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33.継承者


 白珠は見ていた。

 銀星の命が奪われるその瞬間を。

 金剛の表情が一変し、瑠璃を背後へと押しやるその光景を。


 瑠璃がいなくなった瞬間、場の空気は一変した。幻惑の術にかかった胡蜂たちの興奮は増し、女王の後に続いて勢いよく攻め込んだ。紅玉の部下に仲間が殺されても全く動じていない。ただ己の欲望に取りつかれ、いなくなった胡蝶を探し求めている。

 突然理性を失くした敵との戦いに、味方たちは翻弄されている。ただ一人、翡翠だけが冷静にこの場で手に入れたい者を追い詰めていた。


 覗き穴の先で広がる暴力と強欲の世界に、白珠は震えていた。


「どうしよう……魔女さまが……」


 瑪瑙もまた震え、そしてついには覗き穴から顔をそむけた。


「ボクは紅玉さまを見てくる。彼に何かあったら、その時こそボクの出番だ」

「瑪瑙の?」


 訊ねる白珠に、瑪瑙は震えながら頷いた。


「これでもボクは紅玉さまのお力を受け継いでいる後継者なんだ。ボクの力は未熟かもしれないけれど、この場にいる紅玉さまの隷従たちを操る権利がある……はずなんだ」


 だが、その言葉には怯えがあった。怖いのは白珠にもよく分かった。金剛も紅玉も本気で命を狙われている。これまで支配され、守られる対象だった二人にとって、圧倒的力を持っていたはずの支配者たちの危機的状況は、あまりにも恐ろしいことだった。

 けれど、瑪瑙は恐怖を堪えて誓った。


「大丈夫。大丈夫だよ、白珠。ボクはこれでも大精霊なんだ。歌うだけが取り柄の小鳥に生まれたとしても、大精霊となった今なら、勇ましく戦える!」


 美しい声を震わせながら、瑪瑙は宣言した。

 そして白珠の手をそっと握り、言い聞かせるように告げた。


「いいかい、白珠。君は地下で身を潜めていて。ボクもそのうち行く。それに、瑠璃だって逃げてくるかも。その後は、皆の力で立ち向かおう。勝てなくてもいい。生き延びるんだ。皆でこの場を切り抜ける。だから、今は身を潜めていて……!」

「瑪瑙、わたしも行きたい」

「何を言って――」


 と、彼が言いかけたところで、広場で大きな声があがった。慌てて覗き穴から確認すると、二人の目には真っ先に肩を庇う紅玉の姿が目に入った。酷い怪我だ。それでも痛みを堪え、紅玉は戦おうとしている。その傍には金剛もいた。蜜薬を使い、周囲の敵を懐柔しつつ、翡翠を睨みつけていた。

 二人が言葉を交わす。紅玉が懇願するように、金剛に何かを囁いていた。

 金剛は苦い表情を浮かべ、そしてややあってから納得した。紅玉が命令を下し、姿を消していた隷従たちを一斉に呼び出す。取り囲む胡蜂たちを蹴散らし、ついでに翡翠の目を眩ませた。

 白珠はうんと目を凝らした。その隙に、金剛が紅玉の傍を離れていくのがちらりと見えたのだ。


「二手に分かれるみたい」


 白珠はそう言って、瑪瑙を見つめた。


「瑪瑙。わたし、まだ地下にはいかないわ。魔女さまを見守りたいの」

「駄目だよ、白珠……!」


 止めようとする瑪瑙から離れ、白珠は首を振った。


「もしかしたら手を貸せるかもしれない。分からない。分からないけど、でも、今は魔女さまのお傍に居たいの。いなくてはいけないの」


 そして、白珠は瑪瑙から逃れるようにその場を離れた。


「待って、白珠!」


 声を押し殺しつつ呼ぶ瑪瑙には逆らい、白珠は本能的に金剛を求めて進みだした。

 彼女が何処へ行くのか。何処で戦おうとしているのか。分かるはずもない。それでも、やみくもに、焦燥的に、その気配を求めて進んでいった。

 地面の冷たさを感じながら、白珠は壁の向こうの喧騒を聴いていた。敵味方問わず、誰もが怒声を上げ、戦い、そして散っていく。断末魔の叫びに胸を掻きむしられつつも、どうにか歩みを止めずに手探りで金剛の気配を追っていた。


 そうしてしばらくさまよった末に、ようやくその耳に求めていた囁き声が届いたのだった。


「とうとう、これまでなのかしら」


 間違いなく金剛の声だった。今いる壁のすぐ向こうだった。覗き穴を窺い、白珠はその向こうを探った。そこは地下の部屋の真上にあたる場所。人形が並び、蜜薬の香りに包まれたあの閨だった。

 いつも金剛が体を休めていたベッドのすぐ傍で、力なく項垂れている。憔悴した様子でベッドに持たれかかり、薬壺を手にしながら立ち上がろうとしていた。その腹部にはおびただしい量の血がついていた。


 居ても立ってもいられず、白珠は思い切って隠し穴から抜け出した。


「魔女さま……!」


 声を押し殺して、白珠は金剛に縋りついた。

 虚ろな目が分かっていたとでもいうように白珠の姿を捉え、細められる。


「白珠。私の許しもなくそんな場所からここへ来るなんていけない子ね。さあ、戻って。いますぐ瑠璃と一緒にお逃げなさい」


 そう言ってなおも立ち上がろうとする彼女を、白珠は必死に止めた。


「一緒に逃げましょう! 今ならきっと逃げられます!」


 手を引っ張って促すが、金剛は拒絶した。


「私に逃げ道なんてない。御覧、この血を」


 そう言ってあげる手は血だらけだった。


「胡蜂どもにやられた傷よ。深手を負わせて、動けなくして、そうして私を捕らえる気なのでしょう。どうにかここまで逃げたけれど、もう動けないわ。彼女たちはまだ私を探している。乱暴な声が聞こえてきたの。傷つけておいて、命が惜しくば手当をしてやるですって。まったく、忌々しい」

「手当ならわたしにも出来るかもしれません。だから、一緒に逃げましょう」

「いいえ。たとえそうだとしても、私は行きたくない」


 金剛の力なき言葉に、白珠は言葉を詰まらせた。

 血はまだ出ている。蜜薬の香りがするが、あまり効いていないらしい。白珠はすぐに傷を見ようとした。だが、そんな彼女の肩を掴むと、金剛は無理やり目を合わせて告げた。


「でも、白珠。お前がここへ来たのは巡りあわせなのかもしれないわ。神々はいつも精霊の営みを見つめていらっしゃるもの。お前を手に入れた時から……この運命は決まっていたのかもしれない」


 謎めいた言葉を呟くと、金剛はそのまま白珠の身体を引き寄せてしまった。弱っているとはいえ、相手は肉食精霊だ。呆気なく囚われ、白珠は床に押さえつけられた。

 血生臭さに怯えながら、白珠は混乱した。一体何をしようというのか。その意図が分からず、恐怖に震えた。


 ここには七体の遺体がある。いずれも花の精霊たちで、魔術のために金剛に命を捧げた生贄だった。彼女たちの顔が浮かび、白珠の恐怖は頂点に達した。

 恐怖で蒼ざめたその唇を、金剛は無理やり奪った。蜜食精霊がその体を求めるように、貪り、そして侵していく。そうしているうちに、白珠は気づいた。蜜を奪われる行為とは違う。何かを奪われているのではない。その逆だった。何か、とてつもなく大きなものが、自分の身体を侵している。

 段々と頭が冴えていく。同時に体の隅々が熱くなり、白珠の心臓がとくりと音を立てた。

 力がみなぎり、視界がどんどん開けていく。明らかに、普通ではない。これまでとは圧倒的に違う何かが目覚めていく。


 金剛の口が離れると、白珠は恐る恐る自分の手を見つめた。


「これは……」


 両手を広げ、白珠はその指先を見つめる。

 蜜の動きが以前にも増して繊細に感じられた。操ろうとすれば自由に動く。母に教えられていないような知識が、月花として生まれ持った以上の能力が、こびりついたように脳裏に浮かんでいた。


「それが魔力よ」


 金剛は短くそう言った。


「あなたが欲しがっていたものの一つ」

「魔女さま……それって!」


 声が大きくなるその唇に、金剛は指先をつけて微笑みを浮かべた。


「私にはもう逃げ道はない。あと、このまま死ぬのを待つにしても、死ねずに囚われるにしても、私は大精霊としての尊厳を失って惨たらしく滅んでいくでしょう。けれど、これは花の魔女の意地よ。後継者くらいは自分で選び、授けたい。たとえ、それが前には望まなかったような相手であっても」


 声を震わせながら、金剛は白珠の耳元で囁いた。

 苦しみが彼女の言葉を奪おうとする。それでも、どうにか力を込めて、金剛はそれを伝えた。


「……お前に私の全てを託す。私の魂、私の心、私の力、その全てを今、お前に渡しておく。これから先、このことでお前は私を恨むかもしれない。でも、瑠璃と共に、その力を使って生き延びなさい。月の女神さまのお膝下で、神秘の力のその系譜を途絶えさせないで。それが新しい花の魔女の使命よ……」


 言い切ると、金剛は苦しそうに呻いた。血は流れ続けている。傷は確実に金剛の命を蝕んでいた。


 白珠は慌ててその傷に手をかざした。教えられずとも大体わかる。この魔力を使えば、自分の体内に流れる蜜が薬となり、あらゆる効果を発揮するのだ。金剛の傷だって今すぐに治療することが出来るだろう。それで治るかどうかはともかく、少しは癒すことはできるはずなのだ。


 しかし、金剛はそれさえも拒んだ。


「無駄遣いしては駄目。大精霊になったからといって、魔力は無限ではない。とくに、お前はいま受け継いだばかり。成熟するまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。今は私を救うよりも、自分が助かる方を選びなさい」

「――でも」


 白珠が言いかけたその時、胡蜂たちの怒声が近くで聞こえてきた。誰かがここへ来ようとしている。その気配に怯んだ白珠の頬を、金剛は優しく撫でながら呟いた。


「お願いよ。この傷を治さないで。助かったとしても、空しいだけなの。紅玉が先に待っている。私は彼を置いてきてしまった。彼のいない世界なんて寂しいだけ。愛を失ったまま、翡翠に支配されて生き続けるのは嫌。だから、もう行って頂戴。今なら間に合う。奴らが私を捕らえる間に、瑠璃たちと一緒に逃げなさい」


 拒絶するように体を押され、白珠は困惑した。どうして、置いて行かねばならないのか。そんなことが出来るはずもなかった。きっとそれは、蜜薬を飲まされたせいではない。主人だからではない。長く親しんだこの花蟷螂をここで見捨てていくことの意味がよく分かったからこそ、白珠は決心がつかなかったのだ。

 だが、金剛は厳しくそれを叱った。


「行きなさい……! これは、命令よ」


 力を振り絞って命じるその姿に、白珠の心は貫かれた。


 魔力を継承したと言っても、先代ではあるし、主人は主人のままだ。今後は大精霊と呼ばれることになっても、そこは変わらないらしい。

 泣きながら、白珠はその命令に従った。足音が強まり、怒号が聞こえる。恐ろしい敵がすぐそこまで来ていた。この部屋にもすぐやってくるだろう。

 それでも、まだ生きている主人を庇って死ぬことは許されない。白珠は後退し、元来た隠し穴へと入っていく。その姿を金剛がホッとしたように見つめていることに気づき、名残を惜しみながら、嗚咽を漏らしながら、暗闇の中へと身を投じた。


 部屋が荒らされ始めた。喧騒がどんどん金剛の元へと近づいてきている。その気配に圧されるように隠し穴の中で後退し、金剛の姿が見えなくなってからは、逃げるように通路を進んだ。

 足取りはおぼつかない。身体が震えてうまく動かなかった。そのため、地下へと降っていく道をあっさりと踏み外し、白珠はそのまま転がり落ちていった。

 一気に下まで落ちてしまった後も、白珠はしばらく起き上がれなかった。泣いているのは痛みのせいではない。自分の身体の変化と、たったいま解放された自由、そして、今までずっと恐ろしい支配者だったはずの金剛のことが、白珠の心を大きく揺さぶっていた。


「白珠、何処にいたの!」


 そんな白珠を地下で待っている者がいた。

 涙も震えも止まらない。そんな白珠をふわりと優しく包み込むそれは、愛する瑠璃だった。

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