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24.胡蜂の羽音


 静寂に包まれる夜更け。風の冷たさを感じながら、瑠璃と銀星は金剛に呼び出されていた。蜜薬の香りがこもったその部屋は、しばらくいるだけで甘い香りが身に沁みつくほどだ。それでも瑠璃は金剛の部下になってからだいぶ慣れてきたと感じていた。


 渡されるのは杯。その中にはたっぷりと蜜薬が入れられている。白珠の蜜だけでなく、血や分泌液などの体液が嫌というほど混ぜられ、さらにそこへ金剛の魔力のこもった血が数滴落とされて出来たものだ。

 生き物の思考を縛る恐ろしい秘薬だが、拒んでもいい結果にはならない。むしろ、魔女に協力的になって勝利を引き寄せる方が得策だと二人とも知っていた。だからだろう。魔女に命じられるなり、銀星は躊躇いなくそれを飲み干してしまった。

 杯を机に置き、闘志をむき出しにした眼差しで金剛を睨む。


「それで?」


 銀星は訊ねた。


「これを私たちが飲むことで一体どんな恩恵があなたにもたらされるのだ? 絶対的な忠誠心? それとも、超自然的な力?」


 興奮気味なのはきっと、蜜の味のせいだろう。

 瑠璃はそっと口をつけながら感じた。多少、舌に広がるだけでうっかり心を奪われかねない危険な味がする。そのもとになったのが白珠であると思うだけで、欲望が掻き立てられる。


 だが、興奮してばかりもいられない。どのような過程を踏んでこの薬が作られたのかを思い出し、瑠璃は杯をしっかりと握り締めた。花の精霊にだって自尊心や羞恥心はある。しかし、白珠はそのほとんどをかなぐり捨てて、金剛を勝利に導くための素材となってくれているのだ。


 せめて、一滴も無駄にしてはいけない。

 瑠璃は真面目にそう考え、慎重に時間をかけて蜜薬を味わった。


 金剛はそんなふたりの様子を見比べつつ、冷静に答えた。


「残念ながら、この蜜薬にはそこまでの力を込められてはいない。肉体的な効果なら、せいぜい、あなた達の身体を健康に保ち、動き良くすることくらいでしょうね。そして、最大の効果は私の言葉に従うということ。でも、忠誠心とは少し違うわ」

「どう違うというの?」


 やや攻撃的に銀星は訊ねる。


「あなたの蜜薬を飲んだ以上、私にはもうあなたに逆らう力がない。生きるも死ぬもあなた次第だ。それを忠誠と言わず、何というのさ?」


 すると、金剛は冷静に答えた。


「私の命令には絶対服従。それが私の薬の効果。忠誠との違いは、私を尊敬しているかどうかにある。忠誠心の高いしもべは、いかに主人の命令であろうと逆らって主人の為に尽くす。けれど、私の薬にそんな効果はない。これは、もっと罪深いものよ。お前たちの感情の在り方に関わらず、強制的に従ってもらう事も出来るのだから」


 銀星の顔色が少し悪くなった。

 瑠璃もまた恐る恐る蜜薬を飲みながら、躊躇いを感じ始めていた。そこまでして金剛が求める服従とは何なのか気になったのだ。

 しかし、今更引き返すことは出来ない。瑠璃は覚悟して、一気に飲み干した。瑠璃が杯を置くのを見ると、銀星はそれを横目に頬杖を突き、不満そうに呟いた。


「どっちにせよ、私はただの蜜蜂だ。それも、女王候補に生まれたわけでもない働き蜂。何かに従い、何かの命令で動く存在に生まれた以上、主人となった者に忠誠を誓わずにはいられない。託された短剣で貫くのは、あなたの未来を阻む敵の心臓なのだから」

「そう。それなら自分の納得いく解釈をなさい」


 突き放すように言ってから、金剛は改めて二人に向き合った。


「お前たち二人にはそれぞれ戦う理由がある。私はそれを理解し、受け入れ、戦う自由を認めた。だから、その蜜は戦う力のない瑪瑙や白珠に飲ませているものとは少し違う。超自然的な力はないけれど、お前たちが本能として持っているはずの恐怖心を少しだけ誤魔化す効果もある。胡蜂の集団相手でも怯まずに戦えるでしょう。同時に、その蜜薬の香りと刺激に慣れてもらう意味合いもある」

「慣れる?」


 瑠璃の問いに、金剛は頷く。


「蜜薬は武器でもある。大勢を相手にするときはね、匂いを嗅がせることで効果を発揮させるの。飲ませる時よりも効果はだいぶ薄まるけれど、惑わせるには十分。瑠璃の放つ魅惑と合わせれば、十分すぎるほど攪乱できる。ただし、この香りにお前たちが惑わされれば意味がない。だから飲ませているの」

「紅玉の部下たちは平気なのか? 奴らにも瑠璃の魅惑は効くようだが」


 銀星の問いに、金剛は微笑みを浮かべる。


「彼らは平気よ。お前たちや胡蜂どもとは違って、真の自由を奪われているもの。そして、紅玉は私の蜜薬にすっかり慣れている。心配はいらないわ」


 そう言って、金剛は手元に近い瑠璃の杯をそっと取ると、残っている蜜薬の香りを確かめた。

 色気あるその仕草に瑠璃は一瞬だけ見惚れてしまった。初めて出会った時に、彼女を月花だと信じ込んだときのことを思い出してしまったのだ。

 沈黙と共に漂うのは濃厚で危険な蜜の香り。だが、金剛は気怠そうにため息を吐き、杯を置いてしまった。


「私の蜜薬は強力よ。花蜜さえ手に入れば、相手の自由を奪えるのだもの。でもね、万能というわけではないの。蜜薬の効果は手に入る素材によって変わる。ただの精霊相手で使うならば、花の精霊を喜ばせて手に入る花蜜だけで十分よ。でも、相手が大精霊となれば話は別になる」


 そして、金剛は立ち上がった。蜜薬が造られ、貯められている部屋を歩き回る。飾られるように並べられた花の精霊たちの亡骸の前を通りがかり、そして、ふとその一体――白珠に少し似ている月花の娘の髪に触れた。


「そもそもこの力はね。月の女神が月花に与えた神力よ」


 金剛は語りだす。


「その当時の女神が意図したかどうかまでは伝わっていないけれど、この力で作られる魔法薬も花の精霊の肉体に依存している。月花であれ、肉食花であれ、私が花の精霊ならば、手間はいらない。今すぐに強力な蜜薬を生み出し、胡蜂の女王相手だろうと簡単に手に入れることが出来たでしょう。けれど、私は花蟷螂。本物の花ではない」


 そして、すっとその手を花の亡骸の腹部へと滑らせた。

 糸で閉じられたその中身は空っぽである。そのことを思い出し、瑠璃は眉をひそめた。


「だから、私のような継承者は花の精霊を捕らえて素材にする。必要なものは蜜だけじゃない。より強力な薬を造るためには、もっと魔力の源となる素材――臓器が必要なの」


 瑠璃は震えた。

 並べられている花の亡骸の中に朱花がいる。今でこそきちんと服を着せられているが、殺されたばかりの彼女の姿は今でも思い出せた。

 捕まったその日に見せられたのは変わり果てた友の姿だった。生きていた頃と変わらず、顔や肌はとても美しい。しかし、眼球はくりぬかれ、内臓は全て抜き取られていた。朱花だけでなく、ここに飾られている花の亡骸たちはすべてそうなっている。

 ともすれば、白珠だってそうなっていたかもしれないのだ。


「大精霊を相手できる蜜薬はまだ残ってはいる。けれど、新しく造ることは出来ない。白珠を殺すわけにはいかないもの。だから、私が使うのは並みの精霊たちや未熟な大精霊たちに効く蜜薬が基本となる。成熟した大精霊たちにも通用する特別な薬は、ごく少量を隠し持つ程度。万が一、翡翠自らが攻めてくるようなことがあれば使うことになるでしょうね」


 金剛の言葉に、銀星は荒々しく部屋を見渡し、蜜薬の貯められた壺を確認した。


「……つまり、ここにある蜜薬を守れるかという事も重要なわけだな」

「そうね」


 冷静に金剛は返す。


「とても重要よ。蜜薬やその元となる素材がなければ、私は無力よ。花蟷螂としての素の力では、胡蜂数名の命を奪うので精一杯でしょうね」


 自虐気味に金剛は笑った。

 その力ない笑みに、瑠璃はこの上なく不安を感じた。何故、蜜蜂の女王の次に狙われる可能性が高いと金剛自身が考えていたのか、少しだけ理解できたのだ。強力な力でありながら、大きな弱点を抱えているのだ。それを翡翠は知っているのだろう。


「もっとも、ここまで踏み込まれるような時は、すでに敗北が決したとき。私や紅玉も生きてはいないわ」


 銀星は静かに納得する。瑠璃もまた、同じだった。


 この戦いには生きるか死ぬかが掛かっている。いかに準備を重ねたとしても、本番で上手くいかなければそこで終わりだ。

 死は恐ろしい。その意識は変わらない。だが、瑠璃は感じていた。前よりもその恐怖はだいぶ薄れた。これが、金剛の言っていた恐怖心を誤魔化す効果なのだろう。

 金剛は静かに笑みを浮かべ、美しい眼差しで花の亡骸の一体一体を愛でながら呟いた。


「最初はひとりでやるつもりだった。隙を見て兵を奪い、抵抗するつもりだった。素直に降伏した方がいいと頭の片隅で思っても、私の尊厳がそれを許さなかった。古くから親しくしてくれた紅玉が守ってくれると申し出てくれて、その後、お前たちが手に入った。けれど、私自身は決して強い存在なわけじゃない。お前たちはがっかりするでしょうけれどね」

「がっかりは、しないわ」


 瑠璃は思わずそう言った。だが、金剛は微笑んで適当に流すだけだった。

 綺麗に並べた花の精霊の一体一体の埃を払って、寂しげな眼差しを送っている。彼女のそんな姿はもう何度も目にしてきた。少なくとも瑠璃にとっては、月花に似ている姿であるせいかとても切ない姿に見えた。


 ――恐ろしい捕食者のはずなのに。


 金剛は花の精霊たちを見つめながら呟く。


「翡翠とのことがなければ、この子たちは死なずに済んだかもしれないわね」


 それは、いつまでも瑠璃の頭に残る言葉だった。


 金剛の部屋を追い出され、瑠璃は銀星と共に無言で歩んでいた。

 地下では白珠が待っている。きっともう眠っているだろうけれど、無性に抱きしめてやりたかった。銀星の方は相変わらず不機嫌そうな表情で歩いていた。常に神経質に周囲を見つめ、夜風を感じている。そんな彼女の後に続いて、瑠璃もまた音をたてないように歩いていた。


 花畑まで来ると、月の光で地面が輝いていた。小さな精霊たちも飛び回り、辺りを照らしている。幻想的な光景だったが、それに浸るほどの余裕は瑠璃には全くない。素通りしようとしたその時、銀星がふと足を止めた。驚いて瑠璃も立ち止まると、銀星はそっと振り返り、小声で訊ねてきた。


「君はどう思う? 金剛の事を」

「どうって?」


 訊ね返すと、銀星は月を見上げて腕を組み始めた。


「私はここに来てまだ日が浅い。捕まったその時は、彼女の事を自身の生存のみを優先する血も涙もない捕食者としか思えなかった。だが、最近は少しその印象が崩れてきている。おそらく悪い意味で」


 そして銀星は周囲を見渡し、気配を探る。

 誰もいないことを確かめてから、彼女は瑠璃にのみ聞こえるほどの声で囁いた。


「金剛はいかにして生き延びるかではなく、いかにして死ぬかを探っているのではないだろうかと感じたんだ」

「え?」


 それは、瑠璃がこれまで思ってもみなかった考えだった。


「まさか。だって、彼女はこの戦いに勝つために前々から準備を重ねてきたのよ。私や白珠を捕まえて、あなたの動きを慎重に監視してまで。それが死ぬ為だなんて、そんなわけないわ。あんなに勝利を手にしようとしているのに」


 捕まって以来、金剛はいつだって全力を尽くしていた。

 胡蜂たちの動きを瑪瑙に監視させ、紅玉の狩りを見送り、白珠を使ってたくさんの獲物を捕らえていた。美しい未来を約束してくれた金剛の表情を思い出すと尚更、同意できない。


「そんなこと、思えないわ」


 瑠璃は頑なに否定した。

 だが、銀星は空を見上げたまま呟くように言った。


「勿論、彼女が無駄死にしようとしているなんて言わないさ」


 とても静かな声だった。


「ただ、彼女を見ていると感じたんだ。全力で迎え撃ち、支配に抗おうとしているけれど、もしもその力が及ばないと判断したら、あっさりと自分の命を手放そうとするのではないかって」

「そんな――」


 瑠璃は否定しようとした。だが、続く言葉がすぐには出てこない。


 そういえば、と瑠璃は感じたのだ。戦いたいと訴えた日。金剛に誓った三つの約束のうちの一つを。もしも彼女が敵に拘束されたら、助けずに逃げること。


 ――お前たちの感情の在り方に関わらず、強制的に従ってもらう。


 いざとなれば、彼女は自分を見捨てさせるつもりでいる。

 まさか、そんな状況が起こるなんて瑠璃は本気で思っていない。だが、銀星の言葉に怖くなった。もし、胡蜂たちに囲まれたら、金剛は最後まで諦めずに抵抗するだろうか。


「あり得なくは、ないのかしら」


 その言葉に、銀星の視線が下りる。その澄ました顔に瑠璃は訊ねた。


「仮にそうだとして、あなたはどうするつもりなの? 金剛が強い存在じゃないとしたら、仕えるのをやめて逃げ出すの?」

「逃げ出せたら、そうしていたのかな」


 しかし、銀星はすぐに首を横に振った。


「いいや。やっぱり違う。私はもともと死んでいたはずだった。黒曜さまを奪われ、国を滅ぼされ、生きる意味なんてないに等しい。傷も深くて、死を待つばかりだった。でも、せめて最期に、白珠にもう一度会いたくて、その一心で、ここまで来たんだ。それだけのはずだった。――それがまさか、復讐の機会を与えられるなんて」


 銀星はそう言って、軽く笑う。


「金剛は女王の代わりにはならない。それでも、今の私が仕えるべき相手には違いない。私の復讐が彼女の勝利に繋がるのならば、全力で尽くすだけだ」


 ちらりと瑠璃を見やり、銀星は笑う。


「だから、私は逃げ出さないし、この機会を無駄にしない」


 そして、その手をそっと握りしめ、優しい口調で訊ねた。


「そういう君はどうなの、瑠璃?」

「私も、同じよ」


 瑠璃は答えた。手を握り返し、その目に訴えかける。


「逃げ出したりしない。見捨てたりもしない。だってね、金剛は約束してくれたの。ここを平和な国にするって。月花や胡蝶が安心して繁栄できるような場所にするのだって。紅玉さまもそのつもりで金剛を支えようとしているの。本当はどう思っていたのだとしても、私はその約束を信じたい。信じて、彼女の勝利を引き寄せたい。その為になら命だって懸けられる」


 それは、以前ならば抱きもしなかった覚悟であった。


 精霊の世界において賢いということは危険を避けて長生きするということ。死の恐怖に立ち向かわず、回避を続けることこそ瑠璃にとっては大事なことのはずだった。

 しかしそれは自由を約束された者の特権だ。理不尽に巻き込まれてしまった以上、どんな形であれ危険は避けられない。となれば、もう逃げ隠れするのは終わりだ。もっとも大事な宝を守るためには、胡蝶として出来る全ての力をかけて戦うしかない。


 それが瑠璃の本音だった。


「そうか。それなら、私たちの志は同じと言えるな」


 銀星はそう言って、その拳を瑠璃の手の甲にぶつけた。


「共に戦おう。互いの目的のためにも」

「ええ」


 瑠璃はぶつけ返し、強く肯いた。


 月光の下でひっそりと二人は誓いを確かめ合う。他種族ながら、少しは心が通い合ったかもしれない。銀星の美しい眼差しを見つめながら、瑠璃はそう感じていた。


 だが、そんな時のことだった。


「敵襲! 敵襲だ! みんな、起きて!」


 何処からともなく静寂を貫く叫び声が響き渡った。瑪瑙の声だ。瑠璃は気づき、そして聞きなれない言葉にわなわなと震えた。敵襲。つまり、ここを害する者の襲撃だ。

 銀星が素早く身を翻し、周囲を窺った。ほぼ同時に、誰もいなかったはずの居間に次々に精霊の姿が現れた。紅玉の手駒たちである。皆、一点を見つめている。地上にと壁に大小の出入口のある方角。裏口とは逆の、正面玄関となる場所。誰もが身構え、飛べる者は飛んで遠方を眺め始めた。


「間違いない。胡蜂どもだ! こっちに近づいてきている!」


 誰かの声が響き、瑠璃はいよいよ緊張を高めた。

 銀星がそっと瑠璃の手を握った。後方の壁へと導き、囁いた。


「敵が見えたら、あとは練習通りに」


 その言葉に頷いた時、瑠璃の耳に音が届いた。空気の振動、大地の震動。足音というよりも、羽音と言った方がいい。どんどんこちらへ接近しているその音に、全ての精霊が身構えだした。


 とうとう戦いが始まる。

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