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15.蜻蛉の王


 花畑の中心で、白珠は疲れを癒していた。

 今日も精霊の相手をさせられた。相手は蜜蜂王国の戦士を兼任する採集係であり、体つきに恵まれた美しい女性だった。有事には命を懸けて戦うという逞しさもある彼女だが、白珠にはいつも優しく接してくれる温かい心を持っていた。


 銀星ぎんせいという名のその蜜蜂は、金剛が泳がせている獲物のひとりでもある。それが何故なのか、金剛は白珠に教えてくれない。しかし、全く知る機会がないというわけでもなかった。


 花畑の日光を浴びながら、白珠はじっと別の精霊の訪れを待っていた。約束しているわけではないが、きっとここに来るはずだと信じて。

 だが、先に花畑に現れたのは外出していたらしき金剛の方だった。


「そんなところにいたの、白珠?」


 突如呼びかけられ、慌てて振り返った白珠は、そのまま固まってしまった。


 美しく頼もしい主人の姿だけを期待していたのに、その後ろには、見慣れぬ長身の精霊がいたのだ。

 顔つきは精霊らしく美しい。その体つきも、男らしさと繊細さが絶妙に混ざり合った神秘的な姿。しかし、その目だけは白珠にとって美しさよりも恐ろしさを植え付けてくるほど威圧的だった。


 ――肉食精霊だ。


 白珠にはすぐに分かった。

 彼は金剛の背後で白珠を見つめ、にやりと笑った。


「へえ、これが君の言っていた月花の奴隷娘か。なるほど、いかにも蜜食精霊どもが好みそうな弱々しさ。奴らは自分の力に屈服する花を欲しがるようだからね」


 好奇心に満ちたその眼差しに、白珠はすっかり震えてしまった。

 そんな彼女に対し、金剛は冷たい声で呼びかける。


「白珠、いらっしゃい。彼にご挨拶するのよ」


 いつにも増して厳しいその命令に、白珠は急いで従った。

 恐る恐る金剛の手を取って、どうにか彼の前に立つ。男であることを差し引いても、今まで関わってきた蜜食精霊たちよりもさらに大柄である。それ自体が、白珠には脅威だった。


「彼の名は紅玉。ここから少し離れた領地を治める蜻蜓の大精霊さま。蜻蛉の王と尊ばれる御方よ」


 金剛に教えられ、白珠は彼を見上げた。


 紅玉。その名前を忘れてはいない。瑪瑙の裏切りを知ったあの日に聞いた名前だった。自分たちの味方であり、しばらくここに滞在する予定の大精霊。

 緊張気味に、白珠はそっとお辞儀をした。


「初めまして、紅玉さま。白珠と申します。以後、お見知りおきを……」


 震えをどうにか抑えた声だったが、紅玉の機嫌は損なわれなかった。むしろ、怯えている白珠の姿を彼は面白がっているらしい。


「生きた花の精霊を間近で見るのは久しぶりだが、なるほど、蜜食精霊のみならず、人間どもまでもが夢中になるのが納得できる良い香りだ。どれ、もっとよく顔を見せてごらん」


 そう言って紅玉は白珠の顎を持ち、無理矢理持ち上げた。


「なるほど、花などに食指の動かない俺でも愛らしく、そして美味しそうだと分かる。それに、この目。血のように赤く輝いている。まさに良い血の流れる月花の特徴だ。きっと生み出す蜜も、蜜食精霊どもを夢中にさせるのだろうな。白珠よ、くれぐれも俺の胃袋を満足させるような獲物を誘い込んでくれ。君の周辺警護は任せたまえ。相応しい隷従どもを後で紹介しよう」


 そう言って、紅玉は手を離した。


 緊張のあまり、白珠はそのまま崩れ落ちるように地面に座り込んでしまった。その様子を見て紅玉は不敵な笑みを浮かべる。呆れたように金剛は息を吐き、白珠に告げた。


「もういいわ、白珠。日光浴を続けなさい」


 それに従って、這うように花畑へ向かう白珠を見つめ、金剛は紅玉に言った。


「御覧の通り、しがない月花の小娘よ。甘い香りと容姿で他者を誘い、ただ支配されるだけの存在。あなたと違って手に入れた精霊たちを有能な戦士にする力は私にはないの。私に出来るのは、従わせることだけ」

「それで十分じゃないか、金剛。俺の力だって万能ではない。相手を隷従にするためには、心身を痛めつけ、弱らせた上で、屈服させる必要がある。それに比べ、君の魔法薬は嗅がせるだけでもある程度の効果は期待できる」

「ある程度は、ね。きちんとした奴隷にする場合は、飲ませないといけないわ」


 ため息交じりにそう言うと、金剛は紅玉の肩にそっと触れた。


「さあ、続きは向こうで話しましょう。あなたに紹介したい子がまだ二人いるわ。そのうちの一人が地下で待っている」


 ――瑠璃のことだわ。


 白珠は不安に感じながら二人の大精霊を見つめた。


 金剛が毎日、瑠璃と何をしているのか、白珠は何となく知っていた。愛する彼女に触れられる機会はほんのわずかだ。今や金剛の方が気軽に触れているだろう。白珠は暗い気持ちになった。あんなにも身近だった瑠璃が、さらに遠い存在になってしまうような気がしたのだ。

 今日からは、きっと、さらに遠い存在になってしまう。愛する人の身体を玩具のように扱う肉食精霊たちが、白珠には怖かった。


 そんな白珠の視線を無視する形で、大精霊たちは二人だけで会話を続けていた。


「ひょっとして君が言っていた瑠璃とかいう秘蔵っ子のことかな? そろそろ教えてくれないか。いったい何の種族なんだい?」

「それは会ってみてのお楽しみよ」


 色っぽく笑い、金剛は紅玉の手をさり気なく握る。

 肉食の大精霊同士。種族は違うが、この二人には単なる味方同士ではないものがある。まるで、自分と瑠璃のようだと白珠は感じた。


「案内するわ。……白珠、瑪瑙が帰ってきたらいつもの部屋で待つように伝えなさい」

「分かりました、魔女さま」


 頷くかどうかというところで、二人はさっさと地下へと向かってしまった。彼らの背中を見送りながら、白珠は心の中でそっと祈った。どうか、瑠璃が辛い思いをしませんように、と。


 そして花畑に横たわり、再び日光を浴び始めた。

 今日からは新しい住人が一緒だ。ひとりに見えるが、そうではない。彼の中にはいくつもの兵が封印されている。全てが呼び出されれば、多大な数になるのだろう。

 瑠璃とふたりきりの世界だったはずなのに、早くも賑やかになり始めている。それも、望まない形で。


 ――このまま戦いが起こるのね。


 話し合う金剛と紅玉の姿を思い浮かべながら、白珠はその予感に震えた。


 蜜蜂の銀星に愛撫されながら聞かされる話では、胡蜂たちの恐ろしさを知ることが出来た。胡蜂たちは蜜蜂を少しずつ攫い、奴隷にしているらしい。ずっと生かしてもらえるわけではない。しばらく養われはするが、幹部たちの判断によってひとりずつ屠られるという。蜜蜂たちは常にその危険と隣り合わせで暮しているらしい。

 襲われるのは蜜蜂だけではない。胡蝶だって彼らの食料になり得る。それに、月花だって花蜜目的で奴隷にされかねない。


 白珠は不安だった。

 魔女たちがどうしてその胡蜂たちと争っているのかは分からない。それでも、金剛が敗北するということがどういうことかは分かっていた。

 敗者は全てを奪われる。名誉も、命も、財産も。白珠は自覚していた。自分と瑠璃は金剛の財産の一つであるのだと。もしもここが胡蜂たちの手で陥落すれば、自分たちもただでは済まない。


 ――そうなったら、瑠璃はどうなってしまうの。


 瑠璃という胡蝶は、白珠にとっては感動的なまでに美しい。胡蝶の女性の魅力は肉付きのいい尻と脚にあるが、瑠璃もまた例外ではない。恵まれた顔立ちと体格から感じられる気品と色気の両方が、花たちの心をくすぐるのだ。

 しかし、相手が肉食精霊であれば、その魅力もたちまち弱点となる。恐ろしい事に、瑠璃の魅力は、肉食精霊にとって食欲をそそるものであるらしい。


 瑠璃を捕らえた胡蜂たちが、まず何を相談するのか。考えるだけで白珠は震えてしまった。


 ――駄目よ。負けるなんて考えては駄目。


 必死に祈りながら、白珠はそっと目を開けた。


 日光はいつも温かい。太陽の女神はこの大地を直接守っているわけではないが、この大地の命そのものである月の女神を庇護する高位の存在である。だから、月光と同じく、日光が月花たちに与える安らぎは絶大なものがあった。

 色鮮やかな世界を感じつつ、白珠はほっと一息ついた。きっと、女神たちが守ってくれる。そう信じるだけでも、心が少し軽くなった。


 そうしてしばらく、微かな物音が地面伝いに白珠へと伝わった。起き上がってみれば、裏口の方向からゆっくりと歩いてくる者があった。

 白珠はため息をついた。本来待っていた人物だったのだ。かつては憎み、恨み、暴言を吐いたことだってあった精霊――瑪瑙がようやく戻ってきた。


「おかえり、瑪瑙。魔女さまからの伝言よ。『いつもの部屋で待っていて』ですって。とうとう紅玉さまがいらしたのよ」


 そう声をかけると、瑪瑙は白珠の隣に座り込み、そのまま寝そべってしまった。


「ねえ、聞いていた?」


 やや咎めるようにそう言うと、瑪瑙は笑みをそっと漏らして答えた。


「聞いていたさ。伝言ありがと。でも、ここで待っているよ。どうせ今、地下なんでしょう? それなら、まだまだ時間がかかりそうだし」


 そして、白珠に笑みを向ける。


「君と雑談でもして時間を潰そうかなって思ってね」


 馴れ馴れしいその言葉に白珠はムッとした。だが、生憎、自分もまた話し相手として瑪瑙の訪れを求めていたこともあり、何も言い返せなかった。


 全て彼のせいでこうなったことが分かった直後、白珠は瑪瑙に食って掛かったこともあった。しかし、彼と言い争ったところで状況は変わらない。何なら、彼だって金剛の蜜薬の犠牲者だ。

 長生きしたければ、奴隷同士、良好な関係を築いた方がましだと気づいてからは、むしろ、瑪瑙との会話を求めるようになったのだ。


 外がどうなっているのか。大精霊たちの世界がどうなっているのか。

 そういった情報を集めるのが彼の仕事である。金剛が教えてくれないことでも、彼ならば一部は教えてくれる。そのために、白珠はを好んだのだ。


 だが、純粋な情報のためだけではない。白珠は分かっていた。自分は単に話し相手を求めているのだ。同じ立場で、会う事が制限されていない、会話が出来る相手を。


「外はどうなっているの?」


 白珠は小声で瑪瑙に訊ねた。瑪瑙は寝ころんだまま微笑み、答える。


「不穏な噂ばっかりだよ。でも、今のところ、魔女さまを狙った明確な動きはない。まだまだ準備をする時間は残されているよ」

「胡蜂たちに魔女さまは勝てるかしら?」


 不安を口にする白珠に、瑪瑙は微笑んで見せる。


「そのために今、頑張っているんじゃないか」


 白珠を勇気づけるように彼はそう言った。


「魔女さまは、とてもお強い御方なんだよ。君だって魔法薬の力はもう知っているでしょう? でも、あんなものじゃない。ボクはね、うんと昔だけれど見たことがあるんだ。本気の魔女さまのお力を」

「本気の魔女さま?」


 白珠の問いに、瑪瑙はうんと頷く。


「ボクが独り立ちしたばかりの頃の話さ。両親からは色々なことを教わったけれど、そこには肉食花にまつわる知識はなかった。うんと遠くで、あろうことか月の女神さまを狙っている怖い大精霊の……その血筋の者たちさ。この辺りにも少しだけいるんだ。何も知らずにボクは捕まって、食べられそうになった。でも、そこへたまたま居合わせた魔女さまが助けてくださったんだ」

「肉食花から……」


 白珠は呟き、そして納得した。

 どうして瑪瑙がここまで金剛に肩入れするのか、ただ大精霊になりたいという願望だけとは思えないその情熱の理由が分かった気がしたのだ。


 すべての元凶が肉食花であることを、この時の白珠はまだ知らなかった。知っていることは、胡蜂の女王と金剛がいがみ合い、果てに血生臭い殺し合いが待っているかもしれないという危険性だけだ。だから、どうして金剛が自然の掟に反して瑪瑙を助けたのかという理由までは分からなかった。

 はっきりと分かることは、金剛が肉食花より瑪瑙を助け、それ以来、瑪瑙が彼女を信頼しているということ。白珠にはそれで十分だった。


「あれ以来、ボクは魔女さまを尊敬している。裏切らないと誓って、薬を飲んだことも後悔していない。だから、全力で御支えするんだ。か弱い小鳥であろうと出来ることをする。魔女さまの一番弟子としてね」


 そう語る瑪瑙の目が、白珠には輝いて見えた。

 予断を許さない状況にあっても、心の底から金剛の力を信じている目だ。未来を信じ、力を尽くす彼の姿は希望に溢れ、それでいて何処か白珠の胸を抉るものがあった。


 本当に、自分たちは勝つことが出来るのか。


 白珠の不安を余所に、それから瑪瑙は自分の見た金剛の雄姿を語り始めた。

 いかなる敵も花蜜の薬で退けてきた花の魔女の姿。大精霊である彼女なりの正義によって、月の女神の大地を守ってきたというその武勇伝に、白珠は黙って耳を傾けた。

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