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17.愛する存在


 ぴりぴりとした空気が流れている。

 銀星を表まで見送りながら、白珠は敏感になっていた。美しい蜜蜂の戦士は、魔女に監視されていることも知らず、優しい笑みを白珠に向ける。

 彼女を食料とするか、生きた奴隷とするかで金剛は迷っているらしい。それならばせめて、後者であって欲しい。白珠は常々、そんなことを感じていた。


 騙していたことで、銀星には憎まれるかもしれない。だとしても、彼女の命は守られる。

 銀星がいかに女王や姉妹たちを大切に思っているかは白珠にもよく伝わっていた。そんな彼女から王国に戻る自由を奪う。それがどんなに身勝手なことだろう。

 それでも、どうせ彼女も金剛の手からは逃れられないのだと思うと、奴隷であっても生きていて欲しかった。


 ――わたしは残酷なのかしら。


 そんな葛藤を抱いていることも知らず、銀星は今日も優しく白珠の手を握っていた。客人用にと金剛が作った出入り口まで案内すると、外まで見送ろうとする白珠の頭にそっと手を置いた。


「ここまででいい。外は危険だから」


 愛を感じるその声に、白珠は嬉しさと罪悪感でいっぱいになった。

 今の瞬間も、銀星は気づいていないのだ。目の前にいる月花がとんでもない裏切り者だということを。だが、どんなに心が痛んでも、真実を話すわけにはいかなかった。


 この場もまた誰かに監視されている。金剛本人か、あるいは、身を隠すのが上手い紅玉の隷従たちに。

 見張り役は日に日に増えている。紅玉が毎日のように手駒を増やしているからだ。だから、外に顔を出したところで誰かが攫えるはずはない。銀星が心配するような事態は起こり得ないだろう。

 だが、白珠は大人しく肯いた。


「分かった。ありがとう。あなたも気を付けて。とくに胡蜂たちには――」

「うん。分かっているさ」


 そして、銀星はそっと屈んで白珠の唇を奪った。柔らかいその感触に、白珠の欲情が呼び覚まされる。


 銀星を初めて食事に誘ったのは、もうずいぶん前の事だ。

 彼女はとにかく運が良かった。食糧庫もだいぶ満ちた頃にやってきて、尚且つ、金剛がもっとも関心を寄せる蜜蜂王国の働き蜂であったため、今日まで生かされ続けている。

 この立場はしばらく崩れないだろう。それだけに白珠は辛かった。肌を重ねた回数だけ、愛着が湧いてしまっていることはいつだって自覚させられる。


 唇を離すと、銀星はにこりと笑って白珠の頬を撫でた。


「またここで君に会えるのを楽しみにしている。だから、くれぐれも他の蜜食精霊たちには気を付けて。誘う相手はしっかりと見極めてね?」

「……そうするわ」


 答えつつ、白珠は俯いた。


 いつもながら、銀星は白珠の身を案じてくる。その優しさが、白珠には辛かった。どうして自分はこんなに優しい人を騙さなくてはいけないのだろう。だが、そうしなければいけない。愛する瑠璃を守るためには、仕方のない事なのだ。

 愛ゆえに罪悪感を殺そうとし、殺しきれないまま苦しむ。その繰り返しだった。だから、白珠はいつも憂鬱そうな顔をしてしまう。そんな彼女の様子に気づき、銀星をはじめ、優しい蜜食精霊たちがさらに優しく接してくるという悪循環だった。


「じゃあ、そろそろ行ってくる」

「行ってらっしゃい。また……会いましょう」

「うん、またね」


 飛び立つ銀星の姿を見送りながら、白珠はしばし心苦しさに震えていた。

 姿がすっかり見えなくなってからも、戻る気になれない。いつまでもその場に留まっていたかった。そんな彼女にそっと近寄る者がいた。紅玉の隷従である蝙蝠の女性だった。


「そろそろお戻りなさい。金剛さまがお待ちよ」


 そっと耳打ちをする彼女の声に、白珠は我に返った。


「そう……ね」


 頷きつつ、それでも動く気になれない。そんな白珠の前に、今度は別の隷従が姿を現した。蜥蜴の男性であり、客用の出入り口の見張りを任されている精霊である。


「見送ったならば長居は無用だ。君の蜜の香りは君が自覚しているよりも濃い。ここで見知らぬ精霊が引き寄せられれば厄介だ」


 そう言って、彼は白珠の肩を掴み、強引に振り向かせる。乱暴な扱いをされてふらつく白珠を、蝙蝠の女性が柔らかく受け止めた。


「さ、行きましょう」


 銀星に負けず劣らず優しく語り掛け、そのまま白珠の手を取って歩き出した。


 手を引かれながら、白珠は不思議な気持ちになっていた。紅玉が来て以来、この住まいには、いきなり精霊が増えた。それも、いつの間にか増えており、それを実感できる機会はなかなかないのだ。

 いつも白珠の周辺警護を任されているこの蝙蝠の女性だって、常に姿を見せてくれるわけではない。危険な時や、今のように白珠がなかなか次の行動に移れないときなどに、ここに居るということを主張する。白珠を振り向かせた見張りの蜥蜴も同じようなものだ。こんな住人が何十名もいる。


 常に紅玉の指示に従って生きている彼ら。しかし、その思考が完全に乗っ取られているわけではない。心もあるし、感情もあるはずだ。それを窺える瞬間は何度もあった。


「ねえ」


 手を引かれ、長い通路を歩きながら、白珠はそっと蝙蝠の女性に声をかけた。


「あなたは怖くないの?」

「何が?」


 蝙蝠の女性は前を見つめたまま訊ね返す。白珠は躊躇いつつも、勇気を出して答えた。


「胡蜂たちのこと」

「ああ、そのこと」


 軽く笑って、蝙蝠の女性は答えた。


「怖いかどうかと言われれば、誰だって怖いわ。冷酷な人たちだもの。特に翡翠さまの娘たちはね。もしかすれば、紅玉さまだって怖いと思っているかもしれないわ」

「逃げ出したいって思わない?」


 小声で訊ねる白珠に対し、蝙蝠の女性もまた声を潜める。


「思わないわ。だって、思う自由すら私にはもうないの」


 そしてふと足を止め、白珠を振り返る。

 視線を合わせるわけでもなく、ただ見下ろして、蝙蝠の女性は白珠に訊ねた。


「あなたはどうなの? 金剛さまを見捨てて離れたいと思うの?」

「わたしには……瑠璃がいるから――」


 そう言いかけたものの、白珠はふと金剛の顔を思い出す。

 今の状況で彼女を見捨てられるのか。囚われたという意識のなかでは考えたこともないことだった。瑠璃を生かすために金剛に協力をしているつもりで、ずっと頑張って来たはずだった。

 しかし、本当はどうだろう。残酷な胡蜂たちに敗北する金剛の姿を想像し、白珠はぞっとした。


 彼女は恐ろしい。けれど、良い子にしていれば優しくしてくれるのは確かだ。必要以上に虐げることはせず、彼女なりに愛してくれる時だってある。

 そんな彼女が敗北するとしたら。恐ろしい胡蜂たちに殺されるようなことがあったとしたら。想像するだけで、白珠は心が痛むのを感じたのだ。

 関わる時間が増えれば愛着が湧く。それは、何もお客だけではないのだと白珠はその時になって気づいた。


 ――わたしは魔女さまを心配している。


 まるで身内のような。いや、もうすでに身内なのかもしれない。白珠はそれを強く感じ、改めて蝙蝠の女性を見上げ、首を横に振った。


「いいえ、違うわ。そうでなくとも、きっと見捨てられない」


 それを見て、蝙蝠の女性は微笑んだ。


「でしょう?」


 再びくるりと向き直り、先へと進みながら付け加える。


「私も同じよ。紅玉さまを裏切ったりは出来ない。でもそれを後悔することもない。そうでなかった頃を思い出せないの。今の私たちにとって、紅玉さまは全てだもの。今の私なら、蜂や蟻がどれだけ女王を慕っているのかが想像できるわ」


 淡々と語る彼女を見上げ、白珠は今一度、金剛の事を考えた。


 これもまた愛と呼ぶべきものなのだろうか。たとえ自然に結ばれたものでなくとも、今のこの気持ちを嘘だと見なすにはあまりにも強引な気がした。

 金剛に死んでほしくない。それは守ってもらえないからだけではない。彼女が敗北すれば、きっと悲しい気持ちになる。その原因が魔法によるものだと自分に言い聞かせたところで、愛着がなくなる気配はないのだ。


 いずれにせよ、白珠は感じた。もう自分は、金剛と切っても切れない関係になってしまっているのだと。瑠璃と二人きりで幸せだった時代は戻ってこない。迫りくる危機を乗り越え、希望を掴むためにも、彼女に従い続けなくてはいけないのだと。

 それがどんな未来に繋がるとしても、自分には選択の余地がない。それを強く感じていた。


 狭い通路が終わり、花畑が見えてくると、そこで金剛が待っていた。

 彼女の姿が見えたからだろう。蝙蝠はあっさりと白珠の手を離して姿を消した。自分の足で近づく白珠を金剛は抱き留め、そして小さな声で囁いた。


「お疲れ様。少し休んだら次の相手を誘い込んで。肉が手に入ったら、今日の働きは終わりよ。地下で瑠璃との時間を楽しみなさい」

「はい、魔女さま」


 その後、白珠は金剛の言いつけ通りに過ごした。


 次に訪れた初見の花虻はひと時の夢の合間に金剛の蜜薬の力で眠らされ、食糧庫へと連れ去られた。あの大きさならば三日ほどの肉が得られる。見送る白珠にはもはや罪悪感が浮かばなかった。そのことに危機感すら抱かなくなっていることを白珠は気づきつつ、焦燥感も生まれないことに静かな虚しさを感じていた。


 何にせよ仕事は終わったのだ。

 白珠は金剛の許しを得て地下へと潜り、言葉を交わす前に愛する瑠璃と抱き合った。緊張の日々の中で得られる束の間の癒し。それが、瑠璃へ夕食を与えに行くことだった。


 紅玉が来て以来、白珠は瑠璃と共に眠ることを許されるようになっていた。どんなに辛くとも、どんなに悲しくとも、どんなに虚しくとも、一日の終わりには瑠璃と触れ合える。その喜びは、日常が暗ければ暗いほど輝いていた。

 瑠璃はいつも必死に白珠の身体を求め、白珠もまた必死に瑠璃の温もりを求めていた。


 ずっと閉じ込められている瑠璃にはもはや、白珠に子を産ませる力などない。だが、そんな彼女に蜜を与える行為を、白珠は決して無駄なことだとは思えなかった。

 自分の蜜が瑠璃を生かしている。愛する人がお腹を空かせて待っている。そして獣の子のように胸に縋り、蜜を求める瑠璃を見るたびに、白珠は幸福を感じていた。


「美味しい?」


 日ごろ、あらゆる蜜食精霊を誘っているせいか、白珠は段々と瑠璃の食欲を受け止めきれるようになっていた。今では余裕をもって彼女の食事を見守れる。かつては彼女に身を委ね、甘い声を漏らしていることしかできなかったことが嘘のようだ。

 だが、瑠璃にだって胡蝶としてのプライドは残っている。ある程度、空腹が満たされると、白珠を優しく寝かせ、その上から覆いかぶさった。


「ええ、とても。強引に飲まされる蜜薬よりもね」


 その材料が白珠のものであることは瑠璃にも分かっているだろう。しかし、純粋な蜜と、花たちの体液と魔女の力が混じった薬とでは訳が違う。

 白珠もまた、金剛によって奪われた蜜を勝手に与えられるよりも、瑠璃に強く求められながら自分で蜜を与える方がずっと良かった。


 甘い香りに包まれながら、瑠璃は白珠の上で寝そべり始めた。さほど重さを感じさせない胡蝶の身体であっても、抑えつけるように乗られている以上、自由には動けない。だが、その窮屈感までも、白珠には嬉しく感じられた。

 どんなに花を愛でるのが得意なお客であっても、瑠璃以上の人物はいない。愛着を抱いてしまった銀星であったとしても同じだ。こんな状況にあっても、瑠璃は白珠にとって常に一番の存在だった。


 瑠璃は白珠の肢体にそっと手を這わせながら問いかけた。


「今日はどんな精霊と関係を持ったの?」


 不意にそんな質問をされて、白珠は口ごもった。出来ればその話は忘れたい。

 だが、瑠璃の眼差しはそれを許してはいなかった。戸惑う白珠をじっと見つめ、首筋に汗と共に浮かび上がる蜜を舐め取ってから、妖しく囁いた。


「躊躇わずに教えて」


 白珠よりもずっと自由のない瑠璃だが、二人の関係はいつだって同じ。白珠は瑠璃を見上げ、それを感じていた。こんなに魅惑的な人に逆らう事なんて出来るはずもない。震えた声で白珠は答えた。


「常連の蜜蜂と、初めて会う花虻だったわ」


 そこへ命令に従ったご褒美とばかりに口づけが与えられる。甘美な感触を味わいながら、蜜を奪われる悦びにしばし浸る白珠を、瑠璃は撫でてやりながら言った。


「どちらも花の扱いに長けた御方々ね。それで、気持ちよかった?」


 意地悪な問いに苦痛を覚えつつも、白珠は素直に認めた。


「――よかったわ。少なくとも蜜蜂の方は」


 円満に始まり、円満に終わったからでもあるが、それだけではない。何度か肌を重ねるうちに、向こうも白珠の身体を覚えてしまっているのだ。


「常連ならば当然ね。何度通ったかなんて覚えていないけれど、あなたが子を産むとしたら、彼女が運ぶ胤かもしれない。でも、これだけは言わせて。私の方があなたを知っている。あなたがどうすれば悦ぶのかを分かっている。今宵はその蜜蜂以上の想いをさせてあげる」


 そして、食事の域を超えた触れ合いは始まった。


 愛を確かめ合い、二人は時間を忘れていく。白珠は夢中になった。囚われの身であることも、恐ろしい危機が迫っていることも、そのために日々、恐ろしい罪に加担させられているという現実も、この時だけは忘れられる。それが何よりの甘美だったのだ。

 楽しみの果てに、白珠は夢うつつの中で瑠璃に声をかけた。


「ねえ、瑠璃」


 手を握り、互いにそこにいることを実感しながら、白珠は問いかける。


「瑠璃は魔女さまのことが好き?」


 その言葉に瑠璃が軽く息を飲む。何度か白珠の手を握り返すと、しばらく答えを探して沈黙してからようやく答えた。


「……分からないわ。とても憎んだ日だってあったはずなのに、どうしても思い出せないの」


 蜜薬を飲んでいるのは瑠璃も同じだ。白珠はその心身に寄り添った。瑠璃は片腕で額を抑え、地下室の天井を仰ぎながら呟く。


「だって、金剛は約束してくれたのよ」


 恍惚とした様子で彼女は語る。


「平和が来たら、月花と胡蝶の繁栄できる世界を見せてくれるって」


 泣き出しそうなその声に、白珠も胸がきゅっと痛くなる。


 かつて、ここは夢の場所だった。二人きりでひっそりと国を築くことを楽しみにした。そのために瑠璃に従うことは少しだけ退屈で、窮屈なことが多かったかもしれない。

 あの日々に比べたら、白珠の行動範囲は広がった。それなのに、ちっとも楽しくない。

 二人で目指した未来を改めて見せてくれると金剛は約束してくれたのに、どうして寂しい気持ちになるのだろう。いくら考えても、白珠にはよく分からないままだった。

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