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19.王国の滅亡


 きたるべき時が来た。

 白珠は真っ先にそう思った。


 それは、金剛の命令に従って銀星の訪れを待ちわびていた末のことであった。

 彼女がよく通りかかる場所は決まっている。逢瀬を重ねるうちに、いつの間にかその辺りが彼女との待ち合わせ場所となっていた。


 待ち合わせ場所にある深い藪は、白珠の目立つ体を隠してくれる。蜜の香りも出来る限り外に漏れないようにしてくれる。それでも、白珠の味と香りをすっかり覚えた銀星は、藪をかき分けて見つけ出してくれるのだ。

 そのため、銀星以外の精霊たちに用のない日は、藪の中で見つけてもらうのをじっと待つことにしていた。


 銀星に見つかった瞬間は、気分が高揚し、早く蜜を吸われたくなってしまう。その欲望を必死に堪えて客用の食堂までどうにか連れて行くため、ようやく唇を重ねられた瞬間の喜びはすさまじい。その後のことは何も考えられないほどだった。

 彼女に蜜をあげるその間だけは、騙しているという罪悪感やいつかこの関係も終わってしまうのだという絶望感からも解放された。


 ただ、ここ二、三日ほど、銀星は白珠の前に現れなかった。

 金剛の命令で、出来る限り待つようにと告げられたが、覚えてしまった銀星の足音すらも聞こえてこない。待てば待つほど、白珠は不安になっていった。


 ――やっぱり来ないのかしら。


 白珠はそう感じつつも、大人しく藪の中で待ち続けた。

 今日は日が暮れるまで待てというのが金剛の命令だ。しかし、主人の命令など関係なく、白珠は待ち続けたかった。頭に浮かぶ恐ろしい予想が外れていると信じたかったのだ。

 白珠は待ち続けた。外敵のことはあまり考えていなかった。なぜなら、今この瞬間も金剛や紅玉の部下たちが見守ってくれているはずだからである。


 だからだろうか。

 いつの間にか、白珠の危機感は衰えていた。銀星が来るのか、来ないのか。頭の中にはそれしかない。いつものように健康的な美しさを宿した銀星が、優しく見つけてくれることばかり期待していたのだ。


 それがあまりに甘い考えだったと気付けたのは、風向きが変わったときのことだった。


 ――この臭いは……?


 不安に思いつつ、白珠は周囲を窺う。見守ってくれているはずの紅玉の手下たちは動かない。だが、ざわめきのようなものを白珠は繊細にも感じとった。

 直後、藪をかき分ける者が現れた。手慣れた手つきで、だが、焦燥した様子で。白珠は緊張し、身を縮めた。血の臭いがする。蜜食精霊たちが醸し出す匂いではない。


 そして、あっという間に彼女は現れた。

 その者と目が合った瞬間、白珠は驚愕した。


 ――銀星!


 それは、待ちわびていた人物だった。

 しかし、いつもとはだいぶ違う。望んだものとは大きくかけ離れた姿で、銀星は会いに来たのだ。


「白……珠……」


 間違いなく白珠を見つめると、銀星は笑ってそのまま力を失った。


 その姿は血だらけだった。


 白珠は悲鳴をあげそうになった。だがすぐに我に返り、必死に堪えた。ここで叫んでも、銀星の傷が癒えるわけではない。慌てて白珠は立ちあがり、倒れそうになる銀星を必死に支えた。

 傷は塞がっていないらしい。今も体液が漏れ続けている。


「どうして……」


 泣き出しそうな顔で、白珠は嘆く。


「どうしてこんな――」


 か弱い力で必死に支え、白珠は狼狽えていた。

 銀星の視点は定まっていない。傷だらけで、血だらけ。そんな状況で会いに来たのだ。美しく輝いていた髪も体液で汚れ、身体はぼろぼろだった。腕も足も取れていないのが奇跡的なほどに弱っている。


 ――どうしよう。どうしたらいいの。


 銀星を支えて、白珠は周囲を窺った。客用の出入り口はすぐそこだ。だが、ここから寝室までは、かなり遠い。


「……白珠……会えて嬉しいよ」


 途絶えそうな意識の中で、銀星は呟いた。


「銀星……ああ、銀星! 大丈夫? しっかりして……」


 泣き出しそうになりながら、白珠は必死に語り掛けた。

 しかし、追い打ちをかけるように、銀星はそのまま気を失ってしまった。


 ――どうしたらいいの。どうしたら……。


 途方に暮れ始めたその時、待ちわびていた助っ人が現れた。

 紅玉の部下たちではない。金剛そのひとだった。


「落ち着きなさい」


 静かにそう言われ、白珠は頷いた。


 金剛は銀星の身体を軽々と背負うと、そのまま無言で歩みだした。白珠はそれに続き、そして不安を感じた。中に運ぶのはいい。だが、銀星はどうなるのだろう。死にかけている彼女を生かしてくれるなんてことがあるだろうか。最悪の未来が頭をよぎり、白珠は覚悟するしかなかった。


 長い通路を抜けると、花畑が現れる。

 柔らかな土の上まで行くと、金剛はそっと銀星を寝かせ、そして白珠に命令した。


「ここで様子を見ていなさい。目を覚ましても、起き上がらせないで。この人の命を救いたかったらね」

「魔女さま、あの――」

「質問は後よ」


 冷たくそう言い残し、金剛は立ち去ってしまった。残された白珠は銀星の手を握った。

 息はしている。手は温かい。体液は流れていたが、今すぐに死んでしまうということはないだろう。――ないと信じたい。信じるしかない。

 白珠は祈り続けた。


 ――月の女神さま、どうかまだこの人の命を森に返さないで。


 その時、銀星の手に力が戻った。


「……ここは?」


 口が動き、白珠は飛びつくように答えた。


「お家の中よ。壁に囲まれている安全な場所」


 安心させるためにそう言ったが、後ろめたい気持ちが残る。大丈夫なわけがない。何から逃げてきたかは分からないが、別の脅威がここにはある。

 そうとも知らず、銀星は白珠の手をぎゅっと握り、力なく笑った。


「ありがとう」


 彼女が礼を口にしたその時、紅玉の部下である蝗の男が杯を手に近寄って来た。銀星の視界に入らない場所から、出来るだけ音を立てぬように白珠に近寄ると、杯を渡して小声で伝えた。


「金剛様がこれを飲ませよとの事です。すぐに傷は癒えましょう」


 かなり声は絞られていたが、すぐに銀星の瞼が開かれた。


「白珠……そこに誰かいるの?」


 慌てて杯を受け取ると、白珠は銀星を覗き込む形で答えた。


「なんでもないわ。それよりも、これが見える?」


 杯を掲げ、白珠は言った。


「これを飲んで。傷を癒す薬よ」

「……薬?」


 怪訝な顔をする銀星に、白珠は必死に笑いかけた。


「蜜で出来たお薬なの。少しだけでも飲んで」


 蝗が姿を消していることをさり気なく確かめてから、白珠は銀星の身を起こし、杯をその口元へと近づけた。

 抵抗はあったようだが、銀星は恐る恐る飲み始める。やがて、その味に引き寄せられたのか、自ら杯を持つと一気に飲み干してしまった。


「とても甘い……」


 呟いた直後、銀星の瞳が段々が大きくなっていく。顔色は一気によくなり、呼吸も安定していっているのがよく分かった。その様子に白珠はほっとした。あの蝗が言った通り、きちんとした薬だったらしい。

 なんて言ったって、花の魔女の薬だ。普通の精霊では諦めざるを得ない傷でも治せるものだったのだろう。


「これで、もう大丈夫。死にはしないわ」


 一息ついて、白珠は杯を受け取った。

 銀星はいまだに我が身に起こったことを理解できていない。傷の痛みも引いたのだろう。もう苦しそうな表情を見せることもなかった。

 しかし、変化はそれだけではないだろう。安心した直後、白珠は大きな罪悪感に顔を歪ませた。


 銀星は自分の手を見つめ、不思議そうに呟いた。


「この薬は――」

「魔法の薬よ」


 答えたのは金剛本人だった。


 彼女は蜜薬がたくさん眠る貯蔵庫からゆっくりと近づいてきた。その姿を見て、銀星は首を傾げる。蜜蜂の目にもすぐにはその正体を見抜けなかったらしい。

 だが、その眼差し、その表情から伝わる雰囲気に物々しさを感じたのだろうか。すぐに彼女は起き上がり、白珠を庇おうと身構えた。


 薬の効果を感じ、白珠は驚いた。同時に、罪悪感も強まった。

 金剛の蜜薬はそれだけ効果が高い。命を救う効果があろうと、最大の目的は別の所にあっただろう。銀星はそれを飲み干してしまったのだ。

 白珠は項垂れながら、銀星の背中を見つめた。


「お前は……月花じゃないな?」


 勇ましく問いただす銀星に向かって、金剛はにこりと笑う。


「ええ、そうよ。勘が良いようで何よりね。ただの働き蜂にしておくにはもったいない」

「余計なお世話だ。私はただの働き蜂――いや、もう働き蜂ですらない。今はもう帰る場所も仕える者もない虫けらだ。死を待つだけの役立たずさ」


 ――帰る場所がない?


 白珠はじっと銀星を見つめた。そして、深手を負った彼女の有様とその言葉の意味をすぐに理解し、ぞわぞわとした恐怖を感じ始めた。


 一方、金剛は少しも動じない。

 すでに把握していたとでもいうように、冷静に銀星を見つめていた。


「その深手は胡蜂どもというわけね」

「お前には関係ない」

「いいえ、関係あるのよ」


 落ち着いた様子で返すと、金剛は目を細めて命じた。


「質問に答えなさい、銀星」


 すると、銀星はびくりと震えた。

 目を見開き、金剛の姿を見つめ、恐れをなしたように抵抗しようとする。だが、抵抗らしい抵抗もできず、混乱したまま彼女は口を開いたのだった。


「――ああ、その通りだ」


 そして、額を抑えると、ゆっくりと白珠を振り返った。


「白珠……一体、何を飲ませたんだ?」


 責めるようなその目が辛くて、白珠は俯いた。


「ごめんなさい……」


 謝る事しか出来なかった。

 そんな彼女に、銀星は目を見開いた。


「まさか、君は――」


 声を震わせ、少しずつ怒りを溜めていく。

 その目を見ることが出来ず、白珠は必死に頭を下げた。


「ごめんなさい。わたしにはこうするしかなかったの……」


 その姿に、ますます銀星の感情は高ぶった。


「この――!」


 今までの優しい声とは似ても似つかぬ叫び声をあげて、銀星は片手を振り上げた。殴られる。白珠はすぐに覚悟を決め、じっと待った。

 だがそこへ、鋭い声がかかった。


「やめなさい!」


 金剛の一言で、銀星の手がぴたりと止まった。


「誰が殴っていいと言った? その子は私の月花。お前のものではないわ」


 銀星は悔しそうに唸りながら白珠を睨みつける。


 白珠は俯き、肩を震わせえた。憎しみが信じられないほど伝わってきた。

 嫌われて当然だ。騙したのだから。けれど、納得できたとしても、とても悲しかった。優しかった彼女が手を上げようとした。守ってくれるほど優しかった相手をここまで傷つけてしまった。そして、殴られずに済んだことがさらに辛かった。いっそ、殴ってもらった方が楽だっただろう。こうして殴られずにこうして睨まれ続けるくらいならば。


 ぴりぴりとした空気が白珠と銀星の間に広がる。そんなふたりの元へ、魔女はゆっくりと歩み寄った。


「そう取り乱さないで、銀星。私はただ話を聞きたいだけ。あなたの故郷で何が起きたのか。それが胡蜂どもとどう関係があるのか。――知りたいの」


 そしてあっという間に割り込むと、金剛は銀星とだけ目を合わせた。


「何があったか全て教えなさい」


 銀星は震えながらそれに従った。


 その口から語られるのは、恐ろしい精霊世界の現実であった。

 今朝までは確かにあった秩序が崩れていく恐怖。破壊と略奪に徹し、一つの王国を滅ぼす胡蜂たちの恐怖。耳を澄ませると恐ろしい羽音が聞こえてくるような臨場感ある証言だった。


 白珠は隣で聞きながら、震えあがった。


 来るべき時が来た。

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