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32.貫かれた意志


 金剛が何故、翡翠に甘く見られていたのか。

 瑠璃がその理由を聞いたのは、つい最近のことだった。蜜薬がなければただの精霊に同じ。強力な力を持ちながらも、その弱点は大きい。その上、金剛は花の精霊でも何でもない。だからだろう。若い頃の金剛はあっさりと胡蜂の兵に捕まり、君臨したばかりの女王の威厳を示すための道具にされかけた。


 だが、女王は若かった。金剛を手元に置き続ける利点よりも、大精霊として生まれた者の尊厳を重視したが為、道具にも食料にもすることなく、外に出たいと望む金剛の願いを叶えてやったのだ。

 逃がしてくれたあの頃の女王のままならば、こんな戦いは避けられたのだろうか。瑠璃はふと考えた。そして答えに至る。いずれにしても、結果は同じだったのかもしれない。何処かで拗れ、金剛は襲われ、王女は殺され、怒れる女王が自らここへ乗り込んできただろう。


 いずれにせよ、時は戻らない。


 瑠璃は必死になった。胡蝶として持つ力を最大限に発揮し、全ての胡蜂たちの心を捕らえるべく躍起になっていた。

 それなのに、何故だろう。高台から全てを見下ろす形で、瑠璃はただ一人だけを注目していた。

 翡翠。胡蜂の女王である彼女。胡蜂の誰よりも美しく勇ましい彼女は、王国民たちが翻弄される幻惑の影響を全く受けていないらしい。


 ――そんなまさか。


 動揺したのは瑠璃だけではない。隣から機会を窺っていた銀星もそうだった。


「あいつにだけ効いていない……まさか、あの力は――」


 何かに気づき、一瞬だけ口籠る。それでも、銀星は全く怯んでいなかった。


「瑠璃、そのまま他の奴らを惹きつけて!」

「待って、銀星。早まらないで!」


 口早に瑠璃は止めたが、間に合わなかった。銀星はすでに飛び降り、翡翠を狙っている。その目にはもう復讐の文字しか浮かんでいないのだろう。


「銀星!」


 悲鳴を上げる瑠璃の横に、ゆっくりとやって来たのは紅玉だった。


「あの力……恐らく黒曜のものだ」

「黒曜さまの?」


 紅玉は頷き、説明する。


「微かにだが、気配を感じる。大精霊の中でも非常に弱々しい、取るに足らない女の気配だ。しかし、何人たりとも彼女の心は奪えない。そういう魔力だったのだ。彼女は誰の支配も受けない。暴力でその体を拘束したとしても、心は鋼の殻で守られる。何にも操られず、何にも圧し折られない。あまり利点を感じない力だったが、どうやら胡蝶の鱗粉にも侵されないということらしいな」

「――そんな!」


 瑠璃は思わず身を乗り出した。集中がかき乱されないのならば、銀星は不利なままだ。その他の兵を足止めできたとしても、女王とただの働き蜂では力の差は大きいだろう。

 焦りは強まり、気づけば瑠璃は飛び出しそうになっていた。その肩を、金剛がぐっと掴んだ。


「お前の役目はここに居る事よ」


 そうして落ち着かせ、今度は自分が身を乗り出した。


「ここにきて黒曜の力に阻まれるとはね」


 金剛が見守る中で、翡翠と銀星の戦いは始まった。その様子を見降ろし、紅玉は表情を変える。


「俺が行こう。銀星一人では危ない」


 そして二人の元へと飛び降りた。二対一だ。翡翠の部下たちは相変わらず動きが鈍く、紅玉の部下たちに翻弄されている。だが、じわじわと自分へと近づいてきていることに気づき、瑠璃は竦みあがった。

 金剛がその手にそっと触れる。


「いざとなれば私の蜜薬がある。あなたはただ信じて彼らを惹きつけ続けるのよ」


 瑠璃は頷き、そしてその身を晒しながら銀星たちを見守った。


 勇ましく、猛々しく、銀星は翡翠の命を狙っている。紅玉の手など借りたくないのが本心なのだろう。肉食精霊などに負けず劣らずの動きで、胡蜂の女王を翻弄していた。だが、まだその体に傷を与えてはいない。紅玉も同じだ。様子を見ながらのためか、ここぞという一撃を与えてはいなかった。

 翡翠の方は、主に銀星の動きを見つめていた。警戒しての事ではない。興味を持ったように彼女を見つめ、そして煽るように狙わせていた。


「銀星。蜜蜂王国の生き残り。なるほど、女王候補ではなくとも確かに黒曜の娘だ」


 嘲笑うように言ってから、剣を手に無防備に立ち止まる。


「その目。ああ、その目だ。似ている。可愛いあの目にそっくりだ」


 飛び込む銀星の一撃を受け止め、さらに不意を突こうとする紅玉の攻撃すらもかわす。瞬時に二人から距離をとり、翡翠はくすりと笑った。


「仇と言ったな。確かに、私の命でお前の兄弟姉妹の殆どが死に絶えた。だが、一つ言っておこう。母の仇と言ったか。それは誤解だぞ、銀星」

「誤解?」


 思わぬ言葉に銀星の動きが止まる。紅玉がすぐに気づき、叱咤した。


「聞くな。どうせ妄言だ」


 しかし、翡翠は首を振って、銀星にだけ向かって告げた。


「黒曜は……お前の母はまだ死んではいない。女王としての尊厳は容赦なく奪ってやったが、命までは奪っていない。国を失った彼女はか弱い。先祖代々受け継いだ魔力も身を守るのに役に立たない。だから、安全な我が王城にて匿ってやっているのだ。私の膝下で、震えながら過ごしているよ」


 妖しい笑みをと共に翡翠は言った。銀星は短剣を構えたまま、すっかり足を止めてしまっていた。


「生きている……女王が、生きている……?」


 その言葉に捉われ、動くことが出来ない。そこへ金剛が高台から口を挟んだ。


「銀星、その女の言葉に耳を傾けないで」


 だが、銀星はまっすぐ翡翠を見つめ、震えながら短剣を構えていた。


「それが本当なら……お前のその力は何なんだ? その力は……その気迫は……確かに黒曜さまのモノじゃないか! 生きているなら、何故、お前がその力を使っているんだ!」

「略奪こそ我が力」


 翡翠は冷静に答えた。


「黒曜は気高く、暴力を振るったとしても魔力に守られたその心は屈したりはしない。だが、私ならばそんな相手からも力を奪える。この力は、お前の母の心身を穢して手に入れたものだ。食い殺して得るよりはだいぶ弱いが、胡蝶の鱗粉を跳ね除けるだけの力はあったらしいな」


 そして、にやりと笑みながら翡翠は銀星に向かって言った。


「もはや黒曜はお前の母でも、女王でもない。私の……私だけの婢だ」


 銀星がカッと目を見開いた。その心身を興奮が支配していく。すでに冷静などではない。瑠璃にさえ分かるその動揺は、金剛も当然見抜いていた。


「銀星! 戻ってきなさい!」


 金剛の命令を聞いて、紅玉が動き出す。だが、彼の手が届く前に、銀星は走り出していた。

 空に瞬く星のように胡蜂よりも小柄な蜜蜂の身体が翡翠の命めがけて突撃する。猛撃ではあるが向こう見ず。あまりに愚直なその攻撃は、翡翠を怯えさせることすらできていない。


 それでも、銀星は退かなかった。


「銀星!」


 瑠璃の声も届かない。そのまま銀星はぶつかった。翡翠は容易くその一撃を避け、素早く反撃を加える。優雅で迷いのない、美しい動きで、流れるように銀星の身体を貫いた。


 そのまま時が止まってしまったかのようだった。

 瑠璃はその光景を見つめたまま、頭の中が真っ白になっていくのを実感した。容赦のない一撃は、確実に銀星の命を蝕んでいる。

 どんなに嘆いても、起こった出来事は取り消せない。まるで自分が刺されたかのような痛みを感じながら、瑠璃は銀星を見つめ続けた。


 傷ついて震えながらも、銀星はまだ諦めていなかった。手にした短剣でどうにか翡翠を傷つけようともがいている。だがその力はあまりに弱く、呆気なく翡翠の手に抑えられてしまった。


「似ている」


 恐ろしく響く声で、翡翠は呟いた。


「その直向きさすらも、黒曜にそっくりだ」


 そして、銀星の身体から容赦なく剣を抜き取った。苦痛な悲鳴をあげ、銀星はそのまま倒れ伏した。目はまだ翡翠を見つめている。

 短剣は握ったままだ。諦めていない。諦めることができていない。だが、終わりはすぐそこまで来ていた。息は弱くなっていく。流血は止まらない。大地を穢しながら、次第にその命を大自然へと返そうとしている。

 その光景は、瑠璃にとって到底受け入れられない現実だった。


「ただの蜜蜂にしては、良い心を持っていた。その亡骸も、良い食材となるだろう」


 ほくそ笑む翡翠に、紅玉が無言で襲い掛かった。だが、それをひらりとかわし、翡翠は金剛に向かって宣言した。


「次はその胡蝶の番だ」


 そして駆けだした。紅玉が追いかけぶつかろうとするが、翡翠の勢いは止まらない。彼女の目には紅玉すらも映っていなかった。向かうは高台。金剛と瑠璃のいる場所を目指して動いている。それを阻む紅玉のいかなる挑発も、彼女には通用しなかった。


 瑠璃が目撃できたのはそこまでだった。その肩を金剛がぐっと掴み、後ろへと引きずった。その瞬間、瑠璃の視界は揺れ、さらには緊張も解かれた。何をされたか分からず混乱する瑠璃に、金剛は口早に告げた。


「あなたの役目はここまでよ」


 そして、背後の部屋へと突き飛ばして命じた。


「隠し穴に潜り込みなさい」


 胡蜂の第一王女が命を落とした辺りに倒れながら、瑠璃は主人の顔を窺った。


「でも――」

「口答えしないで」


 すでに金剛の視線は翡翠へと向いている。


「銀星が敗れ、計画は失敗。お前の力が翡翠に効かない以上、足手まといになるだけよ。さあ、お行き。白珠と一緒に出来るだけ遠くへ。これは命令よ」


 そう言い残すと、瑠璃が止める間もなく金剛は高台から飛び降りてしまった。

 瑠璃は震え、その後ろ姿を見つめた。追いかけたところで、彼女の言葉通りだと分かっていた。翡翠に捕まれば意味がない。


 それに、命令には逆らえなかった。


 ――そんな……そんなことって……。


 絶望と悲痛に打ちひしがれながら、瑠璃は床を這って隠し穴へと向かった。無力感に苛まれつつも、金剛の命令に従って隠し穴へと入り込む。すぐに愛しい白珠の蜜の香りを感じ、こみ上げる涙を堪えて進みだした。

 こうしている間にも、胡蜂たちに探されている。もし捕まったらと考えるだけでも恐ろしかった。そして、今頃、金剛や紅玉たちがどのように戦っているかも、また、銀星がその後どうなっているのかということも、瑠璃は考えたくなかった。


 隠し穴の中まで外の怒声は聞こえてくる。暗闇を進み続け、瑠璃はひたすら白珠がいるはずの地下へと向かっていた。再会することしか今は考えられない。その後の事は、再会してから考えよう。

 震えながら、瑠璃は必死に願っていた。


 ――月の女神さま。どうか、私たちをお守りください。

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