25.勇敢な蜜蜂
◇
何者かの襲撃があった。
その報せに、白珠は飛び起きた。地下で大人しく瑠璃を待っていたはずだった。どうやら、待っているうちに眠っていたらしい。いや、それよりも、とんでもない騒ぎになっていた。
目が覚めるとそこには既に紅玉の部下たちが待機していた。戦いに不向きである種族の者たちが数名、主人たる金剛の命令をはっきりと伝えてしまうと、止める間もなく消え失せてしまった。
安全な地下で待機するように。
地上に出ることが許されるはずもなく、外の状況も分からず、しばらく白珠はひとりきりで震えていた。瑠璃がどうしているのか。本当に戦っているのか。それすらも分からない。
所詮、他人の部下の運んだ命令だ。直接命じられたわけでもないのだから、破って見に行くことくらいは出来るだろう。しかし、白珠はそうしなかった。出来なかったのだ。
今も、地上では敵のものか味方のものか分からない喧騒が聞こえてくる。そこへ顔を出すなんてとんでもなく恐ろしいことだった。
どれだけ震えていただろうか。
こんな時間が永遠に続いてしまうのではないかという絶望を感じ始めた頃になって、突如、地下へ踏み込む者が現れた。
隠れる暇もない。だが、その姿を見て、白珠はほっとした。味方だったのだ。
「瑪瑙!」
「しいっ!」
すぐに瑪瑙は白珠を制した。
そして地上を注意深く見つめ、そっと彼女の傍へと近寄った。
「外は敵だらけだ。すごい数だった。せめて僕たちは息を潜めていないと」
「ごめんなさい」
白珠もまた小声で詫び、そして改めて質問した。
「皆はどうしているの?」
「敵の出方を窺っているところだ。紅玉さまの部下たちがあちらこちらで待ち伏せているから、ここはきっと大丈夫」
「瑠璃は? 瑠璃を見なかった?」
「見てはいない。でもたぶん、大丈夫だよ」
根拠のない慰めに、白珠は悶々とした。
地上の様子が知りたい。だが、覗きに行けば、大変なことになるだろう。動き回りたくなるのを必死に堪え、白珠は壁へと寄ってうずくまった。
「ああ、瑠璃。とても心配だわ」
「祈るしかないよ。それよりも、見つからないように隠れていないと。ここの階段も一応、紅玉さまの部下たちが守っているけれど、どうなるかは分からない。音をたてたり、騒いだりしては駄目だよ」
「ええ、分かっているわ」
そう言いつつも、白珠は膝を抱えながら唸る。
「でも、わたし、とても辛いの。せめて、外がどうなっているかが分かればいいのに。何処からか覗き見ることは出来ないかしら」
「危険だよ。捕虜にされれば不味い。……でも、どうしても覗きたいのなら、方法がないわけではない」
「――方法?」
白珠が問い返すと、瑪瑙は頷いて地下の壁を手で探り始めた。
この場所はずっと瑠璃が暮らしてきた場所である。地上に繋がるのは階段ひとつだけ。そうとばかり思っていた。だが、瑪瑙は迷いなく壁の一部に手を付けると、そっと土を掘り返した。途端に硬そうな土壁が、ぼろぼろと崩れ出す。その奥に隠されていた空洞を見て、白珠は目を見開いた。
「これは……?」
「隠し穴さ」
瑪瑙はにやりと笑った。
「これはね、魔女さまと紅玉さまが秘密裏に小蟻たちに作らせていた通路なんだ。あらゆる場所に繋がっていて、様々な部屋の様子を探ることが出来る。この通路で地上にのぼるのは少し大変だけど、ちょっと頑張れば大丈夫さ」
「ここを通れば、瑠璃たちの様子も探りに行けるの?」
「そう。でも、静かにしていないとダメだよ。それに十分気を付けて。通路は狭いし、壁は意外と薄い。所々に空気穴があって、覗き穴にもなっている。それで壁の外が見えるんだけど、逆に気づかれる危険も当然ある。胡蜂は女性であっても怪力だったりするから、あっさりと壁を壊されて引きずり出されることもあるかもしれないよ」
声を低めて険しい表情になる瑪瑙に、白珠は縋りつくように答えた。
「気を付けるわ。何が見えても、気配を殺して黙っている。それでいいんでしょう?」
「うん。黙っていられるのなら、きっと大丈夫さ」
瑪瑙はそう言って、少しだけ笑みを取り戻した。
だが内心、白珠は不安を覚えた。壁の外で瑠璃に何かがあったとき、果たして本当に黙っていられるだろうか。もしも、瑠璃が恐ろしい胡蜂どもに攫われるような場面を見てしまったら。黙っていられるはずがない。そうして、騒いだりすれば、一緒にいる瑪瑙だってただでは済まないはずだった。
瑪瑙がそれに気づいていないはずもない。それでも、彼は敢えて触れずに、先にしゃがんで隠し穴を覗いた。
「それならさっそく行こうか。ボクが先に行くから、白珠はついてきて」
「ええ」
そうして、白珠は瑪瑙に続き、閉鎖的な地下の世界よりもさらに窮屈な隠し穴の世界へと入り込んでいった。
中は真っ暗で、しばらくは何も見えなかった。四つん這いの状態のまま手探りで瑪瑙に続き、緩やかだが決して楽とはいえない上り坂を登っていく。
どうにか登りきると、白珠にもすぐに光が見えた。外の空気を感じる。壁も薄いのか、物音がよく聞こえだした。瑪瑙がそっと耳をそばだて、外の様子を探り出す。
争いの声だということは、白珠にもよく分かった。
誰かが誰かを襲い、それに抗っている。勇ましい猛り声が上がったと思えば、悲痛な叫び声も上がっている。女性の声が多いが、男性の声も少なくないようだ。瑪瑙は光の差し込む辺りでそっと向き直り、白珠に耳打ちした。
「ちょうど階段の上辺りだよ。ここを覗いてみて」
指し示されるのは、足元にひっそりと存在する低く細長い覗き穴だった。
言われるままに白珠は顔を近づけた。どうやらこの覗き穴は、金剛がこの住まいのあちらこちらに無作為に置いた人間の世界のガラクタなどで誤魔化されているらしい。それらの隙間から窺えるのは、住み慣れた場所とは思えないほどの殺伐とした状況だった。
戦っている。紅玉の部下と思われる精霊たちと、見慣れぬ顔の女性の精霊たちだ。侵入者たちはいずれも銀星や瑠璃の訓練に付き合っていた胡蜂の元戦士の容姿に似ていた。つまり、胡蜂たちだ。襲撃は本当なのだ。言われていた通り、最悪の事態に陥っている。白珠は静かに理解し、覗き穴から顔を離した。
少し観ただけでも、すでに傷ついて倒れている者が確認できた。その殆どが胡蜂に見えたが、紅玉の部下だって視界の外で傷ついているだろう。彼らに息があるのか、ないのか。そこまでは分からなかったが、それでも血生臭さとは本来無縁の白珠の心に焼き付くには十分だった。
「瑠璃がいるのは、多分こっちだよ」
瑪瑙はすぐに声をかけ、進みだす。白珠は大人しくそれに従った。
抜け穴はあちらこちらに存在し、時折、しっかりとした出口にもなっていた。だがその先はいずれも、瑠璃のいる場所ではなかった。胡蜂に踏み込まれているのは主に広間であり、紅玉の部下たちがそこで上手く留めているようだ。
瑪瑙と共に覗き穴から何度か窺うと、広間にて雷電が戦っている姿も確認できた。同胞を前に、冷酷に槍を向けるその姿。残虐なその瞬間からは目を逸らし、白珠は瑪瑙と顔を見合わせた。瑠璃もきっと広間にいるに違いない。そう信じて瑪瑙はここまで来たのだ。だが、瑠璃はもちろん、銀星の姿も見つからなかった。
瑪瑙は先へと進み、白珠もそれに続く。道中、焦るように瑪瑙は言った。
「変だな。何処にいるんだろう」
「いないってことはないはずよ」
白珠がそう答えた時、壁のすぐ向こうから胡蜂の声が聞こえてきた。
「まさか胡蝶の鱗粉があれほど厄介だとは」
瑪瑙は動きを止めた。白珠もまたそれに倣って耳を澄ませる。
「魔女の秘薬と合わさって非常に厄介だ。いいか、お前たち。胡蝶の姿に蜜の香り。この両者に気をつけろ。間違っても、両方を食らってはいけない」
仲間の胡蜂たちが一斉に返事をする。そこへ、別の胡蜂が現れ、声をかけた。
「姫様が魔女を追い込んだらしい。蜻蛉の王に気づかれる前に加勢を!」
威勢のいいその声に、胡蜂たちが士気を高める。気配が立ち去っていくのを感じるなり、瑪瑙は慌てだした。
「大変だ。すぐに行かなきゃ」
「でも何処なの?」
「大丈夫。心当たりがあるから」
瑪瑙は進みだした。先ほどとは比べられないほど焦りを見せている。必死について行きながら、白珠は祈っていた。どうか間に合いますように。間に合ったところで、いったい何が出来るのか。そんな疑問はあったにせよ、とにかく祈り、先を急いだ。
そして、その場所にたどり着いた。
段々に重なった土塊や岩などで出来た部屋の最上部で、広間を一望できる高台の大部屋である。普段から金剛が紅玉と共に過ごしている閨の一つでもあった。
出入り口は一つで、すぐに逃げ込める逃げ道などはない。恐らく白珠たちがいる以外にも隠し道は続いているはずだが、敵に背を向けて入る暇などあるはずもなかった。
そんな危険な場所に金剛は追い込まれていた。唯一の出入り口を塞いでいるのは数名の胡蜂たち。床にひっそりと存在する覗き穴から瑪瑙と共に確認し、白珠はぞっとした。
――笑っている。
その顔は、はっきりと見えた。剣を持っており、二人の部下を従えている。他の胡蜂たちよりもひと際目立つ様子に、圧倒的な雰囲気を醸し出している。それだけで、彼女が只者ではないという事が白珠にもよく分かった。
金剛は警戒しつつ、冷静な表情で逃げ場のない壁に寄っていた。蜜薬の秘められた小瓶を手にしているが、何故か積極的に使う気配はない。胡蜂たちの狙い通り、追い込まれていた。
「お前が翡翠の後継者。この隊を率いた第一王女ね」
金剛の問いかけに、目立つ容姿の胡蜂が応える。
「ああ、そうだ。母に代わってここへ参った」
あっさりと認め、第一王女は笑みを深めた。
「花の魔女よ。今すぐご同行いただこう。母には生きて連れてくるようにと言われている。抵抗するようなら、足の一本や二本は覚悟してもらえとのことだが……」
「ずいぶんと血の気の多いお誘いね」
煽るように笑う金剛を前に、第一王女は目を細めた。
「私だって手荒な真似はしたくない。大人しく従ってくれるのならば、あなたにも、あなたの奴隷たちにもこれ以上の危害は加えないと約束しよう。もっとも、我が国にたどり着いた後の処遇については、何ひとつ約束できることはないとも言っておく」
「そうでしょうね。蜜蜂の国を容赦なく滅ぼし、女王であった黒曜からその全てを奪ったのが翡翠だもの。降伏したとしても、抗ったとしても、その果ては同じ。それなら私が大人しく従う利点は何処にもないわ」
「そうか。残念だ」
第一王女はそう言いつつも、何処か満足そうに笑みを浮かべ、剣を構えた。
「ならば力尽くだ。覚悟しろ!」
好戦的なその態度に、金剛はさらに一歩下がる。王女の背後には仲間が二人。三対一だ。白珠から見ても、明らかに金剛の方が不利だ。
白珠は迷いだした。このまま見ているだけでは、最悪の場合、死なせてしまうことになるのではないか。飛び出したところで何にもならないと分かっていても、これ以上、黙って見ていることは出来なかった。身体を震わせ、白珠は壁を壊そうと手をかけた。
「駄目だよ」
そこで、瑪瑙がぎゅっと白珠の手を掴んだ。
「ボクたちが行ったところで足手まといにしかならない」
「でも、瑪瑙……」
「大丈夫。まだ勝負が決まったわけじゃない」
瑪瑙がそう言った時、胡蜂の姫が金剛に飛び掛かった。逃げ場は何処にもない。金剛に出来ることは迎え撃つことだけ。だが、どれほどの抵抗が出来るのだろう。白珠には疑問だった。
蜜薬は通用するのか。通用したとして、その刃を今すぐに防ぐことが出来るのか。負ける等と微塵も感じていない表情で、王女は襲い掛かった。
その時、少し離れた場所で叫び声があがった。
「あなた達の姫はここよ!」
瑠璃の声だった。白珠はその声に引き寄せられるように、出入り口を確認した。いつの間にか、胡蜂たちの背後に別の者がいる。出入り口を塞ぐ形で、金剛と共に敵を挟む形で。
白珠は夢中になってその姿を確認した。背中合わせに立つ精霊が二人。広間を向いて立ち、こちらに背を向けている者こそが、白珠の探していた精霊。たったいま、叫んでいた瑠璃であった。
そして、こちらを向いて胡蜂の姫を睨みつけているのは、蜜蜂の戦士――銀星。
「かかったな、侵略者め」
冷徹に銀星は告げた。恐れることなく短剣を抜き、構える。
怒りに満ちたその目は、白珠がこれまで知っていた銀星とは全く違う。訓練の時よりもさらに荒々しい心が宿っていた。憎しみが彼女に力を与えている。白珠はそう感じながら、静かに状況を見守った。
まっすぐ王女を睨みつけ、銀星は唸る。
「覚悟するのはお前の方だ!」
そして、目にもとまらぬ速さで前へと飛び出した。




