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16.異種族の二人


「驚いた。胡蝶の奴隷だったとは」


 瑠璃と視線を合わせながら、蜻蜓の男はそう言った。

 紅玉という名前を聞いて、瑠璃は恐怖にじっと耐えていた。彼こそが金剛の言っていた味方。大精霊であり、この先の未来を左右すると言っても過言ではない存在だ。白珠との未来を守りたいならば、機嫌を損ねてはいけない相手である。

 だから、瑠璃は耐えた。今まで絶対に近寄らなかった蜻蜓であろうと、触れようとするその手を受け入れた。頬を撫でられながら、瑠璃は震えを必死に堪えていた。肉食精霊ひとりであっても見つめられるのは怖いのに、これからは二人に増えるのだ。


 ――従順でいれば、食べられたりはしない。


 必死に自分に言い聞かせながら、瑠璃はじっとしていた。


「俺だったら我慢できずに食っているところだが、なるほど、飼うというのは君らしい楽しみ方だ。いったいどうしてこんな気まぐれを?」


 揶揄うように紅玉は金剛を見やる。

 だが、金剛は非常に落ち着いた態度で答えた。


「別に気まぐれじゃないわ。居間にいたあの月花を従わせるためよ。この子――瑠璃はね、白珠の恋人なの」

「恋人?」


 高笑いしながら紅玉は瑠璃をまじまじと見つめる。胡蝶ならではの端麗な顔立ちとしなやかな肢体を舐めるように眺めてから言った。


「なるほどね、つくづく君も残酷なものだ。領地を守るためならば、多少の犠牲は厭わない。美しい冷血の魔女。いつもながら感心するよ」

「それはお互い様ではなくて? 肉食精霊に生まれた者には避けられないことのはずよ、紅玉? あなたの領地の噂も耳に入るわ。蜻蛉の王という大精霊は、平和を守るためには、たとえ忠実な隷従であろうと犠牲にする厳しい御方なのだとか」


 金剛の言葉に、紅玉は笑みを浮かべる。


「もちろん、他人の事は言えない。それに、感心しているのは本当の事だよ? 久しぶりにワクワクする持て成しだ。俺の中にいる隷従たちも興奮している。何しろ、肉食精霊が多いものでね」

「そう。それじゃあ、今宵は貸してあげるから楽しみなさいな。ただし、くれぐれも怪我はさせないで。食べるなんてもっての外よ。丁重に扱うことを約束してちょうだい」

「約束させよう、隷従どもにな」


 そう言って紅玉は立ち上がり、そのまま金剛へと迫った。

 瑠璃は恐る恐る二人の様子を見守った。味方とは聞いているが、いったいどういう関係なのか。それをなんとなく探っていた。

 紅玉に手を握られつつも、金剛はやはり冷静な態度で訊ねる。


「あなたは約束してくれないつもり?」


 その問いに、紅玉は低く笑った。


「もちろん、承知したさ。だが今日の所はこの特別なお楽しみは隷従たちだけに譲ろう。なあ、金剛。せっかく久しぶりに会えたんだ。今宵は君と過ごさせてほしい。ふたりきりで朝までじっくりと」

「そうね、じっくりと……話し合いをしなくてはね」


 金剛の釣れない態度に、紅玉はため息を吐く。


「相変わらずだな、君は。まあいい。話し合いを重視するのは正しい。胡蜂どもの動きはいかなる時も見逃せないからな」

「あなた側では何か気になる動きがつかめたりした?」


 金剛の問いに、紅玉は首を横に振る。


「――いや、待てよ。少しだけあったな。蜜蜂王国の話だ」


 その言葉に、瑠璃はそっと関心を向けた。


「ついこの間、蜜蜂王国の現女王である黒曜こくようが次期女王候補の姫君全てに魔力を継承させたらしい。恐らくは胡蜂どもの動きを恐れての事と見えるが、どうやら姫君たちに同年代の姉妹たちで構成した隊を与え、もともと旅立つ予定の王子と一緒に新天地を目指させようとしているらしい」

「消極的な判断ね。きっと、もしもに備えての事でしょう。王国が崩壊しても、その血と神聖な力の継承が途絶えることのないように」


 金剛の言葉に紅玉は頷き、腕を組む。


「だが、胡蜂にこの情報が伝わっていないはずはない。翡翠はどう判断するだろうね。狙っているのは黒曜だけなのか、彼女の持つ全てなのか。どのタイミングで蜜蜂どもを襲うつもりなのか。そして、その次は誰の番なのか……」

「誰にせよ、チャンスは今のうちよ。魔法薬も食料も溜め込んではいるけれど、そろそろ私も狩りに行かなくては。私の手駒は小鳥に、胡蝶に、月花。これだけでは――」


 ため息を一つ吐いてから、金剛は呟く。


「戦える相手がもっと欲しい。出来れば肉食精霊にどうにか蜜薬を飲ませたいの」

「その必要はない」


 そこで紅玉がムッとした様子で反論した。


「何のために俺は来たと思っている? 駒集めは俺の仕事だ。君はこの要塞のなかで食料を用意していてくれればいい。何も危険な外へと繰り出すことはない」


 そして、笑みを取り戻し、金剛に申し出た。


「何なら、蜜薬は俺が借りようか。君の代わりに奴隷を捕まえてこよう」

「そうして貰えたら何よりだけどね、生憎、あの薬は私か私の後継者にしか使えないの」


 そう断ってから、金剛は肩を落とす。


「白珠の少ないお客の中から食料と奴隷を選別しろっていうの?」


 冷たいその口調が、瑠璃には印象的だった。だが、紅玉を見つめる金剛の眼差しは、花蟷螂であることを忘れてしまうほど美しく、優しい。そして、ただ怒っているわけではない感情が窺えた。

 甘えているようだ。瑠璃はそう思った。対する紅玉の眼差しもまた然り。瑠璃はすぐに二人の関係を察した。この二人の間には、金剛が友人だと主張した以上の絆がある。力を合わせ、胡蜂の脅威に立ち向かうその根底にあるものは、自分と白珠が懸命に生き抜こうとするものと同じに見える。瑠璃はそれを心に留めた。


「どうか機嫌を損ねないでくれ、金剛」


 紅玉は静かにそう言った。


「いかなる相手も捕らえ、あるいは抹殺し、蜻蛉の王と褒め称えられてきた俺にだって怖いものはあるのだ。敗北の影はいつ忍び寄って来るか分からない。常に誰かがこの拠点を守らねば。それは勝手が分かっている君が相応しい」

「そうやって、待つ苦しみを私にだけ味わわせようっていうのね」


 押し黙る紅玉を前に、魔女はため息交じりに言った。


「でも、いいわ。あなたが言うのなら、そうしましょう。拠点を守ることは大事だもの。それに、私の魔術よりもあなたの魔術の方がきっと安定して精霊を集められる。蜻蛉の王と呼ばれるに相応しい成果を楽しみにして待っているわ」

「ぜひ、そうしてくれ」


 嬉しそうにそう言うと、紅玉は今一度、瑠璃へと視線を向けた。

 急に見つめられ、瑠璃は怯えてしまった。被食者として、どうしてもこの眼差しは怖く、反応してしまう。そんな彼女の姿を、紅玉は楽しんでいるようだった。しばし見つめた末に、紅玉は金剛に囁いた。


「ところで、胡蝶を飼った理由は分かったが、ここまで大事に飼っているのはどうしてなんだい? 何しろ、栄養が行き届いた素晴らしい胡蝶だ。単なる足枷ならば、手足の一本や二本を切り落としたって問題ないだろうに」


 嫌らしく笑う紅玉の言葉に驚き、瑠璃はすがるように金剛を見つめた。

 捕まったその日以外で、金剛には命の危険を感じるほどの怪我をさせられたことはない。だが、友人以上らしき関係の紅玉のためならばひょっとして、と恐ろしい考えが頭をよぎったのだ。

 そんな不安に気づいたのか、金剛は瑠璃に目配せしてから、紅玉に答えた。


「極上の獲物を敢えて食べないで置いておく。これも趣の一つよ。それにね、紅玉。この子は長く飼いすぎてしまったの。今は美味しそうという気持ちよりも、可愛がってやりたい気持ちの方が強い。分かるかしら?」


 金剛の言葉に、瑠璃はすぐにほっとした。


 彼女への恐れは消えそうにない。それでも、出会った日からは想像も出来ないほど、関係性は変わってきている。痛めつけられたのは初日だけだった。死を覚悟したのもその時だけだ。

 その後は、ただただ寵愛を受け、恋の季節の悩みも解消してもらえた。自由を奪われ、支配され続けたが、その触れ合いには確かに思いやりがあった。その時の感触を思い出し、瑠璃は密かに赤くなった。


 紅玉は金剛を見つめたまま、首を傾げながら言った。


「へえ、そういうものかね。まあいい。君が悲しむのならば、俺も弁えよう。隷従たちにも絶対に傷つけるなと念を押しておこう」

「ありがとう、嬉しいわ」


 金剛は礼を言い、紅玉に近寄って囁いた。


「紅玉。私はね、この子たちに美しい世界を見せてやりたいの。胡蜂どもを退け、何者にも干渉されなくなったこの場所で、白珠の血筋を広げ、甘い香りに満ちたこの世界で、瑠璃の生んだ卵の育ちを見守りたい。やがて美しくなる胡蝶たちを育てて、旅立ちを見送るのよ。そんな世界を創りたいの」

「か弱き月花と胡蝶の世界か」


 紅玉は静かに呟き、考え込む。


「胡蝶の育成とは、考えただけで涎が出そうだ。……冗談はさておき、悪い夢じゃないな」


 そして真面目な表情をして、紅玉は金剛の手を握り締めた。


「ただでさえ、この辺りでは胡蝶の数が減っている。考え無しの胡蜂どもが羽化する前の蛹をたくさん持ち去ってしまったからね。翡翠の奴は、大精霊のくせに我が子らに限度を教えていないらしい。今後しばらく胡蝶はどうあっても増やさねばならない。食欲を理性で抑え、保護してやることも大精霊としての役目だ」


 すっかり興奮の冷めた様子で紅玉はそう言った。

 瑠璃はそんな彼らを見つめ、茫然としていた。自由があろうがなかろうが、自分よりもずっと強い種族が味方になるということは決して悪い事ではない。むしろ、この二人がかつて自分の望んだ世界を見せてくれるというのならば、願ってもないことだ。


 ――胡蝶と月花の国を作りましょう。


 それは諦めていた未来。暗闇の中で輝く光のようなもの。捕食者に囚われた胡蝶が抱けるはずのない夢。けれど、可能性はまだ潰えていないのだ。瑠璃はそのことを感じ、自分を勇気づけた。


 ――まだ、絶望するような時じゃない。


「さて、そろそろ地上に戻りましょうか」


 金剛が不意にそう言った。


「偵察の子が待っているかもしれないわ。それに、瑠璃も休ませてあげて。緊張でとても疲れているようだから」


 そして、紅玉の背中を軽く押す。紅玉は素直に従って階段へと向かっていった。その背について行き、階段を上る直前で、金剛はちらりと瑠璃を振り返った。


「瑠璃。今のうちに休みなさい」


 命令口調で彼女は言った。


「今宵はきっと忙しいから」

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