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31.胡蜂の女王


 その日もまた突然やって来た。

 時刻は昼前で、太陽が煌々と森を照らしていた。その清々しい空気を打ち砕くように、紅玉の部下たちが声を張り上げたのだ。警報だった。

 敵だ。胡蜂だ。大群だ。前よりも多い。大勢を引き連れて、こちらに押し寄せてきている。

 声は響き渡り、服作りをしていた白珠の耳にも届いた。反射的に紅玉の部下である花の精霊たちが姿を消し、一人ぼっちにされながらも、構わずに白珠は部屋を飛び出した。


 すでに広間は紅玉の部下たちが戦う体制に入っていた。金剛は高台の部屋に。瑠璃もまたそこに待機しているらしい。そのすぐ前で銀星が短剣を手に身構え、いつでも広間に飛び降りられるように用意をしていた。

 あとは紅玉の部下である蜻蛉や胡蜂、蜥蜴、蟻、蟷螂、蜘蛛といった好戦的な精霊が身構え、迎え撃とうと態勢を整えている。

 乱戦の時が迫ってきている。蜉蝣の女性がそっと現れ、息を飲んで広間を見つめていた白珠の手を握りしめた。


「あなたは地下へ」


 その言葉に従い、白珠はまっすぐ地下へと向かった。

 無論、大人しくしているつもりはない。すでに避難していた瑪瑙と顔を見合わせると、ここまで連れてきた蜉蝣の気配が消えるのを待ってから、そっと耳をそばだてた。

 地上の物音は、あまり聞こえない。


「今度はすごい数だったよ」


 瑪瑙は小声でそう言った。


「しかも、指揮を執っているのは姫ではなく女王その人だ」

「……間違いないの?」

「うん、間違いない。あの雰囲気。あの気迫。間違いなく成熟した大精霊のものだ。敗北の上、第一王女を奪われて怒り狂っていたようだが、まさか本当に、自ら攻めてくるなんてね」

「女王はどんな力を持っているの?」


 白珠の問いに、瑪瑙は苦い表情を浮かべる。


「それは……よく分からないんだ。大精霊にとって魔力は武器そのもの。よほど親しくない限り、その手のうちは簡単に見せてくれない。特に胡蜂の王国は昔から警戒心が強いからね。彼らがどんな手を隠し持っているのか、ボクにもはっきりとは分からない」

「――そんな」


 迫ってきているのはまさに未知の存在だ。そんな相手に勝てるのか。


「大丈夫だよ。女王が指揮を執っていようとそう変わらないさ。こちらには二人の大精霊がいるんだ。誰が相手だろうと、勝てるに決まっている」


 瑪瑙は力強く、だが、自分に言い聞かせるようにそう言った。白珠は耳を澄ませて地上の様子を探る。聞こえづらいが、騒がしくなったようだ。もう来てしまったのだろうか。

 白珠は居ても立ってもいられず、隠し穴を覗き込んだ。瑪瑙が気づき、すぐに傍へと近寄った。


「駄目だよ、白珠」


 行こうとする白珠の手を掴み、そう言った。ここを教えてくれたのは彼だったが、この度は首を横に振った。


「今度は相手が不味いんだ。ここでじっと息を潜めていた方がいいよ」

「瑠璃が戦っているのよ。ただ隠れていたら息が詰まっちゃう」

「でも……」


 と、言いかけたが、瑪瑙はふと地上を見上げて考え込んだ。地上の騒がしさが増している。いよいよ攻め込んできたのだ。

 地下への階段を守っているのは紅玉の部下たちだ。だが、果たしていつまで守ってもらえるのか、その疑問や不安が二人を急に襲い始めていた。


 白珠は瑪瑙の手を払い、その場にしゃがんだ。


「とにかく、わたしは行くから」

「ま、待って!」


 瑪瑙もすぐにしゃがみ、白珠の耳元で囁く。


「ボクも一緒に行く」


 そうして、結局は二人して隠し穴へと潜り込んだ。慎重かつ急ぎ足で坂を上り、慣れた足取りで白珠は広間を目指した。暗くとも、その方向はすっかり覚えてしまっている。それに、声やざわめきの導きもあった。その為、以前よりも早く目的の場所にたどり着いた。


 恐る恐る白珠は瑪瑙と共に覗き穴を窺った。初めに見えたのは、広間の中ほどまで押し寄せてきた胡蜂たちの姿だった。その大群を引き連れているのは、白珠がこれまでに目にした胡蜂の中でも最も美しい容姿を持つ女性であった。

 緑色に輝く目で、それ以上踏み込ませまいと立ちふさがる精霊たちを見つめている。そして、その精霊たちに守られながら高台に控える金剛や紅玉を見上げた。


「久しいなあ、金剛。相変わらず透き通るように美しい」


 とろける花蜜のような声色で、胡蜂はそう言った。


「そなたが我が王城に献上された日を昨日の事のように思い出せる。そして、紅玉殿。まさか金剛に愛を注ぐとは思いもしなかった。その結果、手塩にかけて育てた王女を死なせることになるとはね」

「翡翠」


 轟くような声で金剛はその名を呼んだ。


「姫を殺したのは私よ。ただし、望んでの事ではないわ。あなたがここに兵を差し向けなければ、彼女は死なずに済んだのだから」

「それはどうかな」


 翡翠は不敵に笑い、金剛を見上げた。


「私も、王女も、言ったはずだ。そなたが素直に我が王城に戻ればいいだけのこと。大精霊の見習いだからと情けをかけて外に出してやったのが失敗だった。しかし、今はそなたの首を取ってる場合ではない。大人しく私に従い、王国に戻れ」


 話し合いは無用だ。そう感じとったのか、金剛が口を噤んだ。紅玉が透かさずその身を庇って前へ出る。それを見て、翡翠はその笑みに陰りを浮かべた。


「紅玉殿、そなたほどの御方が金剛のしがない蜜薬に操られているわけでもあるまい? 蜻蜓には蜻蜓の相手がいるはずだ。何故、その女にこだわる」

「親しき友に力を貸す。それだけの事に理由などいるだろうか」


 紅玉は即答し、それから翡翠を見つめて笑みを浮かべた。


「ああ、それとも、君には分からないのだろうかね、翡翠よ。支配欲と略奪と共に生きる女王の君には俺の心など分かるはずもない」


 挑戦的なその口調に、翡翠の左右にいた胡蜂たちが身構えだした。


「女王を侮辱するのか!」


 思わず叫んだ側近の一人を、翡翠は軽く咎めた。


「言わせておけ。紅玉殿――いや、紅玉。そなたが知らないわけではないだろう。金剛はその昔、私が女王として君臨したばかりの頃に我が姉妹によって献上されたはしためだ。逃がしてやったのは確かだが、あの時より私のものに違いない」


 翡翠はまっすぐ金剛を見つめ、美しい声で命じた。


「戻ってこい、金剛。今なら許そう。王女の事は遺憾だが、今はお前の力が必要なのだ。共に肉食花と戦おう。昔のように我が下にひれ伏し、その力を寄越せ。再び私を主人と認めるのだ」


 白珠は息を飲んでその様子を見守った。

 ただの月花にある彼女にとって、翡翠の姿はあまりにも圧倒的だった。これが、恐ろしい胡蜂王国の女王。同じ大精霊という肩書を持っている金剛や紅玉の威厳すらも圧倒する彼女の存在感は、白珠には強烈すぎるものだった。


 白珠は怖かった。あの場には瑠璃もいる。銀星と一緒に金剛を守るように高台に立っている。その姿は翡翠の目にも映っているはずだ。蜜食精霊の兵に守られる金剛を見下しているのは明らかだ。二人の過去など知らなくとも、白珠にはよく分かった。

 そして、もう一つ、確かな事があった。金剛という精霊に仕えてもう長いと言っていい。共に暮らし、共に過ごした白珠には、彼女の気性がよく分かっていた。ひれ伏すはずがない。認めるはずがないのだ。


「ずいぶんと立派になったものね、翡翠」


 そう言って、金剛は高笑いしたのだ。


「ええ、確かに。その頃の私はあなたの婢だったわ。でも、私を逃がすことになったのは、あなたの慈悲が理由だったかしら。あなたはまだ若く、女王になったばかりで、今のような威厳もなかった。怖かったのでしょう。花蜜さえあれば簡単に精霊を操れる私の事が。何かの間違いで花の精霊に触れてしまえば、成長して少しでも力を増してしまえば、たちまちのうちにあなたの立場は変わってしまう。それを恐れてのことではなくて?」


 翡翠は表情を変えずに金剛を見上げている。

 その背後にいる胡蜂たちのざわめきを見つめ、金剛はさらに嘲笑した。


「長い時が経ったわね。もうあの頃のあなたではなくなった。でもそれは私も同じよ。今の私には力がある。戦う術もあるし、戦わせる精霊もいる。あなたの兵に怯える私ではないの。あなたに従う必要はない。私は、私のやり方で、肉食花に立ち向かう!」


 目を見開いて一喝するその姿は、白珠から見て翡翠の威厳を跳ね返すほどの覇気があった。

 肉食精霊同士のいがみ合いが場の空気を緊張させる。瑪瑙共々白珠が固唾を飲んで見守っていると、やがて沈黙を破るように翡翠が笑い出した。


「相変わらず、口だけは達者だ。見たところ、兵の殆どは紅玉のもの。そなたの手駒といえば、気弱な我が娘が数人と、あとは蜜食精霊ではないか。胡蝶に、蜜蜂に、そんな者どもの影に隠れてよくも偉そうに言えたものだ」


 銀星がむっとした表情を浮かべる。だが、翡翠は全く気にせずに、金剛と紅玉のみに目を向けた。


「よいか、金剛。女神の膝下を汚す肉食花めは、他の成熟した大精霊を食らってその力を我が物にする。そうして肥大した欲望と魔力を駆使して女神を食らおうとしているのだ。狙われた弱き大精霊は勿論、立ち向かった大精霊もその多くが食い殺され、女神への新たな脅威となってしまった」

「何が言いたい」


 紅玉に睨まれ、翡翠は笑みを消した。


「つまりだ。いくらそなたらのような大精霊が立ち向かったところで、いずれここへ来る肉食花には勝てぬということ。己が力を盲信し、二人して奴の養分となるつもりか? そうなれば、ますます面倒なことになる」


 翡翠の言葉を受けて、金剛は眉をひそめた。


「最初から私たちが負けると決めつけているってことね。それに、あなたは自分ならば勝てると信じているみたい。どんな手があるかは知らないけれど、私からすれば、あなたこそ己が力を盲信しているようね。あなたに従えば肉食花に勝てるの? とてもそうは信じられない。仮にそうだとしても、自由を犠牲にしてまで誰かの下につくなんて御免よ」


 その態度に、翡翠は大きくため息を吐いた。


「やれやれ。どうやら釣れない態度は変わらないらしい。ならば、話は簡単だ。金剛、そして紅玉。そなたらの力、この私が頂く」


 冷酷な笑みと共に、翡翠は囁くように告げた。


「かかれ」


 とうとう号令が下った。

 胡蜂たちが一斉に動き出したその時、金剛がすぐに応じて命令を下した。


「瑠璃、やりなさい!」


 その瞬間、瑠璃が前へと飛び出し、高台から一斉に胡蜂たちを睨みつけた。

 まるで美しい翅でも広げるかのように、輝く鱗粉が飛び散っていく。少なくとも、白珠にはそう見えた。美しい。麗しい。あまりにも綺麗で、心が奪われてしまう。


 胡蝶が花の精霊を支配するその術は、広間から全てを破壊しようと動き出した胡蜂の多くの動きを一瞬にして鈍らせた。その直後、今度は紅玉の部下たちが飛び出し、隙だらけの胡蜂たちに襲い掛かった。

 怒号が響き、一瞬にして複数の胡蜂たちが傷つき倒れていく。そんな中、翡翠がじっと瑠璃を睨みつけていることに白珠は気づいた。他の者たちがだいぶ注意を逸らされている中、翡翠だけはその様子に変化がない。


「なるほど。これが、我が娘らが手こずった胡蝶の力か」


 呟きながら、じわじわと進んでいく。

 そこへ邪魔しようと飛び掛かった紅玉の部下たちは、次々に刺殺されてしまった。


「女王には……幻惑が効いていないのかしら?」


 白珠が呟いたその時、高台からついに銀星が飛び出した。翡翠めがけて飛び降りると、短剣でその胴を突くべく狙いを定める。不発に終わっても見事に着地し、その行く手を塞いでしまった。


「私の名は銀星。見ての通りの蜜蜂だ。胡蜂の女王、お前の命は私が貰う!」


 唸る銀星を見つめ、翡翠は面白がるように笑う。


「金剛の飼い馴らした蜜蜂。お前だな。聞いた話では、そなたに殺された娘も多いという。ああ、そうだ。銀星という名を覚えていた者もいた。だが、にわかには信じられぬ。我が娘――王女が、蜜蜂相手にだなんて」

「信じたくなきゃ信じなければいい。ただし、容赦はしないぞ。姉妹の、母の仇だ!」


 そう言って、銀星は翡翠に襲い掛かった。

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