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14.儚い約束


 瑠璃は落ち込んでいた。

 自分の無力さが嫌になる。どうして胡蝶は花蟷螂に勝てないのだろうか。

 考えても仕方のないことを何度も考え、その度に、心の中で呟いた。


 ――白珠、ごめんなさい。


 白珠の仕事が始まったのは数日前の事である。その日からほぼ毎日、彼女は蜜食精霊たちを誘惑し、金剛の狩りを手伝っているらしい。蜜食精霊たちとどう過ごしているのかは、瑠璃には伝わらない。

 しかし、わざわざ教えられずとも、ある程度の想像はついた。金剛が瑠璃の前でいつも白珠を褒めるためだ。彼女は素晴らしい。人間たちが褒め称える宝石のような魅惑があるのだと。


「もちろん、彼女の魅惑を引き出したのは、この私よ」


 就寝前の戯れの最中、金剛は瑠璃にそう言った。


「お前が独り占めをしていては引き出せなかったでしょうね。白珠には天性の魅惑がある。胡蝶にも匹敵するくらいの魅了の才能が備わっている。蜜食精霊の誰もが彼女の恥じらう姿に食欲以外の欲も湧いて、何も疑わずにこの屋敷へ入り込んでしまうの」


 そのおぞましさに瑠璃が思わず身震いをすると、金剛は嬉しそうに笑い、その足へと舌を這わした。


「その全てを殺しているわけではないわ」


 そう言って、妖しい笑みを瑠璃へと向けた。


「一部は生かして通わせて、情報集めに使っているの。蜜蜂なんかをね。でも、安心して。白珠に無理はさせていない。たくさん蜜を吸われた後は、必ず水を飲ませて休ませるようにしているから」

「……でもきっと、白珠の心は疲れ切っているはずよ」


 暗い気持ちでそう言う瑠璃へと金剛は覆いかぶさった。


「彼女の癒しとなるのもまた、お前の役目よ」


 そう言って、瑠璃に笑いかける。


「白珠は愛するお前のためだけに頑張っているの。多くの精霊を裏切って、心が傷ついても、美しく咲き続けている。これまでに私に捕まった花たちは皆、耐え切れなくなって自ら殺されたがった。でも、白珠はそうなる気配すらない。ぜんぶお前のため。お前を生かすために、あの子は頑張っている」


 その言葉を受け入れながら、瑠璃は金剛の心身に尽くした。


 恋の季節は終わっても、金剛との関係は終わらない。退屈させないことが今の自分の役目であると自覚し、瑠璃はそれに徹した。時折、肉食精霊らしく荒々しい吐息を体に感じながら、金剛の求めるままに振舞っていく。

 惨めな思いはもはや感じなかった。瑠璃の頭にあるのは、白珠のために出来ることに尽くすということ。そして、金剛の心身を支えるということだった。

 金剛が満足しきると、その胸に甘えながら瑠璃は訊ねた。


「胡蜂たちの動きはどうなの? 対抗する準備は進んでいる?」


 すると、金剛は気怠そうな表情で応対する。


「お前の心配することではないわ。蜜蜂王国は緊迫しているけれど、とりあえずはまだ無事なようね。彼女らに異変が起こる前に、紅玉が来る予定になっている。もう間もなくよ」


 そう言って、金剛は瑠璃の頬を両手で包み込んでため息をついた。


「紅玉が来たら、お前をこうして独り占め出来なくなるわね。食欲旺盛な御方だけれど、大精霊らしく分別はきちんとあるわ。どんなに恐ろしい目に遭ったとしても、食い殺されはしないから安心なさい」


 ちっとも安心できない言葉を貰い、瑠璃は静かに金剛の胸に甘えた。


 蜻蜓は蜻蛉の中でも恐ろしい。瑠璃にはそんな印象があった。

 見知らぬ大精霊というだけでも怖いのに、蜻蜓の男に身を捧げなくてはならないなんて。その不安が迫れば迫るほど、金剛を信じて受け入れようとしている自分がいることに気づき、瑠璃は静かな焦りを感じていた。


 ――このまま私は自分の意思すらも失っていくの……?


 或いは、もうすでになっているのかもしれない。

 そんなことを感じながら、瑠璃はぽつりと訊ねた。


「紅玉さまが来た後も、白珠はあの役目を続けるの?」


 金剛はじっと瑠璃を見つめ、その豊満な胸を瑠璃の胡蝶特有の平たい胸部に当てた。蜜食精霊を騙すためにある花蟷螂の胸は瑠璃にとってかなり柔らかく心地よい。

 瑠璃はそっと目を瞑った。金剛の胸の感触を味わいながら、官能的に背中を撫でられると、何もかも忘れてしまいそうだった。そんな彼女に金剛は囁く。


「むしろ、紅玉が来てからが本番よ」


 すぐに不安がる瑠璃に微笑みかけ、軽く口づけをしてから言い聞かせた。


「彼はその魔力のためにたくさんの肉を求めている。私なんかよりもずっと多くの命をね。その上、私に協力するために、兵を集めようとしてくれているの。紅玉が手に入れた兵たちの命は、すべて紅玉の生命力に委ねられる。多くの戦力のためには、ご馳走がたくさん必要となる。白珠には、まだまだ頑張ってもらわないと」


 大精霊同士の諍いのために、白珠が無理をさせられることになる。その事実に瑠璃は落ち込んだ。


 肉食精霊たちが単なる食糧だと思っている蜜吸精霊たちだって、本来の月花にとっては恐ろしい捕食者なのだ。食事に誘う回数が多ければ多いほど、危険な目に遭う可能性も高くなっていく。それが怖いからここに閉じ込めていたのに、今ではその自分が彼女の足枷となっている。

 それは、瑠璃にとって、自身が金剛に玩具にされることよりも酷い責め苦であった。


 肩を落とす瑠璃を見つめ、金剛は低い笑みを漏らして囁いた。


「そんな顔をしないで、瑠璃。お前は私を憎んでいるでしょう。恐ろしい悪魔だと思っているでしょうね。けれどね、私にだって心はある。無理矢理捕まえたといっても、愛情はあるわ。白珠も、お前も、みだりに危険に晒すようなことはしない。白珠が狩りをするときは必ず見守り、少しでも危険な相手ならば追い払えるようにする。疲労があるなら、これまで同様、無理はさせない。約束よ」


 甘い口調に言い聞かせられ、瑠璃は庇護される幼子のように黙り込んだ。

 卵から孵るため、生みの母の愛など知る機会の殆どない胡蝶であっても、金剛の包み込むような優しさは、安らぎを感じてしまうものだ。

 それがたとえ強引に結ばれた関係だったとしても、今の瑠璃にとって金剛は、絶大な力を持つ保護者に違いなかった。


「金剛……?」


 かすれた声で瑠璃はそっと訊ねる。


「白珠は蜜を生める大人の月花なのよ。こんな生活を続けていれば、いつかは子供が出来てしまうわ。そうなれば、今までのようにあなた達のために働くことなんて出来ない。花の子はすぐには産まれないの。私たちのように卵を産むのとはまた違うのよ?」

「もちろん、分かっている。この生活は続かない。白珠もやがては母になるでしょうね。でもそれでいいの。それまでにたくさんの肉が手に入ればいい。子が無事に生まれて、しばらく経てば、また同じように働けるはずだから」


 そして、金剛は瑠璃と目を合わせた。


「この住まいは広い。多産な月花であろうと、多くの花を育てることはできる。私と紅玉に守られながら、たくさんの花たちが育ち、一部は残って、やがては母と同じように役目を担うことになるでしょう。きっと綺麗な光景でしょうね」


 瑠璃はぼんやりとその言葉を聞いた。

 目を閉じると、白珠に似た美しい花の子たちが遊んでいる光景が浮かんでくる。


 ――白珠を花の女王に。


 恐怖などとは無縁だった頃に目指した世界が、瑠璃には見えてくるようだった。


「その頃にはあなたもこの地下から出してあげられるかもね。お前の態度次第ではあるけれど。愛した月花の血筋が広がっていく美しい光景を、いつかお前に見せてあげる。平和が戻ったら、ここを美しい国にしましょう。月花と、胡蝶が、私の庇護の下、さらに繁栄できるような世界に……」


 暗示をかけるような金剛の言葉に、瑠璃は心を震わした。


 それは、かつて夢見た美しい未来だった。自分たちの手で創りあげるはずだった世界。瑠璃にとって、いかなる花蜜よりも甘い誘惑の約束だった。胡蜂から平和を勝ち取れば、大精霊の庇護が手に入る。そうなれば、あらゆる外敵に怯えなくて済むのだ。


 だが、忘れてはいないか。この人たちは肉食精霊なのだということを。

 美しい国の地下には白珠の魅惑で捕らえられた不幸な精霊たちの骨で埋め尽くされる。それだけではない。もしも自分の血を残すことを許されたとしても、我が子らが安心して巣立てるかどうかは捕食者たちの手にかかっているのだ。


 もしかしたら、主君たる大精霊たちに見せられるのは恐ろしい光景かもしれない。

 瑠璃はその不安から目を逸らせなかった。瑠璃の産み落とした卵が、あるいは孵化した子供たち――旅立ちを待つ蛹たちが、羽化して震える若い胡蝶が、瑠璃の目の前で食される未来が絶対にないと、どうして言えるだろう。


 しかし、だからと言って、ただの胡蝶である瑠璃にこの状況の全てを跳ね返す力はない。

 主人である彼女の言うことを聞かなければ、明日さえも分からないのだ。今はこうして愛情を込めた手つきで撫でてくれていても、機嫌を損ねた途端に変わってしまうかもしれない。

 白珠との約束も、自分との約束も、全て反故にされてしまうかもしれない。それが、瑠璃には何よりも怖かった。だから、従う以外に道はない。


 そうなれば、心はむしろ軽かった。

 ここを美しい世界に。

 儚くも散ったはずの夢の光景は瞬く間に脳内に広がっていき、心が蕩けそうになっていた。もしかしたらこれは、蜜薬の見せるまやかしかもしれない。

 けれど、それでもいい。瑠璃はその夢に浸り続けた。

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