢は目まぐるしい。とくに王国などない精霊たちにとって、金剛や紅玉の存在も、胡蜂の襲撃も、たった数日ですっかり過去のものとなっていた。そんな世界に生きる花の精霊たちを瑠璃は誘惑し、少しずつ蜜を集めて、同時に花粉を集めていく。金剛に捕まえる以前と同じような日々を過ごし始めていた。


 だが、大きく変わったこともあった。羽化して以来、ずっと仲良くしてくれた朱花とはもう話せない。金剛の胡蝶となっている間に、瑠璃を知っていた他の花たちの顔ぶれも、知らないうちにだいぶ減ってしまっていた。しばらく見ないうちに、瑠璃の知る世界は様変わりしていたのだ。

 また、大精霊となった瑠璃の気配に目敏く気づく者もいた。花の精霊のなかにはすっかり瑠璃に怯え、かつてのように好意的にしてくれなくなった者もいた。その世界から取り残されたような衝撃は、不意に瑠璃の心を蝕んだ。


 それでも、瑠璃はめげたりしなかった。寂しく思うのも、辛く思うのも、ほんの少しだけで済んだ。なぜなら、瑠璃にはこの世で最も愛する花がいるのだ。外での話に耳を傾け、溜め込んだ蜜と引き換えに愛を注ぎ込ませてくれる美しい花が待っている。

 だから、瑠璃は少しも苦しくはなかった。

 大精霊になったことを瑠璃は後悔したりしなかった。毎日変わらず金剛が遺し、翡翠がくれた蜜薬の香りを確かめ、同じ力を引き継いだ白珠の魔力を確かめ、偉大な力の存在を実感しながら自分の命を大切にした。


 そうして季節の巡りを感じながら、瑠璃は次第に予感していた。瑪瑙の魔力も日々成長し、白珠の魔力も、雌花としての魅力と共に増していく。季節の巡りが胡蝶の恋を呼び覚まし、気分の高揚も生み出している。

 もうじき、この静かで単調で、それでいて健やかに幸せな日々も終わるだろう。この先はきっと賑やかで、忙しく、それでいて絶大な幸福の日々が始まるはずだと。


 その予感が強まるある日、新しい恋の季節は始まった。そして、それとほぼ同じ頃、白珠の身体にもある喜ばしい変化が現れていたのだった。

 それはまさしく、新たな時代の始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ